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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第121回   イージェンと空の船《バトゥウシエル》(1)
 『空の船』の船尾甲板に、アートランとセレンが出てきた。見送るためにイージェン以外、みんなも出てきた。
 エアリアがあの布鞄を持って出てきた。セレンの肩に掛けてやった。
「中身、乾かしておいたわ、インク壺とペンも入れたから、きちんと手習いするのよ」
 セレンがうなずいた。ラウドがセティシアンのおもちゃを手にして寄って来た。少し腰をかがめて、セレンに渡し、抱きしめた。
「セレン、エスヴェルンはそなたの生まれ故郷だ。いつでも帰ってきていいからな」
「殿下…ありがとうございます」
 リィイヴとヴァンがかわるがわる抱いた。
「元気でね」
 抱きしめながらヴァンが震えた。
「俺はおまえと暮らしたかったんだぞ…」
「ごめんなさい…」
 セレンがぶわっと涙をあふれさせた。足元でリュールが悲しそうに尻尾を振っていた。
「セレン、いこう」
 里心がついてはと心配したアートランがセレンを引き剥がし、抱きかかえるようにして、甲板を蹴った。たちまち飛び去っていく。手を振る間もなかった。
「イージェン、見送りにこなかったな」 
 ラウドが言うと、イリィがあっと大きな声を上げた。
「どうした」
 ラウドが聞きとがめると、イリィが肩を落とした。
「アートラン殿にお礼を言わなければならなかったのに…」
 浮島でラウドを連れ出す手助けをしてくれたのは、アートランだと今気づいたのだ。ラウドが呆れながら船室に向かい、イリィも続いた。

 ダルウェルが船長室に入ろうとしたが、鍵が掛かっていた。ひとりになりたいのだろうと艦橋に行った。いつもイージェンが手をかざして地図を出しているところに魔力を集中させた手のひらを向けてみた。何の反応もなかった。
「さすがに俺では無理か」
 ため息をついて前を見ると、へさき側の甲板にヴァンがリュールと座り込んでいた。リィイヴが艦橋に入ってきた。
「船長室、開かないんですけど…イージェンが閉めてるんですか」
 ダルウェルがこくこくと何度か首を折った。
「好きなやつに去られるのは誰でもつらいが、あいつの場合はのめり込み方が半端じゃないから、その分つらさが増す」
 始めてではないのだろう、その好きなヒトに去られるという目に合ったのが。
ダルウェルが甲板のほうを顎で指した。
「あいつは大丈夫か、セレンのこと、気に入ってたみたいだが」
 前面の窓によってぽつんと座り込んでいるヴァンを見た。
「ヴァンはぼくがいれば大丈夫ですよ」
 とは言ったものの、やはりあの娘を連れてくればよかっただろうかと思った。
「マシンナートたちがどう出るのか、おまえたちには見当つかないのか」
 少なくともどう出るのかの見当がつけば対策を立てるなりできるだろうし、イージェンの苛立ちも少しは落ち着くのではないか。リィイヴが考え込んだ。
「どう出るかは評議会でないと…。ぼくたちではわからないです…」
 リィイヴが考えを巡らせた。
 今マシンナートの頂点に立っているのは、キャピタァルの最高評議会議長パリス。インクワイァの中でもスクワラァと呼ばれる上級階層のメイユゥウル(優秀種)、童顔なので若く見えるが、年齢は四十三、女、その性格、辛抱強い、傲慢。そして冷酷。その編み出すオペレィションコォゥドは緻密で精美。アルティメットへの憎悪は並大抵のものではない。地上に君臨するのはマシンナート、地上を全て焼き払い、焦土の跡に鋼鉄の都を作るのが目標だ。それはそっくり、七人の子どもたちの中で一番似ている娘のファランツェリにも受け継がれている。
 アルティメットの後継者がいると知れば、通信衛星の打ち上げは延ばすだろう。だが、いくら辛抱強いパリスでも新しい後継者の寿命が尽きるまで待つことはできない。アルティメットの寿命は少なくとも三千年、ヒトの寿命はそれほど長くはない。そして歴代の議長と違って、その行動は奇抜で大胆だった。
…機は熟しつつある!われらマシンナートこそが、この惑星(ほし)の真実の主(あるじ)である!取り戻せ、地上を!そして更なる高みへ!
 パリスのアジテェィション演説を何回か聴いた。もちろん、一部のインクワイァしか聞けないものだが、それはマシンナート指導者層の総意だ。一部には違う意見のものもいるが、それはごく少数だ。
 マシンナートのこと、このヒトに言っていいんだろうか、エアリアの名前しか聞いていないし…。
 いつのまにかヴァンが甲板から消えていた。はっとなった。
まさか。
「リィイヴ」
 ヴァンが艦橋の入り口にいた。ほっとして近寄った。
「食堂の片付け、したほうがいいよな」
 リィイヴがうなずき、寄ってきたダルウェルを振り返った。
「ぼくたちでしますね」
 リィイヴがダルウェルにお辞儀してヴァンと艦橋から出た。途中でヴァンが戻ってきた。
「こいつ、預かってくれ」
 リュールをダルウェルに押し付けていった。

 『空の船』は、南海を北上し、ふたたび三の大陸ティケア上空に達した。二の大陸に最短で向かうため、ティケアの西側を横切っていくのだ。午後になっても、船長室は閉ざされたままだった。夕飯は、ダルウェルとヴァンで作ることになった。
 ラウドが布の袋を持ってエアリアの部屋の前でうろうろとしていたが、扉を叩いた。
「エアリア、ちょっと教えてほしいことがあるんだ」
 エアリアがすぐに扉を開けた。
「…なんでしょうか?」
 ちょっと…と言葉を濁しているので、中に入れた。ベッドに腰掛けると袋の口を解いた。中から絹織物の端切れを出した。
「これを飾り手巾にするのって…できるか?」
 エアリアが手にとって、広げた。大きさも様々だが、大きさ的には充分だった。
「できますけど…これだけでは…」
 首を傾げるラウドに言った。
「色味の合う絹糸がないと…エスヴェルンの王宮にはたぶんほとんどありませんよ」
「絹糸…か」
 伯母のリュリク公妃に作ってあげたかったのだと話した。
「明日の朝に、アルディ・ル・クァの港の近くを通るのではないかと思うので、そこなら手に入ると思います」
 三の大陸の最北東に位置する港だ。
「わたしが買ってきます。色はそろえられないかもしれませんが」
 後でイリィに言って金を寄越すと言って、端切れをまとめようとした。エアリアが水色の地に銀糸の刺繍のある端切れを見つめていた。ラウドが片付けているのに気づいてあわてて返した。
「変わっているな、アートランという魔導師、でもイージェンが任せたのだし、心配することはないよな」
 エアリアがためらいがちに小さくうなずいた。
 そろそろ夕飯ができているだろうとそろって部屋を出た。
 食堂ではイージェン以外集まっていた。腕をふるったと得意そうなダルウェルがラウドを席まで案内した。
「さあ、食べようか!」
 少しでも元気を出させようとしてか、ダルウェルがいつもより大きな声を出した。ヴァンも空元気かもしれないが、にこにこして色鮮やかに赤く煮込まれた鳥肉を切って豪快にパクっと口に入れた。
「…!」
 黙って水の杯を掴み、ぐいっと傾けた。
「はぁぁ…か…」
 どうしたのかと思いながら、リィイヴも肉を煮た汁をスプーンですすった。
…こ、これは…すごく…
 みんなの手が止まったので、ダルウェルが首をかしげた。
「どうした、たくさんあるから遠慮せずにどんどん食べてくれ」
 ラウドが、がっくりと首をうなだれているイリィに目配せした。
…そなたが言え
 イリィが大きなため息をついた。
「ダルウェル殿…その、これなんですが…辛すぎます…」
 ダルウェルがきょとんとして汁をすくって飲んだ。
「…!」
 あわてて口元を押さえて水を飲んだ。口の中がヒリヒリと痛み、汗が吹き出てきた。
「おかしいな、セラディムで食ったやつになると思ったのに」
 食材の中に香辛料につかう大きな赤い実があったので、それを使えば同じ味が出せるだろうと、使ったのだが、入れすぎたのだ。
 ラウドが野菜と米を炊いたものを食べたが、やはりかなり辛く、とても食べられなかった。苦いものや辛いものはまだまだ苦手だ。困っているとエアリアが立ち上がった。
「少し待っててください」
 ダルウェルに料理を厨房に持ってきてもらった。
「味見したんですか?」
 おそらくしていないだろう。
「うーん、まあ、してないな」
 すまなそうに言うダルウェルにエアリアが呆れてため息をついた。
鶏肉は皮を取り除き、肉をそいで、野菜は汁を切って取り出し、汁を少しにして、チーズを削り、少し煮なおした。炊き飯は玉子を落として食べるようにした。飲み物に甘めの果汁を出した。
 まだ辛かったが、それでもなんとか食べられるくらいになった。
「玉子落としたやつは、なかなかおいしいですよ」
 イリィがさきほどとは打って変わって、うれしそうに食べている。ヴァンもとろけたチーズがかかっている鶏肉をたくさん食べた。
「うん、さすがエアリアだな」
 ダルウェルががっくりした顔でぼそぼそと食べていた。
「でも、辛すぎなければ、けっこういけたと思いますよ」
 リィイヴが気をつかって言うと、ダルウェルが元気を取り戻した。
「そうだよなっ!明日は辛すぎないように作るから」
 みながいっせいにぎょっとして顔を見合わせた。
「当番は順番に回そう、次のときに頼む」
 懲りてない様子に呆れながらもラウドが話を締めた。


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