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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第158回   イージェンと紅《くれない》の王太子(2)
 翌日夜明け前にはエスヴェルンの王都から東に五カーセル離れた場所の切り立った谷に到着した。谷腹の門を開き、中に入った。洞門を通り、学院の地下にある洞窟に着いた。
 全員が船底に降り、船の横腹の舷梯から出て、長い階段を登ってスケェィルに出た。帰国すると遣い魔を出していたので、サリュースや副学院長たちが待っていた。
「おかえりなさい、殿下」
 サリュースがまっさきにラウドを出迎え、王太子宮で着替えて、国王に挨拶にと連れていった。
 ラウドが学院を出たところでサリュースを叱った。
「イージェンをねぎらわないのか」
 二の大陸では、いろいろと大変だったようだぞと言うと、サリュースが首を振った。
「イージェンは、当然の仕事をしているだけですよ」
 大魔導師なのだから、マシンナート対策はやって当然だ。さっさと全てのバレーを消滅させてしまえばいいのだ。
 ラウドは、王太子宮で少し朝餉を口にして、着替え、執務宮にいる父王に会いに行った。私室ではなく、御前会議の広間で会見した。すでにリュリク公、ヴァブロ公はじめ、宮廷の重臣たちが集まっていた。
「父上、ただいま戻りました」
 ラウドが片膝を付き、胸に手を当ててお辞儀した。国王が眼を細めてうなずいた。
「よく無事で戻った。二の大陸にも行ったそうだな」
 ラウドが顔を上げた。
「はい、おかげさまで、いろいろと勉強になりました。報告書を書きますので、ぜひ父上はじめ、宮廷のものたちにも読んでもらいたいです」
 おおっと周囲の大臣や執務官たちが感心した。
 国王が側に来るよううながした。ラウドが立ち上がり、二、三歩近づいて、ふたたび片膝をついた。
「父上、それに宮廷の大臣たちにお願いがあります」
 国王が微笑んだ。
「なんだ、言ってみなさい」
 ラウドがぐっと奥歯を噛み締め、唾を飲み込んで、床に付けた拳に力を込めた。
「魔導師学院第一特級魔導師エアリアをわたしの妃に迎えたいのです。どうかお許しください」
 驚いた国王が玉座から立ち上がった。周囲もあまりのことに息を飲んでいた。
「殿下、なにを…」
 サリュースが信じられずに一歩前に出ていた。扉近くにいたイリィ・レンが大きくため息をついた。心配していたようになってしまった。
「王太子殿下、それは無理です。身分も違います」
 ヴァブロ公が静かに諭した。幼なじみで仲がよいことはよく知られたことだったが、所詮子どものたわごとだ。ラウドがヴァブロ公を見た。
「身分など、エアリアを大公家の養女にすればいい。以前そういう事例もあった」
 サリュースがラウドに近づき、側に膝を付いて、たしめた。
「殿下、どうしてそんなわがままを…」
 耳元で厳しく叱った。
「抱かせてやったでしょう、それで満足してください」
 ラウドが怒りに眼を吊り上げてサリュースを睨んだ。
「そんな言い方があるか…」
 リュリク公が厳しい眼で見下ろした。
「王太子殿下、魔導師は結婚を許されていない。養女にするしないではなく、エアリア殿は魔導師なのだから、王太子妃にはなれない」
 ラウドが首を振って、父王の足元に近づいた。
「魔導師を辞めさせます!どうか、許してください!妃は、エアリア以外考えられません!」
 国王がぶるぶると拳を震わせた。
「王太子…それは.許されん。それに、そなたの妃はもう決まった」
 ラウドが眼を見開いて見上げた。
「そんな…」
 サリュースが立ち上がった。
「四の大陸ラ・クトゥーラ・サンダーンルーク王国第一王女ジャリャリーヤ殿下です。御年十五歳、お目通りしましたが、青い眼の美しい姫でした」
 ラウドが眼を細めて立ち上がり、サリュースを突き飛ばした。
「そなた、先に帰ると言っておきながら、四の大陸に行っていたのか」
 サリュースが少しよろけた。
「殿下、なんて乱暴な!」
 あいつの悪影響だ。言いたい放題、乱暴で。こんな事態になるのもわかりそうなものなのに、エアリアと関係することを許してしまった。
「父上、妃はエアリアでなければ嫌です!他の姫では嫌です!」
 ラウドがもう自制できなくなって叫んだ。
「王太子!」
 国王が声を荒げた。ラウドがびくっと身体を震わせて突っ伏した。
「嫌だ!嫌だ!」
 サリュースがラウドの腕を掴んで顔を上げさせた。
「殿下、落ち着いてください!」
 眼を合わせ、眠らせた。ラウドががくっと首を折った。
 イリィたちが運び出していくのを見ながら、国王ががっくりと肩を落として玉座に腰を落とした。
「いつかこうなると思っていた。だから、早く妃を娶らせたかったのだ」
 ラウドは、いつもはわがままなどいわない『よい子』なのだが、どうしても引かない強情なところもあり、時々とんでもなく思い切ったことをしてしまうのだ。
「陛下、イージェンに説得させます。そういう約束ですから」
 尻拭いしてもらわなければとサリュースが学院に戻った。
 エアリアに聞かれてはと、イージェンに執務宮に来るよう連れ出した。サリュースの厳しい表情にただごとではないなと付いていった。
 執務宮の国王執務室控えの間には、リュリク公とヴァブロ公が控えていた。国王は気分が悪くなり横になっていた。
 サリュースが、ラウドがエアリアを妃にしたいと御前会議の間で喚き、国王を困らせたと話した。
「おまえの影響だろう、お立場も考えずに、好き勝手なことを言いたい放題言い、わたしを突き飛ばしたんだぞ!」
 リュリク公もヴァブロ公も困ったため息をついて、下を向いた。イージェンは黙って聞いていた。
「尻拭いすると言ったよな!?サンダーンルークではもう輿入れの準備をしているんだぞ!殿下を説得してもらおうじゃないか!」
 ヴァブロ公が椅子から立ち上がった。
「学院長、あなたも落ち着きなさい」
 しかし、収まらないサリュースが黙っているイージェンの胸倉を掴んだ。
「おまえが現れてから、なにもかもめちゃくちゃだ!ヴィルトだって、おまえを助けにいかなければ、後、二年や三年は生きていたんだぞ!命を縮めたのはおまえのせいだ!」
 その手を掴むイージェンの手がわずかに震えた。
「そうか…みんな、俺のせいか」
「ああ、おまえのせいだ、おまえは災厄だ!」
 リュリク公がサリュースの肩を掴んだ。
「学院長、それは言いすぎだ」
 サリュースが手を離し、イージェンから離れた。
「殿下はどこだ」
 案内してくれと従者についていった。サリュースも出て行った。ヴァブロ公が眉をひそめて見送っていた。
「わたしには学院長が言うほど、ひどいお方とは思えないが」
 ラウドがエアリアのことをいつか言い出すのではないかということは、宮廷では以前から話し合われていたことだ。だから、子どものうちに妃を決めてしまいたいという国王の意向もあり、近親婚が続いていたので外の血を入れたほうがいいと、他国からの輿入れを早くから提案していたサリュースが奔走していたのだ。
 リュリク公も同意した。
「言葉遣いが少々乱暴だが、それでも陛下に対しては礼儀をわきまえている。この大陸の出ではないというのに、よく留まってくださったし、あれでは、気を悪くされるだろう」
 ふたりの不仲を憂いていたが、午後からの会議の準備をしようと大臣の執務室に戻った。

 従者に案内されて、イージェンは執務宮にあるラウドの部屋に向かった。部屋に入ると、ラウドは、寝室のベッドの上に座っていた。うつむいていたが、イージェンが入ってきたのに気づいて、泣きはらした顔を向けた。
「イージェン…」
 イージェンはしばらく見下ろしてから、ベッドの縁に腰掛けた。
「気が済んだか、殿下」
 静かな口調だった。ラウドが手で顔をおおった。
「なにもせずにあきらめたくなかったし、きっとかなうと思った」
 イージェンがそっとその頭に手を置いた。
「なんでもやってみることはいいことだ。たとえかなわなかったとしても、言ってみてよかったんじゃないか」
 やれるだけやったのだからと言うと、ラウドが伏せた顔を上げた。
「どうしてもだめか」
 イージェンが静かだが、きびしい口調で話した。
「ヴィルトが思っていたように、俺もできれば、殿下とエアリアが添い遂げられたらと思っている。でも、王太子妃には他の娘でもなれるが、俺の手伝いができるのはエアリアだけだ。もし陛下と宮廷が許しても、俺が許さない」
 許してやりたい。しかし、それはできなかった。イージェンとしても心痛むことだったが、エアリアには、この先、自分とともにやってもらわなければならない。
ラウドが目を閉じ、唇を噛んだ。
「あきらめてくれ」
 閉じた目から涙が流れた。
 イージェンが行おうとしていることの重大さはよく理解している。エアリアが手伝わなければ、地上が破滅するかもしれない。わかっていたけれども、エアリアを妃にしたかったし、危険な目にあわせたくなかった。他の誰かがやればいいと心のどこかで思っていた。
「エアリアにすまないことをした…魔導師の使命より、俺を選ばせてしまったのに」
 そのことがおそらくエアリアがいまひとつ力を発揮できない原因だ。ラウドへの想いがエアリアをただの娘にしてしまうのだ。イージェンはこれをバネにして殻を破って欲しいと思っていた。
「エアリアには俺から言うか?」
 ラウドが目を開き、イージェンを見つめた。
「いや、俺が言う」
 イージェンがラウドの髪を撫でた。
「そうだな、それがいい」
 サリュースがエアリアに会うことを許さないかもしれないからと、窓から出た。
 エアリアは学院の書庫で、リィイヴと一緒に書物を選び出していた。リィイヴが、いろいろな《理(ことわり)》の書物を読みたがったので、借りていくことにしたのだ。イージェンがエアリアを呼び出した。
「エアリア」
 自分の部屋に行くよう言った。エアリアが首を傾げていたが、さっと頭を下げて向かった。
「どうしたの?」
 リィイヴがイージェンに尋ねたが、黙ってふたりで選び出していた書物の山に手を置いた。
「なかなかいいものを選ぶ。じっくり読むといい」
 わからないことはエアリアに聞けと書庫を出ていった。
 エアリアの部屋は宿舎の三階にあった。扉の前で中の気配を感じた。
「…殿下?」
 そっと開けて入った。宿舎の個室は、入ると窓の近くにテーブルと椅子、奥に書棚と机があり、壁をくり貫いたようなところにベッドがある。椅子にラウドが腰掛けていた。立ち上がって、エアリアに近寄った。
「エアリア」
 その眼が赤く腫れていた。
…ああ、やっぱり…


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