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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第110回   セレンと水上市場《レヴィーシャンティ》(1)
 セラディムの王都・水の都《オゥリィウーヴ》の暁は、紅色の光のベールで空が覆われ、色鮮やかな鳥たちのさえずりでいっそう美しかった。
 イージェンは、夜中やってきたエアリアに手伝わせて、総会議事録を修正し、附記を書き終えた。それを朝の挨拶に訪れたアリュカに渡した。
「午前中に人数分複製してくれ。どっちにしてもまた文句が出るだろうから、調整後に作り直してくれ」
 受け取ったアリュカが、学院のものに渡し、そのものが出て行った後、サリュースが入ってきた。
「おはよう」
 イージェンが挨拶すると、青ざめた顔で小さく頭を下げて、アリュカを手招いた。
「ちょっと来てくれ」
 アリュカが小首を傾げ、イージェンに断りを入れて、サリュースと出て行った。イージェンは、『耳』を澄ませば会話などいくらでも聞けるが、止めた。
 廊下を早足で歩きながら、サリュースが小声で言った。
「そちらの王太子殿下が…」
 アリュカが疲れたような溜息をついた。
「まさか、賓客にまでそのようなことを…」
 ふたりは、宿舎に向かった。
 イージェンは、学院長室に残って伝書やら文書やらを書いていた。エアリアも言いつけられた文書をまとめていた。扉をたたかれ、開けに行った。
扉の前には、背が高く茶色の髪を短く刈り込んで顎を髭で覆われた精悍な顔立ちの男が立っていた。軍服を着ていて、魔導師ではないことはわかった。エアリアに軽く目礼し、中のイージェンを見て、頭を下げてから、部屋を見回した。
「アリュカは…」
「アリュカなら、今さっき出て行ったぞ」
 イージェンが羽ペンを動かしながら言うと、男は中に入ってきた。
「大魔導師殿、国王の弟アダンガルだ。きちんとした挨拶は、総会の後と聞いたので、失礼した」
 胸に手を当て、お辞儀した。イージェンが立ち上がり、頭を下げた。
「こちらこそ。挨拶はおそらく明日になると思うが、ヴィルトの後継者イージェンだ」
 アダンガルは、鋭い目をしている。意志も強そうだが、なかなか切れ者という感じだ。
「総会の後でまたお会いしよう」
 イージェンがうなずくと、頭を下げて出て行った。
 玄関広間にいたものに、アリュカは宿舎に向かったようだと聞き、追った。アリュカとサリュースは、宿舎の従者控え室にいた。
「アリュカ、あの下種(げす)があろうことか、賓客に…」
 アリュカが承知しているようなので途中で止めた。
「どうする。あれに頭を下げさせることは無理だぞ」
 サリュースもヨン・ヴィセンの傍若無人ぶりを知っているし、たしなめられない事情もわかっていた。
「お察しはしますが、あまりにもひどい」
 大事に大事に育ててきたのだ。それを。サリュースが怒りに拳を震わせていた。アリュカがサリュースを見た。
「わたしがあやまりましょう。イージェン様にもお伝えして…」
サリュースが両手を振って止めた。
「だめだ、だめだ!イージェンには絶対言うな、あいつが知ったら、そちらの殿下を逆さ吊りにでもしかねないぞ!」
 アダンガルが目を見張った。
「ほほう、それはなかなか。気概のある方なんだな、できることならしてもらいたいが、しかたない、俺があやまっておく」
 アリュカとサリュースがほっとした顔を見合わせた。
 宿舎を訪ねたが、誰もいなかった。みなで修練場に行ったというので向かった。
 修練場では、ラウドとイリィが手合わせをしていた。ラウドの太刀筋は鮮やかだが、まだ体重が足りないようで、イリィの剣を跳ね飛ばせないでいた。だが、うまく間合いを取って、イリィのふところに飛び込んでいった。
「オウ!」
 剣がイリィの腹を叩く寸前で止まった。
「お見事」
 ダルウェルが拍手すると、周囲で見ていたヴァンたちも一斉に拍手した。ラウドが手で制した。
「そうでもない、さっきからさんざんやられてる。一本くらいとらないと」
 まだ五本のうち、二本取るのがやっとだ。
「わたしともお手合わせ願えるかな」
 アダンガルが近づきながら、イリィから稽古用の剣を受け取った。ラウドが頭を下げた。
「おはようございます、わたしのごとき未熟者でよろしければよろこんで」
 イリィがさっと身を引き、ダルウェルたちのところにまで下がった。ラウドが両手で握って構え、アダンガルは左手一本で構えた。
「左利きですか」
 イリィが言うと、ダルウェルが首を振った。
「あれは違うな」
 アダンガルは左を動かすと見せて、すばやく右手に持ち替え、ラウドの頭の上から振り下ろした。ラウドが剣を受けずに避け、逆にアダンガルの肩に剣腹を叩きつけようとした。アダンガルが腰の鞘を左手で振り上げ、その剣を跳ね飛ばした。
「うっ!?」
 ラウドは数歩下がらざるを得ず、立て直して、再び迫った。数度かち合わせる、カキンカキンと硬質な音が響き渡った。アダンガルがラウドの膝を蹴った。よろけたところをさらに蹴り飛ばした。ラウドが後にひっくりかえり、急いで起き上がろうとしたが、アダンガルの剣先が喉元を捉えていた。
 …強い…
 ラウドの額に冷や汗が流れた。素直に負けを認めた。
「参りました」
 アダンガルがラウドの手を取って立たせた。
「いや、俺のは喧嘩剣法だ。ラウド殿の剣はきれいすぎる」
 人を切る剣術ではない。いつか血肉を切り刻むときになったら、このようにはいられないだろう。そのようなことにならないでほしいと思うほどだった。
「ラウド殿、人払いいただけるか」
 アダンガルが稽古用の剣をイリィに返して周りを見た。ラウドがなにごとかと思いながらも、みんなに下がるよう手を振った。修練場にはふたりだけになった。
 いきなりアダンガルが片膝を付き、頭を下げた。
「アダンガル殿!?」
 ラウドが驚き、腕を取ろうとした。アダンガルが首を振った。
「ラウド殿、昨夜の貴公への無礼なふるまい、本来ならば本人に謝らせるべきだが…諸般の事情があり…」
 声を絞るようにしてアダンガルは拳を地に付け、深くお辞儀した。
「わたしが代わってお詫びする。たいへん申し訳ない」
 両膝を付いて両手を付こうとした。ラウドが腕を掴んだ。
「どうかお立ち下さい。もう十分です」
 驚いてアダンガルが見上げた。ラウドがうなずき、さらに腕を引き上げた。つられるように立ち上がった。
「ラウド殿」
 ラウドが小さく笑って、アダンガルの腕を取ったまま、修練場の周囲に置かれている椅子のひとつに向かった。
「たいへんですね、アダンガル殿も」
 ふたりで簡素な長椅子に座った。
自分がしたことでないことを代わりに謝ることはそれほどた易いことではない。最初は値踏みするような眼付きのように感じたアダンガルだが、今となっては傲慢ではないと分かる。とても誇り高いヒトだろう。そのようなものならよけいである。したがって、今の謝罪をするだけでもかなりの気持ちが入っているとラウドは感じたのだ。
アダンガルはラウドの清廉さをいとおしいと思うとともに、そのままで生きられるほど世は美しくないと憂いた。
「昨日貸していただいた文書、目を通しましたので、お返しします。ありがとうございました」
 ラウドが話題を変えた。この話はおしまい。そういう意味だ。アダンガルが他に見たいものがあればと申し出た。
「それを言い始めたらキリがないので」
 ラウドが手を叩いた。イリィが飛ぶように駆けてきた。
「茶を用意してくれ、それとリィイヴに来るように」
 ほどなく、リィイヴとセレンが茶を運んできた。アダンガルがちらっとセレンを見て、青い瞳のきれいな顔立ちだと優しい微笑を浮かべた。


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