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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第157回   イージェンと紅《くれない》の王太子(1)
 カーティア王国国王の婚礼式の後、イージェンは、魔導師学院の学院長室で、エアリアが取り掛かり始めたセンティエンス語の書き直しを引き継いでいた。夜が明け、ひといきついた。
 エアリアは夕べ戻ってこなかった。ラウドと過ごしているのだろう。明日になれば、エスヴェルンに帰国して、ラウドとは『お別れ』だ。
 扉が叩かれ、リィイヴが入ってきた。
「おはよう、ここでお茶飲んでもいい?」
 やかんを持っていた。手招いた。
「今、書き直ししてるが、全部終わるのは来年になるかもしれんな」
 魔力で書いても半年は掛かる内容だという。出来たところまでを見せてもらった。リィイヴがしばらく茶を飲むのも忘れて見入っていた。
「リィイヴ?」
 あまりに険しい表情なので、イージェンが声を掛けた。リィイヴがようやく口を開いた。
「イージェン、これは…オペレィションコォゥドだね」
 イージェンが手ぶくろの指先で顎に触れた。
「俺たちは算譜と呼んでいる。この書物の後の方には、過去の数値や記録が書かれていて、それを加えて、起動させて、処理し、結果を出す」
 リィイヴがじっと紙面を見つめた。
「起動させる…」
 魔導師たちはこれを覚えて、その頭の中で起動させて処理するのだ。すなわち、魔導師たちはその身体がベェエスとタァウミナルであり、オペレィション処理機構を持っているということになる。
自分自身が計算機であるということ。それはインクワイァの究極の理想形だ。見果てぬ夢だ。
「イージェン、ぼくは評議会の議員たちのように、君たち魔導師のことを憎んでないつもりだった。でも」
 リィイヴが手で顔を覆った。
「嫉妬を感じる。これは憎しみになりかねない」
 パリスはじめ評議会議員たちがアルティメットを憎むのは、テクノロジイを否定しマシンナートを殺戮して地上の文明を滅ぼしたからだ。マシンナートたちが地下で『もぐら』にならなければいけなくなったからだ。しかし、このことを知ったとしたら、嫉妬からいっそう憎しみを感じるに違いない。
「魔導師の全部ができるわけじゃない。読むことはできても覚えられないものもいるし、起動させられないこともある」
「…そうかもしれないけど…」
 すっかり冷たくなった茶を飲んだ。
嫉妬してもしかたないのだ。素子というものでなければ、どんなに覚えても起動はさせられないのだから。でも。
「俺やエアリアが憎くなったら、どうする?バレーに戻るか」
 リィイヴは気持ちがまとまらなかった。バレーに戻っても殺されるだろう。だから、しかたなくここにいるという選択もしたくなかった。
 イージェンがパタンと書物を閉じた。リィイヴが真っ赤な眼でイージェンを見つめた。
「ぼくはバレーには戻りたくない。殺されるからっていうんじゃなくて、あそこはいやなんだ、あそこには空がない」
「バレーに戻って、地上を取り戻すというのもある。マシンナートの領袖となって」
 イージェンが冷たい声で突き放した。リィイヴにはその能力がある。ただ、パリスのような冷酷さがなければ、マシンナートたちを束ねることはできないだろうが。
リィイヴが机の上の茶碗を見た。
「マシンナートのやり方では、いずれまた、肥大した欲望を満たすためのテクノロジイで、地上をぼろぼろにする。資源も枯渇して、自然は破壊されてしまう…」
 一度眼を閉じ、口を閉じた。
「かといって、君たち魔導師のやり方だと、発展も進歩もない。むしろ、それを止めるよう制御してるんだよね。それはやはり歪んだ世界だよ。でも、今はそれが『次善の策』だと思う」
 イージェンがリィイヴの前に置かれた紙面を自分の前に戻した。
「俺はこれが最善だと思っている。ヒトが営みの中で、多くを求めず、足るを知り、《理(ことわり)》に外れない生き方をする。だだ、やはりこれをずっと続けていくだけでいいのかとは思う」
 リィイヴがイージェンの仮面を見つめた。イージェンは、ゆっくりと噛み砕くように語った。
「ヒトは、今よりもよくなりたいという思いをもっている。それはひとりひとりだけでなく、世の中としてもだ。そのよくなりたいということを実現するためには何を発展させるべきなのか、どうすれば、《理(ことわり)》に外れずに発展させられるのか。それはヴィルトたちも悩んでいたことだ。恐らく、俺も悩み続けるだろう。今このときを生きているヒトたちには申し訳ないが、それは時間をかけて、考えていきたい」
 ヴィルトたちは決められなかったが、『自分たち』は、結論を出し、『よくなりたいということを実現するために発展させるべきもの』を決める。そうでなければ、パリスが罵ったように《おとぎの国》、ずっと夢の中の世界のままだ。
「リィイヴ、その道を一緒に模索しないか。もちろん、おまえが生きている間に結論はでないかもしれないが、それでも」
 イージェンが椅子に深く身を沈めた。
「青空や星空を眺めながら、未来の構図を考えて、生をまっとうするというのもいいんじゃないか」
 シリィの娘と所帯を持って、子どもを作って、ヒトの営みをするといいと言った。
「…シリィの娘と…」
 無理だとわかっているが、その相手はエアリアがいい。生きたオペレィション処理機構であるということへの嫉妬はあるが、それ以上に好きだった。ベッドで一緒に寝て、夜を過ごし、ふたりでテェエルの美しい朝焼けを見たい。
 イージェンがやかんの茶をリィイヴの空の茶碗に注いだ。
「ところで、千三百年前の大災厄と言われる『瘴気』による汚染があったときに、大魔導師たちの間に亀裂が入ったようなんだ。大魔導師たちの記録には感情的なことは書かれていないが、それまで使われていた『天の網(レゾゥデスィエル)』を停止したという記録がある」
「『天の網(レゾゥデスィエル)』…?」
 五大陸のそれぞれの上空にある『星の眼(エテゥワルウゥユ)』という監視衛星は、マシンナートを監視するだけでなく、天候、海流、地上の災害の観測を行って、記録していた。『天の網(レゾゥデスィエル)』は、その五つの監視衛星を統制し、五つの眼の監視外区域の補完をし、各記録を素早く大魔導師に伝達していた。
「それを停止したの?」
「ああ、それぞれの監視衛星は動いていたから、各大陸ごとに、天候や災害の記録は収集できていた。だから、各大陸ごとでの算譜の更新はできていたが、五大陸全体で把握しなくなっていたってことだ」
 それでもアランテンスは亡くなる前にヴィルトにアダンガルのことを頼んでいたし、イメインはアランテンスが隠居するときに訪ねている。まったく断絶していたわけではなかったのだ。
「『天の網(レゾゥデスィエル)』を動かすことができたら、五つの監視衛星を動かすことができるような気がする」
 確証はないがとため息をついた。
「その『天の網(レゾゥデスィエル)』は二の月にある」
 二の月は、小さな岩の衛星だった。
「そこまで飛んでいけるの?」
 確か二の月は周回軌道上にあるはずだから、そこまで三万六千カーセル以上はある。
イージェンが、わからんなと立ち上がった。
「南方海岸に沈んだマリィンの残骸を始末して、南方大島の状況が分かれば、試してみようと思ってる」
 リィイヴも立ち上がり、やかんと茶碗を持って学院の厨房に向かった。朝食をもらって、食堂ではなく、宿舎で食べた。

 午後になってから、イージェンは、ダルウェルと共にジェデル王に挨拶に執務宮に向かった。エスヴェルンに戻ると聞き、ジェデル王が寂しそうな顔をした。
「このたびの婚礼の式も荘厳で史上に残るものだった。感謝する」
 ひざまずいていたイージェンに立つよう手を差し伸べた。
「南方大島のこともよろしく頼む」
 頼みごとばかりで何も返せず申し訳ないと頭を下げた。
「なにもいらん。陛下がこの国をよく治め、国土と民を守ってくれればそれでいい」
 イージェンが、側にいたセネタ公に言った。
「エスヴェルンのリュリク公が、昔話をしたがってるから、一度特使としてでも訪問するといい」
 セネタ公が懐かしい、是非お伺いしたいと微笑んだ。
 ほどなくラウドも挨拶をしにやって来た。ジェデル王が、また訪れてくれるよう言い、エスヴェルン王国宛ての公式文書を渡し、イリーニア妃から預かったという髪飾りを見せた。
「返さなくてもよいと言ったらしいが」
 エアリアが付けていた真珠の髪飾りだった。従者が渡そうとしたので、ラウドが首を振った。
「いただけません、王妃陛下にはよろしくお伝えください」
 そうかとジェデル王は、それ以上無理強いはしなかった。
 学院に戻ると、エアリア、アヴィオスがすでに帰り支度をしていた。フィーリとユデットも見送りに来ていた。
「またいらしてください」
 アヴィオスに丁寧にお辞儀した。アヴィオスもまた来たいとふたりの肩を抱いた。
「楽しかった。また飲もう」
 イージェンが首をかしげた。
「なんだ、ふたりと飲んだのか」
 アヴィオスが少し恥ずかしそうに顔を赤らめてうなずいた。
 イージェンがダルウェルを抱きしめた。
「がんばれよ、マレラにも伝えてくれ」
 早く子どもの名前決めろと言った。
「ああ、わかった」
 ルカナを置いていき、もう少し体制が整うまで手伝わせることにした。
 全員を『空の船』に連れて行き、出発した。


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