ジェデル王とイリーニア妃の前に立ち、ラウドが胸に手を当ててお辞儀した。エアリアが膝を少し折って頭を下げた。 「国王陛下、王妃陛下、おめでとうございます。末永くおしあわせに」 ラウドが言うと、ジェデル王とイリーニア妃が顔を見合わせて微笑みあった。ジェデル王が返礼した。 「ありがとう。ラウド殿もしあわせに」 ラウドがぱあっと明るい顔で笑った。その横でエアリアが顔を伏せたまま肩を震わせていた。 ラウドが下がると大公家や王立軍の将軍たち、州総督たちが順繰りに挨拶にやって来た。 その様子を遠くから眺めていたアヴィオスが、隣で水の如くに酒を飲むリィイヴに驚いていた。ヴァンは飲むよりも食べるほうに熱中していた。リィイヴが七杯目といいながら杯を傾けた。 「ダルウェルさん、忙しそうですね」 アヴィオスが頭を巡らせてダルウェルを見つけた。お偉方に挨拶して回っているようだった。 「あの国王陛下なら、勤めがいがある。俺もこの国にいつきたいくらいだ」 側近のフィーリも気持ちのよい男だった。そして、きっとエスヴェルンもよい国だろう。いつまでラウドと過ごせるのかわからなかったが、少しでも長く心地よい思いをしたかった。 離れたところで年頃の娘たちがアヴィオスたちを見て、頬を染めながらおしゃべりしている。貴族や将官の娘たちだろう。誰が最初に声を掛けようか相談しているようなので、アヴィオスがリィイヴに耳打ちした。 「俺は席を外すが、おまえたちは楽しむといい」 「えっ…」 アヴィオスは、娘たちが寄ってくる前に広間から出て行った。リィイヴも娘たちに気が付いた。 「ヴァン、学院に戻ろう?」 リィイヴが食べているヴァンの袖を引っ張った。 「えっ、まだ食べたいよ」 いいからと腕を引いて広間から出た。声を掛け損ねた娘たちがきょろきょろとしていた。広間から出たはいいが、学院に戻ろうとしても、道がわからなかった。 「昼なら少しはわかるけど」 一度王宮に入っているヴァンが建物を見回した。ダルウェルと帰るしかないかと広間を振り返った。 ラウドはすっかり上機嫌で広間をこっそり抜け出し、エアリアを賓客の宿舎に連れていった。椅子に腰掛けさせて、しばらく眺めていた。エアリアが疲れた声を漏らした。 「殿下…そろそろ着替えたいのですけど」 ラウドが立たせて今度は長椅子に座らせ、自分も横に座った。 「もう少しそのままで」 そして、ふところから水色の布を出した。水色の地に銀糸で刺繍が施された絹布だった。エアリアに差し出した。 「そなたにあげたくて、縫ったんだ」 布の周囲をきちんと三つ折に巻き込んで丁寧に縫ってあった。高地の村で待っていたときに、村長の妻に教えてもらったのだ。 エアリアがはっとなった。絹の布を見せてもらったときに、心引かれたものだった。じっと見ていたことに気づいていたのだろう。 「最初木綿の布で練習したんだが、なかなか上手くいかなくて。難しいものだな、裁縫も」 なんでも簡単にできることはないと笑いながら、遠慮して受け取ろうとしないエアリアの手に握らせた。 「受け取ってくれ」 そのまま引き寄せ、抱きしめた。まだ薄く紅が残っている唇を指でなぞり、口付けした。 寝室に引っ張っていかれ、ベッドに押し倒された。 「殿下、お借りした衣装が…」 すでにしわくちゃになっている。 「洗濯して返せばいい」 ラウドが、目を細めてゆっくりと、結い髪に刺さっている飾りピンや髪飾りを抜いて、枕元に並べた。少し拒みながらも結局ラウドの愛撫を受けてしまうエアリアだった。 ふたりは同じベッドで夜を過ごした。エアリアは、朝方目が覚めたが、しわくちゃな上に汚れてしまった衣装を着るわけにもいかず、代わりのものもなくて、寝床から出られなかった。やはり目が覚めたラウドがエアリアの肩を抱き寄せた。 「どうした」 「着るものが…」 祝宴の翌日の午前中は誰も起きてこないからあわてなくていいと唇を重ねた。 「でも」 唇を離したラウドがぎゅっと抱きしめ、力を込めた。息が詰まるほど強かった。エアリアは幸せを感じると同時に明日にはエスヴェルンに帰るのだと気づいた。帰国すればもう…。 ラウドがエアリアの頭を肩に押し付け、押し殺したような声で言った。 「エアリア、俺の…妃になってくれ」 エアリアが驚いて顔を上げた。 「ラウドさま…それは…無理です…」 ラウドが首を振った。 「俺は今まで父上にも宮廷にも自分の気持ちを言ったことはなかった。帰ったら、はっきり言う、俺の妃はエアリアしかいないって」 エアリアが頭を振って、ラウドの腕から逃れた。 「そんな無茶、通りません!第一、身分が!」 それよりも魔導師なのだ、自分は。 ラウドが背を向けたエアリアの髪を優しくなでた。 「リュリク公の養女にしてもらう。前にもそういう事例がある」 頭を振り続けるエアリアを背中から抱きしめた。 「このままなにもせずにあきらめたくないんだ」 認めてもらえるはずはない。だが、もし、ラウドと添い遂げられるとしたら。ラウドの子を産み、育てて、いつのときも一緒にいられたら。そのことで頭がいっぱいになって、魔導師としての使命感が薄れていった。 ラウドの手が後ろからエアリアの胸に触れた。 「それに、そなたを危ない目に合わせたくない。高地のときもどれほど心配だったか…」 「…ラウドさま…」 エアリアが抱きしめるラウドの腕の中に引き込まれていった。
リィイヴとヴァンは迎賓館の外でダルウェルを待っていたが、なかなか出てきそうになかった。あの娘たちもいなくなったかもしれないから、戻ろうかと思ったとき、フィーリが出てきた。 「どうされました」 学院に戻りたいのだが、道がわからないと言うと、そういうときは護衛兵に案内させればよいのですと笑った。送りましょうと裏の馬繋ぎ場に向かった。アヴィオスが馬の世話係と話をしていた。 「アヴィオスさん、ここにいたんですか」 よい馬が多いので、厩舎や飼葉のことを聞いていたのだと言った。 「もう引き上げるのか?」 リィイヴがうなずいた。送るというフィーリに、アヴィオスも馬を借りて付いていった。兵士が、灯りを持って先導した。雑談をしていくうちに学院に着いた。リィイヴとヴァンが降り、その馬の手綱をアヴィオスとフィーリが持った。アヴィオスは夕べも執務宮の宿舎に泊まっていたので、戻ることにした。 「おやすみ」 ふたりがアヴィオスとフィーリを見送った。 フィーリは、ジェデル王からアヴィオスのことを聞かされ、粗相のないようにと言われていた。 「祝宴はお気に召しませんでしたか」 中座したことを気にして尋ねた。アヴィオスが首を振った。 「いや、そんなことはない。派手すぎず品のある祝宴だと思った。陛下の人柄が出ている」 華やかなところが苦手なだけだと笑った。セラディムでも身内の食事会などは出るが、正式な祝宴には出席しないのだと話した。 「少し飲みたりないかな。おまえは?」 フィーリが、なにやら興奮してほとんど飲んでいないと頭をかいた。ようやく苦労が報われた。これで、王太子が産まれればこれ以上のことはない。そう思うと胸がいっぱいだった。 アヴィオスが、では宿舎で少し飲もうかと誘った。 「いいですね、水の都の話でも聞かせてください」 アヴィオスがうれしそうにうなずいた。 馬繋ぎ場に馬を返し、一度広間に顔を出した。すでに閉会していて、従者や侍女たちが後片付けをしていた。後は屋敷に戻ったり、執務宮や軍務棟で、内輪の宴をするのだ。フィーリが、顔見知りを見つけて、酒とつまみになる残り物をくれるよう頼んだ。従者が宿舎に運んでくれるというので、先に行っていることにした。執務宮の回廊を歩いていると、侍従医のユデットと出くわした。 「飲みすぎた方のお世話をしてました」 ようやくひと段落ついたというので、フィーリが、ユデットも一緒に行ってもよいかとアヴィオスに尋ねた。ユデットはアヴィオスがセラディムからやってきたということを聞いて、目を輝かせた。 「ぜひ、異国のお話聞かせてください」 アヴィオスもこの国の話が聞きたかった。 宿舎の一室に着くと、ほどなく従者が残り物と酒を運んできた。 床に敷物を敷いて、輪になって座った。ユデットが杯に注ぎ、三人で国王と王妃の幸せを願って乾杯した。 セラディムの水の都《オーリィオーヴ》の様子を語って聞かせると、ふたりとも水路に囲まれた美しい都を見てみたいとため息をついた。フィーリが空になった杯に手酌した。 「カーティアは西の山岳が厳しく、東は荒涼とした岩砂漠ですが、南の海は魚や貝類もよく獲れて、過ごしやすいところですよ」 アヴィオスの杯にも注いだ。アヴィオスが、セラディムの海も温暖で過ごしやすいが、嵐がよく来るので、その水害には悩まされていると話した。 「アヴィオス様は奥方様とかは」 フィーリが、逃げていると聞かされていたので、家族を残していたら心配だろうと尋ねた。アヴィオスが手を振った。 「いや、妻も側女もいない」 その話題は避けたかった。 「後継ぎの心配をする必要がなければ、ひとりのほうが気楽ですよ」 少し酒が回ったのか、ユデットが本音を言った。 「それはいえるな」 アヴィオスが同調した。あなたはどうなんです、確かひとり息子でしょとユデットが聞くと、フィーリがぐいっと杯を空けた。 「自分は一生陛下に尽くすので、ひとり身でいい」 「それとこれとは別ですよ」 ユデットが笑った。 「いや、別じゃない。わたしには」 大切なものはひとつでいいのだと真剣な目をした。 そういう愛の形もあるだろうとアヴィオスが手の中の杯を見つめた。自分もそういう形で愛せる相手が見つかればいいがと杯を空けた。 (「イージェンと黄金の婚礼式」(完))
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