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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第133回   イージェンと黒狼王《リュドヴィク・ウティレ=ユハニ》(1)
 イージェンは、ナルヴィク高地の東側に広がる草原を走っていた。やや曇っている夜空には、小さな二の月が見え隠れしている。前方に野生の牛の群が眠っていた。その側に立ち、首と背中の間当たりを切り、血を掠め取って、傷を塞いだ。おとなとこどもの何頭か採取して、東の崖に向かった。
 東の崖の途中から、地下水が流れ落ちている。アンダール・ファソール滝だ。イージェンは切り立った壁状の崖に沿って降りていき、滝をさかのぼった。激しい水の流れに逆らい、登って行く。途中で大きなドーム状の空間に出た。天井や壁のあちこちから地下水が集まってきて、ここから滝口まで流れていくのだ。イージェンはいくつか流れ込んできている地下水を調べた。その後、イージェンは地下水の溜りに手を差し入れた。差し入れた手から光が溢れてきた。光は溜り一杯に広がり、ドーム全体に満ちていった。
 滝を下り、外に出ると、夜明けだった。曇り空で、弱い朝の光が高地に差し込んできていた。
 ル・ダリス村の集会所に戻った。ダルウェルはすでに出かけていて、エアリアは帰ってこなかったようだった。終日村人を調べた。結局、翌日の午前中までかかった。
 エアリアは帰ってきてから、言われたように植物から汁を絞って皿に入れていき、イージェンが調べる用意をした。夜中じゅうかかって、採取してきた植物の調べを終えた。ダルウェルの採取してきた土壌と湧き水は、村人の調べが終わった後、丹念に行われ、三日目にようやく完了した。

 疲れなど感じないはずだが、気持ち的な疲労は感じていた。
「おまえたちもさすがに疲れただろう」
 この後、地下に向かわなければならない。その前に出来るだけ調べた結果をまとめなければならなかった。
 作りの悪い椅子に座っていたダルウェルが天井を仰いで大きく吐息をついた。
「ああ、さすがにな」
 黙々と手伝っていたエアリアは平気な顔をしていた。
「エアリア、回ってみて、何か感じたか」
 少し考えてから答えた。
「できれば秋にもう一度調査したほうがいいと思います。果実や木の実がどうか。それと、要所にヴィオ草を植えるとよいのでは」
 ヴィオ草は紫色の小さな花だが、かつて『瘴気』の汚毒を色変わりで教えると言われていたが、今ではほとんど見かけられないものだ。
「ヴィオ草か、しかし、この大陸で見かけたことはなかったな。ガーランドの学院に種が残っているか?」
 ダルウェルが首を振った。
「エスヴェルンの学院には種があります」
 エアリアが育てたことはないがと言った。
「調査結果の解析をしてからになるが、必要ならば、種まきにくるか」
「たしか、ヴィオ草の種まき時期は秋です。いずれにしても秋にもう一度来ましょう」
 イージェンがそのようにしようと決めた。そんな悠長に回ってこられるかどうかはわからなかったが。
ダルウェルが明日ルキアスを連れ戻しに出発するのでマレラに断ってくると船に戻った。
「おまえも船で休め」
 イージェンが勧めたが、エアリアは首を振った。
「師匠(せんせい)、この地下に…ほんとうにあるのですか…」
 エアリアが急に身震いした。イージェンが仮面を伏せた。
「ああ、恐ろしいか」
 エアリアがうなずいた。
「俺も恐ろしい。それもここだけでないというのがな」
 イージェンが立ち上がって、集会所の外に出た。エアリアが後からついていった。
「なぜ、千三百年前、ヴィルトたちは全滅させなかったのか。『おヒトよし』としか思えん、女に泣いて命乞いされて許してしまった」
 ヴィルトの記憶の中のパリス。あのパリス議長の先祖だ。顔つきは似ていた。哀れと思ったのか、それとも。
「ヴィルト様は信じたのでしょう、きちんと約束を守ってくれると」
「マシンナートに『大魔導師』はいない。ずっと『もぐら』に徹するよう、ヒトの意識を操作するものはいないんだ。変わっていくのは当然だろう」
 大魔導師がいなくなって後のテェエルを見ても明らかだ。わずか五十年余りの間の変わりよう。しかも、いくら自分が大魔導師になったとはいえ、この世代の学院に以前のヴィルトたちのような影響を及ぼすのは容易ではない。代替わりするのを待つしかないのか。
しばらく黙って歩いていく。村はすでに眠りの中だった。ほとんど灯りもなく、曇っているので、星明りもない。暗闇の中だったが、ふたりには昼間と同じように見えるのだ。
「サリュースにも調査の手伝いをさせたかったんだがな」
 村のはずれに大きな硬い木があった。その木を見上げた。
「あいつは視野が狭すぎる。エスヴェルンが守れればそれでいいと思ってる」
 エアリアは、サリュースが今だにイージェンを嫌っていることが信じられなかった。災厄と呼ぶなんてあまりにひどい。
「それならそれでもいい、俺とおまえがエスヴェルンに気を遣わないでいいくらい、しっかりやってくれればな」
 やはり船で休むようにというと、集会所でいいと言い出した。
「床に寝るしかないぞ」
 戻りながらイージェンは、沈み行く二の月を目で追った。

 『空の船』に戻ったダルウェルは、湯を使って身を拭った。うっかりしていたが、マレラは、村長の家に行っていたのだ。出発するときに言えばいいかとベッドに横になった。それよりも、カーティアの学院長に就任することになったと言わなくてはならなかった。
「あいつ、すんなり納得するだろうか」
 腹の子が女の子であるというのはわかっているが、素子であるかどうかはわからない。素子ならば手元で育てられるが、それでも親子と名乗るわけにはいかない。普通の子どもなら、養子に出さなくてはならない。
「イージェン…これは、けっこうきついぞ」
 子どもが出来たことを後悔したくはなかったが、つらい別れになることは間違いなかった。
 朝、下の村に降りた。厨房の隅で、朝飯を少しもらった。
「ルキアスを迎えに行ってくる。一緒に連れて行くから」
 マレラがきょとんと首を傾げた。
「連れて行くって?」
 ダルウェルが厨房の裏に連れていった。
「イージェンが、俺がカーティアの学院長に就任することを総会で認めさせた。ルキアスも連れて行く」
 カーティアの学院がマシンナートに全滅させられて、再編しなければならなくなったと説明した。後でゆっくり議事録と附記を読むように渡した。
「おまえも副学院長として就任することになっている」
 マレラが議事録を握り締めてぶるぶる震えた。
「それって…それって…」
 もう学院に戻ることはないと思っていた。だから、所帯を持ったのだ。
「いやっ!」
 議事録を叩きつけようとした。ダルウェルがその手を押さえた。
「断って!断ってください!」
 身体を振って叫んだ。ダルウェルが両肩を掴んで目を見据えた。
「俺は喜んで引き受けたぞ。断るなんて微塵も考えなかった。いいか、よく聞け」
 マレラがぼろぼろ涙を零した。
「わかるだろうが、イージェンに味方するやつは少ない、友だちの俺たちがまっさきに手伝ってやらなくて、どうするんだ」
 抱き寄せた。マレラが声を上げて泣いた。
「イージェンを恨むな。働く場を与えてくれた。感謝しよう」
 マレラはダルウェルの腕の中でひたすら首を振り続けていた。

 リィイヴはまず馬に乗ることから苦労していた。鐙(あぶみ)に足をかけ、鞍を掴んで飛び乗るのだが、あまり体重はないはずなのに、なかなか上がらなかった。どうも足をかける鐙の位置がこの前よりも高い。横に立っているラウドがいらいらしているのではないかとちらっと見た。だが、ラウドはいらだっている様子はなかった。近寄ってきて、鞍の一番上の皮をめくって、鐙の紐を少し引いた。左側の鐙が足をかけやすいところまで下がってきた。
「こうすればいいが、この乗り方だと、急いでいるとき困るぞ」
 逆側から引っ張って元の位置にもどした。左手に手綱を持たせ、その手でたてがみをしっかり巻きつけさせた。右手で鞍の前の部分を掴ませた。
「これで、ぐっと馬を自分の方にひきつけながら、馬の横腹に飛びつけ」
 言われたように腕の力をせいいっぱい使って、横腹に飛びついた。ラウドがリィイヴの右足を握り、馬の反対側に跳ね上げた。その拍子にリィイヴの身体がストンと鞍の上に乗っていた。
「それでいい、それから鐙に足をかけるんだ」
 何度かやっているうちにできるようになってきた。それからゆっくりと歩く練習をした。最初と同じようにラウドは熱心に丁寧に教えてくれた。何度も落馬し、なかなかできないときも怒ることはなかった。てっきり、ビシビシとやられるのかと思っていたので、ほっとした反面、ラウドがどれほどよい性質かあらためて思い知った。
イージェンたちの調査は、あと二日はかかると連絡が来た。


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