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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第106回   セレンと海獣王《バレンヌデロイ》(3)
 執務宮東棟の塔の上から王太子宮の方角を眺めていた王弟アダンガルは、きらっと波の煌きを見て、口元に不敵な笑いを浮かべた。一階に下りてくると、池に張り出したテラスの椅子にアートランが腰掛けて、果物をかじっていた。
「もう少し穏やかにできなかったのか」
 アダンガルが向かいの椅子に座った。アートランが果物の種をプッと池の中に吐き出した。
「穏やかにやったつもりだけど」
 アダンガルが呆れた吐息をついた。
「まあいいか、あの下種(げす)には少しも効いていないだろうがな」
 アートランがふたつめに歯を立てた。
「ドゥオールの学院が脅してきてる。廃太子したら、協定は破棄するとさ」
 アートランが歯を立てた薄紅色の果物をアダンガルに投げて寄越した。アダンガルは受け取り、食べた。
「それほど大事なら、自分とこの王太子にすればいいのに。それはしないんだよな?」
 ヨン・ヴィセンの母親はドゥオールの王女だったが、すでになくなっている。ドゥオールには老王ひとりがいるだけで、直系はヨン・ヴィセンひとりだった。
「したくはないだろう。それくらいなら、傍系に王権を渡したほうがいい。要するに嫌がらせだ」
 アートランがふわっと浮き上がった。そのままアダンガルに近づき、右手でアダンガルの顎の髭に触れた。
「あいつを殺して、あなたが王太子になればいい。そうすれば、帰ってきて、そのうち学院長やってやるよ」
 顔を近づけた。アダンガルが太い腕で、浮かんでいる身体の両腕を掴んだ。できないことをわかっていて言うのだ。
「それは無理だな。廃太子するにしろ殺すにしろ、そうなれば、パウラの息子が王太子になるだろう」
 第一王女パウラは大公家に降嫁して、息子がふたりいた。
「だったら、俺は戻らないし、学院長にもならない」
 アダンガルがふっと笑った。
「あの大魔導師の後継者がそれを許すかな」
 夕べアリュカから聞いた話では、穏健だった三の大陸ティケアの大魔導師アランテンスや優美ともいえる五の大陸の大魔導師イメイン、厳格だった一の大陸セクル=テゥルフの大魔導師ヴィルトとはまったく違うらしいということだった。
「別に誰の許しも必要ないよ、俺は俺のやりたいようにやるだけだ」
 アートランの身体がアダンガルの手からするっと抜けた。
「俺、好きなやつができた」
 アートランは、自分を化け物扱いする他のものには慣れないが、一向に気にせずにかわいがった自分にはよくなついた。今でも帰ってくると学院ではなく、アダンガルの寝室で寝ていた。アダンガルが寂しそうな顔をした。
「そうか、優しくしてやれ、おまえはすぐ食べてしまうからな」
 水音がしてアートランの姿が水の中に消えていった。
「まさかヒトではないよな?」
 これまでも好きなやつができたと言って四足(よつあし)や魚をかわいがっては自分の血肉になることでひとつになるのだと、食べてしまっていた。もう年頃になってきたのだし、そろそろ好きな女ができてもおかしくはないがと池に広がる波紋を見下ろした。

 ヴィルトが提議した五つの件がようやく終了し、いよいよイージェンについての審議が始まろうとしていた。その前にひといきつくために半時後に再開することとして、それぞれ大陸ごとの控え室に下がった。
 一の大陸セクル=テゥルフの部屋には、エスヴェルン学院長サリュースと第一特級魔導師エアリア、ルシャ=ダウナ学院長ベリエス、イージェンとダルウェルがいた。二十五、六といった年頃のふっくらとした体格をしたベリエスはイージェンにひざまずいて敬意を表した。
「カーティアのことで伝書をいただいておりましたが、まさかヴィルト様の跡を継がれるとは思いも依りませんでした。でも、心強いです、どうか、セクル=テゥルフでお過ごしください」
 サリュースが言わなくてはならないが、言いたくないことをベリエスが言ってくれた。イージェンがベリエスの手を取って立たせた。
「経緯からしてそうしたいが、なんかもめそうだな」
 テーブルについてエアリアが入れた茶を飲みながら話した。ダルウェルがにやっと笑った。
「いいじゃないか、嫌われ者のおまえを取り合って、学院長たちが言い争いだ。愉快だな」
 サリュースが困った顔を逸らした。この事態を面白がるダルウェルも災厄みたいなものだ。どうやらカーティアの学院長にしたいようだが、同じ大陸の学院長になってほしくはない。どうなることやら。
「それにしてもすっとした。アルバロとジェトゥの顔見たか?今頃この先どうなるか心配してふたりで震えてるだろうな」
 イージェンが顎を引いた。
「今後は、所属する大陸がどうのと言わずに、俺が学院についての訴状を受けるようにする。そうすれば、不正や結託、怠慢を知ることができる。王族の教育や学院での教程についても目を通したい」
 サリュースが仮面を見ないようにしてぼそっと言った。
「そんなにひとりでできるものか。ヴィルトでも、一の大陸内の全てを見ることはできなかったんだぞ」
 イージェンが背もたれに寄りかかった。
「ヴィルトも昔はやってたんだ。何千年もな。この百年余り、次々に他の大魔導師たちが亡くなって、さすがに気落ちしていたんだ」
 何千年…エアリアは内心大魔導師にならずに済んでよかったとほっとしていた。ラウドが年を取って亡くなっても生き続けなればならないなど、耐えられそうになかった。
 ダルウェルが立ち上がって窓の外を見た。エアリアも立ち上がった。
「おい、なんだか、妙な…」
 イージェンが首を振った。
「ほおっておけ」
 ダルウェルやベリエスたちが首を傾げる中、サリュースが肩を落としていた。

 二の大陸キロン=グンドの部屋では、ガーランド学院長アルバロとイリン=エルン学院長ジェトゥが向かい合って座っていた。ジェトゥがゆっくりと横を向いた。
「『瘴気』のこと、わたしは後日知ったのだからな、あの件には関わりないぞ」
 アルバロが青ざめて立ち上がり、両手でテーブルを叩いた。
「関わりないだと?!あらかじめ知っていたとしてもヴィルト様に伝書を送ったか?!」
 ジェトゥがうんざりした顔で頭を押さえた。畳み掛けるようにアルバロが言った。
「この議事録を読まれたら、わたしは終わりだ。おまえもな!」
 ジェトゥが首を振った。
「わたしには致命的ではない。外交上の工作は、宮廷も知るところだし、今は亡き王太后の命に従ったまでだ」
「ジェトゥ…それで済むと思うのか」
 アルバロが目を細めて睨んだ。そのとき、扉が叩かれた。誰かと不審に思い、そっと開けてみると、ゾルヴァーが立っていた。
「よろしいかな」
 迎え入れたが、訪ねてきた意味がわからず、しばらく黙ってゾルヴァーを見ていた。やがてゾルヴァーが口を開いた。
「かなり困っているようだが、わたしに協力してくれたら、議事録の一部を伏せるよう提議するがどうだ」
 アルバロとジェトゥがゾルヴァーの意図がわからず、顔を見合わせた。

 四の大陸ラ・クトゥーラの部屋では、サンダーンルーク学院長ソテリオスとタービィティン老学院長ネルガル、ネルガルの介添に付いてきた十二、三歳くらいの少女がいた。少女は、淡い黄色の髪を細かく編みこみ、顔の下半分を布で覆っていた。目は鈍色だった。ネルガルに暖かい茶を入れて渡した。
「ソテリオス様も飲みますか」
 少女が気遣い、茶碗を差し出した。受け取ったソテリオスが少女を見つめた。
「アディアだったか、大きくなったな」
 アディアが小さくお辞儀した。ネルガルがゆっくりと茶を飲んだ。
「ジャリャリーヤ姫様の具合はどうかな?」
 ジャリャリーヤはサンダーンルーク王家の姫で、子どもの頃病弱だったので、ネルガルが、時節の見舞いにタービィティンの砂地に生息するトカゲで作った薬を送っていた。ジャリャリーヤ姫の母妃は、タービィティン王族で、ネルガルがとてもかわいがっていたのだ。
「丈夫にはなってこられたのだが、お心のほうがどうも…」
 アディアがネルガルの肩を揉んだ。
「そうか…わしもクスース(砂漠とかげ)を獲る元気もなくなってきた。もう姫君に薬を作って差し上げられんな」
 ソテリオスが目を閉じた。
「ご老体はあのイージェンという御仁をどう思われる?」
「ツヴィルク様を思い出した。ヴィルト様にお会いしてもそう感じなかったが。情もあるが、厳しくもある。グルキシャルのことをご存知になれば、われらの怠慢とお叱りになるだろうな」
 ソテリオスが眉を寄せた。
「『紅玉の双眼』か…やっかいな存在だ」
 ラ・クトゥーラは古くからグルキシャルの教団が勢力を保ってきていたが、『紅玉の双眼』と呼ばれる大神官が出現したことをきっかけに新しい信者が増えていた。しかも王族、貴族、軍人、執務官の中にも信者がいるのではないかとの噂もあった。
 学院は宮廷以外の組織と繋がることは禁じられているので、グルキシャルとは組まず敵対せずでやってきたが、大神官は学院を敵視しているようなのだ。
大神官は白髪と赤い眼の男で、病を治したり、予知をしたり、神の力を持っているというもっぱらの評判だった。信者は大神官を神の子と思っているらしい。ネルガルが茶を飲み干した。
「イージェンのように学院が見逃した素子なのだろうな」
 ラ・クトゥーラの奥地に住んでいるらしいが、その居場所ははっきりしなかった。
「とにかく、総会が終わってからお話しよう。イージェンにはグルキシャルの血が流れているのだし、教団とも和解が必要だろうから、いずれにしてもこの話はしなければならん」
 ネルガルが言うと、ソテリオスもうなずき、茶碗を置いた。
 
五の大陸トゥル=ナチヤの部屋では、イェルヴィール学院長ヴィルヴァとカンダオン学院長テェームがいた。テェームは椅子に座っていたが、ヴィルヴァは腕組みして窓から池を眺めていた。
「来て…いただけるのでしょうか、その…イージェン様」
 五十近いテェームが疲れた顔をしていた。大陸間を飛んでくるのはかなりの魔力がないとできない。テェームはカンダオンの中では一番魔力が強いが、少し身体を浮かすくらいで空を飛べない。実は、ヴィルヴァに迎えに来てもらって連れてきてもらったのだ。カンダオンで学院長になるはずだったイージェンの父も空を飛べなかった。テェームはフレグの代わりに学院長になった。
フレグはカンダオンの中では能力が高かったが、傲慢で俗物だった。テェームはたびたび娼館まで迎えにいったことがあって、不愉快極まりない存在だった。その息子が大魔導師の後継者となるとは。皮肉としか思えなかった。
「当大陸所属が筋だ。そのためのお膳立てはしたんだ。来てもらわなければ困る」
 いずれにしても一の大陸と五の大陸の間での取り合いになるだろうが、筋はこちらにある。
 ヴィルヴァは、イージェンがザブリスを殺すとき居合わせていた。ザブリスの説明に納得がいかないので、もう一度問いただそうとして学院長室に向かい、イージェンがザブリスの胸に剣を突き刺しているところを見たのだ。イージェンは怒りに震えていた。目を真っ赤にして。
「あれは泣いていたのだよな…」
 少年の姿は少女の胸に深く刻まれた。
北の方角に光を見た。
「ふん、どこもかしこも」
 鼻先で笑い飛ばし、空を見上げた。


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