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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第111回   セレンと水上市場《レヴィーシャンティ》(2)
「かわいらしい子だが、ラウド殿の従者か」
 ラウドが盆を受け取って、アダンガルとの間に置いた。
「いえ、魔力はないのですが、大魔導師の弟子です。わたしと一緒でまだまだ修行中です」
 アダンガルが感心した。
「大魔導師殿のお弟子か、それはそれは」
 セレンが困った顔でお辞儀して駆け去った。リィイヴも後を追おうとしたので、ラウドが留めた。
「アダンガル殿に昨日話していたことを聞いていただこうと思って呼んだんだ」
 リィイヴは困ってしまった。今朝まだイージェンに会っていない。昨日の話程度なら大丈夫かと頭を下げた。
「こちらは?」
 アダンガルがリィイヴを見て尋ねた。ラウドがアダンガルに茶を渡した。
「リィイヴといいまして、わたしの側近です。数字や地図に強く、なかなか博識です」
 まさかマシンナートと紹介するわけにはいかないのでそのように言ったが、ラウドは本気でそうしようと思っていた。アダンガルが立たせたままではと気遣い、椅子を持ってくるよう勧めた。
 リィイヴが昨日ラウドと話したこと、数字や日付なども含めてふたりで検討し、疑問に思ったことなどをすらすらと述べた。ラウドもそこまで正確に再現できるとは思っていなかったので、驚いた。アダンガルも感心しながら、覚えている限りだがと答えてくれた。
「やはり、ドゥオールに水門の管理料を支払っているのですね」
 ラウドが尋ねながら、リィイヴに空の茶碗を示した。リィイヴがふたりの茶碗におかわりを注ぎ、アダンガルが茶碗を持った。
「それはある程度は仕方ないと思っているのだが、いつも喉元に刃を突きつけられているような状態なので気が休まるときがない」
 海嵐が北上したりすると寝られない夜が続くという。
「昔からそうなのですか?」
 リィイヴが聞くと、アダンガルが首を振った。
「百年前までは水門はセラディムの領土だったのだが、ドゥオールに占領されてしまって。取り戻そうという話はたびたび出るのだが」
 それでも、もしドゥオールが堰や水門を破壊してしまうと、下流に被害が及び、復旧にも大変な手間が掛かる。なにより、その付近は山岳で下からは攻めにくいのだ。
「最上流の水門を見てみたいと思うのですが、可能ですか」
 リィイヴが近づいてくるものに気づいて立ち上がりながら聞いた。
「我が国として案内はできない。そっと上からのぞかれてはどうか」
 『空の船』でということだろう。近づいてきたのは、アダンガルの側近だった。アダンガルの耳元で何事かつぶやいた。それを聞いてアダンガルが暗く鋭い眼に戻った。はっと膝を叩いて、立ち上がった。
「執務宮で急用だそうだ。せっかく楽しく話していたのだが」
 ラウドも立ち上がった。
「よろしければ、今夜にでも、ゆっくり話しませんか」
 ラウドが申し出た。アダンガルが少し考えてから後ほど連絡すると言い、立ち去った。
「なかなか鋭いヒトですね」
 立ち去る後ろ姿を見ながらリィイヴが茶碗の盆を持った。
「文武に優れているな、学院はあの方を推すべきではないのか」
 ラウドが周囲に誰もいないのを確かめながらそっとつぶやいた。

 アダンガルは執務宮に戻り、着替えて、後宮に向かった。兄王からの呼び出しだった。本来この時間ならば執務宮で執務中のはずだった。王太子に摂政させているとはいえ、それなりに政務はあるのだが、気分がすぐれないとかで後宮で休んでいるのだ。
 国王は、後宮の寝所の長椅子に座っていた。両脇には第三妃と側女のひとりがはべっていた。
…どこが気分がすぐれないんだ…
 いつものことと思いながらも、腹立たしくてしかたなかった。これだから王太子に意見のひとつも出来るわけがない。片膝を付き胸に手を当てて頭を下げた。
「陛下、夕べの件、お聞き及びでしたか」
 国王は第三妃から杯を受け取り、飲み干した。
「まったく、王宮に上がったばかりの娘たちを…困ったものだ」
 …娘たち?…
 ラウドに無礼なことをした件ではないのか。
国王の側近が耳打ちしてきた。
「なにっ…」
 夕べ、ヨン・ヴィセンは憂さ晴らしに王宮に上がってきたばかりの十歳前後の少女たちを乱暴したというのだ。
「後始末せい」
 床に付けた拳を震わせていたが、顔を上げた。
「陛下、王太子を罰してください。このようなこと、ほおっておいてはいけません!」
 だが、国王は手を振って、別のことを言い出した。
「今朝ドゥオールの学院長が来てな、今年の納金がまだだがいつになるかと言ってきおった。どうなっているのだ」
 アダンガルは怒りを抑え切れなかった。
「…管理料を昨年の倍要求してきました。とても払えるものではありません。再考を依頼しています」
 声が震える。側女に腕を揉ませながら国王が困った顔で眼をつぶった。
「学院長が言うには、ドゥオール王が孫の顔を見たいので、金は王太子にもたせてくれと言っているそうだ」
 ちらっと薄眼を開けてアダンガルを見た。
「旅費も掛かるだろうから、とりあえず半分でもいいそうだ。そなたから王太子におじいさまのご機嫌伺いに行くよう伝えてくれ」
 アダンガルが顔を逸らした。
「陛下からご命令ください」
 国王が腕を揉んでいた手を払いのけた。
「そなたから頼んだほうが機嫌よくするだろう。すみやかにいたせ」
 アダンガルから頼んだほうが機嫌がいいのは承知済みだ。何故かわかるだけに吐き気がする。頭を下げ、寝所を出た。
 王太子宮の一室に向かった。何人かの少女たちがベッドに横たわっていて、王宮の侍従医と侍女たちが付き添っていた。侍従医を薄絹の帳(とばり)を隔てた部屋に手招きした。
「怪我などしたのか」
 やってきた侍従医が言いにくそうな様子でちらっとベッドのほうを見た。顔や身体を腫れ上がらせた少女たちはすすり泣きしたり、呆然としていたり、心身ともに傷ついている様子だった。
「…はい、なにしろ、みな、まだ子どもでしたし…それに手足に枷を掛けたようで、手首や足首を折ったものも…」
 アダンガルが眼を閉じ、息を吐いた。
「なんてひどいことを…」
 後宮の侍女長からの引渡し文書を見た。四人の娘たちは、みんな執務官や軍人の娘で、中には八つの子もいた。軍人の中に知った名前もあった。
「魔導師を呼んで、きれいにさせろ」
 アダンガル署名で魔導師による治療指示を侍従医の書いた診療簿に追記した。せめて身体の傷をなくしてやらなければ。
 王太子の側近が近づいてきた。ドゥオールから遣わされた男だ。この男が王太子の乱行を一層ひどくさせたのだ。アダンガルが険しい顔で睨みつけた。
「何故止めないんだ!賓客への無礼、子どもへの乱暴、愚劣にもほどがある!」
 襟元を捩じ上げた。側近はあざ笑いながら手を払いのけた。
「娘たちも王太子宮に上がったからには、いつ『お手付き』になってもおかしくありません。いずれも酒の席の戯れ事ではありませんか、そのように目くじらたてなくても…」
 アダンガルが殴りつけた。
「がぁっ!」
 側近がよろけて帳(とばり)にすがり、引き剥がしてそのままひっくりかえった。その頭の上から怒鳴った。
「ふざけるな!」
 側近が屈辱に震えながら立ち上がった。王太子の居間に向かった。側近が距離を置きながら追ってきた。
 居間に入ると王太子が昼間からテーブルに晩餐のような料理の皿を並べて摘んでいた。アダンガルがテーブルの側まで寄った。
「度重なる愚劣な行為、自ら刑部省に出向いて罰を受けろ!」
 どうせ行きはしないが、そのくらいは言ってやらないと。案の定ヨン・ヴィセンはせせら笑って、酒杯をあおった。
「おまえこそ、あの化け物のしつけをきちんとしておけ、せっかくの饗宴を台無しにしおって」
 テーブルの向かいに立った側近を見た。頬を腫らしてうなだれていた。


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