それは私の記憶。または年の離れた兄から聞いて、まるで私の記憶と同化した追憶のノスタルジー。
そう遠くない昔のことだった。 開け放たれた縁側に簾(すだれ)がかかり、真上に来た太陽がその割竹の隙間から容赦ない陽光をくぐらせる。 それは、半ズボンの先から出た私の小さな膝小僧を照らしていた。
「おまえ、今日はどうしたの? うちん中に居ないで外で遊んできなさい」 部屋の前を通るとき、母がそう言った。 今、外で野球や相撲ごっこするには暑過ぎだもん……。
『少年画報』を広げたまま仰向けになっていた私は、畳の上で寝返りを打つ。 茶色くなった畳の目が、拡大鏡を覗いたときのような大きさで目の前に迫った。 台所から母がつづけた。 「おもてで陽子ちゃん、心配してたわよ。遊びに来ないって……」
県道から300メートルほど入ったこの住宅地には、車の音も届かない。 夏休み前の気だるい日曜日の昼前は、ただただ退屈で遠くから竿竹屋の呼び声が微かに聞こえて来るだけだった。 「かあちゃん、ジュース……」
食器棚からガラスのコップを取り出すときの、カチャッという音がした。 粉末のオレンジジュースを入れて、水道の蛇口をひねる。 カチャカチャ……と、かき混ぜる音。
あ、今日はスプーンを使ってる。 たまに箸でかき混ぜてるときは、こんな音じゃないもんな。 母がコップの汗を拭いながら、目の前のちゃぶ台に置いた。
「なんで、陽子ちゃんと遊ばなくなったの」 前屈みになった母の大きな胸が揺れ、花柄のブラウスの中の乳房の下が見える。 私は上体を起こしてジュースを手に取ると、ひと口飲んだ。
「別に……」 舌を突き出し、人差し指で撫でた。 指の先っぽが僅かに赤い。 口の中はもっと橙色に染まっているだろう。
やーい、やーい。 昨日まで仲間だと思っていたあいつ等が、50メートルも向こうで囃し立てる。 おんな、おんな、おんな、おんな、おんな……。
裏手の家の同学年の陽子は、その頃小学校から帰るといつもひとりだった。 「陽子ちゃん、遊ぶ?」 だが、玄関先で女の子の遊びに付き合っていた私は、直ぐに飽きてしまった。
それを敏感に察したのだろう、陽子は言った。 お相撲する? 彼女は直ぐに立ち上がって、棒切れを拾い小さな円を描いた。
いつも男の子同士でするような乱暴なブチかましは出来ないので、私は静かに四つに組んだ。 陽子は私の半ズボンのゴムの部分を握っていたが、私は彼女の腰の後ろに両手を置くだけだった。 だって、スカートを掴んだらまずいと思ったからさ。
この年頃の女の子の身体は私より大きめで、いつもと違う柔らかな感触が両手と胸から伝わってきた。
やーい、やーい。
でも、その時だけだった。 次の日から、買って貰ったばかりの自転車に跨ると、私はまた仲間たちと近所へ冒険に出かけた。
〈おわり〉
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