すぐにルキアスたちに追いついた。上空から追いかけていく。途中ひどく細い路になってきた。もうすぐ完全に日が落ちる。慎重に進んでその場所を越えてしまった。 「なかなかやるな」 ふたたび馬は速度を上げていく。 『耳』に声が届いた。 「このまま連れて行ってくれるのか!?」 ルキアスが連れ出した虜囚は、女だった。 「王都までは無理です!将軍閣下のところに連れて行きます!」 ルキアスの声がすっかり男の声になっている。やがて前方に赤々と点っているかがり火が見えてきた。その手前で馬の速度を落とし、ゆっくりと歩み出した。簡単な丸太の門が出来ていて、その前の番兵が槍を突き出してきた。 「停まれ、所属と用件は?!」 ルキアスが馬を停めた。 「コンツァル部隊の第十兵士長ルキアス、グリエル将軍閣下に至急のお取次ぎを願いたい」 兵士長ということは、十五人の部下を持っていることになる。十七でたいした出世だ。 「指令書は持っているのか」 ルキアスが首を振ると、番兵が槍を突き出して追い返そうとした。 「指令書もなく、取り次げるか!さっさと帰れ」 ルキアスは一度馬の鼻を回して遠ざかったが、急に反転した。ガガッガガッと走らせて、あわてて交差させた槍を剣で跳ね飛ばして、そのまま門の中に突っ込んだ。 「なんて無茶を」 中でも兵士たちが大勢出てきて、取り囲んで、馬も足を止めざるを得なかった。 「なんだ、この騒ぎは」 指令小屋らしきところから、将の軍装の男が出てきた。 「レガト様!」 ルキアスが馬から下りて手綱を握ったままお辞儀した。 「ルキアスか、どうした」 ルキアスがちらっと馬上のものを振り返り、それからふところから書面を出して、レガトという男に渡した。 「このものが、関門を越えようとしたので、捕らえたところ、それを持っていました、ところがコンツァル部隊長が…」 レガトが近づき書面を広げた。ルキアスがレガトの耳元でなにごとかつぶやいた。 「なにっ」 レガトが馬上を見上げた。そのものは、布を被って顔を伏せていた。 「閣下にお見せしよう、そのものをこちらへ」 ルキアスが馬から下りるのに手を貸した。すとっと身軽く降り立ち、レガトがうながした後に付いていった。ルキアスが馬を兵士のひとりに預けて続いた。 ダルウェルがその様子を屋根の上から見ていたが、裏手に移り、指令小屋の中をうかがった。 司令室の大きめの机の奥に深緑の将の軍服を着た男が立っていた。奥の壁に掛かっている地図を見上げていたが、レガトたちが入ってきたので振り向いた。 「閣下、ルキアスが、イリン=エルンの特使を連れてまいりました」 レガトに続いて、ルキアスも胸に手を当てて頭を下げた。 「ルキアスか、リタースの戦いのとき以来だな」 グリエル将軍、かつて国王直属の部隊『無敵の牙』で幾多の戦功を上げた勇将であり、国王の親友でもある。名前を覚えてもらえているほどのなにか特別なことがあったのだろう。 「イリン=エルンの特使とは、騙るにしても大胆だな」 グリエルが近づいてきた。茶色の豊かな顎鬚と太い眉の堂々たる強面だ。レガトが書面をグリエルに渡した。 「なぜコンツァルが連れてこない」 書面を広げながら尋ねた。レガトが振り返って特使と名乗るものを見た。片膝を付いて顔を伏せている。 「コンツァルの手癖の悪さはご存知かと」 グリエルが書面を丸めて、レガトに返した。 「お立ち下さい、ティセア様」 ティセアと呼ばれたものが立ち上がり、布を肩に落とした。輝く月のごとき銀色の髪が流れ落ち、青い瞳と艶やかな唇の見目麗しい顔が現われた。 …ティセア姫だって?! 外からうかがっていたダルウェルは声が漏れそうになるのを押さえた。 「イリン=エルン王のご側室が特使とは」 グリエルが腕を組んで、ティセアを見下ろした。ティセアがふところから別の書面をちらっと出した。 「もう一通、ウティレ=ユハニ王に直接渡すよう、託された伝書がある。王都に行きたいのだ、通してほしい」 グリエルが目をつぶって考えてから、目を開けた。 「その伝書の中身は大方想像はつくが、あなたはそれを承知で行かれるか」 ティセアが苦渋に満ちた顔を伏せたが、すぐにグリエルを見上げた。 「わかっている!なにもかも承知だ。それでも行かなくてはならないのだ!」 だが、グリエルは首を振った。 「残念だが、すでに開戦の日取りも決まっている。今更あなたが行っても戦争は回避できない」 ティセアが顔を伏せた。 「むしろ、あなたがイリン=エルン王のために身を投げ出すことを知れば、わが王の怒りが増すことになる」 ティセアがきっと目を吊り上げた顔を上げた。 「わたしはイリン=エルン王のために行くのではない、幼い王太子殿下のために…」 唇を震わせた。グリエルが従兵に茶を持ってくるよう言いつけた。 「レガト、ルキアスはコンツァル部隊に戻らなくてもよいよう手続きしろ。おまえの直属に」 レガトは副官のようだ。こんなに出世したのでは、カーティアに連れて行こうしても嫌がるかもしれない。ルキアスがひざまずいた。 「ありがとうございます、閣下」 ふたりが下がろうとしたとき、ティセアがルキアスをとめた。 「ありがとう、助かった」 ルキアスが深く頭を下げて出て行った。従兵が茶を持ってきた。椅子に座るようすすめ、自分も座って、茶椀を渡した。ティセアが受け取り、口を付けた。 「ティセア様、わたしを覚えておいでか」 ティセアがうなずいた。 「ウティレ=ユハニ王の使者として来訪してきた…」 かつて、ラスタ・ファ・グルアの領主に、ウティレ=ユハニ王の求婚の書を届けに行った。キリオスに丁重に断られたが、その人柄に感心した。グリエルがゆっくりと茶を飲んだ。 「あなたのお父上のことは尊敬していた。誇り高く自治を守り、ヴラド・ヴ・ラシスに金を積まれても決して屈しなかった」 ティセアが父を思い出して泣きそうになった。茶を飲み干したグリエルが自分で継ぎ足して続けた。 「実を言えば、わが王は今だにあなたに未練がある。だが、それで矛先を鈍らせるようなことは決してない。黒狼王の名は伊達ではない」 ティセアが茶碗を机に置いた。 「わたしも無駄だと言った。それでも、王太子殿下のお命を守るためと言われ…」 途中まで特級魔導師が送ってきたのだが、国境を越えたところで、置いて帰ってしまった。グリエルが髭を摘んだ。 「あの噂はまことということか、王太子があなたの腹の子であるとのこと」 今年七つになる王太子は、利発で元気がよく、国王夫妻には似ていない美しい少年だという。ティセアは返事をしなかったが、それは肯定ということだ。 「ティセア様」 ティセアが顔を上げて、グリエルを見つめた。 「あなたは、王都には到着しなかった。そして伝書もわが王は受け取らなかった。だが、あなた自身も途中でなにごとかあったらしく、イリン=エルンにも戻れなかった」 グリエルがふところの伝書を渡すよう手を向けた。 「わたしの離邸がカルダス州にある。ルキアスに送らせよう」 身を隠せというのだ。ティセアは首を振った。自分だけが戦争から逃れるわけにはいかない。幼い王太子を置いて。それくらいなら、剣を持って戦うつもりだ。 グリエルが失礼と言いながら、ティセアのふところに手を入れた。 「あっ」 防ごうとしたティセアの手を強い力で止め、伝書を奪い取った。その伝書に附記をつけ、密書用の箱に入れて、封印した。国王宛なので、他のものは開けられない。 すぐ外に控えていたレガトを呼んだ。密書を至急に届けるよう言いつけた。ティセアを離邸で預かるよう侍従長に伝書を書いて渡した。 「ルキアスに送らせよう」 レガトが胸に手を置いた。 「それがいいでしょう。先鋒隊で働きたかったようですが、コンツァルには従わないでしょうから」 ルキアスは軍紀のゆるいコンツァルが嫌いだったのだ。 「ふむ。ガーランド出身だったな、もう少し様子を見て、ものになりそうなら、おまえのように俺の養子にするか、そうすれば正規軍に入れる」 レガトがこくっとうなずいて、密書の箱と伝書を受け取った。 「こちらで少しお待ち下さい」 ティセアにお辞儀をして、出ていった。
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