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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第151回   イージェンと流転の美姫(5)
グリエル将軍は、ティセアを迎賓殿には戻さず、軍務棟の将軍執務室に連れて行った。そこで、大魔導師との縁について尋ねた。はじめ言いにくそうにしていたが、ぽつりぽつりと話し出した。
 ラスタ・ファ・グルアがイリン=エルンに占領され、父キリオスは戦死、自分も捕らわれてしまい、残った州民を助けたかったら、イリン=エルン王に身を任せろと迫られて、やむをえず側室になった。ほどなく身籠ったが、王が州民たちの殺害を命じたというので、王宮を逃げ出し、民たちが隠れ住んでいた村に行った。はたして、民たちはみな殺されていて、追ってきた王宮護衛隊隊長に殺されるところを助けてくれたのが、イージェンだった。
他の大陸から来た男で、身重の自分を山奥の小屋に匿って、世話をしてくれ、腹の子の父親になりたいと求婚された。本人は隠していたが、魔導師、それも特級であることはわかっていた。ひとりで育てられないし、国や学院からも追われているので、魔導師ならば庇護者としてこれ以上ないと、頼ることにしたのだ。なんとか子どもも無事に産まれ、キリオスと父の名を付けた。
産まれてひとつきが経ったので、三人で国外に逃げようとしたとき、学院長や父の部下だったものと出くわした。学院長によれば、州民を殺したのは、追ってきた護衛隊長が勝手にしたことで、王の命令ではなかったと言われ、イージェンを置いて王宮に戻った。
「イージェンは王宮まで追ってきて、三人で一緒に逃げようと言った…でも、キリオスは国王のたったひとりの男のお子だし、そのときは、国王もわたしを妃にしてくれる、ラスタ・ファ・グルアの州名も残すと言ってくれた。だから、残ったんだ。結局、キリオスは取り上げられて、名前も変えられ、妃にもしてもらえず…」
 長くつらかった生活が思い出されてきて、唇が震えた。
「あの子の即位だけを支えに生きてきた。それもかなわなかった。生きていてもしかたないと思ったけれど…ウティレ=ユハニ王に抱かれて…」
 涙が溢れて止まらない。
「以前は父の仇、今度は息子の仇の慰み者だ、わたしは」
 グリエルがぐっと抱き寄せた。グリエルが首を振った。
「あなたは、慰み者ではない。少なくとも、わが王はあなたを本当に大切に想っている」
 震えるティセアの背中をさすった。
「あなたがイリン=エルン王に捕らえられたと知ったとき、わが王はすぐにでも助けに行きたいと逸ったが、当時はまだ国力も及ばず、時期尚早。そのため、わたしやユリエンがお止めした」
 いつの日か、助け出す日が来るのか、それはわからなかったが、いつも心に留めていたことは確かだった。
「ほんとうに?」
 ティセアが目を腫らして見上げてきた。その美しい憂い顔にさすがにグリエルもぐっと歯を噛み締めた。
「ほんとうだ、だから、あんな振られた男の恨み事など、気にされるな」
 魔導師は結婚を許されていない。魔導師であることを隠して、命を助けて恩を売り、美しいティセアを思うがままにしようとしたのだ。大魔導師になるほどだから、相当な魔力を持っているのだろうが、不埒な男に違いない。もっともらしいことを言っていたが、要するにティセアが国王を選び、振られたので、恨んでいるのだ。
 ティセアがぎゅっとグリエルに抱きついた。慰めてくれてうれしかった。グリエルがそっと腕を外した。
「ティセア様、先に屋敷に帰るといい。レガトとルキアスに送らせよう」
 ティセアがあわてて目をぬぐった。
「将軍は?」
 ティセアが疲れたので先に帰らせたと国王に挨拶してから戻ると言った。

 グリエルは、国王に会う前に、魔導師学院の学院長室にユリエンを訪ねた。
ユリエンは学院長席ではなく、別の椅子に座って、ウォレビィと話をしながら手のひらを光らせ、皮を使って剣を磨いていた。
「噂の主、登場ですな」
 ウォレビィがくすりと笑うと、ユリエンが不愉快そうに剣先を向けた。
「おう、危ないな、俺に八つ当たりか?」
「怒らせるのなら、精錬してあげませんよ」
 ウォレビィが肩をすくめた。
「明日には王都のみならず、国中、将軍夫妻の話でもちきりでしょうね、隣国占領の吉報も吹き飛ぶ勢いですよ」
 ユリエンがグリエルから顔を背けた。
「やれやれ、わたしが結婚したのがそんなに気に入らないか」
 グリエルが別の椅子を持ってきて、座った。
「別に。意図は分かっています」
 別にと言いつつユリエンの口調はとげとげしかった。グリエルとウォレビィが顔を見合わせて呆れた。
グリエル、ウォレビィ、ユリエンの三人はリュドヴィク王の忠誠の士として義兄弟の契りを交わしていた。女よりも酒と馬とラ・クィス・ランジ(盤戯)が好きだと一人身を通してきた。抜け駆けしないようにとお互い冗談を言い合っていたが、実際、ユリエンは魔導師なので結婚はできず、グリエルとウォレビィも戦争や匪賊討伐が忙しいので、暇もなくその気にもなれずといったところだったのだ。
「さきほど来訪した大魔導師のことなんだが」
 グリエルがティセアから聞いた話をした。ユリエンがさもあらんというふうに鼻先で笑い、イージェンの生い立ちをかいつまんで話した。
「学院が見逃してしまう魔導師がいるのか」
 ウォレビィが驚いていた。大きくなってからでも、石板に乗れば、学院にはわかるようになっているが、両親が罪人なので、逃げ回っていたから、わからなかったのだと話した。
「魔力は強いのでしょうけど、いやしい育ちですから、礼儀は知らないし、きっと父親のようにティセア姫を陵辱したに違いありません」
 グリエルが聞いた限りでは、ティセアの口ぶりからはそこまでの感じはなかったが、いずれにしても他の男との痴話など、イリン=エルン王だけでも不愉快だろうから、これ以上は耳に入れたくなかった。
「陛下には申し上げないほうがいいな」
 ユリエンがうなずいた。
 グリエルは、迎賓殿に戻り、リュドヴィク王に挨拶した。
「妻は疲れたので、先に帰らせました。わたしも部下たちに声を掛けて、帰ろうと思いますが」
 リュドヴィク王が立ち上がった。
「俺もそろそろ休む、帰っていいぞ」
 グリエルがお辞儀した。側にいた従弟のガニィイルに声を掛けた。
「俺は休むが、おまえたちは好きに楽しめ」
 ガニィイルがにやにやして杯を上げた。
「おやすみなさい、陛下、王たるものの義務も大変だ」
 王妃を訪れることを皮肉った。リュドヴィク王は怒りもせずに奥の扉から出て行った。
 ガニィイルが帰るグリエルの背中を見送ってから、横にいる貴族の子弟たちを見回した。
「将軍はこれからあの美姫と初夜をお迎えだ、うらやましいことだ」
「いやいや、陛下のご苦労に比べたら、あれほどの美姫でなくても、十分でしょう」
 誰かが言うと、酔っ払いのばかげた笑いがあちこちから聞こえてきた。

 『空の船』は、朝焼けの中を進んで、元イリン=エルン王都の上空までやってきた。イージェンとダルウェル、ヴァシル、キュテリアの四人で降下し、学院のスケェイルに入った。
 ダルウェルが素子記録庫を開けた。
「ジェトゥ、ユリエン、ふたりともおまえより下か」
 イージェンが中を見た。
「そのようだな」
 ダルウェルが肩をすくめた。イージェンが首をかしげた。
「最新の記録簿がない」
 ダルウェルも覗き込み、探ったがなかった。
「ジェトゥが持っていたとしか思えないな」
 ヴァシルとキュテリアに心当たりはないか尋ねたが、ふたりにわかろうはずはなかった。
「もしかして両親を知られたくなかったとか」
 ダルウェルが腕を組んだ。ユリエンがヴァシルよりも下だったときのことを考えて、キュテリアに閉じさせた。
「そうだな、両親のところに行ったとしたら」
 逃亡先を知られると困るだろうから、持ち出したか、始末したかという理由にはなる。
「学院長になると、どうしても、最初にここを開いちまうだろうな。俺もそうだった」
 ダルウェルが思い出すように目を閉じた。
「まあ、会いに行くってのはよっぽどだろうけど」
 イージェンが天井を見つめていた。
 ヴァシルによれば、ジェトゥは王太后が亡くなってから宮廷にはあまり出入りしなくなった。すっかり気落ちした国王は執務を取らなくなり、王妃の父大公が代わってやっていたが、ジェトゥはあまり口出しせず、王妃の父も学院に国政の相談をしなかったようだという。ジェトゥはどう見てもイリン=エルンを『投げ出した』としか思えなかった。
「ユリエンには伝書を書きたくない」
 イージェンがキュテリアにすまないなと言いつつ、ユリエンへの伝書を書くよう口述した。最後にマシンナートへの警戒をしっかりするよう注意を書き添えさせた。
 外で遣い魔に書筒をくくりつけて飛ばした。旧王宮はまだ寝静まっている。旧王宮に勤めていたものたちは、別の州都に配属されたりして、ほとんどいない。今いるものたちは、ウティレ=ユハニの宣撫部隊だ。
「イヴァノン王太子はどんな子だった」
 中庭を歩きながら、イージェンがヴァシルとキュテリアに尋ねた。ヴァシルが、学院長が忙しいときに世話をしていたと話した。
「利発なお子様でした。まだ、お小さいのに《理(ことわり)》の書が大好きで、意味はわからなくてもいいから読んでくれとよくせがまれました」
 乗馬や剣術もその年の子どもにしては秀でていて、素直で美しい少年だったとふたりは目頭を抑えた。
「《理(ことわり)》の書か」
 ティセアの腹の中にいたときに、さすりながらよく読んでやった。《理(ことわり)》を大切にする子になってほしいという気持ちが伝わっていたのかと胸が詰まった。
助けてやりたかった。しかし、イヴァノン、いやキリオスが処刑されたのは、大魔導師たちが選んだソシアリティム(社会制度)においては従うべきさだめなのだ。王族は王族の、民は民のさだめには従ってもらわなければならない。このソシアリティム(社会制度)の維持のために。今はまだ。
 イージェンたちは、船に戻った。起きていたマレラにふたりを紹介した。
「ふたりとも学院に戻ることはないと思って所帯を持ってしまった。俺が無理やり戻すので、マレラは学院には属さず、執務宮の文書館で、文書作りなどを手伝ってもらうことにする」
 とはいえ、しばらくは動けないので、カーティア王都のどこかで養生しなければならなかった。
「どうするか、とにかく初子(ういご)だし、マレラはそれでなくても、こういうことは苦手だからな」
 イージェンが、俺のほうがよっぽど母親らしいことができるぞと威張った。マレラがむっとした。
「じゃあ、乳を出してごらんよ」
 マレラが勝ち誇ったようにぺろんと乳房を出して赤ん坊に乳を含ませようとした。
「くっ!」
 イージェンがくやしそうに拳を握り、マレラの代わりにヴァシルの頭をこつんと小突いた。
「おまえ、すこしは恥じらったらどうだ、ダルウェル以外の男の前で」
 ヴァシルが真っ赤な顔で後ろを向いていた。マレラが気付いてあわてて少し衿元を寄せた。
 そこへダルウェルが朝飯を運んできた。イージェンが、ヴァシルとキュテリアのふたりには食堂に行くよう勧めた。マレラがすっかり平らげてから、イージェンがマレラを文書館で働かせることをダルウェルに話した。
「カーティア王都に俺のなじみの宿があるから、そこの離れでも借りるか」
 ニザンという男がやっている宿だ。とはいえ、もうイージェンが顔を出すわけにはいかないが、紹介されたと言えば、へたな扱いはしないはずだった。うまく時間のやりくりをして、ダルウェルが過ごしにいくことにした。
「ほんとうは一緒に住まわせてやりたいが、そこまで強引なこともできない。ふたりにはすまないことになった、許してくれ」
 ふたりに深く頭を下げた。ダルウェルもマレラも目を赤くして首を振った。
 食堂では、ヴァシルとキュテリアがすっかり打ち解けて、ラウドたちと笑って食べていた。イージェンが入ってきたのに気づいてラウドが立ち上がった。
「イージェン、カーティアにはいつ着く?」
 これから二の大陸を出て、一の大陸に戻るのだ。まずカーティアに向かい、ダルウェルたちを降ろし、それからエスヴェルンに帰る。いずれにしてもその後に南方海岸の海に散らばった海中戦艦マリィンの残骸を始末しにいくことになる。
「あさっての朝には着く」
 ラウドが目を空に向けて腰を降ろした。
「あさってか」
 船は、二の大陸キロン=グンドを離れ、一の大陸を目指していった。
(「イージェンと流転の美姫」(完))


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