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作品名:夏、花の島 作者:Quote

第14回   夏、やわらかな午後
 好きな人。あの学校で植物園にばかりこもっていた私にも一瞬、そんな感情
をもった人がいた。
 同じクラスにいた生徒。三年間、ずっと一緒のクラスで音楽の得意なやつだ
った。私がずっと気にかけてきた女の子とちょっとした関係ができはじめ。そ
の女の子のためにそいつとはいろいろと話した。力も尽くした。いろいろあっ
て、そいつと女の子が幸せに結ばれたとき、少しだけ辛い気分の自分に気付い
た。終わってから気付いた自分の気持ちにとことん愛想が尽きた。そんな昔の
こと。笑えてしまうほどに軽くて気持ちいい昔話。そしてそんなものを軽く踏
み台にして、私は次の世界へと向かう。もしかすると私はとても惚れっぽいの
かもしれない。
 両親の過去の話を聞いて以来、私はその辛い過去に対する悲しみよりも、愛
することを知りたいと思う。そしてその話以来、私はたった一人、その人に会
いたい。

 昼休み。二並の必ず現れるあの高台へ向かう。人影が見えた。大きく手を振
る。いつものように少しだけ首をかしげて、逆光なのに分かる笑い顔を向け、
なかった。人影が手を振り返した。違和感を意識しないように努めて手を上げ
る。
「よ、ふたな」
 そこで言葉が途切れる。人影は二並じゃない。少し近づけばわかる。二並は
何時だって手を振ったりしないもの。見慣れたもう一つの人影に失礼だけど落
胆してしまう。
「なんだ高嶺か。今は仕事中? 」
「なんだって、なんだよ。ていうか誰と間違ったんだお前」
 誰と、って。それを聞かれるとなぜか恥ずかしい。だって好きな人を探しに
隣のクラスまで足を運んだみたいで。だから慌て方も中学生級。二並相手にあ
んな顔をしていたって分かれば絶対にからかわれるから。とっさに思いついた
汎用性の効くごまかしをでっちあげる。
「あ、ま、まあ、飲もうね、今度また」
「おう、じゃあな。こっちは仕事中だし、またな」
 遠ざかる高嶺を追って風が抜ける。いつもどおりのトラノオが頭だけを垂れ
て道案内。たった一人、その高台に残され。少しだけ風を感じる。心に残った
変なものはなんだろう。期待なのか、それともいらだちなのか。何もかも手に
つかない違和感の塊。
 叫びだしてしまいたいような、眠ってしまいたいような、不思議な気分。高
嶺には悪いけれど、私の今の気持ちを何とかするには二並に会うしかないみた
い。
 元来た道を引き返す。ここで二並に会えないとなると明日に期待するしかな
い。一人で隣島の山を眺め、退屈な休憩時間を過ごした。

 同時刻。島の北の果て。千島小桜は家の周りの花を手入れする。その後ろに
現れる人影。
「小桜、今戻った」
 千島小桜は振り返らない。頑なに花を見続ける。いや、肩が震え、今にも振
り返りそうなのに。
「嘘です」
「ああ、嘘だ。でも聞いてほしい。知ってほしい現実があるから」
 左手のスケッチブックが落ちる。震える肩を、人影がそっと抱く。その合間
からその名前を呼ぶ。
「千秋さん、帰ってくると、思って、ました」
 千秋。そう呼ばれた誰かが優しく言葉をつむぐ。
「小桜、俺はもう行く」
「……そんっ」
「でも、今は桔梗がいるだろう」
 千島桔梗。小桜の娘。その娘が家を出て行き、たった一人自分が残され。そ
して。何かを焼き尽くすようなジェット音が背後に響く。
 打ち捨てられた桔梗の自転車に鉢植え。
 何もかもが変わってしまったこの島の中で。
「ええ、桔梗が。あの子、あんなに髪の毛を伸ばしてしまって」
 夕凪の近づく空の向こうに絹毛の雲が広がる。空に浮かんだ五線譜が優しい
旋律を奏でる、そんな一時。
「桔梗にも好きな人ができたんでしょうか。私、少し心配です」
 何も気にかけることはないというように。
「ああ、俺たちもずっと昔、出会ってここまで来たんだ」
 馳せる思いは海の遠く。
「ほんとうに。千島小桜がいて、千島桔梗がいて、千秋さんのいるこの島でた
だ平凡に暮らしたい、ってそんな幸せな夢、ずっと見てました」
 夏の終わりを告げるチシマリンドウの花が風に揺れ。そして夢が終わる。
「でも、夢の終わりには幸せがあると、信じていますから」
 向き直る。誰もいない、崖の向こうに笑顔を向ける。
「行ってしまいました。千秋さん」
 また、会いたいですね。
 こぼれそうになる涙を風が攫い、海へと返す。


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