イージェンは、執務宮の侍従長にアヴィオスの正装を用意するよう頼み、下級将官と上級執務官の正装を揃えてもらった。それを持って船に戻った。船にはリィイヴとヴァンしかいなかった。 「マレラは…」 ダルウェルが子どもと一緒にフィーリの自宅に運んでいったと話した。 「大丈夫だったかな、途中で赤ん坊を落とさなければいいが」 真剣な声で心配している。ヴァンがこわばった。 「まさか…」 リュールが足元でキュウンと泣いた。ヴァンがリュールを抱き上げ、頭を撫でた。 「ますます寂しくなっちまったな」 イージェンがリュールごとヴァンを抱き寄せた。 「最初に戻っただけだ。俺とリィイヴはずっと一緒だ」 リィイヴも抱き寄せた。 ふたりがぎゅっと抱きついた。 「そうだね」 リィイヴが暮れていく空を見上げた。 明けて翌日、朝靄(あさもや)の湖に、日が差してきて、湖面がきらきらと輝いていた。苦労しながら正装を整えたリィイヴとヴァンは、イージェンに連れられて王宮に向かった。学院にはダルウェルが戻ってきていた。 「いやあ、フィーリ殿のおふくろさまはすごくいい方で、もうすっかりおばあさまをやってくださってる」 にこにことうれしそうに語るダルウェルに、イージェンもほっとした。 「よかったじゃないか」 フィーリの母親は、今日の婚礼式に参列するというので、終わった後、イージェンに紹介することになった。 南方大島への特使となったヴァシルは、式の後に出発させることにした。 「大魔導師様の儀式を見られないのはかわいそうだからな」 見られないマレラから散々恨み言を聞かされたのだ。ダルウェルは、魔導師ではなく執務官の正装を着ていて、立った襟首を緩めるように引っ張った。 イージェンが仕度をすると衣装を持って学院長室奥の寝室に入った。 着替えて出てきたイージェンを見て、その堂々たる様子にリィイヴたちが見とれた。 「立派だなぁ」 感心するヴァンにイージェンが素っ気なく言った。 「たいしたことない」 学院の玄関口に迎えに来ていた護衛兵のついた二頭立ての馬車に乗った。揺られながら執務宮の儀式殿に到着した。 戴冠式のときのようにフィーリが何人もの軍人、執務官たちと出迎えた。 「大魔導師様、ごきげんよう」 胸に手を当て、一斉にお辞儀した。 「今日はよい日和だ」 イージェンがよく晴れた空を見上げた。 儀式殿の奥にはカーティアの国章と王家の紋章の大旗が掛けられ、広間には参列者が集まってきていた。イリィがリィイヴたちに近づいてきて、中に連れていった。 参列者たちは、席次に従い、並んでいた。壇上に向かって右側に王妃の実家セネタ公、左側に国王の賓客としてラウドが立ち、その後ろにアヴィオスがいた。イリィが、ラウドたちの後ろにリィイヴたちを導いた。 「殿下」 リィイヴが声を掛けると、ラウドが静かにするよう指を唇に当てた。 「もうすぐ始まる」 開かれていた正面の扉がギギッと音を立てて閉まった。右側の扉が開き、フィーリとダルウェルが入ってきた。 フィーリが式に先立ち、新しい魔導師学院学院長を紹介した。 「新しく魔導師学院学院長に就任したダルウェル師、本日の婚礼の式進行をお願いする」 ダルウェルが前に進み出て、胸に手を当てお辞儀した。 「二の大陸から着任した魔導師ダルウェルと申す。大魔導師イージェン師のご指示により学院長に就任いたした。カーティアを生まれた国と思い勤めるので、どうかよしなに」 全員が頭を下げた。フィーリが階段で壇から降り、ラウドたちの側に立った。 ダルウェルが薄茶の紙に書かれた式次第を広げ、声を張った。 「ただいまより、カーティア王国国王婚礼の式を執り行う、大魔導師イージェン師入場」 左側扉から白い外套ですっぽりと身を覆ったイージェンがゆっくりと歩み出てきた。壇の中央で、壇下の参列者に一礼、奥に掲げられた大紋章旗に一礼した。大紋章旗を背にして正面を向いた。 「本日、婚礼の式を執り行う大魔導師イージェンである」 右手を頭上に掲げ、シュンッと手の中に黄金の杖を出し、右の扉を指し示した。右の扉が黄金に輝き、滑るように開いた。扉の入口から壇上中央に黄金の道が伸びてきた。その上を婚礼の正装のジェデルがゆっくりと歩いてきた。純白の外套を翻し、白銀の冠を被っていた。その姿は凛々しかった。 イージェンの光の杖が右の扉を差した。扉が黄金に輝き、開いて、やはり壇上中央に向かって黄金の道が伸びてきた。扉の奥から純白のドレスに白銀の髪飾りと面紗(ヴェール)を被った気高く美しいイリーニアが現れた。 「…おおっ…」 厳粛な中でも思わず漏れる感嘆のため息。介添え役もいずこの姫か、美しく愛らしかった。エアリアと気づいてラウドが唇を震わせた。 「…エアリア…」 このように装わなくても充分愛らしい。でも、装った姿もいっそういとおしかった。 「あれ、エアリア…だよな」 ヴァンがリィイヴの耳元で囁いた。アヴィオスが指を唇につけて黙るよううながしたので、あわてて前を向いた。 リィイヴは、とてもきれいな姿をしたエアリアが、どこか手の届かない遠くにいってしまうような寂しい気持ちになった。 イリーニアは一歩進んで止まりを繰り返して、時間をかけて壇の中央までやってきた。介添えていたエアリアが手を離し、数歩引き下がった。 ジェデルが近づくと、イリーニアが腰を少しかがめてお辞儀した。ジェデルが手を差し出し、イリーニアがその手に手のひらを重ねた。ふたりでイージェンに向かって数歩歩き、両膝を付いて、頭を下げた。 イージェンが杖をふたりの頭上で何度か振り、軽く肩を叩いた。ふたりの身体が黄金に輝き出した。参列者たちが息を飲んでいる。 イージェンの滔々とした声が広間に響き渡った。 「カーティアの青き空、緑なす大地、真義の民の許しを得て、国王ジェデルとセネタ公息女イリーニアの婚姻を認める。ジェデルは国の父として、イリーニアは国の母として、カーティアの国土と民を慈しみ、国と王室の繁栄に勤めよ」 ふたりがさらに深くお辞儀をした。イージェンがふたりに立つよう手で示した。立ち上がったふたりが壇下の方を向いた。 イージェンがふたたび長杖を右手に出し、頭上に掲げて大きく振った。 「国王陛下、王妃陛下に祝福を、カーティアの国土と民に祝福を」 イージェンが唱えると、あの荘厳な戴冠式のときのように、黄金の煌きが杖先から噴出し、式場に降り注いだ。きらきらと輝く光の雨に儀式殿が煌いた。 「おおっ!」 さらにカーティアの国章と王家の紋章の大旗が輝き出した。 ダルウェルが声を上げた。 「国王陛下、王妃陛下、万歳!」 参列者も続いて唱和した。 「国王陛下、王妃陛下、万歳!」 賛嘆の中、ずっと光輝いているジェデルとイリーニアがみなに軽く頭を下げ、ゆっくりと右の扉の中に消えていった。 ダルウェルが閉会を宣言し、続いて迎賓館の広間にて、祝宴が開かれると伝え、解散させた。 ダルウェルとイージェンが、魔導師の控室に戻った。エアリアが困った顔で椅子に座っていた。 「どうした、なかなかよかったぞ」 イージェンが声を掛けると、エアリアが顔を伏せた。 「この格好で祝宴に出ろと」 イリーニア王妃から言われたというので、出ればいいと勧めた。 「そんなにすねるな、似合ってるんだから、せいぜい若いやつらの目を楽しませてやれ」 「師匠(せんせい)、またそんなことを!」 ぷいと控室を出て行ってしまった。 「あんなに美しいのになぁ、もったいないことだ」 ダルウェルが呆れた。イージェンが椅子に身を沈めた。 「俺は祝宴には出ないが、おまえは宮廷や軍部の連中にしっかり挨拶回りしてこい」 リィイヴとヴァンも出席させてやるようにと言ったところにフィーリが母親を連れてやってきた。フィーリは戴冠式のときと同じように目も鼻も真っ赤にしていた。 「イージェン様、またすばらしい式をしていただき、まことにありがとうございます!」 母親とふたり、両手を付いて最敬礼しようとするのを止めた。 「まったく、そんなおおげさにするな」 母親に椅子に座るよう勧めた。 「面倒なことを頼んですまないが、ふたりを頼む」 マレラと赤ん坊のことをよろしくと頭を下げた。四十半ばくらいの柔和な顔つきの母親が驚いて目を見張った。 「そんな、大魔導師様に頭を下げていただくほどのことでは。陛下のお力になっていただいて、こんなことで恩返しもないものですが、少しでもお助けになればと」 イージェンがフィーリの母親の手を握り締めて、あらためてふたりのことを頼み、感謝した。 ダルウェルが控室を出て、リィイヴたちを探した。ところが、ふたりはとっくにラウドやアヴィオスと祝宴の開かれる迎賓館に向かっていた。 「殿下、エアリア、すごくきれいでしたね」 ヴァンが話しかけると、ラウドが黙って何度もうなずいた。従者に先導され迎賓館に到着した。広間の入り口では、侍従長が名簿の照合を行っていた。従者が侍従長にラウドの到着を伝えた。 侍従長が声を張り上げた。 「エスヴェルン王国王太子殿下、ご到着!」 アヴィオスはリィイヴとヴァンを連れて、脇から中に入った。ラウドがイリィを従えて、中央の通路を颯爽と進んでいった。上座に向かうと、隅の方にエアリアが立っていた。イリィに連れてくるように囁いた。 「…はい…」 イリィが困った様子でエアリアに近づいた。 「殿下が側に来るようにとお呼びです」 エアリアが顔を曇らせたが、イリィの後から付いていった。若い将官や執務官たちが側を通っていく愛らしい姿に見とれていた。エアリアがラウドの後ろに立った。 「エアリア、こっちに」 ラウドが手を差し出した。エアリアはためらっていたが、ラウドが笑って一歩近寄り、ぐっと手を掴んで引き寄せた。 「側に立て」 反対側に立っていたアヴィオスが似合いのふたりを見て、どうにか添い遂げられないものかとリィイヴに言った。 「俺とは違って、なんとでもなりそうだが」 リィイヴが顔を伏せた。 「殿下の気持ちはわかるけど、エアリアがいないと」 イージェンが困るだろう。ダルウェルもここの学院長として留まるのだし、エアリアまでいなくなかったら、ひとりではどうにもならないのでは。それに、自分もできればいつまでも一緒にいたかった。 いきなり喇叭が高らかに吹き鳴らされた。侍従長が国王と王妃の来場を告げた。 「国王陛下、王妃陛下、ご入場!」 奥の扉から召し替えたジェデル王とイリーニア妃が手をつないで出てきた。歓声と拍手が沸き起こる。広間の奥には大きな花の壇があり、その前にふたりが立った。みんな、近くのテーブルにあった硝子の杯を手にした。リィイヴとヴァンもあわてて持った。 侍女が盆にふたつの銀杯を乗せて、ジェデル王とイリーニア妃に差し出した。ジェデル王がふたつ杯を持ち、ひとつをイリーニア妃に渡した。 セネタ公の横にいた三十そこそこの男が、ふたりに頭を下げた。 「国王陛下、王妃陛下、ご婚礼おめでとうございます。臣下ならびに民を代表しまして、お祝い申し上げます」 セネタ公とともに中央から遠ざけられていた大公家の当主アニエッリ公である。 「僭越ながら、わたくしが祝宴の乾杯の音頭を取らせていただきます。乾杯」 杯を掲げた。祝宴の出席者が一斉に杯を掲げた。 「乾杯!」 広間いっぱいに祝いの声が響き、杯を空けた。宮廷音楽隊が祝いの曲を演奏しだした。 ラウドがエアリアの手を引っ張った。 「お祝いを申し上げにいくぞ」 賓客であるラウドが最初に口火を切るのだ。エアリアが抵抗したが、ラウドがかまわずぐいぐいと引っ張っていった。
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