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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第152回   イージェンと黄金の婚礼式(1)
 三の大陸ティケアのセラディム王国では、王弟アダンガルが王太子を暗殺しようとして失敗、逃亡したと発表され、見つけ次第殺してもよいと発令された。当初国王は終生拘禁と言っていたのだが、王太子ヨン・ヴィセンが謀反の芽を残しておくのはよくないと説得したのだ。
 だが、以前から王立軍の中でも王太子の横暴ぶりへの批判もあり、アダンガルに同情するものも少なからずいた。熱心に追跡するふりをしているだけの部隊もあり、やっきになっているのは王太子の一派という具合だった。それももともと士気の低い連中なので、必死さはなかった。
「ハーネス殿、ちょっと」
 軍務棟の控室にいた王立軍の将軍ハーネスが、同じく将軍のシュルウッドにこそりと呼ばれた。学院で話があると船で移動した。
 学院の船着場では、特級のひとりが待っていて、中庭を通り、硝子のドームの中にある薬草園に案内された。
「学院長殿、ハーネスを連れてきた」
 シュルウッドが、薬草を摘んでいたアリュカにハーネスを示した。
「執務宮や軍務棟ですと、都合が悪くて、わざわざこちらまでお越しいただきました」
 アリュカが、薬草を抱えて、両脇に薬草が繁る通路を通り、さらに奥に導いた。椅子もないものですからと短い草の上に座るよう示した。そして、額を突き合わせるようにしてひそひそと話した。
「アダンガル様は、大魔導師様に預かっていただいています」
 ハーネスとシュルウッドが驚きながらも、すでにこの大陸を出ていると聞き、それならば追っ手も届かないと胸をなでおろしていた。
「子どもたちのことを心配されていまして、親たちに謝らずに出てきてしまったと悔やんでおいででした」
 シュルウッドが腕組みし、目をつぶった。
「自分が面倒を見る、親たちにも謝るので、呼んでくれと言われていた」
 我慢強いアダンガルが手を上げたことの一因だった。
「わたしの配下ドリューの娘もいて、復讐したいが相手が相手なのでと泣いていた」
 ハーネスが肩を落とした。
「ことが動くとしたら…ドゥオール老王が…」
 アリュカがふたりの耳元でささやいた。
「王太子殿下にはいま少しこの国のために働いてもらいましょう」
 ハーネスとシュルウッド、両将軍が顔を見合わせた。

 水上市場《レヴィーシャンティ》の露天商のひとりが、ヴラド・ヴ・ラシス《商人組合》の詰所に呼び出された。そこには縛られて散々殴られたらしい男が床に転がされていた。ヴラド・ヴ・ラシスの組合員のひとりがおびえている露天商の衿元を掴んだ。
「こいつから買ったものはどうした」
 露天商は、ちらっと男を見た。別のものが転がった男の腹を蹴り上げた。ぴくりとも動かなかった。
「言わないとこいつのようになるぞ」
 露天商が震えながら話した。
「み、店先に出していたら、身なりのいい若い男がこういうものはたくさんあるのかと聞いてきて…」
 その男は金がなかったようだが、側にいた女が金を出して買って行った。
「その男、どこのものかわからんのか」
 露天商が首を振ったが、女はカラダムの舞踊団のひとりだったと思い出した。
「カラダムの…ジンジャルヴが座長のところだな」
 露天商に盗品を買い取りしたことは見逃すから、王都から出て行けと脅した。露天商が頭を下げて出て行った。
「その女に男のことを聞くんだ」
 命じられて男たちが何人か向かった。
 セラディム王国東の州のカラダムは、温暖な気候の土地柄で、住まう民は開放的な気質で、歌や踊り、楽器の演奏、雑技などが得意なものが多かった。舞踊団や興行団などを組んで、大陸各地に巡業していた。だが、なかには売淫しながら回る一座もいて、興行で民を楽しませている一方で蔑まれてもいた。
「ヒュグドゥ、またあのヒトのこと、考えてるの」
 紅をたっぷりと塗りながら年嵩の踊り子が、隣で膝を抱えているヒュグドゥに、呆れた。
「だってぇ…」
 ヒュグドゥが膝の上に顎を乗せて悲しそうな目をした。
「またお客取らないと、座長に飯抜かれるよ」
 別の踊り子が頭をぽんと叩いた。
「いまさら、『おぼこ』ぶったって、しかたないだろ」
 ヒュグドゥがぷいと立ち上がって、天幕から出て行った。水路までやってきて、座り込んで水面を見つめた。
踊りが終わった後、銀貨を投げてきたヒトがいて、身なりのよいヒトたちだったので、好奇心からそっと追いかけてみたのだ。
「…うそついちゃった…ごめんね…」
 だれにでもするわけじゃないって、口付けして。何人客を取ったかわからないのに。
 大陸の外だろうがどこだろうが、ついて行きたかった。この生活から逃げ出したかったし、ヴァンと一緒にいたかった。
 今夜は客を取らないと座長にひどい目に合わされるだろう。オネエさんたちが言うように、いまさら『おぼこ』ぶったってしかたない。立ち上がって、戻ろうと天幕に近づいた。
「知らないよ、あたしじゃないよ!」
 天幕の中から悲鳴混じりの声が聞こえてきた。低い男の声もした。
「どいつだ、露天で金を出してやった女は」
 それって自分のこと?ヒュグドゥの膝が震えた。
「もしかしたら、ヒュグドゥかもしれません、いまさっき、水路のほうで見かけました」
座長が言った。ヴラド・ヴ・ラシスは、商人たちだけでなく、舞踏団にとっても、執務所の『役人』よりも恐ろしい連中だった。睨まれれば商売ができなくなるだけでなく、必要とあらば国法も審議も関係なく、すぐに始末してしまう。逆らうことなどできない相手だった。
ヒュグドゥは、とっさに天幕の裏に回った。何人か、鋭い目つきの男たちが出てきて、水路のほうに向かった。
 どうしよう。
 あの男たちが、いいヒトたちではないことはわかる。でも、どこに逃げたらいいのか。幼い頃に舞踊団に売られて、家もどこかわからない。頼るものなどいない。
 そのうち、あの連中が戻ってくるだろう。きっとひどく殴られて、死ぬほどたくさんの男たちの相手をさせられる。ぼろきれのようになって、座長にも見捨てられる。
 野垂れ死にするしかないんだ。
 逃げる気力もなくなり、天幕の裏で座り込もうとした。
「あなた、ヒュグドゥ?」
 側に白い布で身体を覆った女が立っていた。おびえながらもうなずいた。女がさっとヒュグドゥを抱え、飛び上がった。
 ヒヤッと悲鳴を飲み込んだ。足元でさっきの男たちがうろうろとヒュグドゥを探し回っていた。灰色の外套を着た男が飛んで近寄ってきた。女がその男に下の連中を示した。
「あのものたちを調べて。おそらくはヴラド・ヴ・ラシスだと思うけど」
 男がうなずいてすっと消えた。ヒュグドゥが驚いて目を見張った。
 魔導師だ、このヒトたち。
 女は、ヒュグドゥを抱えたまま、王宮に向かって飛んでいった。ヴァンたちと行った丸い屋根の建物に入っていった。
 大きな机のある部屋に入り、座るように言われた。冷たい茶を出してくれた。女が、魔導師学院学院長アリュカだと名乗り、質問に正直に答えるよう言われた。ヒュグドゥがうなずいた。
「露天でお金を立て替えたのは何故?」
「踊りの後でたくさんお金くれたヒトたちの中にいたヒトだったから、その…どんなヒトたちなのかなと思って追いかけていったんだ」
 話すきっかけにしたかっただけだった。
「その露天商とは関係ないのね」
 ヒュグドゥが顎を引いた。
「ヴラド・ヴ・ラシスとは?」
 首を振った。
 しばらくして、さきほどの男の魔導師が戻ってきた。
「露天商はヴラド・ヴ・ラシスに王都を出るよう言われたそうです」
 言い渋っていた露天商から、それでも、なんとか話を聞きだしたところ、盗品を持ち込んだのはヴラド・ヴ・ラシスの詰所の下働きで、金欲しさに調度品を盗み出して売り払っていた。その中の一点があの箱だった。下働きは殺され、自分はなんとか王都を出ることで許されたということだった。
「あの箱、ヴラド・ヴ・ラシスの持ち物だったのね…参ったわ」
 地上の情報を提供していたのがヴラド・ヴ・ラシスだったとすると、容易ならざることだった。
「まさかとは思うけど、ヴラド・ヴ・ラシスがアウムズを買っているとしたら」
 マシンナートが売るかどうかはわからないが、ヴラド・ヴ・ラシスは、異端だろうがなんだろうが、買えるものなら買うだろう。情報提供の代価にそうしたものを求めることは考えられる。また、アウムズではないもの、たとえば薬品や食料品などを手に入れようとしないとも限らない。
「イージェン様にお知らせしないと」
 アリュカが整った眉を寄せて目を細めた。
ヒュグドゥが落ち着きなくしていた。アリュカがもう一杯茶を飲むよう勧めた。
「あなたは一座に戻らないほうがよいのだけど…座長は身内?」
ヒュグドゥがブンブンと首を振った。
「座長はとうちゃんとかじゃない、小さいときあの一座に売られて…」
 男の魔導師がアリュカの耳元であの一座が踊り子に客を取らせている評判のよくない舞踊団だと話した。
 ヒュグドゥが上目遣いにふたりを見ていたが、思い切って頼んだ。
「あの、あのね、あたし、一座には戻らないほうがいいなら、ヴァンのところに行きたい」
 アリュカが細く整った眉をひそめた。
「それは難しいことよ」
 とるものもとりあえず預けてしまったアダンガルの荷物も届けにいかなければならないとは思っていたので、ついでに連れて行くことはできるが、この娘が同行することをイージェンが許すかどうか。
「お願い、ヴァンにもう一度会いたいんだ、一目会うだけでもいいから」
 ヒュグドゥが椅子から降りて、両膝を付いて頭を床に摩り付けた。ヴァンにもう一度会えたら、一座に戻ってひどい目に合ってもいい。
「ヴラド・ヴ・ラシスとマシンナートのこと、もう少し調べて」
 アリュカが男の魔導師に命じた。ヒュグドゥにはしばらく学院で待つようにと部屋を用意させた。


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