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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第108回   セレンと海獣王《バレンヌデロイ》(5)
 すぐにダルウェルとエアリアが一番上の扉から出て、傾斜の廊下を降りてきた。
「イージェン」
 イージェンが立ち止まってふたりを待った。
「さすがに疲れた」
 イージェンが肩で息をしてダルウェルと並んで歩き出した。三人の後ろからアリュカが声を掛けた。
「学院長室でお休みください」
 アリュカの後ろにはサリュースが立っていた。そのはるか後方からヴィルヴァが睨みつけていたが、イージェンが振り返ったのに気づいて、ぷいと顔を逸らし、行ってしまった。
「ちょうどよかった。聞きたいことがある」
 五人は学院長室に向かった。
 イージェン以外には軽食が出された。みなが摘んでいる間、イージェンが壁棚の書物の背表紙を見ていた。一冊取り出して開きながら尋ねた。
「ヴィルヴァとゾルヴァーはなにかでもめているのか」
 蒸した米で出来た団子を食べていたアリュカが茶を一口すすった。
「十四年前の競い合いのことからかと」
 十四年年前、三の大陸の大魔導師アランテンスが隠居するので、五の大陸の大魔導師イメインがヴィルヴァを連れて訪れたことがあった。まだ十ほどの子どもだったが、魔力も意志も強く、イメインの後継者にでもなるのではないかと言われたほどだった。アランテンスはドゥオールの奥地に隠居するというので、ドゥオールの学院に逗留していた。アランテンスはヴィルヴァが贈ってくれた精錬した星見の筒を誉め、あまり修練が好きでなかったゾルヴァーをたしなめた。ゾルヴァーは子どもと比べられ、不愉快になり、ヴィルヴァと競い合いさせてほしいと願い出たのだ。
「ゾルヴァーはその星見の筒は、あまりに見事なため、イメイン様が精錬したものと思ったようです。それで、競い合いすれば、自分のほうが上に違いないと」
 だが、結局ヴィルヴァのほうが魔力が上だった。ヴィルヴァは負けたゾルヴァーを国王や大魔導師たちの面前でバカにするような発言をしたことで、イメインから年上への敬意が足りないとひどく怒られた。ゾルヴァーはもちろんヴィルヴァを憎み、ヴィルヴァもゾルヴァーを恨んだのだ。
「隠居先にお尋ねしたときにうかがった話ですが」
 ダルウェルが呆れて肩をすくめた。
「ヴィルヴァ殿はともかくゾルヴァー殿はずいぶん大人気ないな」
 アリュカが首を振った。
「ヴィルヴァは気性が激しいので、今だに恨みを持っているのでしょうけど、ゾルヴァーは計算高く動きます。総会の席でヴィルヴァに恥をかかせて仕返ししたかったのでしょう」
 イージェンが書物を棚に戻した。
「それだけなら別にいいが…。議事録への文句といい、どうも気に入らん」
 アリュカが頭を下げながら申し添えた。
「議事録については、わたしもおおむねゾルヴァーの意見に賛成です。魔導師たちには読ませてもよいですが…」
 後は濁した。アリュカも国王と王太子には読ませたくなかった。とくに王太子は知りえたことを盾にわがままぶりに拍車がかかるだろう。エスヴェルンの王太子のように賢明ではないのだ。
 イージェンが椅子に腰掛けて黙り込んだ。ダルウェルが茶のおかわりを飲んでから隣のイージェンの肩に手を置いた。
「なにもかもいっぺんに変えられやしないぞ」
 イージェンが肩を振って置かれた手を払った。
「のんびりしていたら…あいつら、マシンナートの脅威が解ってない。今この瞬間にもやつらのアウムズが地上を襲うかもしれないんだぞ」
 だからこそ、学院の改革が必要だし、現状をきちんとわかってほしいのだ。ダルウェルが席を立ち、イージェンの前に行って、仮面を見下ろした。
「おまえがあせる気持ちもわからないわけじゃないが、マシンナートのことと学院の修正は別にしないと無理だ」
 イージェンが見上げ、突き放した言い方をした。
「だとしたら、どこかの王国がミッシレェの爆撃を受けて破壊される必要があるな、そうすれば、みな、現実として受け止めるだろう」
 サリュースが茶碗を皿に叩き置いた。
「イージェン!それを防ぐのが大魔導師の役目だろう!」
 エアリアがふたりを心配そうに見ていた。
「それこそ、俺ひとりでは無理だ。『星の眼』が監視できる範囲はセクル=テュルフとその周辺海域だけだ。セクル=テュルフへの攻撃は防げるかもしれんが、それでも一度に十も二十も打ち込まれたらさすがに無理だぞ」
 サリュースが青ざめて下を向いた。
「それに攻撃してくるアウムズがミッシレェだけとは限らない。オゥトマチクという鉄の球を発する筒や『瘴気』に似た毒の気を出すものもある。他にどんなアウムズを隠し持っているかわからないんだ。バレーは各大陸にある。それが一斉に襲ってこないとも限らない」
 サリュースが下を向いて震えながら言った。
「…おまえがバレーを全て消滅させてくれればいい…」
 一刻も早く…と口の中でつぶやいた。イージェンが首を振った。
「いずれ全て消滅させる。だが、今、ひとつでも消滅させたら、他のバレーが攻撃してくる。あるいはミッシレェ攻撃を盾に俺を脅してくるだろう。俺に全滅させられるくらいなら、地上を道連れにして自滅するほうを選ぶ。そういうやつらだ」
 アリュカも肩を震わせ、ダルウェルも眉を寄せていた。
「千三百年前の大災厄と同じだ。ミッシレェは間違いなく、『瘴気』を積む。地上はまた汚染されてしまうんだぞ」
 三千年前からなんとか『瘴気』の汚染から回復したところに千三百年前ふたたび大災厄で汚染された。ようやく近年『瘴気』が出なくなったはずだった。
「おそらくだが、ナルヴィク高地の下に『瘴気』の元である《ユラニオゥム》の精製所がある。事故かあるいはなんらかの事情で地上に噴出したと考えられる」
 つくづく事後であってもヴィルトに報告していればと思う。しかし、『瘴気』に冒されたヒトは後代への影響を考えて『瘴気』とともに消滅させられるという決まりがあった。『瘴気』が広がる前ならばともかく、今となって大魔導師がやってくれば、ナルヴィク高地の人々が殺されると思い、ダルウェルはヴィルトに報告できなかったのだ。
 アリュカがエアリアに茶を入れなおすよう言った。
「『星の眼』ですが、他の大魔導師様もお持ちだったはず。全てをイージェン様が操ることは無理なのですか?」
 イージェンが仮面を傾げた。
「ヴィルトから受け継いだものしかわからん。他にあったとしても…」
 言いかけて、イメインの記録を手繰った。五の大陸上空にも『星の眼』はあったが、監視の眼は動いていなかった。
「…イメインのものは確認できたが、動かない。もう寿命なのか…とすると」
 ヴィルトの『星の眼』は動いているが、いつ停止するのかわからないのかもしれない。
「だめだ、わからん…学院に『星の眼』に関する書物はないのか」
 サリュースが首を振った。アリュカも首を傾げ、ダルウェルは両手を広げて肩をすくめた。
「大魔導師の道具についてはまったくわからない。『空の船』も初めて知ったんだ」
…もしや、直接触れれば動くようになる?
『空の船』も自分が触れることによって可動した。だが、空身であれ、『空の船』であれ、『星の眼』のところまで飛んでいくことなどできるのだろうか。そもそもどうやって『星の眼』を飛ばした?
 そうした肝心な部分の記録を引き出そうとすると、真っ暗になる。失われているのか、それともなにか鍵が掛かっているのか。
 扉が叩かれ、総会の書記が入ってきた。アリュカが議事録を受け取り、机に置いた。
「イージェン様、明日は午後からに致しませんか?議事録の編集をしなければなりませんし、附記も書かれるのでしょう?」
 そんなものは夜明けまでに済むと思ったがアリュカの言うとおりにと返事した。
「ここの机を貸してくれ、あと、みんな、下がって休め」
 みな、お辞儀して下がっていった。ひとりになって、重厚な学院長席に身を沈めた。
 しばらくして、席を離れ、窓から夜空を見上げた。
「もし通信衛星を打ち上げられたとしても、それですぐにテェエルを総攻撃することにはならないよな…」
 以前は、大魔導師の存在が抑止力になっていたが、今後はどうするか、後継者がいることをわからせたほうがいいのか。
どうでるのか、相手が動かないことにはなにもわからない、今はどう動くかも決められない、だが、その動かれたときが終末ということもありうる。この状態をもどかしく思うのだった。


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