貧しさに娘を売る親は、なにも自分たちだけではない。セレンの両親は、そう自分たちに言い聞かせて、セレンを押しやった。黒い布で身を包んだ人買いの男は、古びた金貨一枚、銀貨五枚をセレンの父のひび割れた手のひらの上に落とした。男は、セレンの手を荒々しく掴んだ。 「さあ。行くぞ」 セレンが尻込しても介することなく、引っ張っていく。 「たっしゃで」 母の涙が見送った。何度もたっしゃでと叫ぶ母の声はセレンの耳には届かなかった。さきほど、執拗に言い含めていた父の声しか残っていなかった。 「おまえの名は、セレナ、いいな、セレナだぞ。もしセレンとわかってしまったら、殺されてしまうぞ」 十になったばかりのセレンにとって、売られることの意味などわかるはずもない。父母や幼い弟妹たちと離れ離れとなり、黒い布を被った怖い男に手を引かれて、どこか知らないところに連れていかれる。そして、セレンとわかったら、殺される。恐ろしい。それらが幼い心を押し潰そうとしていた。
人買いたちは、他の村から買ってきた子供たちと合わせて、女の子ばかり、数十人、縄で腰と手をくくり、容易に逃げられないようにしていた。馬一頭に黒い布の男が跨り、もう一頭は荷物を載せた荷台を引いていた。御者の他に子供たちを引っ張っていく大柄な男もいた。その三人が人買いの輩だった。 その年は、秋に大きな嵐が何度もやってきて、それでなくても貧しい土地のわずかな収穫が被害を受けた。しかも、そのような嵐の多い年は決まって厳冬である。すでに、冬は白いヴェールを纏ってやってきていた。 積もる雪の上を藁で編んだ靴と薄い上着で歩く。疲れと寒さから何度もよろけ、ついには倒れるものも出て、そのたびに繋がれた子供たちは足を止めた。大男が倒れた子を短い鞭で叩き、無理やり立たせて先を急がせた。 「少し休ませて…ください…」 子供たちの中で一番年嵩と思われる少女が両手を合わせ、拝むようにして懇願した。 鞭の大男が、その少女を叩いて怒鳴りつけた。 「なに甘えたこといってるんだ!さっさと先を急ぐんだ!」 少女のすぐ後ろに繋がれていたセレンが、怯えて泣き伏した。すると一斉にほかの子供たちも泣き出してしまった。 「うるさい!」 鞭の男が次々に子供たちの尻当たりを叩いていく。先頭で一人馬に乗って進んでいた黒い布の男が、馬の鼻先を回した。 「よせ。商品は大切に扱え」 そう言い、再び前を向き、歩み出した。鞭の男が、倒れている子供たちを立たせ、歩くよう怒鳴って回った。 夜は、男たちは天幕を張った中で休み、子供たちは狭い荷台の上に押し込められた。横になることは出来ず、みなで寄りかかりあいながら、休んだ。 「…おうちに帰りたい…」 一番小さい子がすすり泣く。するとつられて次々に泣き出す。 「しっ。また怒られるわ、泣かないで」 一番年嵩の少女が心配そうに天幕を見ながら自分も泣きたいのを我慢してたしなめた。セレンは、いつセレンであることがわかってしまい、ひどい目に合わされるかとますます恐ろくなっていくばかりだった。
途中、わずかなパンと水を与えられるだけだったが、何とか飢えを忍び、十日ほどそのように歩きつづけて、山を越えた。越えたところに、町があった。山の向こうと異なって、雪はあまりなかった。王都に続く街道沿いの町で、路がレンガで敷き詰められていて雪も除けられていた。両脇には二階建ての家が立ち並んでいた。セレンの生まれ育った村からすれば、初めてみるような立派な町並だった。 町の真中を貫いている大通りは、馬車や荷車、人々の往来もあり、賑やかだった。行き交う人々は、縄で繋がれている子供たちに気づいて、眉をひそめていた。大勢の人たちのそのような視線を感じて、セレンたちはみな震えていた。黒い衣の男は、荷車の御者に何か言いつけ、四つ角で右に曲がり、荷車は左に曲がった。子供たちも荷車に続いていった。 町の外れに古びた宿があった。その裏にやってきた。御者が荷車を外した馬を馬小屋に入れた。宿の裏口から、中年で小太りの女が出てきた。ゆったりとしたスカートの上につけた汚れた前掛けで手を拭きながら、鞭の男に近づいてきた。 「今回は、多いね」 「ああ、秋嵐のせいで、飢饉のところが多かったからな」 鞭の男は、裏口から宿の中に入っていった。女が、子供たちを母屋と馬小屋の間に行くよう追い立てた。母屋の傍に別の小屋があり、蔀戸の間から白い煙が漏れていた。小屋の前に別の若い女が待っていて、扉を開けた。中からもわっと暖かい煙が出てきた。湯気だった。女は、子供たちを繋いでいた縄を小刀で切り、ひとりひとり、中に突き飛ばした。 「さっさと脱いでお入り!」 中では、若い女が桶で湯を汲んで、子供たちに掛けていく。 「きゃぁ!」 いきなり湯を掛けられて、驚いて悲鳴を上げた。セレンは、服を脱ぐことが出来ず、後ずさりしていた。女が襟首を掴んで、服を剥ぎ取ろうとした。 「あっ!」 セレンは、ころがって逃れた。一番年嵩の少女が覆い被さった。 「この子は、わたしが洗います!」 いらついた女が、若い女に顔を向けた。 「こいつがやるっていうから、後、やらせな。おまえは、こいつらの服洗い場に運んどきな」 若い女がうなずいて桶を置き、脱ぎ捨てられた子供たちの服を掻き寄せて出て行った。 「あそこの服着て、待ってるんだよ。逃げよったって、無駄だからね」 女が入口近くの棚を指さして、出て行った。少女が桶を取って、他の子供たちを洗い出した。床に倒れていたセレンが、後ろを向いているのを見て小さな声で言った。 「セレ…ナ…自分で洗って着替えて」 セレンがうなずき、端に行って、着ていた服を脱いで、別の桶で湯船から汲んだ湯で体を洗った。棚の服は、今まで着た事のないような、こざっぱりした綿の白い服で、身なりを整えるとみな、それなりの娘に見えるようになった。 ほどなく、女が戻ってきて、みなを宿の裏口から入れた。広い厨房では、丸々と太った賄い夫とさきほどの若い女が食事の支度をしていた。暖かいスープに肉、柔らかそうな白いパン、およそ年明けの祭りのときにも口にできないような献立だった。厨房を追い出され、向かった先は、大きめの納戸だった。客用の敷布や枕、荷物入れなどが置かれていたが、荷台ほどは窮屈ではなかった。扉が開いて、若い女がワゴンを運び入れた。 「わぁ…」 子供たちが、感嘆の声を上げた。さきほど厨房で見たスープや肉、白いパンだった。 「分けて食べな」 そういって出て行った。年嵩の少女が椀にスープを取り分け、渡していく。肉やパンも人数分あった。みな、むさぼるように食べた。セレンははじめ、ためらっていたが、回りの子供たちが食べ始めたので、追いかけるように食べた。貧しさが長く、もう何年もこのような食事をしていなくて忘れてしまっていたが、昔食べたことのある懐かしい味がした。家族を思い出して、胸が塞がれた。すっかり平らげてから、体を横にしてうとうとしていた。セレンは、急にもよおしてきてしまった。ほかの子供たちは寝入る前にみなで厠に向かったのだが、セレンは一緒に行くのがためらわれて、行っておかなかったのだ。朝まで我慢できそうになく、みなを起こさないようにそっと納戸を出た。納戸は鍵など掛かっていなかった。宿の表側には酒場があり、にぎやかな笑い声が漏れ聞こえてきていた。暗い廊下を通って、厨房の裏口から外の厠に向かった。誰もいないのを確かめて、スカートの裾を捲り上げ、下履きを下ろして、用を足した。そのとき、頭の上から声がした。 「おいっ!おまえっ!」 セレンは驚いてひっくり返った。
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