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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第114回   セレンと水上市場《レヴィーシャンティ》(5)
顔見合わせ、声のほうに走っていった。何人かが河をのぞいていた。
「浮いてこないって」「子どもじゃないのか、小さかったぞ」
 ラウドが外套を外して、飛び込もうとした。
「いけません!」
 イリィが抱きついて止めた。ラウドが払いのけようとした。
「離せっ!」
 ヴァンが抱いていたリュールを側にいた女に押し付けて、飛び込んだ。バレーの水路とは違って、水の中は濁っていて、何も見えない。底は泥のようで沈んだら探し出すのは大変だろう。それでも潜ってかき回した。
…セレン…どこだ…
 息が続かず、一度水面に出た。顔を出し、また息を吸い込んで潜った。ヴァンは水路整備士の両親に泳ぎや潜水を教えてもらった。素潜りも得意だった。なにか白っぽいものが見えた。ヒトの足のような…。近寄るとすっと遠ざかった。白っぽいものは反対の岸に向かっていた。頭の上を何かが通っていく。船が通っているようだった。かなりの数だ。うっかりするとぶつかりかねない。気をつけて追いかけていく。
 岸で見ていたラウドたちが反対側に上がってきたものに気づいた。
「あ、あれは!?」
 イリィが叫んだ。金色の髪が陽にきらめき、白い背中が見えた。腕になにかを抱えていた。子どものように見えたが、軽々と岸に上がった。その足首をとらえようと水の中から腕が伸びてきた。頭が見えた。リィイヴが誰かわかった。
「ヴァン!?」
 手は岸の土を握っただけだったが、そのまま上がろうとした。
「お…い!セ、セレンをど…うするつもりだっ…!」
 さすがに息が切れる。抱えているのはぐったりとしたセレンだった。金髪の少年が振り返って、上がってこようとしたヴァンを蹴り飛ばした。
「うわぁっ!」
 バシャーンと音を立てて、水の中に落ちた。少年はセレンを抱き上げて軽く地面を蹴り撥ね、空高く飛んだ。あっという間に屋根に飛び上がり、反対側に降りていき、見えなくなった。
「アダンガル殿、追わせてください!」
 ラウドがアダンガルの腕を掴んだ。アダンガルは顔を逸らした。
「大丈夫…あれは我が国の…」
 …まさか、ヒトを…
 いくらなんでもそこまではしないだろう、しないはずだ。
「第一特級魔導師アートランだ。連れて戻るよう学院から伝書を送らせよう」
「…あれが、アートラン…?」
 リィイヴが姿が消えて行った先を見つめた。
 ヴァンが向こう岸に上がっていた。

 王宮の学院に戻ったアダンガルが特級を捕まえて自ら書き記したものを渡し、伝書を送るよう指示した。
その魔導師は困ったようすで突っ返されるかもと言いながら受け取った。アダンガルは、宿舎に戻っていたラウドのところに向かった。
「今伝書を送ったので、少し待っていてくれ。なにかわかったらすぐに連絡する」
 ラウドが小さく頭を下げてからいらだたしく思う気持ちを抑えて尋ねた。
「アートランというものはこちらの魔導師なのでしょう?どういうことなんですか、人さらいのような真似をして」
 アダンガルが示した窓際の長椅子に並んで座った。心配でしかたないリィイヴやヴァン、イリィたちも少し離れたところのテーブルに座っていた。なぜかリュールを抱きかかえた踊り子の少女が付いてきていていた。ラウドが手を振って出て行くよう言いつけた。
「後で呼ぶ」
 イリィが胸に手を当ててお辞儀し、みんなを追い立てるようにして出て行った。
「なんでこの子がいるんだ?」
 ヴァンが自分の腕にしがみついている女を指してリィイヴに尋ねた。リィイヴが首をかしげた。
「このヒト!あの河に飛び込むなんて、勇気あるよ、気に入っちゃったんだもん、いいでしょ!」
 ぎゅっと抱きついた。抱いていたリュールが苦しそうにキュウウッと泣いた。
「もう夕方になるし、帰ったほうがいいよ、家族が心配するよ」
 リィイヴがリュールを取ろうとしたが、女は口を尖らせて取られないようにとリュールを抱きしめた。
「だいじょうぶだって、明日は出し物ないし、一晩くらい帰らなくたってどってことないよ、あんたたち、えらいヒトたちだったんだね、王宮なんて生まれて初めて入ったよ!」
 たいていのものは王宮など縁がないにちがいない。好奇心でついてきたようだった。イリィが肩を落として隣の宿舎部屋の扉を押して、みんなに入るよう言った。
 ヒト払いした後、アダンガルが怪我をした目を押さえた。少し痛んできた。ラウドが心配そうに覗き込んだ。アダンガルが話し出した。
「アートランは、わが国の第一特級魔導師だ。今年十三で、魔力は強いが、学院や宮廷を嫌っていて、災厄の鎮化以外は仕事をせずに極南の列島近海で過ごしている」
 アダンガルが目を押さえながら大きく吐息をついた。アートランが生まれたころにはまだ三の大陸の大魔導師は生きていたが、ほどなく亡くなっていて、一度ヴィルトが来訪してきたことがあった。あまりの変わり者のようすにヴィルトが諭したが、聞かなかったのだ。
「変わり者で、幼い頃からヒトとよりも獣や魚と一緒のほうが気持ちがいいとほとんど水の中にいて…セティシアンの腹の中に入って操って見せたりするので、気味悪がられて」
「セティシアンの腹の中に…入ってって…」
 ラウドが席を立って小部屋に行き、手ぬぐいを濡らしてきた。
「冷やしたほうがいいです」
 包帯を取って手ぬぐいを当てた。
「ありがとう…魔力の殻で包んで、腹の中に入るらしい。その上、ヒトの気持ちを読み取って、言い当てたりするので、化け物だとみな避けている」
「…もしわかったとしてもふつうは言わないのでは…」
 いくら学院が嫌いだとしても、魔導師ならば、そのくらいの配慮はするだろう。
「わざとやっている。ヒト嫌いで、俺は赤ん坊のころからかわいがってやったので、少しは慣れ寄ってくるが、それでも言うことを聞かないことがあるので」
 アダンガルが辛そうにしている。
「好きなやつができたと言っていたが」
 ラウドが眉をひそめた。
「まさか…セレン…ですか…」
 扉が叩かれ、アダンガルの側近が入ってきた。
「執務宮にお戻りください。至急の決済が…」
 アダンガルがラウドに頭を下げた。
「申し訳ない、すぐに戻るので…」
 ラウドが立ち上がるアダンガルに手を貸した。
「忙しいのに、案内などさせて、こちらこそ、申し訳なかったです」
 部屋を出るときにまた頭を下げていった。
 ラウドはそっと部屋を抜け出した。総会は学院の講堂で行われている。学院長たちの総会はまだ終わっていないようだった。講堂に向かった。
講堂は階段状になっている。扉は施錠されてなかった。一番上の扉をそっと開けた。身体を低くして中に滑り込んだ。階段の最上階、一番手前の席にエアリアがいた。入り込んだものに気づいて青ざめ、ダルウェルに気づかれないように席を離れた。
「…殿下、このようなところに!」
 声をひそめて咎めると、ラウドが耳打ちした。
「えっ…」
 ダルウェルは熱心にイージェンの書いた附記を見ているようでエアリアが席を外したことに気が付かなかった。身体を低くして、ふたりで講堂を出た。
「連れて戻るようアダンガル殿が伝書を送ってくれたが、言うことを聞かないこともあるそうだ」
 エアリアは、夕べ結局イージェンに何も言えなかった。ラウドにも言えるわけがなかった。連れて戻ればいいが、もし帰ってこなかったら。
…殿下と姉さんがしてたこと、するんだよ。
総毛立った。なんとか説得して連れ戻せるか、それとも力づくで取り戻せるのか。
「なんとか探してきます…」
 ラウドが周囲を気遣ってからエアリアの手を握った。
「俺も連れて行ってくれ。外に連れ出したのは俺なんだ、俺のせいでセレンが」
 エアリアが首を振った。
「外だろうが、中だろうが、連れて行きたかったら連れて行ってしまいます。殿下のせいじゃありません。お願いします、待っていてください」
 シュンッと音がして、エアリアの姿が消えた。
「エアリア…」
 ラウドがあまりの素早さに呆然と立ち尽くした。

 エアリアは学院の窓から空に飛び上がった。市場のほうから海の方に目を動かした。指笛を拭いて、近くの鳥を呼び寄せた。腕に止まったのは大きな海鳥だった。頭を撫でて、腕を差し上げ、飛ばした。海鳥はまっすぐに海に向かっていく。その後を追いかけた。翼を大きく広げて滑空し、海岸に突き出した岩場の崖を目指しているようだった。海鳥は崖の下の大きな穴に吸い込まれていった。波によってできた穴のようだった。ゆるやかな波が打ち寄せている。少し手前で降りた。ごつごつした岩場で、波を被っていて滑りやすい。腰を低くしてゆっくりと近づいた。
セレンの気配。感じる。少なくとも息をしている。
アートランの気配。しない。いるはずだ。遣い魔が飛んで行ったのだから。
「俺を探してるのかい、姉さん」
 すぐ後ろから声がした。まったく気が付かなかった。氷のような気。刃物を突きつけられているようだった。振り返ることもできない。
「…アートラン…どうしてセレンをさらうようなことを…」
 つとめて落ち着こうとした。
「どうしてって、夕べも言っただろ?姉さんと殿下がしてることをするって」
 アートランは不愉快そうな口調でエアリアの背中を突き刺すように指で突ついた。
「やめなさい!セレンを傷つけるようなことをしたら、わたしも大魔導師様も許さないわよ!」
 突き刺されてもいいとエアリアが怒鳴った。アートランの濡れた手が後ろから伸びてきて、エアリアの口のあたりを覆った。
「そんな大声ださないでよ、セレンが起きちゃうじゃないか」
 エアリアが素早く動いてその手から逃れた。柱のように突き出ている岩の上に降り、右手に光の杖を出した。アートランが視界から消えた。目の前の海が膨れ上がり、波がかぶさって来た。魔力のドームを作り、跳ね返そうとした。しかし、それよりも先にアートランがドームの内側に入ってきていた。
「風のくせに遅いよっ!」
 アートランの手がエアリアの襟首を握っていた。
「なんで手加減する?俺が弟だからか?」
 手加減してるつもりはないのだが、どこかでためらいがあるのか。襟首を握った手が光った。
「ああっーっ!」
 全身から力が抜けていく。ぐったりとなったエアリアをアートランが突き落とした。
「あっ!」
 岩にぶつかる寸前、止まった。アートランが外套を掴んで、引っ張り上げた。
「顔に傷でもついて、殿下に捨てられたらかわいそうだから、やめとくよ」
「いい加減にしなさい!」
 ぶわっと外套が膨らんでアートランを吹き飛ばそうとした。だが、アートランは後ろからぎゅっと抱き付いてきて、耳元で囁いた。
「セレンとクァ・ル・ジシスに行くって、仮面に言っておいてくれ」
 いきなり気配が消えた。あわてて穴の中に入ってみた。
「セレン!」
 セレンの気配も消えていた。足に何かが当たった。あの布鞄がずぶ濡れになって落ちていた。
(「セレンと水上市場《レヴィーシャンティ》」(完))


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