アリュカを見送りに来たエアリアが、アートランがセレンを連れていってしまったことを話した。 「イージェン様がお許しに?」 「許したというか…セレンがついていきたがったからでは…」 アリュカが白い布をしっかりと頭からかぶった。 「エアリア殿、アダンガル様のこと、よろしくお願いしますね、サリュース殿はきっと嫌がると思うから」 煩わされることを嫌うからと笑いを零した。 「学院長様のこと、よくご存知なんですね」 エアリアは自分でも驚くほどの嫌味を言っていた。アリュカが驚いて目を見張った。ふっと息をついた。 「あの子に聞いたのでしょう?わたしたちのこと、あなたたちのこと」 エアリアが顔を逸らした。 「あの子、父親のことはどうでもいいけど、あなたに会うのは楽しみにしてるって言ってたから」 エアリアが怒りに顔を赤くした。 「楽しみですって!うそです、ヒトの心覗いてイヤなことばかり言って!」 両手で顔を覆って泣いた。アリュカが肩を抱こうとしたが、身体を振って拒んだ。 「あなただって、特級の子が、欲しいからって、学院長様を!」 エアリアは言ってしまってから、はっとして震えた。アリュカが夜風にはためく被り物の縁を握った。 「優秀な子を産みたいのは女として当然でしょ?あなたもそういう相手を選べばいいわ、でも王太子殿下はだめよ」 もしものときは堕せばいいかもしれないが、エアリアには堕胎の薬が効かないかもしれないので、産まれてから始末するようなことは避けたいとサリュースが心配していた。 「あなたの指図は受けません!」 船室に駆け戻っていった。 困った吐息をついてアリュカが高く空に飛び上がり、東を目指した。 エアリアは、廊下で袋を手にしたリィイヴに会った。 「君にも見てほしいんだけど」 イージェンに見せるから一緒にと言ったが、ラウドがエアリアを見つけて寄ってきた。 「アダンガル殿になにか暖かいものでも作ってくれ」 エアリアがリィイヴをちらっと見たので、リィイヴがうなずいた。 「先にイージェンに見せてくるよ、殿下のいいつけ、やって」 ラウドに頭を下げて行った。ラウドも一緒に厨房に向かった。 「さきほどの煮込みがありますけど、それでいかがですか」 エアリアが厨房で火をつけながら言うと、ラウドが怒った。 「だめだ、残り物など。きちんとしたものを作れ」 エスヴェルンでは王族であれ、残り物でも食べられるものは食べるしつけをされているのに、珍しいことだった。エアリアはむっとした。作って持っていくので、部屋の火桶で湯を沸かして茶を入れて差し上げてくださいとそっけなく言い、黙々と作り出した。 香草に麦を加えて煮込み、柔らかいチーズを入れてとろかした。塩と香辛料で味を整えた。玉子に牛乳を加えて軽く炒めた。盆に載せて部屋に持っていって、扉を叩いた。ラウドが中に運ぶよう扉を開けた。 暖かい湯気にチーズの香り。アダンガルが取り分けた椀を受け取った。 「これはうまそうだ」 スプーンですくい、口に含んだ。うまいと頬を緩めた。 「エアリアだったな、アリュカから聞いていたが、これほど美しいとは。あの下種(げす)の目に止まらなくてよかった。あれの前に出ることがあったら、頭巾を目深に被っていたほうがいいな」 エアリアが険しい顔で睨みつけた。 「わたしは魔導師です。たとえ国王陛下であっても、『お召し』には応じません」 きつい言い方にラウドが叱った。 「アダンガル殿は親切に言ってくださったんだぞ、そんな言い方あるか」 エアリアが堪えるようにスカートを握り締めた。ラウドが不機嫌そうに手を振った。 「もう下がっていい」 エアリアがすっと頭を下げて出て行った。アダンガルが心配そうに見送った。 「ラウド殿、先ほどは俺が悪かったんだ。魔導師には侮辱だった」 ラウドが首を振った。 「いいんです、失礼は失礼ですから。あれは気が強い性格(たち)なので、少しきつく言わないと」 アダンガルが少し呆れたように苦笑して、食べ終わった椀をテーブルの上に置いた。 …夢のようだ、あいつから逃れて… 『弟』だったらどんなにいいかと思ったラウドと一緒にいられるなど。政務をほおりだして来たという後ろめたさはあったが、もし帰れるなどという奇跡があったとしたら、そのときは身を粉にして国と民のために働き、償おう。 ラウドが茶を熱く入れなおした。渡しながら、恥ずかしそうに下を向いた。 「アダンガル殿、その…もしよかったら、わたしの兄になっていただけませんか」 茶碗に口を付けかけていたアダンガルが驚いて、手にこぼしてしまった。 「アッツ!」 ラウドがあわてて手ぬぐいで拭こうとしたが、手を振った。 「大丈夫…でも、なぜそんな…」 「わたしには兄弟がいないし…なんというか、回りはとてもよいものたちばかりなんですが、いろいろと気軽に話す相手がいなくて」 どうしても臣下の礼を取るから、気軽にというわけにも行かないこともあろう。 「しかし…俺は異端の汚れた血だし…ここに置いてもらえることも申し訳ないのだ」 ラウドがアダンガルの腕をぎゅっと握った。真剣なまなざしで見つめた。 「側近と紹介したリィイヴも、マシンナートです。イージェンの友となったので、マシンナートに殺されそうになり、連れてきたんです」 アダンガルが動揺した目を伏せた。 「さきほど、箱を見て、何か言っていたので、魔導師かと思っていたが…」 あの男がマシンナート。穏やかそうな中に知性が光る。そんな感じだった。 「だから、まったく気になさらなくていいんです、わたしに政務や財政のことをいろいろと教えてください」 エスヴェルンよりはるかに内政外交の難しい国を支えてきたのだから、きっと実になる話が聞けるだろう。 アダンガルは、ラウドのまっすぐなまなざしが心地よかった。今までつらかった分、少しは暖かな気持ちに浸っても『罰(ばち)』は当たらないはずだ。 「俺でよかったら、ラウド殿の…兄に…なろう」 ラウドがうれしそうな笑顔を向けた。
エアリアはしばらくアダンガルの部屋の側に立っていた。 …殿下がいるのに、あのマシンナートに手握られて、どきどきしてたじゃないか。 アートランの嫌な声が頭の中に響いている。消したい。 ラウドに抱かれれば消える。きっと。 …殿下…お願いです、今すぐ、今すぐ抱きしめてください! だが、ラウドはアダンガルと話し込んでいるらしく、出て来る気配はなかった。 リィイヴが近寄ってきた。 「エアリア?遅いから、イージェンが呼んでこいって」 エアリアが顔を伏せながら歩き出した。 「わかりました」 まったく機嫌が直っていないので、リィイヴがため息をついた。 …どうしたんだろう、急に… もしかして、ラウドに釘でもさされたとか。ありうることだ。 …楽しかったのに。 残念だった。 すぐにエアリアの後を追った。 イージェンとダルウェルは船長室に移っていた。エアリアがさっさと中に入り、閉まりかけた扉にぶつかりそうになりながら、リィイヴが入った。 イージェンがふたりに座るよう示した。椅子に座って、リィイヴがさきほど持って来た袋に入ったものを中から出した。 「おい、これは」 ダルウェルが非難げに指差した。それは、灰色で少し光っている金属(かな)ものの箱だった。両手のひらを合わせた上に載るくらいなのでそれほど大きくはなかったが、あきらかにマシンナートの道具だった。 「これはどこで」 イージェンが指先で突付いた。 「セラディムの市場だよ、そとに出ている店で。旅のヒトが持ち込んだって言ってたけど」 イージェンがもう一度指先で突付いた。 「『旅のものが持ち込んだ』っていうのは、隠語だ。それは盗品ってことだ」 昔の生業の関係で、その辺のことは詳しい。リィイヴが蓋を開けた。箱の中には釦(ぼたん)がいくつかあり、硝子のように透き通った赤や青の出っ張りがいくつかあった。 「これはブワァアトセンダァルという発信機の簡易版で、発信できる信号は『パァルレ(話あり)』と『プロブレェム(問題発生)』の二種類」 説明しながら釦を長い指でなぞった。ダルウェルが覗き込んだ。 「こいつは、壊れてるのか」 リィイヴがちらっとイージェンを見てから丸い釦を押した。丸い釦が緑色に点灯し、赤や青の出っ張りが光り出した。 「お、おい!」 ダルウェルがのけぞり、エアリアも驚いて目を見張った。イージェンが指先を伸ばした。
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