だめだったのだろう。胸が苦しくなる。でも、甘やかな夢を見てしまった自分がいけないのだ。 「殿下…」 抱き寄せられた。堅く、きつく。息も詰まるほど。 「エアリア、父上や宮廷の大臣たちに、そなたを妃にしたいとお願いした。でも…」 声を詰まらせた。 「許されなかった。それに、もう妃は決まったと言われた」 ふたり、ともに、苦しくて胸が押しつぶされそうだった。 「イージェンにも、たとえ父上や宮廷が許しても、自分が許さないと言われた。そなたは、俺の妃になるのではなく、魔導師として、地上を守るべきなんだ。わかっていたのに、俺はそなたが大切なあまり、自分とそなたが睦むことができれば、地上を守ることは、誰かがやればいいと思ってしまった」 ベッドに並んで座った。 「すまない、魔導師の使命を捨てさせて、俺を選ばせたのに」 エアリアがぎゅっと握った手を見つめた。 「私はずっと子どもの頃から、大魔導師になって、殿下の側にいて、殿下をお守りしたいと思っていました。でも、それは間違っていました。それはただ、殿下の側にいたいからでした、それではだめだったんです」 イージェンのように、地上を守るために、マシンナートと戦い、《理(ことわり)》に従った生き方にみなを導くのが大魔導師の仕事なのだ。 「私はヴィルト様の後を継げませんでしたが、師匠の手伝いをして、地上を守ります。それが、結局殿下を守ることになるからです」 ラウドが、ぎゅっと握ったままのエアリアの手の上に、手のひらを乗せた。 「俺はそなたと契れたことを後悔していない。そなたを思い出して苦しくなるかもしれないが、それでもいい」 「私も後悔していません。殿下と契れて、うれしかったです」 それは自分たちふたりで選んだ道だ。楽しみ、そして苦しむ道を選んだのだ。 これが最後の『抱擁』になるだろう。両手を掴んで引き寄せた。 「エアリア、恋人としては別れたとしても、俺たちが幼なじみで姉弟として過ごしたことはなくならない。エアリア姉様を塔の上から追って飛び降りた、あの頃のこと。なくなることはないから」 …待って、姉さま、ぼくも空を飛びたい! 紅い髪の少年は、銀の翼を広げて空を飛ぶ姉を追って、塔を飛び降り、一度命を落としたのだ。大魔導師ヴィルトの『蘇りの術』によって蘇ったが、そのことがあって、エアリアはいっそう大魔導師になって、ラウドを守るのだと心に決めていたのだ。 エアリアがラウドの腕の中で何度もうなずいた。
午後からの会議が始まったが、あらかじめ決まっていた議題が『王太子の婚礼』、その準備と費用の話だったので、内務大臣で司会のルスタヴ公が困ってしまった。 従者がリュリク公に耳打ちした。すぐにヴァブロ公に伝わり、ルスタヴ公にも届いた。ルスタヴ公がリュリク公の側で尋ねた。 「お呼びして大丈夫なのか」 ルスタヴ公がすっかり元気なくうなだれている国王を見た。 「わからんが、言いたいことがあるというのだから、話させたほうがいい」 どうせ、今いるものはさきほどの騒動の場にいたし、ほとんど身内か、近しい臣下だけだ。ルスタヴ公が了解して、従者に入れるよう指示した。 ラウドが静かな表情で入ってきた。国王が悲しそうな眼を向けた。玉座の前までやってきたラウドが片膝を付いて、胸に手を当てた。 「父上、大臣方、さきほどの見苦しい振る舞い、どうかお許し下さい」 そうして頭を下げた。国王や大臣たちがラウドの気持ちが落ち着いたのだと安心した。ラウドが顔を上げて、父王を見つめた。 「父上、わたしは、エスヴェルン王室のしきたりを守り、遠い異大陸から嫁いでくる姫を大切にして、ふたりで国と王室の繁栄に勤めます」 両膝を付き、手を床につけて額を着けた。 「…王太子…」 国王が玉座から降り、膝を折って、ラウドの手を握って、少し引き寄せた。 眼を潤ませて国王が顎を引いた。 「つらいだろうが、これが王族のさだめ、妃となる姫に優しくしてあげなさい。そうすれば、姫はそなたを愛してくれる」 「はい、父上」 ラウドがうなずき返し、ゆっくりと手を離して、ふたたび最敬礼した。リュリク公たちもみな、ラウドのつらい気持ちを察しながらも、『大人』になって納得してくれたことにほっと胸をなでおろした。 その夜、アヴィオスとリィイヴがラウドを訪ねた。いずれまた戻ってきたら、ゆっくりと話をしようとしばしの別れを告げた。 翌日朝早くイージェンたちを乗せた『空の船』が、崖の腹の門を出た。リィイヴとヴァンが甲板から王都を見下ろしていた。崖の上に影がふたつ見えた。 「あれは」 馬に乗ったヒトたちだ。ひとりは赤い外套。 「殿下だ」 リィイヴが艦橋に飛び込んだ。 「エアリア!殿下が崖の上にいるよ!」 エアリアがはっと目を見開き、首を振った。イージェンがエアリアの肩に手を置いた。 「見送ってくれてるんだ。応えてやれ」 エアリアが肩の力を抜いてうなずいた。 甲板にはアヴィオスも出てきていた。エアリアが手すりを握り締めて見下ろした。すでに小さな粒のようになっていたが、エアリアにはすぐ目の前にいるように見える。少し寂しそうに眼を細め、手を振っていた。 もう見えないだろうと思いながらも胸元からもらった飾り手巾を出して、振った。 「殿下、いってきます」 小さくつぶやいた。
『空の船』は、カーティアの上空を横切り、翌日の昼には、南方海岸に到着した。軍港近くに着水し、沖合いに留まった。 マシンナートたちに全滅させられた軍港には、王都からの新派遣軍が駐留していた。抵抗していた先王の甥バディアル率いる旧派遣軍は、即日平定されていた。バディアルは戦死した。 駐留軍の将軍は、イージェンが戴冠式を執り行ったときに参列していた。イージェンが訪れると、感激して、地に頭を擦りつけた。 「大魔導師様、ようこそお越しくださいました」 副官たちもみな最敬礼で出迎えた。 「立ってくれ」 イージェンが将軍たちを立たせて、司令棟に入った。 「南方大島の様子がおかしいと聞いたが」 一番奥の将軍の席に案内されたが、将軍に座るよう示して、その隣に座った。将軍は、困った顔で海図を出すよう副将に命じた。机の上に海図を広げた。 「この海域は、今の時季、あまり嵐もなく、風の向きもよいので、二日かからずに南方大島に着くはずなのですが、今だに派遣した特使が戻ってきません」 ヴァシルが昨日朝カーティアの学院所属になった挨拶に訪れたとのことだった。 「すぐに飛んでいかれてしまいまして」 この将軍はセネタ公の腹心で、マシンナートが学院を皆殺しにしたことを知っていた。そのためもあってか、わざわざカーティアに来てくれたヴァシルを歓迎したかったようだった。 「ということは、昨日のうちに上陸してるはずだな」 それにしては遣い魔も寄越さない。マリィンの残骸を始末するよりも急を要するようだ。 将軍が海図の中にある小さな島を示した。 「この島には、南方大島軍の砦がありまして、先日訪問したところ、『もぬけのから』でした」 南方海岸に一番近い砦の島なので、常に監視部隊がいるはずなのに、まったくおかしなことだと首をかしげた。 「わかった、ヴァシルと俺で調べるから、外海(そとうみ)には出ないように、漁民たちにも注意させろ」 もっとも外海で操業するほどの漁船はないのだが。 将軍が了解した。
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