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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第139回   イージェンと《瘴気》の地底抗(2)
 イージェンが居間にやってくると、ラウドたちがぐったりと座り込んでいた。
「心配かけたが、大丈夫だから、みんな休んでくれ」
「よかった。さっき見せてもらったが、かわいかった、女の子だそうだな」
 ラウドが祝福してやれと言って、アヴィオスやイリィ、ヴァンと離れに戻っていった。リィイヴが馬を橋のたもとにおいてきてしまったので、連れてくると出て行こうとした。
「朝でも大丈夫だろう。さすがに橋は渡れなかったか」
 それでも、夜あの橋を渡ってくるには勇気がいるだろう。リィイヴがうなずいて奥の部屋を見つめた。エアリアが出て来た。
「師匠、子どものものとか、まだ揃えていなかったそうです」
 村長の子どもたちはもうかなり大きくなっているので、赤ん坊のものはなにも残っていないのだ。朝になったら、村長の妻が、村のもののところでかき集めてくると言ってくれた。
「金を払ってやれ」
 エアリアが金を取りにもう一度船に戻ると言うと、リィイヴが一緒に連れて行ってくれるよう頼んだ。
「センティエンス語の本を貸してもらいたいんだ」
 もともと船にあった書物の他にイージェンが少し持ち込んだものも何冊かあった。イージェンがすぐに返事をしなかった。
「教本だけ貸してもらったんだけど、他の本を見てみたい、だめかな」
 なにか問題があるのだろうか。
「いいだろう、エアリア、一緒に連れていって、見せてやれ」
 エアリアがすぐに行くのでとリィイヴと出て行った。
エアリアはまたリィイヴとふたりきりになってしまうのは避けたかったが、師匠の指示なので仕方なかった。ラウドと話す暇もなく、イージェンの手伝いをしている間は忙しくて忘れられるのだが、ずっと落ち着かないままだった。抱えて飛び上がり、甲板に降りた。
「今回師匠が持ってきたものは、特級用の書物なので、見てもわからないです。わたしがもってきた中に通常のものがあるので」
「わからなくてもいいから、見せて」
 見ないうちから分からないと言われてむっとした。エアリアがつんと顔を逸らして船長室に向かった。船長室で、二冊捜し、机の引き出しから、巾着を出した。自分の部屋に入って、荷物を探った。
リィイヴは食堂に行っていてくれと言われた。少しはエアリアの気持ちが戻ったと思っていたのに、そうでもないので、がっかりしていた。せっかく『遠駆け』とかできたらいいなと乗馬の稽古をがんばったのに。
食堂に行き、持たされた二冊をめくった。
…これは…
 真っ白でなにも書いていない。
…そうか、これが魔力で書いてあるっていう…
確かに見てもわからない。触ってみても、盛り上がっているとかへこんでいるとかでもない。透かしてみてもなにもなかった。
エアリアがやってこないので、部屋の前に行った。小さく扉を叩きながら声を掛けた。
「エアリア?どうしたの、見つからないなら、いいよ」
 扉に耳を当てた。かすかに泣き声が聞こえた。
 どうしたのだろう。
「早く降りようよ、イージェン、心配するよ」
 エアリアが出てきた。腫らした目を隠すように頭巾を被っていた。
 イージェンが居間で何かやっていた。よく見ると円盤状の硝子を磨いていた。
「どうだ、見て分かるものがあったか」
 エアリアが金の袋を置いて、マレラに付き添うと奥に向かった。リィイヴがちらっとエアリアを気にしながらも、イージェンに尋ねた。
「教えてほしいんだけど」
「なんだ」
 イージェンは磨き続けていた。リィイヴが教本とエアリアが持っていた書物を広げた。
「この文字は初めてみるんだけど、紀元前から使ってたの?」
 イージェンが首を振った。
「いや、この文字を使うようになったのは、素子が現れ始めてからだ。この音素文字は、大魔導師たちが作ったもののようだ」
 音素文字は通常母音と子音のそれぞれが字母を持ち、それらを組み合わせて発音を表記する。表記された単語が文法によって組まれて文章となるのだが、このセンティエンス語の音素文字は極端に文字数が少なく、そのため、ひとつの単語を表記するのに非常に多くの字数を必要とする。たとえば、標準のエリュトゥ語で三文字で済む単語も、センティエンス語で表すと、十二文字前後使うことになる。
「このエアリアが持ってた本は、エスヴェルンの国勢調査書だね。でもこれはこの言語の本当の使い方じゃない」
 リィイヴがイージェンの書物を広げた。
「こっちの中身、ぼくにも読めるようにはならないかな」
 イージェンがその書物を指でトントンと叩いた。
「本来、素子以外のものにセンティエンス語を覚えさせても意味はない。魔力を持つ者だけが本当の意味で『使える』言語だからだ。だが、素子以外の魔導師にも覚えさせている。魔導師同士の伝書、報告書はすべてセンティエンス語で書くことになっている。魔導師だけが知っている高度な言語の存在が魔導師の価値を高めてるからだ」
 リィイヴが真っ白な紙面を見つめた。じっと見つめている様子を見て、イージェンが書物を持った。
「こいつを読めるように書き直すのは時間がかかる。時間があるときにエアリアにやらせよう」
 そんな悠長なことをしている暇はないだろうがとつぶやいた。リィイヴにも休むようにと言い、また硝子を磨く作業を続けた。

 翌朝、村長の家では、朝飯の支度やら、赤ん坊の世話やらで賑やかだった。
 ラウドは、機嫌良く食堂代わりしている居間のテーブルに茶碗やら皿やら並べている。リィイヴが大きな鍋を運んできたヴァンのところに向かった。
「よう、なんか目が赤いぞ?」
「う、うん…」
 さっぱり寝付けない。つい、エアリアのことやセンティエンス語のこと、精製棟のことなどを考えてしまうのだ。ふたりでテーブルの上に置いた鍋からスープを配った。
 朝飯を済ませて片付けしていると、ダルウェルが戻ってきた。
「おはよう、もう朝飯残ってないか」
 のんびりと厨房の裏にやってきて、盛り皿に残っている黒パンを掴んでぼそぼそ食べ始めた。いきなり頭を殴られた。
「ぐあっ!」
 口からパンが吐き出た。
「おい、いきなりなんだ!」
 もちろんこんな乱暴するヤツは決まってる。振り返ってみると、案の定イージェンが立っていた。仮面なので表情はわからないが、全身から怒りが感じられた。
「遅くなったから怒ってるのか?いや、いろいろとあって…」
「何をのんきに飯なんか食ってるんだ!マレラが堕胎の薬を飲んだんだぞ!」
 ダルウェルが顎をがくがくとさせて、目を潤ませた。
「な、なんで…そんな」
 バッと外套を翻して家の中に駆け込んだ。
「マレラ!どこだ!」
 村長の部屋や子どもたちの部屋も見境なく扉を次々と開けていく。みな驚き、怯えてダルウェルを見送っていた。一番奥の部屋を開けた。
「マレラ!」
 マレラがベッドの上で横になっていた。駆け寄ったがぴくりとも動いていない。
「マレラ…まさか…」
 抱き起こし、ゆさぶった。
「マレラ!なんで、こんなことに!」 
 泣き震える腕の中でマレラが小さく頭を動かした。ダルウェルを見て目をこすり、押しやってベッドに倒れ込んだ。
「師匠…もう少し寝かせてくださいよ…眠いんですぅ…」
 ぐうぐう寝てしまった。
「はあ…?」
 後ろからまたイージェンが殴った。
「まったく、おまえたちふたりはどうしてこうそろいもそろって早とちりなんだ」
 後頭部を擦りながら首を傾げた。マレラの横に小さなかたまりを見つけて、覗き込んだ。
「おまえの娘だ」
 目を丸めてイージェンを見、小さなかたまりに目を戻した。
「抱いてやれ」
 イージェンが言うと、ダルウェルは目を細めてそろそろと抱き上げた。
「俺の…娘…」
 口をしっかりと結んで頬を膨らませて寝ていた。ふっくらとした頬がマレラに似ているし、耳は自分に似ているような気がする。目頭が熱くなって、うれしさが湧き上がってきた。そっとベッドに戻した。
 居間に戻ると、リィイヴが残り物をかき集めて食事を用意していた。まずは落ち着けと食べさせ、マレラが子どもを手放さなければならないことでおかしくなって、発作的に堕胎の薬を飲んでしまったことを話した。ダルウェルが飲みかけていた茶碗を口から離した。
「学院に復帰することになったと話したとき、ずいぶん泣いていたが、そこまで思いつめるとは」
 イージェンが仮面の額に触れた。
「俺は学院の決まりを知らなかった。すまないことをしたと思うが、なんで拒まなかったんだ。妻や子どもより学院長になるほうが大事なのか」
 ダルウェルが一瞬怒りに顔を険しくしたが、すぐに悲しさで曇らせた。
「…おまえに味方するやつは少ないからな、俺たち友だちがまっさきに手伝ってやらなくてどうする…って思ったんだ」
 イージェンががたんと音を立てて立ち上がった。
「ダルウェル…」
 膝を付こうとしたのに気づいて、ダルウェルが止めた。
「なあ、イージェン。俺たち魔導師は、私情を持たずに勤めるとミスティリオンを唱える。親から切り離し、結婚はしないことで、情を断ち切りやすくしようとするが、実際はなかなかそうはいかないな」
 逆にダルウェルが頭を下げた。
「ふたりを助けてくれてありがとう。この先、なにがあっても俺はおまえの手となり足となって助けていく。遠慮なく、言いつけてくれ」
 イージェンが、がしりとダルウェルを抱きしめた。
「まったく、おまえがあと十人、いや、五人でもいてくれたらと思う」
 ダルウェルが参ったというふうに頭をかいた。
「ぜいたく言うな、俺みたいなやつがそうそういてたまるか」
 確かにと笑った。
 ルキアスを連れてこられなかったわけを話した。もちろん、ティセアのことは伏せた。
「そうか、ほんとうは有無を言わさずに連れてきてほしかったが、しかたないか」
 所詮人殺しで出世するのだ。いいことではない。それでも、ルキアスが望んでするなら、止められる筋合いではないのだ。
「イリン=エルンは滅びるな」
 イージェンがぽつっと言い、仮面を伏せた。ダルウェルが黙って顎を引いた。


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