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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第138回   イージェンと《瘴気》の地底抗(1)
 ダルウェルがルキアスを迎えに行っている間に、イージェンとエアリアは、ヒト、獣、土壌、水、植物の調査結果をまとめていた。エアリアに村人の名簿の写しを作らせ、それが終わってから、地図に採取した調査標本の採取場所を記述し、標(しるし)を統一した調査書の下書きをまとめた。その下書きにイージェンが数値を書き込んでいった。
「ダルウェル、遅いな、なにかあったのか」
 思いのほか時間が掛かっているので、遣い魔を飛ばそうかと話した。
集会所の扉が叩かれた。エアリアが立ち上がって開くと、村のものに案内されてきたリィイヴだった。
息を切らしているのに真っ青な顔をしているので、イージェンも立ち上がって近寄ってきた。
「どうした」
「マレラさんの具合が悪いようなんです。村長さんの奥さんが、もしかしたらおなかの子が死んでるかもって…」
 おとといから元気がなくて、夜苦しむ声がしたので、村長の妻が様子を見に行くと、なにかお茶のようなものを飲んで倒れていたのだという。
「なんだって!」
 イージェンがエアリアにも来るように言い、リィイヴを抱えて、飛び上がった。あっという間に村長の家に着き、部屋に駆け込んだ。マレラが、ベッドの上で青黒く腫れ上がった顔で苦しんでいた。
「どうした!」
 イージェンが腹に手を当てた。かすかだがまだ子どもの鼓動がある。
「腹の水は出てないようだな」
 村長の妻がうなずいた。倒れたときに飲んでいた茶碗を持ってこさせた。指を入れ、茶碗を床に叩きつけた。
「なんでこんなものを!なんで飲んだんだ!」
 仮面をマレラに近づけた。マレラが息を荒くしながら仮面から顔を逸らした。
「だって…産んだって、よそにやらなきゃいけないんだから…それじゃぁ…」
 身体を震わせて泣き出した。
「よそにって…」
 イージェンが戸惑った。ふたたびマレラの腹に手を当てると、いよいよ子どもの鼓動が消えそうだった。マレラの脈も弱まっている。マレラは堕胎の薬を飲んでいた。
「解毒の薬を調薬している時間がない」
 このままだと子どもは死んで出て来る。もし死んですぐならば『蘇りの術』で蘇生できるかもしれない。だが、それには魔力そのものを精錬したものを使わなければならない。そんなものはすぐには用意できないし、やったこともないので、自信もない。子どもを生きて産ませるしかない。
「エアリア、船にスウィーヴがある。もってきて、煎じろ。おかみさんは、湯をたくさん沸かしてくれ」
 スウィーヴは貴重な解毒の薬草だ。どの国でも王族にしか使用を許されていない。ふたりがすぐに出て行った。
「イージェン、ほっといて、産みたくない!」
 マレラが叫んだ。イージェンがマレラの頬を叩いた。
「あっ!」
 唇から血を流し、身体をびくびくと震わせた。気絶していた。
「いったいなんで急に…」
 ズロースを脱がし、夜着を捲り上げた。両手を光らせた。両膝を立てさせ、左の手のひらは膨れた腹に、右手はマレラの股の間に手を入れた。
「これしかない!」
 もうほとんど子どもの鼓動が感じられない。光る右手がずうっと股の間に入っていく。膣口と産道を広げ、奥の方の入り口をこじ開けた。子どもの頭に触れた。腹の水が出てくる。ぐいっと腹を押した。
「でてこい!」
 マレラが意識を取り戻した。
「ああっーっ!」
 産道が急激に広がったため、壁が破れ、血を噴き出した。イージェンが腕も輝かせた。マレラがされていることに気づいて悲鳴を上げた。
「いやーっ!いやーぁあああぁ!」
 部屋の外で心配そうに固まっていたラウドはじめみんなが驚いた。
「どうしたんだ、イージェン!」
 ラウドが扉を叩いた。ずっと悲鳴が続いている。ヴァンとイリィが手を貸して村長や妻たちと湯を沸かしていた。
 イージェンが右手で子どもの頭を掴んで、ぐいっと腹を押した。
「ぎぁあっ!」
 マレラがビクンと背中を逸らした。
「産みたくないだと!この子は生まれたいと言ってるぞ!」
 掴んだ頭から伝わる脈動、脳はすでに意識を持っている。
「おまえがいらないなら、俺がもらう!」
 子どもを引っ張り出した。マレラの身体を破って出てきた。子どもの血に塗れた身体は青黒く、毒が回っている。イージェンが子どもの口に指を突っ込んだ。指の先から魔力があふれ出て、子どもの身体の中に広がった。身体から青黒さが消えていった。
「ンギャァーッ!ンギャァー!」
 息を吹き返し、泣き出した。
「早く湯をもってこい!」
 イージェンが怒鳴った。村長の妻があわててたらいを持って来て、娘らしき若い女が湯を運びこんだ。イージェンがはさみを持ってこさせて、へその緒を切った。村長の妻がよい湯加減にして産湯につからせた。
 ようやくエアリアが戻ってきたので、スウィーヴを煎じさせた。
 イージェンが腹を押しながら中のものを掻き出した。マレラは意識が朦朧としているようだった。薬を煎じてきたエアリアは、血と腹の中のものが気持ちが悪くて、震えて目を伏せた。
「なにしてる、早く手伝え」
 なんとか顔を向けた。
「マレラにスウィーヴを飲ませて、胸をさすれ」
 村長の妻にこっちにも湯を持ってくるように言った。エアリアがスプーンを口元に持っていったが、飲まずにこぼれてしまった。
「口移ししろ、早く飲ませないと」
 エアリアが口に含み、マレラの唇の間から注いだ。魔力を集中した手で胸元をさすってやる。
「うっ…」
 何回かに分けて飲ませた。イージェンは腹の中のものを布で包んで片付け、湯で絞った手ぬぐいで血を拭いてやった。魔力で傷はほとんど塞がっていた。
 スウィーヴが効いてきてから、別の薬湯を飲ませた。少し落ち着いてきたのか、マレラが大きなため息をついた。
「マレラ、無茶したが、おまえが悪いんだぞ。もう少しで子どももおまえも死ぬところだった」
 こんなに大きくなってから使う薬ではない。自殺のようなものだ。遠くから赤ん坊が泣く声が聞こえてきた。マレラが探すように手を差し出して起き上がろうとした。
「赤ちゃん…赤ちゃんは…」
 イージェンが首を振った。
「おまえはいらないんだろう。俺がもらう」
 マレラが顔を手でおおい、頭を振って泣き叫んだ。
「わたしの赤ちゃんよ!誰にもあげたくない!だから、わたしの手で殺そうと思ったのよ!」
 根が明るく屈託のない女だったはずだ。それがこんな気が変になったもののようなことを言うとは。イージェンが動揺した。
「…なんで、なんでそんなこと…」
エアリアがそっとイージェンの袖を引き、部屋の外に連れ出した。もしや知らないのかもと声を低くして言ってみた。
「…師匠、魔導師は結婚を許されていません。もし子どもが産まれてしまったら、特級ならば学院で育てますが、普通の子なら、どこかに養子に出さないといけないんです」
 学院で育てることになっても親子の名乗りはできないのだ。
「そんな…知らなかった」
 記録を手繰った。確かにそのように決まりがあった。一度でも書物で読んだことがあれば、覚えているのだが、そうでなければ、意識して記録を手繰らなければ、わからない。学院の決まりについての書物はまだ読んでいないのだ。
「ダルウェルは何も言わなかった。喜んでカーティアの学院長を引き受けると言っていたから、何の問題もないと思ってた」
 エアリアが扉に目をやった。
「ダルウェル様は師匠を手助けしたいから、我慢しようと思ったのでは…」
 イージェンが両手で仮面を覆った。肩が震えていた。
「悪いことをした。ダルウェルも言ってくれればよかったのに」
 村長の妻が子どもを抱えて近づいてきた。
「大魔導師様、乳を飲ませてやらないと」
 すっかりきれいになった赤ん坊は口元をふにふにと動かしている。イージェンがそっと受け取った。腕に伝わってくる脈動。暖かく、心地よい。いとおしいもの。そのいとおしさはかつて腕にしたことのある懐かしいものだった。
「…かわいい…」
 エアリアが優しい目で赤ん坊を見た。イージェンがエアリアに渡した。エアリアが戸惑いながら、おそるおそる抱いた。
「マレラに乳をやるように言え。後でダルウェルと話し合って、悪いようにはしないからと安心させてやれ」
 エアリアがうなずき、村長の妻と部屋に入った。ずっと泣き続けていたマレラが、赤ん坊を抱かせてもらって、エアリアからイージェンの伝言を聞き、今度はほっとして泣き出した。村長の妻が早く乳をやるよう言った。
「そんなに泣くと乳の出が悪くなりますよ」
 白湯を持ってくると出て行った。マレラが乳首を含ませた。赤ん坊は勢いよく吸い出した。吸われるたびに、母としての情があふれるように沸いてきた。やっぱりよそにやりたくない。
 魔導師は父も母も知らない。それが当たり前だった。だが、『野』に下り、民の中で生活していくうちに、親がいて子がいて、そういう生活の方が当たり前のことで、よいものだと思えてきたのだ。もう学院には戻れないだろうとふたりで話し合い、正式な婚姻ではないが、所帯を持った。でも、子どもが出来たとき、なかなか言えなかった。ダルウェルが、学院に戻って仕事がしたいと思っているのは痛いほどわかっていた。もしかしたら、やはり、子どもは産むなと言われるのではないかと思った。怖かったが、思い切って言ったとき、ダルウェルは飛び上がって喜んでくれた。うれしくて幸せだった。この生活がずっと続くと思っていた。
イージェンが大魔導師になったという伝書が届いたときも少しも不安ではなかった。復帰するなど考えもしていなかったのだ。だから、よけい衝撃的で錯乱してしまった。腕の中の子どもを見て、早まったことにならず、よかったと思った。


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