「イージェン、ぼく、服このままでいいから、あのお金、もらえないかな」 殴られて顔を腫らしたウルヴがいつにもまして困ったようすで言ってきた。ふたりとも充分に食べられない中でも身体が大きく育ってきて、しょっちゅう服が小さくなってしまい、冬になっても袖や裾丈の短い服で我慢していた。少しずつ貯めて大きい服を買おうと思っていた。 「だめだ、どうせ親父の酒代になってしまうんだろ?ないって言っておけよ」 ウルヴが目をぬぐった。 「だって、おとうさん、苦しいって言ってる、なんとかしてあげないと」 ウルヴは、母が殺されたのは父のせいとわかっていても母を失った心の穴を父で埋めたがっていた。一生懸命世話をすれば、きっとそのうち誉めてもらえる、抱きしめてもらえると信じていた。 「酒が切れて苦しいだけだ!ほっておけよ!」 ウルヴが抱きついてきた。何度も助けてとつぶやく。 「わかった、おにいちゃんにあげるから、好きにするといい」 あるだけの金を渡した。どうせ、三日も持ちはしない。あのとき、助けるべきでなかった。後悔は先に立たずだった。 その年の冬は厳しい寒さに襲われていた。災厄には入らない寒波や猛暑は魔導師の鎮化の対象となっていないため、自然のままとなっていた。ウルヴは使いに出されて、寒さに震えながら、雪の中を歩いた。やはりあの金で服を買うべきだったかという気持ちになりそうなところをなんとか留まっていた。親子は山のふもとの廃屋に住み着いて冬を越そうとしていた。フレグがペンを腕にくくりつけて何とか書き終えた手紙をもたされて、さほど遠くないところにある街までやってきた。以前もいかされた金貸しのところに向かった。 「なんだ、金返しにきたんじゃないのか」 フレグから預った手紙を渡した。手紙を読んだ金貸しはうなった。ウルヴに店の外で待つようにいい、出て行った。街は大勢の人々が行きかっていた。暖かそうなコートを着て、ふっくらとした頬を笑いで膨らまし楽しそうにしている親子が店の前を通っていく。 「おとうさん、お馬、買う約束、忘れないでね」 「ああ、春になったら買ってやるから」 みすぼらしい格好で震えているウルヴに気づき、不快そうな目で見て、金貸しの隣にある品のある店構えの飯屋に入っていった。そうした目には慣れている、別に馬なんか欲しくない、いつも腹が空いているのも普通のことだ。自分はイージェンのように強くないし、殴られても父と一緒にいないと不安でしかたがなかった。でも、今、もっと暖かい家に生れたかったと思ってしまった。 金貸しが黒い外套を着た背の高い男と戻ってきた。男は鋭い目でウルヴを見た。 「こいつの親父か」 金貸しが頷く。小屋に案内するように言われた。 「親父からの手紙に俺に来て欲しいと書かれている。案内しろ」 このヒトは何者だろう。聞くこともできないまま、ウルヴは金貸しと男を小屋まで案内することになった。途中、男が尋ねた。 「外套もないのか」 ウルヴが振り返り、惨めな気持ちになり、すぐに前を向いた。首にふわっと何かが巻かれた。襟巻きだった。驚いて後を見た。男が冷たい目のまま頭を軽く叩いた。 「今はこれで我慢しろ」 とても暖かかった。あまりに唐突のことで礼を言うこともできなかった。小屋に着き、中に入った。イージェンは鉱山の下働きに行っていて、まだ帰ってきてなかった。男はフードを落とし、フレグに近づいた。フレグが卑屈に薄笑いを浮かべながら頭を下げた。男が小屋の中を見回してから言った。 「子どもを売りたいとのことだが、まさか、この坊主じゃないだろうな」 「ああ、そうだ、いくらになる?」 ウルヴが愕然とした。売られる?自分がいなくなったら、誰が酒を買いに行くのか、誰が下の世話をするのか。イージェンはきっとそんなことをしない、見殺しにされるのに、なぜ? 「ぼくがいなくなったら、どうするの…イージェンはおとうさんの世話しないよ…」 フレグがいらだたしげに首を振った。 「あいつはおまえより役に立つ、なんだかんだ言っても親の世話はする」 ウルヴは床にしゃがみこんだ。何かが壊れそうだった。ウルヴは泣いた。男がウルヴに目を向けた。 「あいにくと、娘しか扱っていない」 フレグは座っていた木のベッドから身を乗り出した。 「男色の客もいるだろう」 ウルヴは吐きそうだった。なんでこんな…こんな。そんなにお金がほしいのか。 「それ向きの稚児はもっとガキのころから仕込むんだ、育ちすぎだ」 フレグの顔が真っ青になった。男がぽつりと言った。 「あるお大人が若返りの秘薬だと信じて、子どもの生き胆をほしがっている」 ウルヴが顔を上げた。 「そのお大人になら売れるだろう。どうする?金貨十枚で坊主の生き胆、売るか」 ウルヴは恐ろしくて身体が震えだした。いくらなんでも、承知するはずない、でも、でも。フレグはウルヴの方を見ずに黙っていたが、男に手首のない手を差し出した。 「そ、そのお大人に売ってくれ、金は金貸しに返す分五枚、俺に五枚、それで頼む」 ウルヴの中の何かが壊れた。泣き叫んだ。 「うわーっ!」 身体の震えが止まらない。男が片膝を付き、ウルヴの肩を掴んだ。 「俺もそうとうな悪党だが、お前の親父にはかなわないな」 ウルヴが男を見つめた。男の目は先ほどの冷たい目ではなかった。 「坊主、俺に親父を売らないか」 ウルヴは何を言われているかわからなかった。フレグも意味を測りかねて首をかしげた。男が懐から短剣を出した。鞘から抜き、ウルヴの手に握らせた。 「親父の命を買ってやる、借金を返してやるし、まとまった金もやるぞ」 ウルヴの手がますます震えた。しかし、短剣を持って立ち上がった。フレグを見た。青白い顔で腕を振った。 「ま、まさか、親に向かって…」 ウルヴがよろけながら近づいた。 「おまえなんか…親じゃないーっ!」 目をつぶってしゃにむに突っ込んだ。切っ先がフレグの腕をかすった。袖が破れ、血が飛び散った。 「うわーっっ!」 フレグがベッドから転げ落ちた。ウルヴが息を荒らし、涙で目を腫らして再度突っ込もうとしたが、身体が動かなかった。男がゆっくり寄ってきてウルヴの手の上から短剣を握った。導くようにしてフレグの側に連れて行った。 「や、やめてくれ!助けてくれ!」 短剣はフレグの胸に突き刺さった。フレグの口から血が飛び出し、目を剥いて床に倒れた。男が剣を硬く握って離れなくなった手を解いてやった。そして、ウルヴの頭に手を置いた。 「いい子だ、よくやった」 ウルヴは泣きじゃくった。男は抱きしめてやり、何度も頭を撫でた。 小屋から出た男は、金貸しに火をつけさせた。燃えさかる小屋を見ていると、イージェンが現れた。 「おにいちゃん!」 ウルヴが振り向いた。男にしがみついたまま、声を震わせた。 「ごめん、ぼく、おとうさんを…」 イージェンが首を振ってそれ以上言わせなかった。一部始終は小屋の蔀戸から覗いていた。ウルヴが危険になったら、知られてもいいから魔力で助けようと構えていたのだ。男はイージェンを見て、口元をゆがめて笑った。 「双子だったか。どうする、借金は返してやるし、まとまった金もやると言ったが…」 離れようとしないウルヴを見た。 「俺と一緒に来るか、来るなら、イッパシの悪党になるよう鍛えてやるぞ」 ウルヴがうれしそうに頷いた。イージェンは、ふたりだけでも生きていけると思ったが、しばらくは、父の愛に飢え、この男を慕うウルヴの好きなようにしてやろうと夜空に立ち上る炎を見上げた。
|
|