配膳の手伝いをしていると、背の高い若い男が入ってきた。こんなヒトいたかなとしげしげと見てしまった。 「えっ…と…」 リィイヴに気がついて、男が小さく顎を引いた。リィイヴの後ろからイージェンが声を掛けた。 「おはよう、ずいぶんとすっきりしたな」 「何年ぶりかで髭をそり落とした」 リィイヴがきょとんと目を丸くした。 「アダンガルさん?」 うなずくのを見て、ずいぶん印象が変わるものだと驚いた。髪も少し短く刈ったようだ。 ラウドとイリィが入ってきた。やはりふたりも最初わからなかったらしく、首をかしげてから、ラウドが頬を赤くした。 「兄上、髭剃ったんですか」 いつも座る上席を譲り、向かい側に座った。イリィがひとつ離れた席に座った。イージェンが起き抜けの茶を入れて差し出した。アダンガルがあわてて席を立った。 「大魔導師手ずからとは、恐縮だ」 ラウドが笑った。 「イージェンはなんでもやりますよ、その分、俺たちにもやらせますけど」 イージェンが座るよう手で示したので、アダンガルが腰を降ろし、茶碗を受け取った。イージェンがラウドの横に座った。 ダルウェル、ヴァンが入ってきて、やはりすっきりとしたアダンガルを見て、驚いていた。 「いちおう、あなたは身を隠さなければならないから、少しは人相が変わってちょうどいいだろう。ついでに名前も変えるか」 イージェンが提案すると、アダンガルが少し考えてから言った。 「だったら、アヴィオスと」 イージェンが苦笑した。 「大地の神の名か、まあ、いいだろう、信者でなくてもつける名だ」 グルキシャルの空・地・海の三大神のひとりの名だった。 エアリアは食堂に来なかった。厨房で茶を飲んだようだった。後片付けだけ、ダルウェルとやっていた。 「市場いくんだよな、これ、買ってきてくれないか」 ダルウェルが何か書いた紙と銀貨を渡した。残りで菓子などが買えたら好きにしていいと言ってくれた。 エアリアが着替えをして出てきた。ちょうどヴァンが各部屋の用桶を集めているところだった。いつものすっぽりと身体を覆う魔導師の装束と違っていたので戸惑った。 「あ、えーと、そういうのもいいなぁ…」 エアリアが顔を逸らして首を振った。 「魔導師であることを隠さなければならないので」 ふつうの娘の格好は滅多にしないので、どうも着心地がよくない。ヴァンがためらっていたが、思い切って言った。 「あのな、リィイヴのことなんだけど、なんか、喧嘩でもしたか?」 エアリアが顔を向けてきた。不愉快であるというのがありありとわかる顔だった。ヴァンは尋ねたことを後悔した。 「落ち込んでたみたいなんで…」 エアリアがくるっと背を向けた。 「別に喧嘩なんかしてません」 さっさと行ってしまった。あまりにきつい口調にヴァンがこわばった。 「ふぁ、おっかねぇ…」 各部屋を開けて、用桶を回収した。船底にまで運び、処理し、桶を洗った。イリィが清掃用の水を取りに来た。 「ご苦労さまです、昼からはまた稽古しましょう」 ヴァンが了解と返事をした。 「二の大陸では少し留まるようなので、馬の稽古しましょうか」 ヴァンがぎょっと縮こまった。 「馬は苦手だな、でも乗れないとしかたないか」 イリィが気の毒そうにしながらもうなずいた。 洗い終わった用桶を干しに船尾甲板に上った。気持ちのよい風が吹いていた。 セレンがいなくなってから、リュールがずっと足元にまとわりついていた。今もひっついてきている。クゥンと鳴いているので、抱き上げると、舌を出して、顔を舐めはじめた。バレーでは生きた動物を飼うという習慣はないし、動物に舐められるなどという不衛生なことは考えられないが、ここでは普通のことだ。子どものような、かわいい仕草で和ませてくれるなと頭を撫でた。 「おまえも寂しいよな…」 リュールをぎゅっと抱きしめていたあの娘のことを思い出した。 ラウドとアダンガル改めアヴィオスが各部屋の敷物や掛け物を持ってきた。 「干そうと思って」 手すりに掛け、落ちないよう紐で縛っていく。ラウドはアヴィオスと楽しそうだった。 今朝、アヴィオスの母親がマシンナートだと聞かされて、ひどく驚いた。父親が『王様』だからだろうが、母親がマシンナートでも威厳のある立派な『王子様』になるのだなぁと感心した。 リュールと船首に向かうと、イリィとダルウェルが拭き掃除をしていた。 「まったく、あいつといると、いつも掃除ばっかりだ。どうせ、すぐに汚れるのに」 ダルウェルがぶつぶつと文句を垂れていた。 「いつもって前からなんですか」 イリィが手すりを拭きながら尋ねた。 「ああ、しばらく一緒に暮らしたことがあってな、俺も弟子も王宮にいたころは、テーブルの上を拭くなんてこともしなかったんだ。それがあいつと暮らしてからは、とにかく掃除に片付け、食事の支度、洗濯に用桶の始末、裏庭で野菜作り、水遣り、肥料に手入れ、手を抜くと、殴るんだぞあいつは」 イリィがやってきたヴァンに気づき、顔を見合わせて笑った。 「殴ったのはおまえだけだろう。でも、そのおかげで、マレラとふたり、野に下ってもやってけるんだろうが。感謝しろ」 ダルウェルがぎょっとして見上げた。イージェンがすぐ側に立っていた。 「お、おまえ、いつから…」 かなわんなぁと逃げるように拭きながら離れようとした。その尻をイージェンが蹴り上げた。 「うぉおぃ!」 ダルウェルが飛び上がった。 「殴るのはやめて蹴ることにした」 イージェンが笑った。不満そうに口を尖らせて振り返ったダルウェルが内心ほっとしていた。強がりだろうが、それでも気持ちを持ち上げずにいるよりはましだ。 イージェンも雑巾を絞って船室の窓を拭き始めていた。 「エアリア殿とリィイヴは出かけたのか」 ダルウェルが立ち上がって西に目をやった。 「ああ」 イージェンが窓を拭きながら答えた。アートランに心を覗かれたことでエアリアは動揺している。本気で怒ってアートランを叩けばよかったのだ。 忌々しい存在。そのくらいでなければ、素子の実《クルゥプ》としては不足だ。エアリアは『よい子』に育ちすぎた。逆にアートランは破天荒すぎる。 「ふたり足して二で割ればちょうどいいんだがな」 結局ヴィルトと同じ悩みを抱えることになるとは。 少し曇ってきたと空を見上げた。第二の月が薄く見えた。 (「イージェンと空の船《バトゥウシエル》」(完))
|
|