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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第128回   イージェンと混乱の大陸《キロン=グンド》(2)
 空に飛び上がり、たちまち港街が足元に小さくなっていく。そのまま船に戻るのかと思い、あわてた。
「エアリア、一度降りて」
「どうしました、このまま帰りますよ」
 朝も船から海岸まで一時間は掛かっている。帰りはそれ以上かかるだろう。そこまで我慢できそうになかった。リィイヴが恥ずかしそうに言った。
「用…足したいんだ」
 エアリアが頬を赤くして、海上から陸へ戻ってきて、高い崖の下に下りた。波打ち際だ。肩紐を外して、歩きにくそうに岩の上を遠ざかっていった。エアリアも急にもよおしてきてしまった。術を掛けながら食事しているので、大は出なくなるが、小はどうしても出るのだ。しかたなく、荷物を水のかからないところまで上げ、リィイヴとは反対のほうに向かい、そっとズロースを下げて用を足した。
「エアリア?」
 リィイヴが側に立っていた。見当たらないので探しにきたのだろう。近くに来たのに気が付かなかった。用を足しているところを見られてしまった。
「あ、あの…ごめん」
 リィイヴが背をむけようとした。
「いやっ!」
 エアリアが叫ぶと、身体から風が吹き出た。
「わっ!」
 その風に押され、バシャーンと大きな水音を立てて、リィイヴが海に落ちた。すぐに浮かんでくると思ったが、なかなか浮いてこない。岩場だ。頭でも打ったかも。
 魔力で身を包んで海に飛び込んだ。南の海と違い、冷たい。その冷たさは伝わってくる。見当たらない。
潮に流された?
引き潮になっているので、沖に向かって海水が引いている。水中だと気配を感じにくい。水も濁っている。
…どこ?
探し回ったが、見つからない。
…そんな…そんな。
身体が震えて、魔力の殻が破れた。このままでは、南方海戦のときのようにまた溺れてしまう。急いで岸に上がろうとした。岩を這い上がるようにあがっていく。
「リィイヴさん…ごめんなさ…い…」
 なんて情けない。これで特級?大陸一の魔導師?
 岩を掴む手が震えた。その手を握る手が…。
「エアリア…どうしたの、バリア張ってたら、濡れないはずじゃあ…」
 見上げるとずぶ濡れのリィイヴが手を握って引っ張ろうとしていた。エアリアが、海から上がった。エアリアが顔を崩して泣いた。
「ごめんなさい、突き落としたりして…」
 無事であるとわかって、ほっとした。
「いや、いいんだ、ぼくこそ、ごめんね」
 リィイヴが少し痛そうな顔で腕をさすった。岩で擦れたのだろう、顔も傷だらけになっていた。エアリアが気づいて、腕を取った。
「見せてください」
 血が滲んでいた袖をまくった。擦れた傷がひどい。エアリアが手のひらをかざし、魔力を集中させた。白い光が注がれ、傷が塞がっていく。何度見ても不思議な現象だ。ひりひりとしていたのが、痛くなくなっていく。エアリアが腕を伸ばして、リィイヴの顔に両手を当ててきた。
「い、いいよ」
 リィイヴが避けようとしたが、エアリアはしっかりと頬を手で包んだ。暖かい。ひりひりが消えていく。ようやく手を離した。それにしても、ふたりしてずぶ濡れになったなんて、どう説明すればいいのか。
「服、飛んでいる間に乾くかな…」
「ええ、たぶん…」
 そのとたん、リィイヴが大きなくしゃみをした。肩を抱いて震えている。これで飛んで乾かしたら、風邪を引くこと間違いなしだった。
 荷物を持って崖の上にまで移動した。小枝を集め、火を点けた。
「あなただけでも乾かしましょう」
 リィイヴが服を脱いだ。エアリアが荷物を解き、包んでいた布をもってきた。下までずぶ濡れなので、全部脱いで、布で下だけ隠した。
「風ちょっと出てきたね」
 陸から吹いてきている風が強くなっていた。風から火を防ぐように海に向かって座った。エアリアは服を硬く絞ってからばさばさと振っていた。下穿きも絞ろうとした。
「それはいいよ!」
あわてて取り返した。
 少しずつ身体も温まり、服も乾いてきた。
「遅くなって心配してるよね」
 リィイヴの心配は、ラウドが余計な誤解をするのではないかということだ。
「さっき、薪を集めに行ったときに遣い魔を出しましたから、大丈夫です」
「なんて、書いたの」
 エアリアが目を伏せた。
「わたしがあなたを海に落としてしまったので、服を乾かしてから帰りますって」
 なんてバカ正直に。違う言い訳書けばいいのに。
「なんで海に落としたのか、聞かれるよ」
 エアリアがこくっと首を折った。
 リィイヴがまだ少し痛む足を擦った。
「ぼく、以前死ぬかと思うほどひどい目にあったことがあって、そのとき友だちだと思っていたヒトたちがまわりにいたのだけど、助けようともしてくれなかった。でも、イージェンは、ぼくたちが殺されそうになったとき、自分の命を顧みずに助けようとしてくれた。だから、イージェンを助けて、ぼくの仲間だったヒトたちを死なすことになっても、それでもいいと思ってる」
 ぐっと胸が詰まった。エアリアが顔を上げた。
「君はぼくの質問に答えてくれないけど、それならそれでもいい。殿下も前にぼくと話がしたいといってくれたけど、アダンガルさんが来たから、必要ないかもしれない。でも、この先、君や殿下と仲良くできなくても、ぼくはイージェンの助けになれればそれでいい」
 エアリアが眉を寄せて何かを堪えていた。乾いてきた服をリィイヴに渡した。
「ごめんなさい、わたし、まだまだ修練が足りないんです。だから、しっかりしないとっておもっているのに。それなのに、いつも同じ過ちを繰り返してしまって、師匠に怒られて。リィイヴさんに慰められるとほっとするけど、それではいつまでも自分から甘えが消えないと思って」
 リィイヴが服を着ながら、優しい笑みを浮かべた。
「なんだ、そんなこと…だったら、きちんと言ってくれればいいのに」
 リィイヴがいつものように手を差し伸べた。
「でも、周りがみんなイージェンみたいに厳しく言っても、君が追い詰められるだけじゃないかな。少しは緩めるところもないと」
 思わずその手に手を乗せていた。
 優しい手。
…あのマシンナートはその気だよ。
アートランの声が頭の中で響く。もし引き寄せられたらどうしよう。もし抱きしめられたらどうしよう。
…どきどきしてたじゃないか。
 どきどきしてる。離さなきゃ。
 でも離せない。だが、リィイヴから手を離した。
「片付けて行こうよ」
 エアリアが火を消し、リィイヴが荷物をまとめなおして、背負った。
 『空の船』まではやはり一時(いっとき)以上掛かった。船はほとんど動いていなかったようだった。甲板で荷物を下ろしていると、ヴァンがやってきた。
「どうだった、なんか面白いものとかあったか」
 リィイヴが首を振った。
「疲れてるみたいだな、茶入れてやるよ」
 ヴァンが気を使ってくれた。イージェンとダルウェルがやってきた。
「ただいまかえりました」
 エアリアがイージェンにお辞儀した。イージェンがリィイヴの肩に触れた。
「海に落ちたらしいな、湯を使え」
 了解してヴァンと船室に入った。
「エアリア、おまえは船長室に来い」
 その前にラウドに品物を渡しに行きたいと言い、荷物のひとつを持って小走りに向かった。残りの荷物をダルウェルが中に運んでいく。
「イージェン、エアリア殿をあまりきつく締め上げるなよ、あれは厳しくすればするほど、萎縮するぞ」
「ヴィルトが厳しくしなかったから、あの始末だ」
 ダルウェルがうなった。
「もう少し様子見てやれ、あせる気持ちはわかるが」
 イージェンが黙って空を見上げた。
 エアリアは買ってきた品物を持ってラウドの部屋の戸を叩いた。
「殿下、戻りました」
 だが、しんとして返事がない。中にも気配がなかった。食堂だろうかとのぞきに行ったが、誰もいなかった。
 もしかしたら、アダンガル様のところ?
 ふたりでいるところに入っていくのは、夕べのこともあり、避けたかった。うろうろしているとイージェンが甲板のほうからやって来た。
「なんだ、まだ届けてないのか」
 指先でエアリアの肩に触れた。
「おまえも落ちたのか。だったら、湯を使ってこい」
 うなずいて部屋に戻った。荷物は明日朝に渡せばいいと思いなおした。
湯を沸かし、たらいに入れた。服を脱いで身体を洗った。身体がざわざわして落ち着かない。
帰ってきたのに、出迎えもしてくれなかった。遅くなったのに、心配してくれなかったのだろうか。
あのまま抱きしめられたらと考えるなんて…なんてふしだらな。
だから、抱きしめてもらいたいのに。抱きしめられたら消えるのに。あの声が。
泣きたい。泣いたらだめ?
だめ、だめ。
 懸命に否定して、なんとか身体を洗い終え、着替えて船長室に行った。ダルウェルが茶を入れてくれた。
「まあ、まず座って飲め」
 ダルウェルに言われて茶碗を受け取った。イージェンの向かい側に座って、茶碗を傾けた。ようやく身体が温まってきた。
「エアリア、おまえに二の大陸のことをもう少し詳しく話す」
 イージェンが机の上に二の大陸の地図を広げた。てっきり、リィイヴを突き落としたことを問いただされると思っていたので拍子抜けして、仮面を見つめていた。


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