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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第130回   イージェンと混乱の大陸《キロン=グンド》(4)
 ナルヴィク高地地域に到着したのは、翌日の朝だった。イージェンたち魔導師とリィイヴはずっと部屋に篭って調査の打ち合わせをしていたようだった。朝はイリィとヴァンが朝飯を作った。とはいえ、昨日の残りものを温め、エアリアが作ってくれていたパンで済ました。
「申し訳ないです、こんな残り物で」
 ラウドが頭を下げると、アヴィオスが首を振った。
「とんでもない、十分だ。あまり俺に気を遣わなくていいから」
実のところ、あまりにラウドが上にも下にも置かない対応をするので、申し訳なく思っているのだ。夕べもずっと側から離れないし、そんなになつかれると、離れ難くなってしまうので、うれしい反面困ってもいた。
 食事の後片付けをラウドとアヴィオスでやった。アヴィオスは子どものころはよくやっていたと懐かしげに皿を洗った。
「母のいた離邸には、従者も侍女も少なかったので、けっこうこまごましたこともやったな」
 ほとんどは王宮でアランテンスの教導を受けていたが、しばしば母のいる離邸で過ごしていたという。
「母君はいくつのときになくなられたんですか」
 ラウドの母はラウドがふたつの時に亡くなった。
「俺が八つのときだ。いつも空を眺めて悲しそうな顔をしていた」
 二十歳にもならない短い人生だったのだ。しかも仲間から離れてひとりぼっちで、湖の中島に軟禁されて。
 片付けがほぼ終わったころ、イリィがやってきた。
「殿下、到着しました。すごい眺めですよ」
 甲板に出てみて、その壮大な眺めに驚いた。
「これは、たしかにすごい」
 アヴィオスが感嘆した。
眼下には広々とした緑野の平原の中に、テーブル状の台地が三つそそり立っている。その台地の上は深い緑の森が乗っていて、切り立つ崖の荒々しい岩肌との対比が鮮やかだった。崖はおよそニ〇〇〇カーセルほどの高さがあり、その台地のひとつの中央が黒っぽい岩に覆われていた。
「あれがイージェンが覆ったところか」
 ラウドがつぶやいた。エスヴェルン王宮の二倍くらいの広さか、恐ろしいほどの魔力だ。しかも大魔導師を継ぐ前だったのに。かつて無謀なことに、エアリアとふたりではむかったことを思い出した。
「手加減してくれていたのだな」
 エアリアのことも本気で殺そうと思ったら、おそらく瞬く間のことだったろう。
 船は緩やかに降下していく。地上から小さな黒い影が飛んできた。
「あれは?」
ラウドが目を凝らした。その影は、甲板に降り立った。と思ったが、降り立つと同時に足を滑らせ、ドシンと尻を付いた。
「あいたたっ!」
 尻を擦りながら、顔を上げた。灰色の外套で丸っこい身体を包んでいる女だった。飛んでくるからには魔導師だ。
「おい、なんて無茶するんだ!」
 後ろからダルウェルが文字通りすっ飛んできた。
「師匠(せんせい)!」
 女が立ち上がりかけて、また腰を降ろした。ダルウェルが青くなって女の周りをぐるぐる巡り出した。
「お、おい、大丈夫なのか、まさか、痛むのか」
 女が茶色の短い髪で囲まれたふっくらとした頬で笑った。
「やっぱり、空を飛ぶのはしんどいです、すぐ下から上がってくるので精一杯」
 ダルウェルがほっとして肩でため息をついた。
「おどかすな」
 ラウドとアヴィオスが唖然として見ているのに気づき、あわてて女の頭を押さえて、お辞儀をさせた。
「大変失礼を!これは不肖の弟子マレラです」
 むっとしたマレラがダルウェルの頭を押さえつけようとした。
「いずれの御方たちか存じませんが、これが学院長を罷免されたろくでなしの師匠でございます」
 押さえつけた手を掴んだダルウェルが必死に小声でたしなめた。
「こちらはエスヴェルンの王太子殿下とセラディムの王弟様なんだぞ」
 マレラが見上げて固まった。苦笑しているふたりを見て、あわてて頭を下げた。
「失礼いたしました!お許しを」
 手を付いて額をつけようとしたとき、横にごろっと転がってしまった。
「なにやってるんだ」
 恥ずかしくて顔を赤くしたダルウェルが抱き起こした。大きな腹が突っかかってしまったのだ。
「無理して最敬礼しなくていいから」
 ラウドが笑った。マレラが頭を下げた。
「ありがとうございます、ガーランドの魔導師マレラです」
 楽にするようラウドが言った。ダルウェルが手を貸して立たせた。
「秋口予定にしては腹がおおきすぎないか」
 船室からイージェンが出てきた。マレラが声もなくよろよろとイージェンに近づいて、その灰色の仮面を穴があくほど見つめた。
「ほんとうに…イージェンなの…」
 仮面の顎が引かれた。マレラが唇を噛んだ。
「なんて、立派に…」
 そう言いながら、袖口で目元を押さえた。
「あの口が悪くて、手癖が悪くて、乱暴で、覗きばっかりしてた粗忽ものが、大魔導師様の後継者だなんて」
 ラウドとアヴィオスが顔を強張らせて、肩を引いた。ダルウェルがおろおろとイージェンとマレラを交互に見た。イージェンがふてぶてしげに言った。
「粗忽ものとはなんだ、おまえこそ、ぜったい師匠となんか一緒にならんと言ったくせに、なんだ、その腹は」
 マレラが真っ赤になって腰に手を当て、仮面を下からにらみつけた。
「あなたがそそのかしたんだろ、このろくでなし師匠を」
 ダルウェルがふたりの間に入って、止めた。
「もうやめやめ、殿下たちの前で恥ずかしいぞ!」
「フン!」
 イージェンとマレラが同時にそっぽを向いた。だが、すぐに見合った。マレラが嬉しそうな、それでいて寂しそうな笑みを浮かべた。
「こんなに立派になって、大師匠(だいせんせい)、きっとお喜びになってるよ」
「ああ」
 イージェンがマレラを抱きしめた。
「いい子を産めよ」
 涙顔でマレラがうんうんと何度もうなずいた。ダルウェルがやれやれという顔で腕で額を拭った。
 降下した船は、ナルヴィク高地の隣ザカ高地の端の上空に停留した。
「ル・ダリス村の村長に言いつけて、災厄の後、外に出ていったものたちも呼び寄せるよう言ってあるけど、来るのには何日か、かかるそうだよ。それと、リンザー学院長から伝書が来てる、師匠に渡してくれって」
 リンザーとは、クザヴィエ王国の学院長だ。受け取ったダルウェルが、読んでからイージェンに渡した。
「まずいな、イリン=エルンの国王が危篤だ。このままだとウティレ=ユハニが攻め込む」
 イージェンが受け取った。
「ディ・ネルデール自治州がたやすく落ちるとは思えんが」
「自治保守を条件にウティレ=ユハニ軍を通すってのもあるぞ」
 イージェンが読み終わると、伝書が煙のように消えた。
「ジェトゥが回避したければ、なにか工作するだろう。そっちはほおっておけ。今は調査が先だ」
 マレラが目配せしながらダルウェルを肘でつついた。ダルウェルが困っていたが、膝を軽く叩いて口を開いた。
「イージェン、イリン=エルンが攻め込まれたら、今の状態ならほぼ負ける。そうしたら、おそらく王族は皆殺しだ。王太子殿下はもちろん、国王の側室も」
 イージェンが仮面の顎に手を当てた。
「それが王族の宿命だ。そんなことになる前になんとかできなければ、さだめに従うしかない」
 マレラが何か言おうとしたのをダルウェルが止めた。
イージェンが急に指先でマレラの腹に触れた。マレラが顔を赤くした。
「双子でもないのに、大きすぎないか」
 マレラがきょとんとしてイージェンを見つめた。
「そんなでも…来月産まれるのだし」
 ダルウェルがのけぞった。
「ら、来月!?だ、だって、出来たって言ったのは、二の月じゃないか、あのとき『みつき』くらいだったんじゃ」
 マレラが恥ずかしそうに顔を逸らした。
「なかなか言えなくて…あのときもう、『ななつき』で…」
 イージェンが呆れて額に指を当てた。
「いつ身ごもったか、わからないほうがおかしい」
 だいたい、触れれば鼓動を感じる。身ごもっているかどうかはすぐにわかるはず。鈍いにもほどがある。ダルウェルが申し訳なさそうに頭をかいた。
「いやぁ、こいつはもとからぶくぶく太ってたから、さっぱりわからんかった」
 マレラの鉄拳がダルウェルの後頭部に飛んだ。
 マレラを迎えに行く必要がなくなったので、ダルウェルも調査に加わることになった。他のものたちは、ザカ高地の村に降りて、乗馬の練習をすることになった。その地区の警邏隊の馬を二頭貸してもらうことになった。
その村イサンはかつてイージェンたちが災厄のときに尽力してくれたことに感謝し、また、力を貸してくれた村だった。今回、イージェンが大魔導師となって帰ってきたことを喜び、『空の船』の停留を誇りに思うと歓迎してくれた。
 イージェンたちはナルヴィク高地に向かった。


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