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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第117回   セレンと極南列島《クァ・ル・ジシス》(3)
「ウティレ=ユハニ、あそこにはヴラド・ヴ・ラシスの本拠があったよな」
 イージェンが大陸を出て行ってから、ウティレ=ユハニは自治州をふたつ侵略した。隣接する国とは何回か交戦している。今年さらにもう一州に攻め込むらしく緊張状態だという。
「統合中か」
 ダルウェルがうなずいた。イリン=エルンはここ十年で勢力を拡大したが、近年国王の健康が思わしくないのでむしろ他国からの侵略を警戒しなければならなくなっていた。
「ウティレ=ユハニがイリン=エルンを侵略するかもしれないということか」
「ガーランドがどっちに味方するかだったが、去年、アリーセ王女殿下がウティレ=ユハニ王に輿入れされた。王室も宮廷もイリン=エルンよりはそちらに肩入れするだろう」
 アリーセ王女はガーランド王の娘姫だ。ウティレ=ユハニ王かスキロスの王太子のどちらかに輿入れするかで何年か前からもめていたのだ。
「そうか。アリーセ姫の嫁ぎ先が決まっていなかったら、うちの殿下に妻合(めあ)わせてもよかったな」
 たしかアリーセ姫は十八くらいだったはずだ。ダルウェルがぎょっとして茶碗に口をつけ、空なのに気づいてあわてて降ろした。
「俺なら薦めないぞ」
「年上だからか?ふたつ、みっつなら問題ないだろう」
 ダルウェルがぷぅと頬を膨らませ、指で眼を吊り上げた。
「こんな顔だぞ」
 あまり器量がよくないのだ。イージェンが肩をすくめた。
「髭面じゃなければ多少不細工でも…」
 女なら誰でもいいような言い方にダルウェルが呆れた。王族や大公家の姫たちなら見知っていることもあるが、他国から嫁いでくる場合は、ほとんど事前に会うわけではない。見目良いほうがいいに決まっているが、政略結婚の場合、器量のよしあしを云々(うんぬん)してもしかたないのは確かだった。
「それはそうなんだが、ウティレ=ユハニ王もガーランドとの姻戚関係を優先したわけだし…アリーセ姫は、頭は悪くないが性格がどうもきつくてな」
 以前はマレラが教導師となって教育を担当していた。算術が得意で、星暦の占術に長けていた。
「そちらの殿下には、エアリア殿を大公家の養女にでもすればと思うが、この事態じゃあそうもいかないか」
 ダルウェルがため息をついた。イージェンは黙っていたが、そういうことになるのだろう。
「イリン=エルン王、具合が良くないのか」
 イージェンが立ち上がって、書棚の上の段から書物を取った。
「そうらしい。昨年春先に母君が亡くなられてから、ずっとふさぎ込んでいるらしくて、政務にも支障が出ているようだ」
 ガーランドがそのへんを睨んで王女をウティレ=ユハニにやったにちがいない。つまり、ガーランドの宮廷としては、いざとなればイリン=エルンを見限り、ウティレ=ユハニ側に着くということだ。
アルバロとしてはジェトゥとの関係もあって、それは避けたいことのはず。だが、宮廷の操作が上手くいっていないのだろう。その上、議事録を読まれては、ますます立場が危うくなる。宮廷に弱味を見せたくなかっただろうから、ひと安心というところか。イージェンがつぶやいた。
「今あまり大きな戦争を起こして欲しくないが…」
 ウティレ=ユハニの学院長に会うか。キロン=グンドは昔から争いが多い大陸だ。両国の間だけですめばいいが、どうも大陸全土に広がる勢いになりそうな気がした。
いずれにしてもアルバロにはもう一度会うからそのあたりの事情を確認しよう。
 イージェンが窓の外に眼をやった。
「あれは…」
 すでに海上に出て南下している『空の船』に近づく影がふたつ。四の大陸ラ・クトゥーラの学院長たちだった。
 甲板に出て、出迎えたイージェンに、ソテリオスとネルバル、ネルバルを抱えてきた若い女がひとり、深く頭を下げた。
「イージェン様にどうしても申し上げておかなければならないことがありまして…」
 こんなに早く出発すると思わなかったので、急ぎ追いかけてきたのだ。船長室に案内した。リィイヴが茶を持ってきた。
「簡単なものですが、夕飯作りました。みなさんも食べますか?」
 ソテリオスは遠慮したが、イージェンが運んでくるよう言いつけた。ダルウェルとネルバルの連れの女が手伝うと付いて行った。
 アディアというその女は、顔の下半分を布で覆っていた。エアリアが食堂に配膳してあったものをもたせた。少し腹を満たせとイージェンに言われ、ダルウェルも含めて四人が食べた。食べ終えて温かい茶を飲みながらの話となった。
「今回の総会には関係ないことなのですが」
 とソテリオスが話し出した。
 四の大陸ラ・クトゥーラは、砂漠や荒野が多く、厳しい土地柄だった。グルキシャルの教団は、他の大陸ではすでにほとんど信者もいない状態だが、貧しいものたちへの施しや災害のときに救済などを行うので、ラ・クトゥーラではいまだに勢力を保っていた。その傾向は近年、新しい大神官が就任してから顕著になった。信者が増えているというのだ。新しい大神官は、『紅玉の双眼』と呼ばれる、白髪赤眼の男だという。病を治したり、嵐の予知をしたり、神の力を持っているというもっぱらの評判だった。信者は神の子と思っているらしい。
「…素子か…」
 イージェンが机をトントンと叩いた。
「おそらくはイージェン様のように、学院が見逃してしまったものだと…」
 ネルバルは肩を落とした。
「大神官は、学院を敵視しているという噂もあり、今のところ、国政を脅かすような存在ではないので、国としては対策を取っていませんが、今後、信者となって砂漠の奥地に逃げ込んでしまう民が増えていくと国税の収入が減ってしまいます。それでなくても、各国貧しいので、ぎりぎりでやっているものですから」
 イージェンの仮面が影を帯びたように見えた。
「勢力的に脅かすかどうかが問題じゃないだろう。グルキシャルなど、迷信だ。民の心の支えは、王室への敬意でないと」
 厳しい言い方だった。
「わかっておりますが、土地柄、グルキシャルをうまく使ってやってきたことも否めないのです」
 それにとイージェンの仮面を見つめて言いにくそうにした。
「イージェン様も母君のこともあり…グルキシャルとは和解されたほうがよいかと…」
 イージェンが仮面を向けてきたので口をつぐんだ。
「グルキシャルと和解ってことは、学院が頭を下げるってことか」
 きつい口調だった。ソテリオスが苦しい表情をした。
「父君の不始末ですから…」
「母も辱めを受けたなら、そのときに舌でも噛んで死ねばよかったんだ、それを一緒に逃げて子どもまで産んで…」
 母のことは気の毒なヒトだと思いながらも、父に服従していていらだたしかったことも確かだった。それにあの父の代わりに頭を下げるなんてしたくない。
「その大神官にはいずれ会うことになるだろうが、頭を下げる気はない」
 ネルバルが眼を伏せたが、かっと開いた。
「わかりました。イージェン様がそのようなお気持ちなら、こちらもそのように心構えいたしましょう。グルキシャルが余計な力を持つことは学院としても不利益。民の慰めになればとほおっていましたが、今後はマシンナートへの監視と合わせて、注意いたします」
 ソテリオスも同意し、イージェンもその答えに満足して、うなずいた。
「そうしてくれ、大変だろうが」
 ソテリオスとネルバルが席を立ち、片膝を付いて深くお辞儀した。
「わたしもそろそろツヴィルク様のように隠居と思っておりましたが、その前にイージェン様にお会いできて、よかったです。どうか、四の大陸にもお力添えお願いいたします」
 ネルバルが顔を上げ、イージェンの仮面を見上げた。見下ろしていたイージェンがふたりの手を取って立たせた。
「なにか困ったことがあれば、遠慮なく相談してくれ」
 ありがたいと返事して、帰るのでと甲板に出た。イージェンとダルウェル、エアリアも見送りに出てきた。
 飛び立つ三人に、イージェンが手を振った。


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