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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第122回   イージェンと空の船《バトゥウシエル》(2)
 食後の茶を飲みながら、ラウドがリィイヴにラ・クィス・ランジという盤戯(盤上で駒を動かして遊ぶもの)を教え始めた。
「これに近い遊戯を知っています。駒の名前とか違いますけど」
 スムコンブリィというふたりで競う遊戯だ。もっとも実際の盤と駒ではなく、タアゥミナル上で行うのだ。
「今聞いた限りでは、ほぼ一緒だと思います」
 ではとはじめたが、ものの半時とかからず、ラウドがうなった。
「強い…」
 あっという間に追い詰められてしまった。ラウドはこの盤戯では宮廷で一、二位を争うほど強かった。ヴィルトやエアリアは桁違いに強く勝てないが、サリュースには五本に二本以上勝てていた。見ていたエアリアが首を突っ込んだ。
「殿下、わたしが代わります」
 うなずいて、ラウドが横に移り、エアリアがリィイヴの正面に座った。サイコロを転がして先手後手を決めた。エアリアが先手だった。
「いきます」
 険しい目でエアリアが最初の一手を動かした。すぐにリィイヴが指し、ふたりはほとんど互いに待つことなく、指していった。ふつうなら四、五時間掛かるほどの手数(てかず)を一時(いっとき)あまりで指し、リィイヴが最後の止めを指した。
「…」
 エアリアが顔を真っ赤にしていた。これまでヴィルト以外に負けたことはなかったのだ。
「…エアリア?」
 リィイヴが心配になって声をかけると、頭を下げた。
「参りました」
 ラウドもずっとのめり込むようにして見入っていた。
「すごいな、エアリアに勝てるとは、俺など、相手にならないわけだ」
 ダルウェルがリィイヴを押しやった。
「では、わたしが殿下のお相手を。剣はいささか自信ありますが、こういうのはほどほどなのでちょうどよいかと」
 ラウドが苦笑して、ならばと並べ直した。
 エアリアがそっと席を外したので、気になってリィイヴが後を追った。
『自尊心』を傷つけてしまったか。数値が低いふりをしなくてもいいと思ったら、つい本気になってしまったのだ。むしろ本気にならないと勝てそうになかったというのが実のところだった。
 エアリアは甲板に出ていた。後ろから声を掛けた。
「エアリア」
 エアリアは振り返り、すぐに前を向いた。
「なんでしょう」
 冷たい声だった。負けたのがよほどくやしかったのか。リィイヴはそんなところもかわいいなと思った。手すり近くに立っているエアリアの横に行った。
「また勝負しよう?次は君が勝つかもしれないし。勝負はやってみないと…」
 エアリアがくるっと背を向けた。
「無駄です、あなたが勝ちます」
 さっさと船室に入っていこうとした。リィイヴがその手を掴もうとしたが、いつもと違い、するりと抜けられてしまった。
「エアリア、待ってよ、そんなこと言わないで」
 エアリアが急に止まった。リィイヴが機嫌を直してくれたのかと思い、二、三歩近づいた。エアリアが船の右舷側に走って行った。
「あれは?!」
 シュンッと音がして、風が甲板に舞い降りた。その風が吹き抜け、現われたのはアリュカと大柄な男だった。
「学院長様!?」
 エアリアが驚いて駆け寄った。リィイヴも近寄った。抱えられてきた男を見てリィイヴが肩に手を置いた。
「アダンガルさん?」
 疲れきった様子で、アリュカを振り払った。
「どうしてこんなところに連れてきた!」
 アリュカが困った顔でエアリアに頼んだ。
「エアリア殿、イージェン様にお会いしたいと伝えてください」
 アダンガルが首を振った。
「だめだ!お会いできん!」
 手すりを乗り越えて飛び降りようとした。エアリアが腕を掴んだ。
「待ってください!ここで飛び降りられてお命を落とされたら我が国の責任が問われます!」
 アダンガルが身震いした。エアリアが取次ぎに行ってくると急いで船室に入っていった。リィイヴがここではと手を貸したが、アダンガルは動かなかった。ただ甲板に突っ伏した。
 エアリアは船長室の扉を叩き、声を張った。
「師匠、アリュカ学院長様がアダンガル様を連れてきました!ここを開けてください!」
 言い終わる前に扉が音を立てて開いた。
「そんなに怒鳴らんでも聞こえる」
 頭を下げ、甲板に先導した。
「イージェン様!」
 アリュカがすがりつかんばかりに近寄った。何事かと食堂にいた連中も出てきた。
「アダンガル殿!」
 ラウドが驚いて走り寄り、膝を付いて抱き起こした。
「どうされました!まさか、あの土産のことで?!」
 アダンガルが顔を伏せたまま首を振った。つかつかと歩み寄ったイージェンがアダンガルの腕を取った。
「話を聞こう、船室へ」
 ラウドが逆側を支え、船長室の隣室に入った。イージェンがイリィとヴァンに心配せず先に休むよう言った。
 エアリアが暖かい茶を入れてアダンガルとアリュカの前に置いた。アリュカが飲もうとしたが、アダンガルが手をつけないのを見てやめた。
「アダンガル殿、あなたが飲まないとアリュカが飲めない」
 イージェンが言うと、アダンガルがようやく頭を上げ、少しためらった後、皿ごと茶碗を取って口を付けた。茶碗を持つ手が震えていて、皿と当たってカチカチと音がした。茶が口に入るとふくよかな含みが喉を通り、腹に入って広がった。二口、三口と飲んでいくうちに落ち着いてきた。大きくため息をついたのを見て、茶を含んでいたアリュカが尋ねた。
「アダンガル様、お話できますか?できなかったら、わたしが話しますので、間違っていたら訂正してください」
 イージェンが遮った。
「アダンガル殿から話が聞きたい。おまえは黙っていろ」
 アダンガルがもう一口茶を飲んでから茶碗を置いた。
「…ヨン・ヴィセンの乱行に耐えられず、手を上げてしまった。だが、一太刀すら与えられず、逃げる羽目になった。兄王は俺を終身拘禁しろと命じたとのことだが…アリュカが時期が来るまで逃げろと」
 ラウドがアダンガルの横に膝を付いて見上げた。
「わたしへのことや土産のことで、もめたのでしょう?そんなことになるとは…安易にあなたに始末を頼んでしまって…申し訳ない…」
 ラウドが身体中を震わせて泣き伏した。
「貴公のせいではない、どうか気にしないでくれ」
 アダンガルが椅子から降り、ラウドの背中を擦った。
「殿下へのことや土産って何だ?きちんと最初から説明しろ」
 厳しい口調でイージェンが言うと、アダンガルが顔を上げた。
「ヨン・ヴィセンがラウド殿を饗宴に招き、媚薬の入った酒を飲ませて、無理やり側女のひとりを抱かせようとしたので、アートランに水を差してお助けするよう命じた。その抱かせた側女をラウド殿への土産として持たせようとしたのだ…そういう下劣な嫌がらせをするやつなのだ、あいつは」
 エアリアが口元と胸元を押さえた。アリュカが目を伏せた。
「それだけではありません、王太子殿下は、饗宴を邪魔された鬱憤晴らしに王宮に上がったばかりの幼い娘たちに乱暴し、土産として出そうとした側女をもういらないから始末しろと…それで、もうアダンガル様も我慢しきれず…」
 ラウドが信じられなくて顔を上げ、アダンガルとアリュカを見つめた。
「そんなことをするものを王太子としているのか、セラディムは…」
 声が震えた。
「いくらドゥオールとの関係があろうとも、ひどすぎるぞ!」
 アリュカが頭を下げた。
「なぜアダンガル殿を推さない!母君の身分が低いからなのか!」
 アートランははっきり言わなかったが、そういうことなのだろうと解釈した。
「違う、身分とかそういうことじゃない」
 アダンガルが胸を押さえた。
「幼い頃からずっとあいつの暴力に耐えてきた。そうしないと、あの王宮で俺のいる場所がなかったからだ。なぜなら、俺の母は…」
 ぐっとこみ上げてくるものがあり、それ以上言えなくて、大きなため息とともに涙を零した。
 イージェンが立ち上がり、アダンガルの腕を取って立たせた。押さえている胸を指差した。
「それを出せ」
 アダンガルが首を振って後ずさった。
「い…やだ…これだけは…」
 壊されてしまったが、まだ母のぬくもりが残っている。大魔導師に渡してしまったら…。アリュカが膝を付いた。
「イージェン様、どうか、お許しを。アランテンス様より、アダンガル様が亡くなるまで持たせてやれと」
 背を向けようとしたアダンガルをイージェンが床に叩きつけた。
「イージェン!そなた、いくらなんでも乱暴すぎるぞ!」
 さすがにラウドも非難していた。イージェンが胸を押さえる手を払いのけて、ふところから何かを取り上げた。
「あっ!」
 アダンガルが起き上がり、イージェンにしがみついた。
「頼む、返してくれ!それは、母上の形見なんだ!」
 手のひらの上のものをテーブルに置いた。リィイヴが息を飲んだ。
「それは…」


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