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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第120回   セレンと極南列島《クァ・ル・ジシス》(6)
ヨン・ヴィセンの側近スティスがラウドへの土産を持って湖に向かうとした時、アダンガルに持って帰るよう言われた。戻ってきた側近から聞いたヨン・ヴィセンがテーブルの上に所狭しと乗っている料理の皿や杯などをなぎはらって床に叩き落とした。
「よくも、わたしを虚仮(こけ)に!」
 とにかく自分の思い通りにならないと納まらないのだ。スティスにアダンガルを呼んでくるよう命じた。スティスが胸に手を当ててお辞儀して出て行った。
 アダンガルは執務宮の東棟に戻って決済書に承認をしていた。スティスが入ってきたのに気づいて、来たかと腰を上げた。
 ヨン・ヴィセンが側女のひとりを全裸にして叩いていた。さんざん叩いた後らしく、女の肌が真っ赤にはれ上がり、泣き伏していた。例の側女だった。
「何の用事だ、四半期の決算が迫ってる、忙しいんだ」
 アダンガルがわかっていて尋ねた。ヨン・ヴィセンがアダンガルの肩を小突いた。
「せっかくの土産、持たせないとはなにごとだ、ラウドも有難くと言っていたのだぞ、届けてこい」
 側女の尻を蹴り上げた。
「ひっ!」
 アダンガルが膝を付き、側女を抱き起こし、立ち上がらせた。ヨン・ヴィセンが部屋の壁際に立っている侍女たちに手を振った。
「下がれ」
 アダンガルが側女を抱きかかえた。
「ラウド殿は土産がこの女と知らなかった。知っていたら受け取らない。嫌がらせをするな」
 部屋の隅に灰色の外套をすっぽりと被った男が立っていた。ドゥオールの学院長ゾルヴァーだった。
「アダンガル殿、ご立派ですな、王太子殿下にご意見されるとは」
 アダンガルがきっと片方の目で睨みつけた。
「おまえといい、スティスといい、どうして王太子をいさめない。こんなものが…セラディムの…」
 未来の国王かと思うと、情けなくなる。
「聞き捨てなりませんな、こんなもの…とは王太子殿下のことでしょうか」
 ゾルヴァーが近寄ってきた。
「ほかに誰がいる、とにかくラウド殿はこの土産は受け取らない」
 ヨン・ヴィセンがスティスに顎をしゃくった。スティスが側女の腕を捕らえて引き剥がして、護衛兵のひとりに渡した。
 部屋から連れ出そうとしているのを見て、アダンガルがヨン・ヴィセンにきつく言った。
「あの女、どうするつもりだ」
 ヨン・ヴィセンが大きな椅子に座って、足を組んだ。
「ラウドが受け取らないなら、始末する。他の男の手がついた女など、側に置きたくない」
 側女がそれを聞いて悲鳴を上げ、身体を振った。アダンガルが振り上げたい拳を収め、頼んだ。
「女に罪はない、側に置けないなら、暇をやって実家に帰してくれ」
 暇を出された側女など実家でも敬遠されるかもしれないが、少なくとも命があるだけましだろう。
 返事がない。
しかたなく、『いつものように』両手を着き、額を床につけた。
「王太子殿下、お願いします、命だけは助けてやってください」
 ヨン・ヴィセンの足の裏が頭に押し付けられた。
こんなこと、いつまで我慢しなければならないんだ、いつまで。
子どものころからずっとヨン・ヴィセンにいじめられてきた。生傷が絶えたことはなかった。何度も死ぬかとおもうほど殴られ、辱めを受けた。
アランテンスがなくなってから、いっそうひどくなっていた。ヨン・ヴィセンが足で顔を何度も蹴り、頭を踏みつけた。
「そうやって、わたしの後始末をしてるから、父上も宮廷もおまえを生かしてやってるんだ!おまえに仕事を与えてやってるんだ!ありがたく思え!」
「…は、はい、ありがとう…ございます…どうか、これで…お許しください…」
 目の前に足があった。
…これを舐めれば、女も助かり、こいつの気も済むだろう…ラウド殿の役に立てる。
ラウドのうれしそうな顔を思い出して、身体を動かした。顔を少し上げて唇を足に近づけた。だが、ヨン・ヴィセンがすっと下がった。見上げると、ヨン・ヴィセンの手がアダンガルの胸元に伸びた。
「…まさか…」
 あれを取り上げる?
 その手から逃れようとした。両脇から護衛兵に両腕を押さえ込まれてしまった。
「離せ!」
 その間にヨン・ヴィセンがアダンガルのふところから小さな箱を取り出した。
「それは…それだけは!」
 何があっても守らなければ。
 ヨン・ヴィセンがにやにやと笑ってゾルヴァーのほうを見た。
「王の弟がこんなものを持っていたら、『大魔導師様』の聞こえが悪いよな」
 ゾルヴァーが頭を下げた。
「はい、後継者となられましたイージェン様がもっとも嫌われることです」
 ヨン・ヴィセンが勝ち誇ったように笑って、その小箱を床に叩きつけようと振り上げた。アダンガルが死に物狂いで身体を振って両脇の護衛兵を振り払おうとした。
「やめろ、やめてくれ!」
 ついにふたりを振りほどいて、箱に飛びつこうとした。ゾルヴァーが魔力のドームで跳ね飛ばし、壁に叩きつけた。
「ぐあっ!」
 アダンガルがふらふらになりながら、近寄ってくる。
「フン、異端の汚れた血のくせに、少しばかり頭が回るからといって、いい気になるな!」
 ガシャンという音がして、箱にひびが入った。
「わ…わぁぁぁっ!」
 アダンガルが床に突っ伏して泣き叫んだ。
「は、ははうえ…母上の大事なものを!」
…アダンガル、これ、大切にしてね…わたしだと思って…たいせつなものなの…
 死に際に、幼い手のひらに置かれた母の形見。アランテンスには始末しなければならないと言われたが、どうしても嫌だと守ったのだ。怒りと悲しみで身体ががくがくと震えた。
この先もこんなやつの面倒を見なければならないのか。たったひとつ、大切にしていたものまで壊されて。
 ついに切れた。アダンガルが腰の剣を抜いて、下から突き上げた。
「うわーっ!」
 ヨン・ヴィセンが腰を抜かして、後ろにひっくり返った。ゾルヴァーが光の杖を振り上げ、その剣を跳ねのけた。
アダンガルが床に転がっている小箱を拾って、テラスに転がり出て、池に飛び込んだ。
「追えっ!」
 スティスが護衛兵たちに命じた。ゾルヴァーがヨン・ヴィセンに手を貸して立たせた。
「少々やりすぎましたな」
「まさか手を上げるとは。政務の面倒なことはあいつにさせときたいのに」
 父王が将来のためと王太子に摂政をさせていたが、ほとんどアダンガルに押し付けていた。
「そうおっしゃらずにこれからは殿下が決済されればよろしいのです。スティスにお任せいただければ」
 スティスがふたりに寄ってきた。
「ということは、あいつがわたしを暗殺しようとしたと父上に言ってくればいいんだな」
 ヨン・ヴィセンの言葉にゾルヴァーがうなずいた。

 アダンガルの暴挙はすぐに国王に伝わり、ヨン・ヴィセンが涙目で父にとんだ恩知らずだと言うと、国王はアダンガルの逮捕を命じた。
「まったく、生かしてやっている恩も忘れて」
 学院もこれではアダンガルをかばうことはできない。それでも、なんとかならないかとアリュカが訴えた。
「どんな理由からお手を上げたのか、まずお探しして審問を」
 だが、国王は手を振った。
「死刑は免じてやる。終身刑とし、メネスの離邸に閉じ込めろ」
 王宮の南にある湖の中の島にある、かつてアダンガルの母が閉じ込められていたところだった。
 王宮護衛隊隊長と王立軍の将軍が頭を下げて出て行った。アリュカもお辞儀して下がった。
 学院に戻り、ふたりの特級に命じた。
「アダンガル様をお探しして、海岸の洞窟へ」
 ふたりがうなずき、散っていった。アリュカも心当たりを探しに夜空の風となった。
 おそらく隠れるとしたら、そこだろうというところに向かった。いずれ手が回るだろうし、四方が水に囲まれているので、隠れるとしたら不利なのだが、もしそこにいたら、死を覚悟したということだろう。
 滑るように湖面を渡り、中の島メネスに向かった。離邸は、今はだれも住んでいなかった。アダンガルの母の寝室だった部屋のベランダに降り立った。
 部屋の中はすっかり荒れ果てていた。ベッドの脇の椅子に影があった。
「…アダンガル様」
 がっくりと肩を落としていたアダンガルが頭を上げた。
「アリュカ…」
 近づいて、手を取り立たせた。
「ここではすぐに見つかります。どうか、一緒に来てください」
 アダンガルがその手を振りほどいた。
「もう…いい、どうせ俺は…」
 手の中の小箱を見つめた。
「陛下はアダンガル様を終身閉じ込めておけといわれましたが、王太子殿下が生かしておかないでしょう。あなたを死なせたくありません」
 アダンガルがアリュカに目を移した。アリュカの真剣な目が光っていた。
「今すぐは無理ですが、あなたは、いずれ必ずこの国に必要となられる方です、少なからずお味方もいます。どうかお命を粗末にされずに」
 そうだ、あいつにこの国を任せたら、どうなるか。アランテンスの教えが蘇る。
…アダンガル、美しいこの国の、空と大地と海と、そこに住まいする民と生きとし生けるものを守りなさい。
 五大陸一美しく、豊かで、輝く水の国。この国を守らなければ…。
「とにかくわたくしに任せてください」
 ふらふらと立ち上がって、アリュカの手におのれをゆだねた。
(「セレンと極南列島《クァ・ル・ジシス》」(完))


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