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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第105回   セレンと海獣王《バレンヌデロイ》(2)
「ラウド殿、その女はわたしの側女のひとりだ。気に入ったようだから、貴殿に差し上げよう、今夜の相手をさせるといい」
 ラウドが青ざめてヨン・ヴィセンを見た。
「いえ、気に入ったって…なんの…」
 …しまった、手ずからの杯を受けて返してしまった…
 頭がくらっとした。身体が揺らぐ。
…まさか、この酒に…なにか…
 身体が熱くなってきて、目の前がぐらぐらしてきた。
「殿下、お楽に…」
 女がラウドを横にして、衣服を緩め、身体に触れてきた。
「よ…よせ…」
 解毒の薬が入っている腰の薬筒に手を伸ばそうとしたが、女が手を掴み、胸に押し付けた。身体の上にまたがって、無理やり口付けしようと顔を近づけてきた。
「いやだ…いやだ」
 もがいていたが、頭がぼおっとしてきた。またがられているその部分が熱く力強くなってきた。ヨン・ヴィセンが覗き込んで、鼻先で笑った。
そのとき、ドオーンという大きな音がした。
「何だ!」
 ヨン・ヴィセンが立ち上がった。目の前にゴオオーッという音がして水の壁がそそり立った。
「きゃーあーあっ!」
 女たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、水の壁は頭から覆いかぶさり、テーブルの上のものを洗い流した。ヒトを流すほどの勢いはなく、みな、全身びしょぬれになって立ちすくんでいた。
「殿下!」
 イリィが桟橋から走ってきた。倒れているラウドを見つけて、抱き上げた。召し換えるので退席お許しをと言って、ヨン・ヴィセンに一礼してそのまま船に向かった。別に控えていたヨン・ヴィセンの側近がやってきた。
「あの化物の仕業です。これ以上はお控えなさいませ」
 ヨン・ヴィセンがどっかりと座った。
「よいところだったのにな」
 夕べ父王がラウドを褒めちぎって、少しは見習うようにと言われた。今までずいぶん不摂生をしても叔父のアダンガルや学院の一部以外から非難されたことはなかった。とくに父王がたしなめることはなかったので、不愉快になった。それでラウドを汚してやろうと思ったのだ。
「せっかくの饗宴が台無しだ、あっちで飲みなおす」
 ずぶ濡れで震えている女たちの尻を蹴り上げながら桟橋に向かった。
 イリィは船を学院に着けるよう、船頭に頼んだ。ラウドの口に解毒の丸薬を含ませた。正気に戻ったらしく、イリィの腕の中で震えだした。
「イリィ…俺…こんな…」
 イリィがぎゅっと抱きしめた。
「殿下、大丈夫です、少し酔われただけですから」
 桟橋で待っていたイリィの耳にこだまのようなこどもの声が聞こえてきた。
「ヨン・ヴィセンがそちらの王太子殿下に媚薬を飲ませた。今、水差してやるから、すぐに連れ出して、こいつを飲ませてやれ」
 ポンと足元に袋が投げられた。文字通り、水の壁が浮島を襲って来て饗宴に水を差した。学院の桟橋に着いたとき、がたっと音がして船の中に何か投げ込まれた。見るとラウドの長靴だった。それももってラウドを背負って学院の宿舎に行った。
 宿舎で迎えたリィイヴとヴァン、セレンが驚いて、すぐに着替えるように寝室を開けた。リィイヴとヴァンが昨日のように湯を貰いに行き、セレンが着替えを用意した。自分でできるというので下がって寝室の扉を閉めた。リィイヴが濡れた長靴を拭いた。
「ここは南国だから風邪はひかずにすむかもしれないけど…」
 あまりにも次々と水浸しになるので不安になってきた。
イリィはこのふたりには話せないと思ったものの、総会はまだ終わっていないと聞き、困ってしまった。セレンが昨日自分が飲ませてもらった茶を入れてきた。
「これ殿下に」
ぎこちなく差し出す茶碗を受け取り、寝室の扉を叩いた。
「殿下…入ります」
開けようとしたとき、中から怒鳴られた。
「入るな!」
扉を閉めなおし、振り返って首を振った。リィイヴが心配そうに扉を見つめた。
「エアリアに来てもらいましょうか…呼び出せるかどうかわからないけど」
イリィが考え込んだ。むしろ、エアリアには知られたくないだろう。
「いや、そんなに大げさにしなくていいです。今日はここで休ませてもらうことにして、総会が終わってから」
 一応報告はしなければならない。助けてくれたものにも礼を言いたいが、誰かさっぱりわからなかった。
 
 解毒薬で媚薬の効果はなくなったはずなのに、不快な感覚がまだ残っているような気がした。汚れた身体を流しているうちに少しは落ち着いてきた。
 気をしっかりもたなくては。こんなことで動揺していてどうする。こんなことで。
 自分もうかつだったが、こんな下劣な真似をするほうが悪い。品性のかけらもない王太子に、この国の先を憂いてやった。
「…たいへんだな、この国…」
ふっと肩の力が抜けた。顔を上げて、たらいから出た。
 着替えて扉を開けたとたん、リュールが飛びついてきて、顔をべろべろ舐めた。
「おい、そんなに舐めるな!せっかく洗ったのに」
 ラウドが笑ってリュールの頭を撫でた。イリィがほっとして、セレンに茶碗を渡した。セレンが差し出した。
「殿下、このお茶、ぼくが入れました。飲んでください」
 ラウドがリュールを左腕に抱えて、右手で茶を受けた。
「そうか、ありがとう」
 リュールをかかえたまま、皿を左手で持ち、右手で茶碗をもって傾けた。
「うん、うまい。もう少し熱いといいかな」
 セレンがうれしそうにうなずいた。まだ夕飯の途中だったらしく、テーブルには食べかけの皿がまだ残っていた。ラウドが座って指さした。
「少しもらっていいか」
 リィイヴがヴァンの皿を差し出した。
「どうぞ、ヴァンは食欲がなくて、こんなに残してしまったので、これでよければ」
 ラウドがうなずいて、皿を受け取った。イリィにも半分分けてやり、食べ始めた。セレンが二杯茶を入れてもってきた。
 食べ終えてからラウドがイリィに命じた。
「宿舎に行って、こちらで過ごすと言ってくれ。荷物もこちらに運ぶように」
 イリィが胸に手を当てて出て行った。
 ラウドが、床に座って、リュールとセレン相手に遊び始めた。手ぬぐいを丸めて作った球をセレンに向かって投げ、それをリュールが追う。セレンがまたラウドに球を返すとリュールがむきになって追いかけた。
「ウゥゥワン!」
 そのあわてる様子にラウドもセレンも楽しそうに笑っていた。
 イリィが帰ってきてラウドに休むよう勧めたので、それを機に遊ぶのを止めて、寝室に入った。ベッドはふたつしかなかったので、ラウドとセレン、ヴァンとリィイヴがそれぞれ同じベッドに横になった。イリィは昨日セレンとエアリアが泊まった部屋で寝ると下がっていった。
 セレンとヴァンはいつものように寝付きがよく、すぐに寝てしまった。ラウドはなかなか寝付けず、何度か寝返りを打っていたが、ついに起き上がった。そっとベッドから離れて、居間に出て行った。リィイヴが気づいて、後を追った。テーブルの椅子に腰掛けていた。
「殿下、寝られないんですか」
 リィイヴが小さな声を掛けると、振り返った。
「起こしてしまったのか」
 リィイヴが首を振った。
「いえ、ぼくも寝られなくて」
 隣の椅子に腰掛けた。ラウドが顔を伏せたままぽつりと言った。
「少し話し相手になってくれるか」
 リィイヴは内心テクノロジイのことでも聞かれたらどうしようかと思いつつ、なにかつらい目にあって寝られないという気持ちを察した。
「ぼくでよければ…お茶でも入れてきますか」
 答えを待たずに立ち上がり、小部屋に向かった。水出しの茶があり、それを硝子の杯に入れて持って来た。ラウドが眉を寄せて尋ねた。
「バレーというのはマシンナートたちの都だったな、ヴィルトが消滅させたと言っていたが、都というからには、大勢住んでいたのでは…」
 リィイヴが戸惑った。
「話しにくいことだったか、尋ねてすまなかった」
 言いよどんでいるのに気づいて、ラウドがあやまった。
「いえ、ただ、話していいのかどうか…マシンナートのことは、イージェンたち魔導師が対応することで、殿下は気にしないほうがいいのでは…」
 昼間の災害について話し合っていてもわかったが、この若き王位継承者は民を大切にしている。いくら敵とはいえ、魔導師が都市ごと何千万人ものヒトを消滅させたことを知ったら、どう思うだろうか。
「それはそうなんだが…それでいいんだろうかと思って」
 魔導師たちがマシンナートのことを詳しく教えないのは、文明の発展をさせないためのようだ。このシリィたちの生活様式はすでに何千年も続いている。魔導師の操作なくしてはありえないことだろう。たとえレェイベルが低くともテクノロジイを使えば、全ての産業の生産性が上がり、労働効率が上がるから、生活に時間的な余裕が出て、教育や文化が行き届くようになる。文明も発展する。高度な医療技術により、生存率や平均寿命が延びる。目端の利く為政者が取り入れればその普及は、たやすくはないができないことではない。実際テェエルでの啓蒙活動の骨子だ。もちろん、評議会が本気で啓蒙しようとしていたわけではないと思う。むしろ魔導師たちの目をごまかすためにやっていたような気がする。
 魔導師たちは、シリィの受ける有益性を犠牲にしてでも、テクノロジイを排除したいのだ。なぜそこまでテクノロジイを嫌うのか。本当に自然を破壊するからという理由だけなのだろうか。いずれイージェンから聞けるのではないか。それを聞いたら自分はどう感じるだろうか。
「それでいいんですよ、殿下は自分のするべきことをきちんとすれば」
 ラウドがはっと目を見開いて、リィイヴを見た。
「そうだな、国政を為すそのときのために、たくさん学んで、修練していけばいいんだよな」
 ラウドが硝子の杯をゆらゆらと揺らした。リィイヴは話がうまいと思った。かなり頭がいいのだということはすぐにわかる。それに声が静かで気持ちも優しく、性格も穏やかだ。
「リィイヴ…エアリアのこと、好きか…」
 いよいよ来たかとリィイヴが言葉を選んで慎重に言った。
「なんというか…その…妹のような感じです、なんでも熱心で、そういうところがかわいいなって。殿下も同じように熱心で、弟のようで、とても好きですよ」
 そういう言い方が適当かどうか、リィイヴにはわからなかった。ラウドがしばらく黙っていたが、手元の杯を見つめた。
「そなたと話していると、世界が広がるような気がする」
 どこかにシリィの世界とは違うものが感じられるのだろう。それはとてもまずいことかもしれなかった。席を立って寝室の扉に向かった。
「これからも話し相手になってくれ」
 返事を待たずに寝室に入って行った。後でイージェンに話して、どうしたらいいか聞かなければ。茶を飲んでからテーブルの灯りにフードを掛けて消し、寝室に戻った。


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