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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第100回   イージェンと五大陸の学院長(1)
 エスヴェルンの王太子ラウドは、セラディム王国王宮執務宮の来賓宿舎で朝を迎えた。夕べ学院から戻る途中でイリィに見つかって散々叱られたが、エアリアと睦んできてすっかり上機嫌だったので聞き流し、ベッドに入ってからもエアリアの柔らかさを思い出して身体を熱くした。軽く朝食を取り、イリィとともに学院に向かった。小船ではなく、馬で橋をいくつも通っていく。
 途中、馬車や馬で行き来するものたちがいて、見知らぬラウドたちを不審そうな眼で見ていた。先導する護衛兵が振り返ってイリィを呼んだ。何事か聞かされてきて、ラウドの横にもどってきた。
「殿下、この先の橋、跳ね橋でこれから船が通るのでしばらく渡れないそうです」
 跳ね橋というのは初めて聞くのでその様子を見たかった。その橋の架かる水路は他の水路と違って巾が広く大きかった。
「この水路は王宮の中央を突っ切り、各所に枝分かれして張り巡らされていて、荷物やヒトを運んでいるそうです」
 橋が真ん中から割れ、両側に跳ね上がってきた。水路の右側から屋根がついた船がやって来た。屋根の下には灰色の外套ですっぽりと身を覆ったものたちが何人も座っていた。その中にひとり、白い軍服のようにぴったりとした装束に短い外套のものがいた。
「サリュース…」
 ラウドがつぶやいた。その船に乗っているものたちは五大陸の学院長たちと思われた。
「これから総会なんですね」
 イリィが不安そうな声を出した。
「イージェンのことだ、きっとうまくやるだろう」
 ラウドが馬の鼻先を回して閉じていく橋に向かった。
 学院の宿舎に到着すると、リィイヴとヴァン、セレンが朝食を取っていた。リィイヴがお辞儀をした。
「おはようございます、殿下、イージェンたちは総会に行きました」
 食べ終わったヴァンにセレンを中庭に連れて行くよう言い、いなくなってから、ラウドに夕べのことを話した。ラウドが眉を寄せ唇を噛んだ。
「そうか、後でイージェンに謝る」
 浮かれていた。想いが叶って。イリィに心配もかけ、セレンを危ない目に会わせてしまった。エアリアもさぞ恥ずかしくもあり情けなくもあったろう。省みなければとうなだれた。
「総会は時間がかかるから、ぼくたちは、部屋で手習いするとかして待ってろって言われました。殿下は好きにしてくれって」
 ラウドがイリィに命じた。
「ヴァンに剣術を教えてやれ。俺はここでセレンたちと遊んでいる」
 イリィが了解し、ヴァンたちのところに向かった。
扉が叩かれ、従者が入ってきた。王弟アダンガルがラウドを訪ねてきているということだった。意外なことにラウドが首を傾げたが入れてくれるよう告げた。
「昨日の約束のもの、こちらに持って来た」
 顎をしゃくって従者たちに書物を運びこませた。宿舎に持って行ったが、学院に向かったというので、わざわざ追ってきたのだ。テーブルに積み上げていく。
「ここ二年間の災害報告書、国勢報告書、地図に水路図。他に必要なものがあれば、持ってこさせよう」
 アダンガルが相変わらず挑むような険しい眼を向けていた。ラウドが胸に手を当てて深く頭を下げた。
「お気遣いありがとうございます。ぜひ拝見させていただきます」
 頭を上げるとアダンガルが静かな眼を見せていた。
「ラウド殿はなかなか優秀とアリュカが言っていたが、確かにな。甥に『爪の垢でも煎じて』飲ませたいものだ」
 昨夜のヨン・ヴィセンの様子を思い出した。一言もしゃべらずもくもくと酒を飲み、肉を運んで、口を動かしていた。アダンガルが大きなため息をついた。
「興味のあることといったら、飲み食いに女を抱くことだ。いずれ学院が見放すかもしれんが」
 王族には学院が教導師をつけて教育をするが、資質もある。必ずしもものになるとは限らない。ラウドは慎重に言った。
「国と民を大事にするお気持ちがあれば、よいと思います」
 アダンガルがくくっとあざ笑った。
「そんな気持ちがあれば、あんなざまにはならん」
 そう言って出て行った。
 イリィがヴァンたちを連れて戻ってきた。ラウドがセレンに駆け寄ってぎゅっと抱きしめた。
「セレン!」
 セレンが驚いた。
「殿下?」
 セレンの髪を撫でてすまなそうに言った。
「そなたやリュールと遊ぼうと思ったんだが、読まなくてはならない本が来てしまった。ここで手習いしていてくれるか」
 セレンが首をこくっと曲げた。リィイヴが教えますとセレンの隣に座った。イリィとヴァンが修練場に向かい、ラウドが積まれた書物を読み始めた。
セレンが字を教えてほしいというので、リィイヴが尋ねた。
「どういう言葉?」
 セレンが恥ずかしそうに言った。
「…アート…ラン」
 なんだろう、ヒトの名前のようだけど…。
 リィイヴが羽ペンで書いた。ボォウドでなら早く打ち込めるが、羽ペンで書くのは慣れるまではいらいらしそうだった。
 セレンがばぁと明るい笑みを浮かべた。
「これがアートラン…」
 にこにこと笑って見本を見ながら書き始めた。リィイヴが気になって聞いた。
「誰かの名前みたいだけど…」
「魚さんの名前です」
 リィイヴが顔を上げるとラウドと目が合った。ラウドも驚いていた。
「知ってますか、アートランって…」
 ラウドに尋ねたが、首を振った。
セレンはイージェンが書いた手本を出して練習し始めた。リィイヴはしばらく様子を見ていたが、手前に積まれていた書物をそっと開いてみた。
この国の国勢報告書、おととしのものだ。シリィ、マシンナートともに暦も度量衡も共通なので数字的なものはだいたい理解できる。ただ、マシンナートには食料はプラントで養殖・生産するので、農業・漁業という産業はない。生産性は著しく低いということは想像できるが、内容の分析は難しかった。
こっそりと昨年のものを見てみる。生産量の部分を見るとアレンテ州をはじめ十五の州のうち、十の州がおととしより増え、五つの州は水害などで生産高が落ちていて、減税措置をしているのがわかった。州の位置が知りたくなって地図を見ようと手を伸ばした。
「あっ!」
 ラウドも同時に地図に手をかけていた。
「す、すいません!」
 リィイヴがあやまり、開いていた報告書を急いで閉じた。ラウドが地図を広げた。
「見たいなら見ていいぞ」
 セルディアを含むティケアの南半分の地図だった。ふたりとも椅子から立ち上がって上から眺めた。
「…三本の河川の上流は…隣国ドゥオール…一番上流の堰の水門は隣国領土になるのか」
 ラウドが難しい顔でうなった。堰と水門で河川の水を調節しているのだろうが、果たして他国のための管理をすんなりとするだろうか。あるいは管理費のようなものを支払っているかもしれない。財務報告書を見ればわかるだろうが、さすがにそこまでは見せてくれないだろう。
「別の国だと、仲良くないと、大変そうですね」
 嵐のときに水を流されたら水浸しになる。水路図も開いた。
「そうだな…一応、この国に入ってからも水門はいくつかあるが…一番上流の堰がどんなものか見てみたい」
 水路や川の幅、長さも細かく書き込まれているが、国内のみだった。
「測量は五年ごとにされているようですね」
 リィイヴが地図の隅の履歴を指摘した。
「わが国でも要所の測量を五年ごとにしているが、いろいろと仕事しながらなので、特級が三人で携わって一年以上かかる」
 測量するものさしを使える特級魔導師が測量しているのだ。
水害のあった州は王都のある州を含む三州と三本の河川のひとつの流域にある二州だった。バレーで自然災害といえば、地震くらいなものだが、地質的に地震の少ない地盤に作られているので、その心配もほとんどない。リィイヴが災害報告書をパラパラとめくりながら地図を眺めた。
「海岸沿いの州は人的被害が少ないですね。避難や救出が行き届いているんでしょうか。逆に中流域のほうが人口の割合からすると被害が大きいと言えます」
 ラウドも覗き込んでリィイヴが示すところを見た。
「海岸線は海嵐の対策ができているのだろう。中流域の被害はむしろ上流からの増水のようだ」
 ふたりは時間が経つのも忘れるほどに、洪水被害について熱心に語り合った。


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