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作品名:夏、花の島 作者:Quote

第3回   頑張れ、お仕事!
 掃除、洗濯、後片付け。それが私の領分。料理と帳簿記入は叔父の仕事。ガ
イドを頼まれればこの島を案内する。本当は母の仕事なのだけどこれからは私
と叔父のどちらかがする。もともと観光客なんて少ないので仕事は昼過ぎに一
段落。次に忙しくなるのは観光客が到着する一時間半前。休憩をもらい、外へ
出た。
 歩く場所はちょっと不安定な堤防の上に決めている。昔からちょっと高いと
ころが好きだった。歩道の縁石の上、他人様の家の区切りのコンクリート、ほ
ったらかしにされている花壇のブロックの植え。そして一段高い堤防のうえも
昔からのお気に入りだ。強い風を足元から受け、遠くの隣島の強い島影にこの
島の白い花が映えて気持ちいいから。今日は隣島の山がかすんでいる。明日は
きっと寒くなる。昨日降り立った港を過ぎ、堤防からジャンプ。足を進めてこ
の島唯一の高校のある高台へ足を進める。舗装道の隙間から生えるイブキトラ
ノオの無意味な逞しさに感激しながらなだらかに坂道を登る。少し白みがかっ
た空が視界一面に広がり、風が一段と強くなる場所へ。
 大きく息を吸う。透き通った空気が身体に行き渡る。身体の中から冷やされ
る、セミのいない夏の一区切り。そんなこの希薄な夏の空気の下でしか生きて
いけない植物たちの楽園、最果ての島。それはあのお花畑の中に住む、哀れな
母と同じで。帰ってくるはずのない過去の私を待つ母もまた、あの場所でしか
生きていけない。
 空と海と花の島。私のふるさと。そして最前線の島。見渡す限り人のいない、
自然だらけの場所。こんな孤独な風景を愛していたのに一人で生きていこうと
出て行った五年前。
 空に光る、太陽が目の端の方で不自然に反射した。
 なんだろう、って思った。そんな鳥頭の思考回路が自分ながら笑えてしまう。
 私の居場所よりもう少し高い場所。人影があった。その人まで5メートル。
海に向かってつぶやいた言葉が風に流される。長い髪をなびかせて、こちらも
見ずに、透き通った声で。
「こんにちは、ききょうさん」
 見覚えはなかった。同じくらいの年頃の、性別は、わからない。
「……誰、だっけ」
「えっと、中学の時一緒のクラスで……名字は……二並っていうんだけど」
 きれいな人。あ、でもこの人男だ。男で苗字がふたなみ、か。記憶にないけ
れどなんだか懐かしいような。
「まあ、私の名前も知ってるくらいだしねえ」
「そう、で、今ききょうさんは民宿潮浜でバイト中」
 一瞬驚かされて、ばからしくてため息をつく。名札つけたままだった。二並
の視線が妙に気持ち悪い。人の名札を穴の開くほどに見つめて。
「……どうかした」
「ききょうさん、大きくなったからさ」
「ったくどいつもこいつもそれが遺言か」
 島という隔離条件が虫レベルの反応をさせるんだきっと。
「……ごめんなさい、で、ちなみにどれくらい」
「そう、ね。メロンを想像してちょうだい」
 自分で想像して笑いかけた。さすがにありえない。妄想の産物は恐ろしい。
「しかも夕張とか」
なんだよその高級さ。
「自分のつま先が見えなくてね、最近……ちょっと。右手の動きが気持ち悪い
な」
 いい加減このネタも飽きてくる。
「あ、あの、ジャンプして」
「そうか、ここからスカイダイビングしたいんだな」
 ああ、乾いた笑顔が悲しい。
「でもききょうさん、あのころはほんと小さくて静かだった」
 声と同時に冷たい風が吹き下ろす。小学生までの明るかった私を消した中学
生の頃。一人でたどり着いたお花畑。この島を離れた日の朝。そんなものが全
て目の前の二並に収束する。
「よろしく、二並。思い出せないけどさ」
 手を差し出す。握手、そしていい笑顔。いつも無料の大奉仕だ。
「じゃ、再開記念にうちの民宿においで。浴びるほど飲ませてあげる」
 ばかみたいだ。いろんな出来事があるのに、目を閉じてしまえば全ては見え
なくて。名前を知らなければこの島の花を平気で踏みつける観光客のようで。
それでも。私は忘れた振りをする。わからない振りをしてなかった振りをして、
今日一日を楽しく過ごす。


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