「たしかに昔、そんな名前の女を妻にしたことがある。キリオスという息子もいた。だが…」 ふたたび見下ろして首を振った。 「ふたりとも…死んだ」 確かにイージェンだ。声が震えているようだった。ティセアが頭を激しく振ってイージェンの胸元を掴んだ。 「生き残って生き恥を晒さずに、キリオスと一緒に死ねばよかったとでもいうのか!」 イージェンがティセアの両肩を掴んだ。 「そうじゃない。生きていてもいいんだ」 イリン=エルンの王宮で一緒に逃げようと言ったときと同じ声。肩を掴む手の力強さも同じだった。 ティセアが涙の眼を見開いて仮面を見つめた。不気味な仮面にあの泣きそうだった顔が重なる。 「だけど、なぜ、仇に身を任せるような生き方をするんだ。前は父の仇、今度は息子の仇じゃないか。結局慰み者にされるだけなのに…」 イージェンがゆっくりと肩から手を離した。将軍らしき男と一緒にいたし、ルキアスが奥方様と呼んでいた。国が敗れれば側室は国王と運命を共にする。しかし、その前にキリオスを連れて逃げるということもありえただろう。もっとも誰かの助けもなしに逃げおおせたとは思えないし、そうしなかったことを非難するつもりはなかった。 イリン=エルンは、戦争を回避できなかった、そして勝てなかったのだから、キリオスは、敗戦国の王族として、幼くとも責任を取って処刑されるさだめにあった。 ティセアには、死を選ぶよりも、生きていてほしいと思う。ただひとり、好きになった女なのだから。だが、ティセアは、息子の仇の妻になった。かつて父の仇の側室になったように。 「違う、違う。慰み者なんかじゃ…ない…」 顔を覆って泣いた。だが、いくら否定しても、イージェンの言うとおりになるだろう。 「ティセア」 低い声に呼びかけられ、振り向いた。グリエル将軍だった。レガトも後ろから付いてきていた。急にいなくなったので、心配で探していたのだ。 「…将軍…」 ティセアがすがるような目を向けた。 イージェンに会いたかった。長い間ほおっておかれて寂しかった、キリオスが死んで悲しかった。でも、こんな厳しい言葉でたしなめられるのではなく、抱きしめて慰めてほしかったのだ。グリエルは側までやってきて、ティセアを抱きしめ、イージェンを睨みつけた。 「大魔導師殿、どんな縁があるかは知らないが、わが妻を慰み者などと侮辱しないでほしい」 ティセアは分厚い胸に顔をうずめた。イージェンが背を向けた。 「おまえはおまえの選んだ生き方をすればいい。おれが妻とした女はもう死んだ」 死んだんだ、とっくに。あのときに。俺でなくイリン=エルン王を選んだときに。 そう思っても、苦しい思いがわきあがってくる。仮面を継いでもなお、あのときのようにつらくなるとは思わなかった。 …忘れることはできないんじゃから、乗り越えるしかないぞ かつてティセアと別れた後すさみきった生活をしていた。そのとき出会ったアランドラの言葉をもう一度思い出し、噛み締めた。 イージェンがふわっと浮き上がった。 ダルウェルも浮かび上がり、手を振るルキアスにうなずいてみせた。ふたりは学院に向かって飛び去った。 ダルウェルがイージェンの横であやまった。 「すまん…すまん…」 「なんでおまえがあやまるんだ」 ティセアがここにいるかもしれないことをあらかじめ言っておけばよかった。祝賀会での侮辱も耐えがたいことだっただろう。学院で育ったわけでもなく、素子として生まれたというだけで地上を守ろうとしているのに、事情を知る学院長ですら、力を合わせようとしないことが、申し訳なかった。 「早く行こう、時間がもったいない」 学院の前に、ヴァシルとキュテリアと、イリン=エルンの魔導師たちが待っていた。イージェンがいずれ他の学院との調整を図り、何人かは異動させると言った。後日人数分配布の予定だがと、ひとつだけ持っていた赤い書筒を渡した。 「ユリエンには相談できない、なにか困ったことが起きたら、俺に直伝(ちょくでん)を寄越せ」 書筒を受け取りながら、副学院長だった魔導師が礼を言った。 四人が空に飛び上がった。ヴァシルとキュテリアが下に向かって、手を振った。 雲が厚くなってきていた夜空をどんどん上昇していく。 イージェンがキュテリアの側に寄り、抱きかかえた。キュテリアが驚いて見上げた。後ろから来るダルウェルとヴァシルに手を振った。 「雲を突き抜けるぞ」 「おい、俺はともかく、こいつは?!」 「行けます!」 ヴァシルがギュンと速度を上げて、イージェンについて行く。 ダルウェルがほうと感心しながら自分も急速で上昇していった。雲の中を通り抜けると、頭上に第一の月が輝き、満天の星空が広がっていた。前方にきらきらと金色に輝く光の球が見えてきた。 イージェンがキュテリアに指し示した。 「あれが、『空の船』だ。あれに乗って一の大陸へ行くんだ」 光は下の雲に当たって、まるで金色の波の上を進むように見えた。キュテリアがぎゅっと抱きつきながらすばらしい光景だと感激した。 「すごいですね!あれは大魔導師様の道具ですね?!」 イージェンがうなずいて、さらに速度を上げた。 甲板ではラウドとエアリアが肩を寄せ合って月を見ていた。イージェンが降りてきたのに気づいて、あわてて離れた。 「ご苦労だったな、イージェン」 ラウドがねぎらった。見知らぬ女を抱えているのに気づき、しげしげと見た。ようやく追いついたダルウェルとヴァシルが甲板に降り立った。 ふたりとも息を荒らしている。 「お、おい…さっさと行っちまいやがって…」 艦橋で紹介するので、みんなを集めろとエアリアに言いつけた。 「リィイヴさんやマレラさんは無理ですよ」 そのふたりには後で挨拶にいかせるからいいと言って、先に艦橋にふたりを連れて行った。 艦橋で待っていると、ラウドたちがやってきた。 「紹介しよう、元イリン=エルン学院の特級魔導師のふたり、ヴァシルとキュテリアだ。ふたりともカーティアの学院で働いてもらう」 ふたりが深く頭を下げた。 「こちらはセクル=テュルフ・エスヴェルンのラウド王太子殿下だ」 ふたりがあわてて両膝を付いて両手を床に付けた。 「王太子殿下とは存じませんで、大変失礼致しました」 ラウドが二人の手を取って立たせた。 「エスヴェルンの王太子ラウドだ。楽にしてくれ」 ふたりが恐縮しながら立ち上がった。イージェンが、側にいるイリィ・レンを王太子護衛隊隊長と紹介した。 「そして、そちらが、ティケア・セラディムの王弟アダンガル殿、わけあって、今はアヴィオスと名乗っている」 アヴィオスは、膝は付かないでくれと言って、お辞儀だけ受け取った。 「セクル=テュルフの風エアリア、エスヴェルンの第一特級で、俺の弟子だ」 エアリアが小さく頭を下げた。 「ヴァン、こいつともうひとり、リィイヴというのがいるが、ふたりはマシンナートだ。事情は後でリィイヴのところで説明する」 マシンナートが一緒と聞いて、ふたりが目を丸くして驚いた。 「ダルウェルの弟子マレラは、子どもと寝ているだろうから、明日の朝にしよう」 イージェンが操舵管の前に手をかざし、窓の前に透き幕を出した。二の大陸の地図が現れた。 「これから、イリン=エルンの学院に向かう」 その後の予定を話し、解散させた。 ヴァシルとキュテリアをつれて、ヴァンと一緒にリィイヴの部屋を訪ねた。 「イージェン」 リィイヴはベッドの上に起きて、書面を見ていた。イージェンがヴァシルとキュテリアにヴァンとリィイヴが仲間に加わった経緯を話した。その上で、ナルヴィク高地の地下にある精製所を消滅させたことなどを話した。 ヴァシルたちもマシンナートが地下に住んでいるらしいということはなんとなくわかっていたが、『瘴気』の元になるものをこの大陸の足元で作っていたと聞き、驚いていた。話を聞き終えて、しばらく考え込んでいたヴァシルが口を開いた。 「学院長様…ジェトゥ様が追跡調査しなくていいというので、ほおっておいたのですが、北海岸沿いの州でトレイルとは違う形のマシンナートの乗り物を目撃しました。昨年の秋から冬にかけて一台ではなく数台です。今年に入ってからは見かけられていませんが、もしかしたら内陸に移動したのかもしません」 どんな形かわかるかと聞かれて、紙をというので、リィイヴが読んでいた書面の裏に書かせた。絵は得意だというヴァシルが書いた画を見て、リィイヴとヴァンが顔を見合わせた。 「これはなにか、説明しろ」 リィイヴに示した。 「これは、悪路走行専用の装甲モゥビィルで、リジィドモゥビィルと呼ばれているものだよ。大昔の残骸が第二大陸の地下にあるって聞いたけど」 車輪ではなく、履板(りばん)と呼ばれる板が環になっているもので動く。大昔の鉄鋼を再利用して使っているという。 「大魔導師たちのやることも穴だらけだな、そんな残骸がたくさん残っているとは」 「エスヴェルンで飛ばしていたプレインもそういう残骸を再生したものだし、テェエルでのミッションのときは、なるべく古い材料のもので作るんだよ」 イージェンが画をひらひらとさせた。 「魔導師たちの目をくらませるためだな、細々とやってるんだから、見逃してくれって同情を誘っていたんだな」 リィイヴが顔を伏せた。疲れた様子にヴァンが横にしてやろうとしたが、首を振った。 「これには着いてないけど、脱着可能な大型のオゥトマチクを付けるとアウムズになるんだ」 ヴァンが水深が浅い河なら渡ることもできると説明した。 「このレェイヴェルのモゥビィルまでなら整備できる」 ヴァンはモゥビィルの整備士だった。 「議事録受領の伝書が来たら、気をつけるよう、返信しよう。各自で注意してもらうしかない」 イージェンとしては、出来る限りの手を打ってはやるが、甘く見たり、ほおっておいて、災厄に見舞われても、どうにもできないと思った。 ヴァシルとキュテリアにも休むようにそれぞれ部屋をあてがった。
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