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作品名:夏、花の島 作者:Quote

第2回   夏、民宿で
 轟音が響く。また一つ、誰かを乗せたそれが空に消える。崖の影から爆音を
立てながら二人乗り飛行機が北を目指す。出て行くことはあっても、戻ること
のないのに。滑走路の誘導灯が死地に誘う。明け遣らぬ薄紫の空に機影が溶け
込み、ジェットエンジンの音だけがこの世へのはかない形見。
 明けの明星と力比べするジェット機の翼端灯が遠くの岬に光る灯台のまっす
ぐな光に溶け込む頃。どんな神様も信じてはいないはずなのに手を合わせて目
を閉じる。せめても、父が飛んでいった方向が北ではなく東であってほしいと
願って。それならば。何かの間違いで何かが見つかるかもしれない。
 日の出が始まる。朝露の光る色とりどりのお花畑と、隣島の山を暗い影に染
め上げて今日も始まる新鮮な朝。この島の名前のついた紫色の花を避け、舗装
道を歩く。強い風が足元をぬらした弱々しい露の香を海に運ぶ、そんな朝のひ
と時。
 お花畑って言葉はこの島のためにあるのだと思う。
 人々は此岸より海峡という名の三途の川を越えて、このお花畑の島にたどり
着く。そしてしばしの散策の後、二度と帰ることの叶わぬ彼岸へと旅立つ。さ
て、感傷も、過去もこれでおしまい。
 ゲート前からバスに乗り、連絡線乗り場のある起点で降りる。太陽が目線の
上まで昇り、朝が動き始める。歩くこと三分。民宿 浜。いかにも古臭そうな
その看板の前で立ち止まる。真ん中の文字が消えかかっているが私には読める。
潮浜。それはこの島が単なる観光地だった頃に私の祖父母が与えた、この民宿
の名前。口の中で軽くその言葉をつぶやいてから大きく深呼吸。
「おはよーございます」
 扉を開けて中に挨拶。
「お、来たね、梗ちゃん。五年ぶり、だっけ」
 威勢のいい男の声。出てきたのは無害そうな中年男性。評価は、格好いいこ
とにしておいてやろう、私の叔父に当たる人だし。
「立派になったねえ、うん、大きくなった」
 そういって視線を胸元に下げる。前言撤回。評価は中年エロ親父。その元気
のよさに母のことも、父のことも何もかもを頭から追い出して精一杯の笑顔で
からかってやる。
「ちなみにどれくらい」
「そうですね……94くらいです」
 水増ししてみる。
「……ほんとに」
「うん、寝るときは仰向けだと苦しいくらいなんです」
 息を苦しそうに吸う素振り。
「……うぉっ、我慢できねえ」
 姪に興奮するな。でも、そんな冗談がとてもうれしい。
「梗ちゃん、……その…ジャンプしてくれる」
 とりあえず気持ち悪く伸びている右手首に関節技を極めておく。スマイルは
無料だ。
「叔父さん、久しぶり。客の入りはどう」
「う、うん、今年はいいねえ……ほら、ずっと寒かったろ、だから春と夏の花
が一気に咲いてさ……そろそろ手、離してください」
「まあ、おめでたい。それはよかった。お父さんのときみたいにただ酒振舞っ
たりしてないよね」
「……う、うん、もちろんだよ。で、そろそろ手離してくださいませんか」
「……あら、猿でも反省くらしますけど」
「はい、ごめんなさい」
 とびっきりの笑顔を向けて最後の最後に少しだけ力を加えて、そして離して
やった。
「じゃ、この名札とエプロンね、おじさま」
「おじさま、かぁ、いいなぁ、刺激的でぼ」
「ごめん肘当たっちゃった。刺激的でしょ」
 動かぬ物体にとりあえず謝って名札をつける。千島桔梗。かつて父の持ち物
だった民宿でのバイトの始まりだ。
 せっかく帰るなら忙しいし民宿のお手伝いしてよ。バイト代は払うからさ。
 そんな叔父の言葉が嘘だってわかっていた。手伝いが必要なほどこの民宿が
忙しくなることはない。そんな言葉が叔父の心遣いだってわかっている。それ
でも。未練といえばそれまでだけれどその話に応じていた。
 ふるさとで過ごす、五年ぶりの夏。この島の一年で一番美しい季節。食堂に
立ち、変わらぬ洗剤をスポンジにしみこませる。においが思い出させる昔に一
瞬目を閉じて、力いっぱい滑り出させた。
「ね、おじさん」
 嬉しいような、笑いたいような、そんな空気の中。別に聞こえてなくたって
いい。食器のふれあう乾いた音に手を寄せて。
「ただいま、戻りました」
 私の場所ではないここで。その言葉を口にする。少し悔しいけれど。それが
今の精一杯。その私に返ってくる声も、だから少しだけ湿って聞こえる。
「おかえり、梗ちゃん」
 その、いろいろあるけれど。そう続く言葉に無料のスマイルを作る。


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