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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第143回   イージェンと戦乱の大陸《キロン=グンド》(1)
『空の船《バトゥウシエル》』は、ガーランドとウティレ=ユハニの国境付近にあるバランシェル湖に浮かんでいた。いきなりやって来た空を飛ぶ船に、民たちはあわてて魚獲りしていた舟を桟橋に戻し、繋留させた。
翌日、ダルウェルが村長を訪れ、事情を説明した。村長は戸惑っていたが、歓迎の意を見せ、湖で獲れる魚や果物を出してきた。ダルウェルが感謝しながらも、それらを返した。
「そんな気遣いは必要ないが、ひとつお願いしたいことがある」
 村長がなにごとかと回りと顔を見合わせた。
「金は出すから、おむつを少し譲ってくれ」
 村長はわけがわからない顔をしていたが、側の女に集めてくるように命じた。
 船を気にせず漁をするよう言い、おむつを譲ってもらって、船に戻った。
 マレラは乳をやるときと朝晩の飯のとき以外はぐうぐう眠っていた。
「ンギャァ、ンギャァ」
 赤ん坊の泣き声で目を覚ました。下(しも)が汚れていたのでベッドから降りて取替えてやり、また横になった。扉が叩かれた。
「マレラ、具合はどうだ」
 ヴァンが夕飯の盆を持って来た。
「まだ力が出ませんが、大丈夫ですよ」
 魔導師は丈夫なのでと笑った。ヴァンが箱ベッドですやすや寝ている赤ん坊をしげしげと見ていた。
「珍しいですか」
 ヴァンとリィイヴがマシンナートだと聞いていたので、シリィのものはなんでも珍しいのだろうと思った。
「いや、まあ、かわいいなと思って」
 子どもとか好きなんだと照れくさそうに頭をかいた。
アリスタとの子どもが欲しかった。処置されていて無理だとわかっていたが、もしかしたら間違って妊娠するのではないかと向きになって一晩に何度も身体を重ねた。
…無理よ、バカね。
 アリスタは笑ったが、ヴァンの気がすむまでとことん付き合ってくれた。
アリスタが育成棟を出て行ったのは、十歳のときだが、十八歳のときに作業棟で再会した。幼い頃から好きだったが、すっかりきれいになっていて、もう夢中になってしまった。テェエルでのミッションに一緒に参加しないかと誘われて、一も二もなくついて行った。バレーにいる間は近寄ることができなかったが、テェエルに出てすぐに想いを伝えた。アリスタは最初困った顔をしていたが、バレーに戻るまでの間だけになるとわかっているならと、毎日のようにヴァンと寝てくれた。
 イージェンのことが好きになったのはすぐにわかった。でも、最後の夜、自分を部屋に呼んでくれた。うれしくて、そしてせつなくて、一晩中抱き続けた。
 思い出して涙が出てきた。
「どうかしました?」
 マレラが驚いた。
「ちょっと、前のことを思い出して…」
 後で盆を取りに来ると言って出て行った。扉の前に見知らぬ女がいた。
「だ、誰だ!」
 灰色の外套ですっぽり身体を覆っている。
「ダルウェルはいないのか?」
 風体から言っても魔導師だろう。
「おう、リンザー、来たか」
 振り向くと、ダルウェルが白い布をたくさん抱えて立っていた。
「なんだ、それは」
 リンザーという女が顔を近づけた。
「おむつだ、足りなくなりそうなんで」
「予定は九の月だろ、今から準備か、ずいぶんと気の早い」
 ダルウェルがごまかし笑いして扉を開けた。リンザーに気づいたマレラが身体を起こした。
「リンザー様、ご無沙汰してます」
「どうした、具合でも悪いのか」
 そう言って近づき、箱に気づいて、穴が開くほど見つめた。
「早産にしては、ふくぶくしてるな」
 実は産み月を間違えたとダルウェルが白状した。
「おまえのことだから、ありうる話だな」
 リンザーがおかしそうに笑った。
「イージェンはまだ戻ってきてない」
 ヴァンが気をきかせて茶を持って来た。
「すまないな、気を使わせた」
 リンザーがヴァンを見上げた。言葉遣いは男っぽいが、顔は意外に女らしい造りで優しい感じだった。
ダルウェルが船長室に移ろうと案内し、議事録原本と抄本の二冊と附記を渡した。
「おまえのところの分だ。他の学院の分はアルバロたちに任せた」
 リンザーもエアリアほどではないが、かなりの勢いで読み取った。澱むことなく頁をめくっていた。
「イージェンには二年前に会っておきたかったな」
 リンザーとの付き合いが深くなったのは、イージェンが二の大陸を去ってからなので、リンザーはイージェンと会ったことはない。
「学院に戻るなら、子どもは」
 イージェンがなにか考えてくれるらしいと話した。リンザーが腕組みしてうなった。
「学院を知らないから型破りなのは仕方ないが、あまり権力を振りかざすと」
 ダルウェルもそうは思うが、世話をしているので情も移っていた。それでなくてもマレラのこともある。
「学院に戻ると分かっていたら子どもは作らなかった。ここは勘弁してもらいたい」
 確かにとうなずいた。
「ウティレ=ユハニとイリン=エルンが開戦した。決着は時間の問題だ」
 リンザーが二杯目を自分で注ぎながら、そこで他国の動向だがと話し出した。
「イリン=エルンに味方する国はいないが、戦後については各国いろいろと思惑がある」
 大陸東最大の港街をはじめ、海岸沿いの漁場、旧ラスタ・ファ・グルア銀鉱山、テリス州鉄鉱山、大陸にあっては肥沃な土地である西マキア州農産物の権利をウティレ=ユハニ王国が一挙に手にすることは、大陸一の国力をもつことになり、他の国にとっては大変脅威だった。すでに各国各州の使者がウティレ=ユハニを訪れる用意をしている。とくにヤンハイは王太子が国使として正式に訪れる準備をしていた。しかし、ハバンルークやスキロスは今のところ静観している。リンザーのところは、中立を保つ予定になっていた。
「ヤンハイは次に攻められるとしたら自分のところだと思っているようだ。自治州を挟んで隣接しているからな、その自治州を落とされたら、ひとたまりもない」
「王女を王妃にしたガーランド以外は攻められるかもしれんということか」
 茶を含んでいたリンザーが目を空に向けた。
「ガーランドも実質乗っ取られたようなものかもしれないが」
 意味ありげな言い方をした。
扉が叩かれた。返事をすると、ガーランド学院長のアルバロが青ざめた顔で立っていた。
「いったい何の用事だ。こんなところにのんびりとしていられないんだが」
 中に入って椅子に座り、肩を落とした。
「開戦したな。ジェトゥはどうするつもりなんだ」
 リンザーが身を乗り出した。アルバロが首を振った。
「わからん、聞いたが、裏切ったおまえに話すことはないと言われた」
 ウティレ=ユハニと同盟を結ぶようなことはしないと約束していたのだ。アリーセ王女のウティレ=ユハニへの輿入れには反対したのだが、アルバロが推薦していた小国スキロスの王太子妃と黒狼王の正妃では、問題にならなかった。
「根回しの上手なおまえにしては、ヘマしたもんだな」
 ダルウェルが皮肉ったが、アルバロは下を向いたままだった。リンザーが席を立った。
「ちょっと寄っただけなんだ。戻らないと」
 確かに今の時期、学院長が国を離れるのはまずいことになる。いずれイージェンには挨拶したいと発った。
 その夜遅くにイージェンたちは帰ってきた。すでにみな寝静まっている。そっと甲板に降り立った。ダルウェルは起きていて、気配を察して甲板に出てきた。
「おい、リィイヴ、どうした?」
 エアリアにおぶわれているのを見て声を潜めながらも心配した。手短にアウムズに撃たれてと話し、部屋に運んだ。
「師匠、解熱の薬を調薬します」
 エアリアがリィイヴの額に冷たい手ぬぐいを絞って当てた。
「俺が精錬する。調薬したものを持ってこい」
 エアリアがうなずき、厨房に向かった。ダルウェルが湯を沸かし、リィイヴの身体を拭ってやって夜着に着替えさせてやった。
 エアリアが水を吸うのが速くなるように、丁寧に薬草の葉の部分を広げて湯に落とした。ゆっくりとかき回して煮出していく。ダルウェルが一度戻ってきて湯を取り分けた。
「子どもの尻を洗うのに少しもらうな」
 頬が緩んでいる。親子で暮らせるように、イージェンが無理を通すつもりなのだろうか。あまりごり押しするようなことが続くと、学院以外でも不評を買うことになるかもと心配した。
 布で濾して、さらに煮詰めたものをイージェンに持っていった。イージェンが煮えている中に指を突っ込んで、かき回した。かき回す指先が白く光っている。
「なかなかよくできてる。調薬の腕も悪くない」
 誉められてうれしかった。
「カーティアの調薬庫でお手伝いしたときに見た師匠の手順とか参考にして、今までのやり方を改めてみました」
 イージェンがエアリアの頭を軽くポンポンと叩いた。
「そうか。いい心がけだ」
 エアリアが恥ずかしそうに微笑んだ。
エアリアはイージェンが精錬した解熱の薬を持って、リィイヴの部屋に入った。呼びかけたが、リィイヴは熱でもうろうとしていた。冷ました薬をスプーンで口に運んだが、うまく飲み込めない。しばらく困っていたが、マレラにしたときのようにしなければならないかと、口に含んで、口移しした。
「うっ…」
 何度か流し込んで胸を擦った。しばらくして、リィイヴが少し目を開けた。
「リィイヴさん…」
 リィイヴが苦しそうだが、微笑んだ。
「よく効く薬だね、君が飲ませてくれたからかな」
 師匠が精錬したからですと、素っ気なく言って、薬の小鉢を持って部屋を出た。
 唇にぬくもりが残っていた。指で触れていると、さびしい気持ちになった。窓の外では空が少し明るくなっていた。


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