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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第112回   セレンと水上市場《レヴィーシャンティ》(3)
「殴られたのか、ひどいことをするな」
 こいつも殴ってやりたい。いや、殺してやりたい。こぶしを震わせているのに気づいたヨン・ヴィセンが立ち上がった。
「父上から用を頼まれたのではないのか」
 どうせドゥオールの学院長はこいつの『ご機嫌伺い』に来ていたはずだ。用向きは知っているのだ。言いたくもないがしかたがなかった。
「ドゥオール王が王太子に管理料を持ってきてくれといっているそうだ。今月中に運んでくれ」
 怒るだろうと分かっていた。ヨン・ヴィセンがフンと横を向き、護衛兵の剣を取った。
「そんな頼み方があるか!」
 剣の柄をアダンガルの顔めがけて突き出した。ガツッと当たって身体を少し揺らした。避けられるがよければ余計相手を怒らすだろう。ガクッと膝を付いた。さらに何度も柄でアダンガルの顔を突いた。鼻から血が垂れ、瞼を切った。
「行ってほしいのだろう!おじいさまに頼んで安くしてもらってやるから、いつものように頼んでみろ!」
 ようやく剣を引っ込めた。アダンガルがのろのろと両手を付いて頭を床に付けた。
「…王太子殿下…どうかお願いします…お願いし…ます…」
 ひれ伏したアダンガルの頭を足でぐいぐいと押さえつけた。こいつはこれがしたいがために、わざわざ王命ではなく、自分に頼ませるのだ。
「おまえも頭の悪いやつだ、最初からこうしていればいいのに」
 足を離され頭を上げたアダンガルを蹴り飛ばした。
「ここにおまえの大事なものがあったな!」
ひっくり返ったその胸めがけて剣を突き出そうとした。アダンガルが思わず胸に両手を置いた。
「グウゥッ!」
 剣先が手の甲に突き刺さった。ヨン・ヴィセンは、ズブッと抜いた。
「手をどけろ」
 アダンガルが身体を起こしながら、首を振った。
「いやだ、これだけは…これだけは…」
 胸元をかばうように、身を折って、首を振った。ヨン・ヴィセンは、剣で背中を何度も叩いた。外套や服で直接切れなかったが、次第に血が滲んできた。
「これくらいで勘弁してやるから、あの小娘たちの始末、うまくやれ」
 胸元をかばい、よろけながら立ち上がった。頭を下げて、居間を出た。廊下を歩く足取りも震えていた。
「…これだけは…」
 誰にも触らせない。始末しなければいけないと言われた大魔導師アランテンスからも守ったのだ。途中で大きく息をつき、ふところから手ぬぐいを出して、半分にちぎり、両手をぎゅっと縛った。
 さきほどの少女たちを寝かせている部屋に行き、侍従医に落ち着いたら、執務宮の東棟に移すように命じた。
「アダンガル様もお怪我を…」
 侍従医が診ようとしたが、手を振った。
「かまうな、このくらいたいしたことない」
 せめてと包帯で覆った。

 午後からまた総会と聞き、ラウドがイリィに一計を持ちかけようとした。
「父上や伯母上に異国の珍しい品を土産に持って帰りたい。市場があるだろうから、行ってみないか」
 と言ったら、たぶん、イリィは全身で止めるだろう。
「いけません!イージェン様もエアリア殿も一緒でないのに、外を出歩くなど、もってのほかです!」
 叱る言葉までわかっていた。
「ふぅ…」
 しかし、異国の市場を見に行きたくて、うずうずしてきた。
「そうだ、お借りしたものを返しにいかないと」
 リィイヴとセレンを呼んだ。従者にも手伝わせて、執務宮の東棟、アダンガルの元に向かった。
 執務宮の東棟はあまりヒトもいないようで、静かだった。居間に通され、報告書などを丁寧に重ねていると、アダンガルが入ってきた。
「わざわざ手ずから運んでくださらなくても従者にでも言いつけてくれればよかったのに」
 ラウドたちがアダンガルを見て驚いた。片眼を包帯で覆い、頬を腫らし、両手に切れを巻きつけていた。
「それは…どうされました?」
 ラウドが手を取ろうとした。アダンガルが軽く手を振った。
「見苦しいが、気にしないでくれ」
 諸般の事情とやらなのだろうか。あとでアリュカに一言言ってやろうかとも思ったが、それでは内政干渉になるだろうから、控えなければと改めた。
例の一計を思い切ってお願いしてみようと思った。
「実は、お国の市場(いちば)など、市井の様子を見てみたいのですが、護衛隊長が許してくれそうもないのです」
 よく知ったものに案内してもらうわけにはいかないかと言って見た。アダンガルはしばらく考えていたが、うなずいた。
「俺が案内しよう。ただし、護衛隊長にも話して一緒に行くこと」
「ありがとうございます!」
 何回もお辞儀してセレンの手を取ってはしゃいだ。
 学院に戻り、イリィに話すと、最初は渋っていたが、アダンガルが一緒に行くということ、護衛のものも何人か付くというので、納得した。
 学院の船着場から船に乗った。ゆっくりと王宮の外へと続く水路を進み、水門をくぐった。ヴァンがリュールの首に縄を付けて抱え、ラウドはセレンをしっかり抱きしめていた。アダンガルが、優しく尋ねた。
「水が怖いのか?」
 ラウドが抱きなおした。
「逆なんです、すぐに水に飛び込んでしまうので」
 アダンガルが首を傾げたが、すぐに前を向いた。
 水門を出て少しすると、水路は大きな河に合流した。様々な大きさの何艘もの船が行きかっている。アダンガルが船頭に命じた。
「レヴィーシャンティに行け」
 船頭が了解してゆっくりと船を流れに乗せた。
「カラダムの踊り子たちがいる。話の種に見ていかれるといい」
 カラダムは東の州だ。ここよりも温暖な地域だった。
行きかう船の上にもさまざまな品物が乗せられている。色とりどりの野菜や果物、穀物の袋らしいものから籠に入った鳥や食用のうさぎ、ねずみなど、船の上でも売り買いしている。ものめずらしく見た。船は途中で間道のような水路に入り、上流にさかのぼっていった。水路に突き出した桟橋のひとつに寄っていく。上陸して、道を入っていった。たくさんのヒトが行き来している。両脇には天幕張りの店が並び、賑やかにやり取りされていた。アダンガルとはぐれないようにしながらも、きょろきょろと見回していた。
「賑やかだな」
 ラウドはセレンの手をしっかり握って引っ張っていた。セレンは、エアリアに連れて行かれた市場よりも色鮮やかなものが多いので目が回りそうだった。水路で区切られた区画ごとに扱う商品が違い、ここは布や衣服の市場だという。
「布や糸、衣服、装飾品などの市場だ」
 アダンガルが連れて行こうとしている方に人だかりがあった。楽器らしき弦を掻きなでたり、金の板を叩く音がしてきた。アダンガルが無遠慮にヒト垣を掻き分けた。
「ちょっとあけてくれ」
 大柄な軍人に言われて、みんなあわてて両脇にどいていく。ラウドがすまなそうに顎を引いて付いていった。急に開けたところに出た。木の台が一段高く据えられていて、台の左の奥に弦の楽器や打の楽器を構えた男達が座って、速い音楽を奏でていた。キンキンカンカンと高い金属音が響く中、右の階段を登ってくるものたちがいた。若い女たちで、頭に花を飾り、裸足で胸から腰、膝くらいまでを布で覆って両腕両足は飾りの環をたくさんつけていた。
五人ばかりで、金属音に合せて、腰を捻り、腕を振り上げている。肌を露出させて扇情的な動きをするような踊りは、セクル=テュルフにはない。初めてみるものにラウドをはじめイリィやセレンも驚いていた。ヴァンやリィイヴも見たことのないものだった。マシンナートにもダンスはあるが、それは交流のためもので、なにかを比喩的に示すものではない。
途中から小柄な女が両手に布で作った獅子の頭と鷹の頭を付けて現れた。踊り子たちは両脇にどいて、両膝を付いた。女は両手の頭を掲げたり、かちあわせたりしている。
 どうやら、両獣の闘いのようだった。両手を高く揚げながら背中を逸らしてついには、頭を床に付け、橋のような形を取った。身体がとても柔らかい。そして、獅子の口が鷹を飲み込むようにして獅子が勝った。大きな拍手が起こる。
 ラウドたちも周りにつられて拍手した。女はそのまま起き上がり、両脇からやってきた踊り子たちに混じって、その間をくるくると空中で回転しながら動き回る。また拍手が沸き起こった。


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