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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第109回   セレンと海獣王《バレンヌデロイ》(6)
エアリアたちは、宿舎に戻ることにした。ダルウェルはヴァンたちのいる部屋に向かい、サリュースとアリュカは話があるからと途中で別れた。
エアリアは昨日あてがわれた部屋に入った。セレンはヴァンやリィイヴたちと一緒にいるはずだが、寝室から寝息が聞こえた。そっと覗くとイリィがベッドの上で寝ていた。執務宮の宿舎にいるはずだが、なんでこちらにいるかわからなかった。
別に二、三日寝なくてもどうということはないので、調薬庫に向かった。ふところからイージェンが指示を書き込んだ処方箋の写しを出した。調薬してみようと思った。他国の学院だが、明日アリュカに謝ればいいだろうと、調薬庫に入った。もちろん鍵はかかっているが、エアリア以上の魔力で掛かっていないので、開けるのは造作ない。灯りに火を点けて薬草の棚の名札を見ていたら、奥のほうから声が聞こえてきた。まともな会話ではない。なにかわかって、胸がズキリとした。
「どうして、そう困らせる…」
 サリュースの声。息を荒らしている。
「…困ってるの?ほんとうに…?」
アリュカの声。『女』の艶やかな吐息交じりだ。
「…むりやりだろう…いつも…わたしの都合も気持ちも考えないで…最初のときも、まだ子どものわたしを…」
「だったら、突き飛ばせばいいのに…別に魔力で縛ってるわけじゃないでしょ…」
 あわててその場を離れようとして机の瓶を落としてしまった。ガシャンッと大きな音がして割れた。
「誰だ!」
 サリュースが半裸で奥から出てきた。エアリアは思わず飛び上がり天井に貼り付いていた。サリュースが床に散らばっている硝子の欠片を拾って見回した。アリュカが黄土色の毛布をまとってやってきた。
「サリュース、わたし、もうひとりほしいの…わたしたち、とても『合う』のよ、次の子もあの子たちみたいに…」
 アリュカがサリュースの前で、毛布がはらりと落した。年を感じさせない張りと艶の肌を晒した。頬を赤らめたサリュースが抱きしめた。
「エアリアやアートランのような特級が産まれると?」
 サリュースがアリュカの首筋に口付けた。
「ええ、きっと」
 アリュカが顎を上げて酔ったような笑みを見せ、むさぼるように口付けを繰り返すサリュースの頭を両腕で抱いた。
エアリアはそっと気づかれないように天井に張り付いたまま動き、排気口から外に出た。
…ふたりは、わたしの?…まさか…そんな。
 特級魔導師は親から切り離されて学院で育つ。学院長以外素子記録を見ることはできないので、エアリアは自分の両親のことはなにひとつ知らなかった。学院は魔導師の結婚を認めていない。そのため、もし子どもが産まれると特級は学院が引き取るが、他の子どもは里子に出されるのだ。
…学院長様が…わたしの父…
 考えもしなかった。エアリアが肩を震わせた。
「いえ…わたしの父は…」
 ヴィルト様だとエアリアはゆっくりとあの浮島に降り立った。腰を降ろして学院のほうを見つめた。ラウドがセレンたちと一緒に寝ていた。知るものもいない異国の地だ。みんなと一緒にいたほうが安心するだろう。 
エアリアは、急に背筋が寒くなった。冷たい氷のような。その気が足元の水の中にいる。
「…これは…!」
 あのセティシアン!?
 さっと立ち退き、水際から離れた。同時に水の中から手が伸びてきてエアリアを掴もうとしたが、すでにエアリアは逃れていた。ザァーッと音がして、水から誰かが上がってきた。
「へぇ…俺の気配わかったんだ」
 びしょびしょの髪の間から声がした。下帯しかつけていないようで、まだ子どものような身体だ。
「あなた…セティシアン…」
 そんなことがあるはずがないが、同じ気配なのだ。髪をかきあげた。
「ああ、あのセティシアンは俺が操ってた。もっと歯ごたえあるかと思ったけど、たいしたことないね、姉さんの魔力も」
 はっと顔を見つめた。すんなりした金髪と紫がかった眼。サリュースに似ている。
「アートラン…あんたの弟だよ」
 ちらっと後ろを振り返った。
「どうやら、もうひとり兄弟ができそうだな、弟か妹か」
 アートランがぶるっと身体を震わせて、水しぶきを飛ばした。
「親なんてどうでもいいんだけど、兄弟はいいな、姉さんとは会いたかったよ」
 エアリアは戸惑った。
「その…今さっき知ったばかりで…両親のこととか…兄弟がいたこととか」
「知ったから何か変わるってわけじゃないだろ。もともと魔導師には親も子もないんだし、これまでどおり知らないふりしてればいいのさ」
 アートランが浮島の縁に腰掛けて、足を水につけた。
「セレン…海に飛び込んだ男の子に、なにか術でも掛けたの?」
 少し後ろから話しかけた。距離を置かないと。なにか危険な感じがする。アートランが身体を半分向けてきた。
「術なんか掛けてないよ、呼びかけたら応えた。俺と気持ちが合ったんだ」
 薄暗闇の中でアートランがにやっと笑った。
「連れ出しに行こうか、俺はセレンを、姉さんは殿下を」
 エアリアの眼が険しくなった。
「セレンをどうするつもりなの」
 アートランが立ち上がった。
「どうするって…殿下と姉さんがしてたこと、するんだよ。好きになったからね」
 エアリアが驚き、恥ずかしくて耳まで赤くなった。もしかして、昨日のことを。
「で、でも、セレンは男の子よ、あなたも…」
 アートランがスッといなくなって、水音がした。
「なんでもいいんだよ、俺の『声』が聞こえるんなら、男でも女でも…ヒトでも獣でも…」
 氷のような気配が遠ざかっていく。学院のほうに行った様子はなかった。学院長室の窓辺にイージェンが立っているのがわかった。言いに行くべきなのだろう。しかし、どう言えばいいのか。迷ったまま、立ち尽くしていた。
(「セレンと海獣王《バレンヌデロイ》(完))


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