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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第13回   セレンと灼熱の魔導師(2)
 五の大陸トゥル=ナチヤは、三千年前紀元当時七つの小国に分かれていたが、今は三つの国に統合されていた。その一つ、北の地方国カンダオンの若き魔導師フレグは、真義と秩序を守り質実勤勉に奉仕することが本質とされる魔導師の中にあっては、珍しく俗物だった。わずかとはいえ魔力を持つため、特級魔導師(魔力を持つ魔導師のこと)としての優遇が、もともと傲慢な性格の彼を驕らせていた。貴族や金持ちたちは国政に影響力のあるフレグに金品を寄与し、自分たちに有利な発言をしてもらっていた。そうした腐敗分子から夜毎もてなしを受け、婦女と遊んでいた。カンダオンの学院には魔力を持つものがほとんどいないため、フレグ程度のものでも我が物顔に振舞えたのである。しかも、世辞に長けた彼は世渡りもうまく、いずれ学院長になるのではと言われていた。そんな彼があることから転落し破滅していくことになる。

 この大陸のみならず、全大陸において信仰されているグルキシャル、その勢力は今はかなり衰えていた。しかし、カンダオンの王都には、今だに信者が巡礼に訪れるグルキシャルの聖地があった。その昔、美しい声を持つ聖巫女がその聖地に神殿を建て、聖なる言葉を歌いながら、人々を癒していた。以降その声を継承する聖巫女が代々仕えていた。この時、聖巫女となっていたのは、長い黒髪と黒い瞳が美しい年のころは十七、八の少女クトだった。信者たちは、クトの神々しさと美しい歌声に心癒されていた。
 ある時、フレグは、神殿の神官たちに聖巫女の歌を聞きに来てほしいと招聘された。神官たちは、年々信者からの寄進が減っていて、暮らし向きが苦しいので、なんとか国王に掛け合ってもらい、王室の寄進を得ようとしたのだ。フレグが口添えすれば、おそらく叶うであろうと考えた。
 ところが、フレグはクトの聖なる歌声よりも美しい容姿に魅了されてしまった。そして、その欲望を抑えきれず、神殿でクトを汚してしまう。神官たちもさすがにそこまでのことを想定していなかったため、恐慌状態となった。勢力が衰えたとはいえ、聖地でしかも聖巫女を汚すという破廉恥な行為をしたフレグを学院としても王国としても許すことはできなかった。
 クトは生きながら神殿地下の壁に塗り込められ、フレグも処刑されることになった。フレグは魔力を使い、捕縛から逃れ、クトを連れて逃げた。国内にはどこにも行くところがなく、国を出ることになった。だが、戦争状態であっても、学院同士は緊急事態の際の密路を持っていて、意思の疎通を図ることができた。フレグとクトのことは大陸内の全ての国に伝達され、見つかれば捕まり送還されることになった。そのため、山や森に隠れ住み、日々を凌いでいた。
 やがて、クトは双子を産み落とす。ウルヴとイージェンの男の双子である。ただでさえまともに働いたことのないふたりが、異国でしかも双子を抱えては食べていくこともままならなかった。フレグは赤ん坊を抱えたクトに歌を歌わせようとしたが、汚された身では、以前のような癒しの力はなかった。ただの物乞い女でしかなかった。クトは荒んでしまったフレグの暴力にただ耐え、双子を懸命に育てた。すくすくとはいかなかったが、双子はなんとか成長していた。

 草の根をかじり泥水をすするような流浪の旅の中で、やってきた西の国は、魔導師がほとんど訪れない辺境だった。フレグはそこで魔術を見世物にし、金を稼ぐことにした。今までは魔導師が巡回してくるのを恐れて術を使うことができなかったのだ。水や火を出して見せたり、物を浮かしてみたりとたいした術ではなかったが、ものめずらしいためそれなりに金を投げてくれた。評判を聞いてその地方の太守が宴会の余興にと呼んだ。太守や宴会の客人たちは、魔術に驚き、大いに拍手して金貨を投げてよこした。太守は昔王都にいったことがあり、そのとき耳にしたことだがと、床に散らばった金貨を拾い集めていたフレグに尋ねた。
「死者を蘇らせる術があると聞いたが、そんなことができるものか」
 フレグも大魔導師級の魔力を持つものしかできない秘術として知っていた。
「…できます、なんならお見せしましょうか」
 太守たちがどよめいた。子どもだましの術でこんなに金を投げてよこすのだ、蘇りの術を見せたら肝を潰して、宝箱ごとよこすかもしれないと思った。準備があるので改めてと言い、青くなって震えているクトを連れて、用意された太守の屋敷の離れに行った。双子が寝た後、クトが恐ろしさのあまり泣き震えた。
「あなた、そんな術が使えるわけが…」
 フレグが鼻先で笑った。
「あんなばかどもの目をくらますくらい、なんてことはない。いいか、これで俺たちもやっと人並みの暮らしができるようになるんだぞ」
 披露の日、フレグはクトの身体に仕掛けをし、準備を整えた。白いローブを着た美しい姿でおののく母にウルヴが無邪気に抱きついた。
「おかあさん…すごくきれい」
 双子は十になっていた。クトが貧しい中でもきちんと読み書き、算術を教えていた。兄のウルヴは泣き虫でいつまでも母の胸で甘えていたが、弟のイージェンはしっかり者で、魚やウサギを狩ったり薬草を取ったりしてそれを売り、小銭を稼いでいた。もちろん父に取り上げられてしまうのだが、それでも生活の足しになるようにとがんばっていた。イージェンが離れの外でひとりでいた父に食って掛かった。
「失敗したらどうするんだよ!ほんとうはそんな術、使えないんだろう!」
 フレグはイージェンを殴った。
「うるさい!俺は大陸一の魔導師だったんだ!このくらいの術わけない!」
 殴られるのはしょっちゅうだった。むしろ殴られない日のほうが少なかった。
 宴会の広間で、美しく装ったクトが現れると太守をはじめ男どもがため息をついた。きちんと髪を結い、ローブを着て紅を引くとまだまだ若さもあり、艶やかさも加わって、いっそう美しく見えた。ウルヴは下を向いて泣いていたが、イージェンは食い入るように見つめていた。フレグが口上を述べ、小ぶりの剣を鞘から抜いた。青白く輝く刃を持った剣で空を切ってみせた。フレグは剣を構えた。震えながら大きく両手を広げたクトの胸に向かって突き出した。おおっとどよめく。
「ああっっ!」
 クトが悲鳴をあげ、観客からも悲鳴が聞こえてきた。剣は深々とクトの胸に刺さった。真っ赤な血が噴出し、白いローブが赤く染まっていく。ほんとうに刺されたのかと思ったウルヴが泣き叫んだ。
「きゃあぁぁぁぁぁぁ!おかあさーん!」
 飛び出そうとするのをイージェンが抑えた。
「おにいちゃん!いっちゃだめだ!」
 クトは床に倒れた。胸に刺さったままの剣。ひざまずいたフレグが引き抜くとさらに血が溢れた。
「おお…」
 返り血を浴びたフレグが太守たちのほうを振り返った。
「さて、わが妻は死にました。これから、この妻を…蘇らせてご覧に入れます」
 剣を鞘に納め、両手をクトの頭のほうからかざしていく。その手のひらから白い霧か靄のようなものが出てきて、クトの身体を覆っていく。足先まですっぽりと覆ってからフレグは立ち上がり、なにやら呪文を唱えた。呪文を唱えるたびにクトを覆う白靄が淡く光る。そして、急に声を高めた。
「蘇れ!わが妻よ!」
 白靄が閃光を放った。靄が散り、クトの姿が現れた。フレグがふたたび膝をつき、クトに呼びかけた。
「わが妻よ…目覚めよ」
 クトはゆっくりと目を開けた。
「おおーっ、生き返った!」
 太守をはじめ客達はみな驚き、拍手や歓声が沸き起こった。ウルヴが喜んでイージェンの腕をゆすった。
「すごいよ、おとうさん、すごい!」
 太守が席を立って近寄ってきた。フレグはクトが立ち上がるのに手を貸し、お辞儀をさせた。
「すごい!こんな奇跡、見られるとは、いや、驚いた!」
 太守がクトをまじまじと見つめる。フレグが真っ赤に染まった胸元を引き裂いた。
「あっ!」
 クトがあわてて腕で隠そうとするのを引き剥がし、むりやり胸をさらした。血染まった二つの美しい乳房が恥ずかしさに震えていた。
「ご覧のとおり、傷も残っておりません」
 太守の目はクトの乳房に吸いつけられていた。その目から逃れようとクトは目をつぶり顔を背けた。太守が太い指を伸ばしてクトの顎を掴み、顔を向けさせた。
「それにしても美しい…」
 なめるようにクトを見た。
 先に部屋に帰された双子は戻ってきたのが父だけだったので、驚いて駆け寄った。
「おかあさんはどうしたの?」
 フレグがウルヴを叩こうとしたので、イージェンがかばった。
「飯食って寝ろ!明日になれば帰ってくる!」
 そういって、テーブルに用意されていた酒を飲み始めた。ウルヴが泣き出した。酒瓶で叩こうとした。イージェンがウルヴの前に立った。
「あんなこと、これっきりにしてくれよ、たくさんお金もらったんだろ!」
 フレグは返事をせず、酒をあおった。イージェンはウルヴをなだめ、部屋の隅で飯を口に運び、横になった。
 朝になり、母が帰ってきた。フレグは酔っ払って寝ていたが、帰ってきたのに気づいた。背中を向けた。クトが泣き崩れ、ひとり眠らずに待っていたイージェンは母に駆け寄って抱きしめた。


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