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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第162回   イージェンと南方大島《エトルヴェール》上(2)
 ヴァンに気持ちを聞くために、リィイヴが厨房を覗いた。
「こんないい肉、食べたことないよ、いつもこんなの食べてるんだ」
 燻製した鹿肉を薄切りにしながらヒュグドゥがはしゃいでいた。ヴァンが煮ている鍋をかき混ぜていた。
「よくわからないけど、いい肉なのか?」
 ヒュグドゥが眼を丸くした。
「いい肉だよっ!」
 ヴァンが苦笑いしながら鍋に皮をむいた芋を入れた。リィイヴがヴァンに声を掛けた。
「ヴァン、ちょっと」
 ヴァンがヒュグドゥに鍋を焦がさないようにと注意して、厨房から出てきた。食堂の一番隅に向かい合って座った。
「どうしたんだ?」
 首を傾げるヴァンに、リィイヴが尋ねた。
「あの子のこと、どう思う?」
 ヴァンが眼を伏せた。
「どうって…」
「イージェンが、君が気に入ったなら、ここに置いてもいいって」
 ヴァンが戸惑った顔を上げた。喜ぶかと思ったが、そうでもないようだった。
「セレンやイリィさんたちもいなくなって、ぼくもいろいろと忙しいから、君が寂しいかなと思って…」
 ヴァンが膝の上で拳を握った。
「そりゃ、寂しいけど…でも」
 ぼそっとつぶやいた。
「でも、セレンの代わりにはならないよ。かといって…」
 さっきも厨房に行ったとたん口付けを求めてきた。寝たがっているのはわかる。
「あの子、俺と寝たがってる、でも俺、まだ…アリスタのことが…」
 右手で顔を覆って泣き出した。思い出させてしまったとリィイヴが後悔した。
「ヴァン、別にあの子と寝なくたっていいよ、ただ、少しは賑やかなほうがいいと思って」
「あの子はそう思わないだろう?」
 まだ無理だ。そして、誰かに癒してもらえるようなものでもなかったのだ。
「わかったよ、もう泣かないで」
 リィイヴが席を立って、ヴァンの頭を抱き寄せた。部屋に連れていこうとした。廊下にエアリアがいた。
「わたしが調理、代わります」
 よろしくとリィイヴが頼んだ。部屋に連れて行き、後で来るからとベッドに座らせて、船長室に戻った。
 ヴァンのことを話そうとしたが、イージェンが手を振った。
「わかった、アリュカ、学院で預かってくれ」
 アリュカが少しため息をついたが、了解した。
「それでは、あの娘を連れて一度帰りますわ」
 すぐにでも出発しそうな勢いなので、夕飯くらい食っていけとイージェンが言った。
「俺は、南方大島を見に行ってくる」
 リィイヴが顔をこわばらせた。アリュカとアヴィオスが出ていってから、思い切って言ってみた。
「イージェン、ぼくもエトルヴェール島に連れて行ってくれないか」
 イージェンが仮面を向けてきた。
「ラカンユズィヌゥの所長に会いたい」
「知り合いか」
 リィイヴが顔を伏せた。
「エヴァンス大教授というヒトで、パリス議長の兄なんだけど、パリス議長の強硬論に反対している。ただ、反対派はごく少数派だし、そのために最高評議会議長選で負けたんだけど」
 最高評議会議員のひとりなので、『ユラニオゥム弾道ミッシレェ』の使用に反対してもらえればと話した。
「あのパリスの兄か、兄妹での争いとは、マシンナートもシリィの王族も変わらんな」
 イージェンが皮肉った。
「でも、アダンガルさんのおかあさんのことを知ったらシリィを憎むかもしれないから、どっちにころぶかわからないんだ」
 詳しく話せというイージェンに、リィイヴがふところから紙を出した。それは、精製棟のタァウミナルで表示した最後の一面だった。エアリアに書き写してもらったのだ。かつて第三大陸での啓蒙《エンライトゥメント》活動ミッション中に起きた事故の調査報告書だった。
「この犠牲者の一覧にあるジェナイダというヒトがアダンガルさんのおかあさんで、父親は『エヴァンス』、母親は『ザンディズ』」
 エヴァンスも若い頃はパリス同様強硬論だった。もともとふたりの『係累』は、強硬論者が多く、しかも、最高評議会の議員や議長を多く出していた。マシンナートの世界では非常に力のある《一族》なのだ。
ところが、エヴァンスは、啓蒙論者のザンディズとの間に子どもが産まれてから、ザンディズと交流を持ち、啓蒙《エンライトゥメント》提唱に傾倒した。アルティメットがいなくなった後は素子のほとんどいない地域に拠点を作り、自然の破壊を最小限に留めた低レェベェルのテクノロジイを広げていって、緩やかに地上を手に入れようという考えだった。
 娘を溺愛していたことは今だに語られるほど有名だったが、娘がエンライトゥメントミッション中の事故で亡くなった後も啓蒙の姿勢は変わらなかった。むしろ、娘が研究していたテェエルの自然を残したいという気持ちが強まったようだった。啓蒙ミッションによってテェエルの自然に魅かれてしまうことを『ジェナイダ症候群』というほど、ジェナイダは、テェエルの自然を愛していた。
 一方、パリスは、それまでの『係累』の中でもひときわ急進的な強硬論者として、『ミッシレェ』による地上攻撃を主張していた。もちろん、アルティメットが全員死亡するまでは、ごまかすために啓蒙活動をしている素振りをさせていたし、アーレに関してはユワン教授の成果を評価していた。そして、ジャイルジーン大教授が先走ってしまったが、そのミッションはパリスがしたかったことではあったのだ。
 もし、『ミッシレェ』による地上攻撃をしたとしても、実際に『ユラニオゥム弾道』を使用するのは、一部の大陸にとどめるだろうが、それでもふたたび汚染されることは間違いない。どの大陸かはわからないが、また何百年もヒトも獣も住めない場所になるだろう。エヴァンスは、せっかく清浄化した地上を再び汚染するのは愚かだと説いた。そして、十四年前、前議長が亡くなって、議長選が行われたとき、パリスとエヴァンスが候補に立った。
 しかし。
「作ったからには使いたい。実証が欲しい。それはインクワイァとしては当然の心理なんだ」
 パリスは、その心理を巧みに突き、啓蒙論に傾きかけた評議会や世論を動かした。その結果、パリスが議長に選ばれ、エヴァンスは敗れた。だが、その後も強硬論のパリスとはずっと対立しているのだ。
「持てば使いたくなるだろう、だから、持つなとヴィルトは戒めた」
「それは…そうだけど」
 イージェンが調査書を見た。
「もし、エヴァンス大教授が、娘がシリィにひどい扱いを受けたと知ったら、憎むかもしれんな」
 俺なら許さない。幼い娘に乱暴して子どもまで産ませ、その子を虐待していたとしたら。
「協力を求めないほうがいいかな」
 話しているうちに、自信がなくなってきた。パリスが行動しようとしている今、止められるとしたら、エヴァンスしかいないのだが。
「ほんとうはぼくが会いに行ったら、嫌がると思うけど、打てる手は打ったほうがいいかなと思って」
 イージェンが仮面を上げた。
「嫌がるって…おまえのことを知っているのか、エヴァンス大教授は」
 リィイヴは沈んだ顔でうなずいた。
「ぼくの母親が…パリス議長だから…」
 イージェンが固まった。
「まさか、そんな…」
 リィイヴが顔を伏せた。イージェンが不可解そうに言った。
「それはおかしいだろう、だったら、おまえがひどい目にあったとき、なぜ相手の教授を罰しなかったんだ」
 教授たちのファランツェリの扱いを見ていると、不審に思えた。しかも、自分を脅す道具にしたのだ。
「あのときはまだ議長になる前だったし、しかも、ちょうど議長選の前で、その教授の指導大教授は有力者だった。そのヒトを味方につけたかったんだと思う。パリス議長には、あのときの前はよく会っていたけど、もう十四年間、会ってないよ」
 パリスの従兄である父親は、それまではリィイヴをかわいがっていたが、パリスが見捨てたとわかると見舞いにも来なかった。
「壊れたから見捨てられたんだ、パリス議長も父もそういうヒトたちだよ」
逆によく殺さなかったと思うくらいだとリィイヴは目を覆った。ファランツェリには、あのミッションで初めて会った。リィイヴを兄と知っていたようだったが、お互い知らないふりをして、アリスタやヴァンたちとともに仲良く見せかけていた。さすがにパリスが母親だということは、ヴァンには言ったが、アリスタには話さなかった。
「パリスもファランツェリも息子や兄だと知っていたのに、おまえのことを俺を脅す道具にしたんだな」
 リィイヴが顔を上げた。
「それはいいんだ、そういう連中だって、わかってる」
 自分はあの連中とは違う。ずっとそう思ってきた。
イージェンが立ち上がった。リィイヴの親が誰だろうと関係ない。自分もそうであったように。
「リィイヴ、エヴァンス大教授に会って来い。どっちにしてもこれ以上悪くなることはない」
 もともとマシンナートは全員敵とみなしている。むしろ、パリスに対抗する大教授がいることのほうが驚きだった。
「うん、会ってみるよ」
「おまえとアヴィオスは親戚ってことか」
リィイヴがうなずいた。
「マシンナートは、親子兄弟以外は血がつながってるって意識はほとんどないけどね」
結果が分かるまで、アヴィオスには伏せておくことにした。


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