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作品名:夏、花の島 作者:Quote

第13回   夏、父と母と
 母のことを知りたい。それがどんな過去であっても、あの笑顔の前にある出
来事を受け止めてあげたい。あの笑顔の先にあるものをつかませてあげたい。
もう迷わない。私は母の大切な娘だ。
 自分で調べるだけは調べてみた。家の中を探してみたりした。過去に関する
ものは写真を含め、何一つとして存在しない母と父の昔話を必死で見つけよう
とした。それでも限界だから。叔父に聞くしかなかった。
 その叔父と一緒にカレイを丸ごと唐揚げにする。民宿の晩ご飯でもあり、私
の好きな料理でもある。叔父が鼻歌交じりに魚を放り込み、私が盛りつける。
ありきたりの状況だけど、緊張する。
「叔父さん、ちょっと話、あるんだけど」
 言ってやった。
「梗ちゃん告白ならあとぴ」
 持っていたお玉を振り下ろす。はあ。まあ、私の緊張を和らげようとする叔
父なりの気遣いなんだろうけれど、なんとなく、ね。
「お母さんとお父さんのことで話があるんだけど」
「ああ、小桜さんのことね」
 小桜。その名前に緊張が戻ってくる。
「うん……私の生まれる前のこととか、六年生の頃とか」
 返答はない。そりゃそうだろう。
 あのとき母の繰り返した言葉がよぎる。
 桔梗を殺さないで。
 その壮絶な言葉から考えられる過去など、できることならば誰も話したくな
いに決まっている。私はきっと残酷なことを要求している。それでも。何の権
利も責任も覚悟もないけれど、私は知りたい。
「小桜さんのこと、どうしても知りたいの」
「当たりまえでしょ。叔父さんが母を何とかできるというならどうぞ話さなく
て結構。話す意気地もないというならそれでも結構」
 違う。私が母の過去を知りたいのは母のことが好きだから。母が私を愛して
くれているから。そのためには嘘だって言う。畳み掛けるようなこともする。
ずっと昔に決めたことだ。私は大切なもののために他のものを傷つけてでも生
きていってやる。
「わかった、言うよ、言うけどね」
 そんな叔父の言葉も予想できた。次の言葉を待つ。
「そもそも梗ちゃんと小桜さんは一緒の高校に行っていたってところから始ま
るんだけどさ。ま、長くなるから片づけた後で」
 叔父が別の作業に入る。突然の言葉に動きを止められた私は食堂からの話し
声で我に帰る。適当に盛り付けた料理皿を運び、ご飯を盛り付ける。都会から
来たらしい家族連れと適当な話をし、民宿の夕食が終わる。終始上の空で。な
っちゃいない。どんなことがあろうともお客さんの前でなんて無様。民宿の空
気がとてもつらかった。
 何も考えられないほどの衝撃を受けて。一発目からのホームランにほんの少
しの覚悟すらも吹き飛ばされて。母が通っていた高校に私が進学していたなど、
ありえない。それじゃ、私と母は一緒じゃないか。私は両親のことを何も知ら
ない。中学生の頃、そのことをひどく恨んだことがあった。でもこうやって高
校が一緒だったことを知らされなかった今、私は特段母に苛立ちを感じない。
きっと母の高校時代は私が知ってはいけない過去なのだ。母について調べた若
干のことが頭をよぎる。
 旅券の取得や住民票の住所変更で戸籍を閲覧したのがきっかけだった。一歳
までの私の名前は栃内桔梗。母方の姓を名乗っていた。十九歳で私を産んだ母
が二十歳でこの島の役場に婚姻届を出すまでの間、母は未婚。引き出しにしま
われた母子手帳も見つけた。本来なら産前から交付されるはずのそれは私の誕
生後に交付されていた。分娩の記録は一切なし。何を意味するのか、なんとな
く分かった。
 私は望まれて生まれてきたわけではないらしい。母は何らかの理由で誰かの
子供を高校の頃に妊娠し、周囲から反対される中、私を一人で生み、そして父
と結婚した。
 戸籍からわかった母の実家をこっそり訪ねてみたことがある。上品な母に似
合いそうな、そんな家だった。それなのに、母が一切実家と連絡を取らず、私
に祖父母が死んだと教え続けた。
「そろそろ言わないといけないとは思っていたんだけどね」
 そう言って叔父は続ける。母と父の過去、そして私が家出していた五年間の
こと。
「じゃ、梗ちゃんもおなじみ、兵役義務の話から入ろうか」
「何それ、二人目の子供以降は絶対に兵役につかなきゃいけないってやつのこ
と」
 この国は第一子以外、兵役につくことが決まっている。ただし、例外として
第一子の長女と結婚してしまえば兵役は免除。このため第一子が女である場合、
意志とは無関係に結婚するという現象が起こっている。私も長女だけれど今の
ところそんな話はない。
「そう、それで小桜さんは一人娘。で、知ってのとおり立派な家の人でしょ。
だから結婚する相手なんて高校生の頃には決まってた」
 普通に考えればそのとおりだろう。私の通っていた学校にもそんな生徒はい
た。半ば達観したように未来を受け入れていた子もいたし、かわいそうになる
くらいに遊んでいた子もいた。母ならばきっと前者、未来を受け入れていたの
だろう。
「で、小桜さんは学校に花壇を作って気を紛らわせていたところで植物園を建
設に行っていた千秋と出会った。あの、あれだよ。梗ちゃんもおなじみの」
 何かがつながる。母と一緒の学校に進学したのは奇跡でもなく、あの植物園
に懐かしさを感じたのは、偶然でもない。故郷から遠く離れ、私は父と母の出
会いの場所にあったもののおかげで生きていた。心の支えだった。自分が拒否
したはずの父と母に遠くの地で支えられていた。自分ひとりの力で生きていた
のではなかった。
「小桜さんの花壇がつぶされかけていたのを千秋が助けた、とかまあいろいろ
あってさ。多分お互いにそんなこんなで好きになったんだよ、きっと」
 いろいろ、か。あの二人にはぴったりだ。父が母を優しく教え、母が懸命に
相槌を打つ。不器用な関係だったのだろう。きっと、手を合わせるのですら精
一杯な、そんな付き合いだったのだろう。想像できる。些細なことで心を躍ら
せる母の姿も、母を少しからかってみたくなるお茶目な父の姿も。
「で、ここからが本題。小桜さんの結婚話とか、花壇を壊されないように千秋
が工事を妨害したとか、いろいろあってさ、追い詰められていたみたいでね。
千秋が小桜さんを学校から連れ出してこの島に来ようとしたんだよ。でも捕ま
ってね」
 捕まって母はこの島で保護される。父は対岸の連絡線乗り場で逮捕。懲役二
年の判決。父らしいといえば父らしい。人には告げず、自分だけで背負ってし
まう。
「僕は二人で逃げている日が怪しい、と踏んでいるんだけどね、とにかく小桜
さんは高校に戻って、そして妊娠していることが分かって。うん、あれはひど
かったみたい。何度も堕胎を強要されていたみたいでね、でも小桜さんは一人
で梗ちゃんを生んだ」
 きっと叔父は無関係ではなく、母を裏から支えてくれていたのだろう。高々
十九歳で私を生み、刑務所の父と結婚できず、自分の味方もない中で一人で生
むしかなかったこと。そのまま私が栃内桔梗であり、母子手帳に出産の記録も
なく、あの日、桔梗を殺すなと泣いていた母につながる。あのおっとりした母
が過ごした過去。私を生むためにすり減らした神経。父への思い。そしてそれ
らをそっと支えてくれた叔父。
 私は、ほんとうにいろんな人のおかげで生まれてきた。
「いいんだよ、うちの千秋が後先考えなかっただけの話で。結局二十歳になっ
て結婚、この島に移り住んで、梗ちゃんの知っている民宿潮浜の出来上がり」
 母がガイド、父と叔父が民宿本体の経営。幸せな日々が続いた頃だ。私が小
学校の六年生まで続いた穏やかな時間。母ってものは笑い顔以外を持たない生
き物だって思っていた。その裏にどれほどの苦しみがあるのか全く知らず、父
と私を愛しているのが当然だと思っていた。
「でも物語じゃないから結婚してもハッピーエンドじゃないんでしょ、叔父さ
ん」
 そう、父と母の関係は突然悪化する。
「そ、ちょうど梗ちゃんが小学校を卒業したころだよ、この島に基地拡張の話
が来てね。観光客も減ったでしょ。民宿の経営も危なくてね。で、簡単に言え
ば二人の意見の違いだよ。小桜さんと千秋の仲が悪くなったのは」
「簡単に、って叔父さん、そんな」
「基地を受け入れて、その代わりに補助金をもらって指定宿泊所になるか、島
の自然を守るか。分かるだろうけれど千秋は民宿を守りたかったし、小桜さん
は自然を守りたかった。勝敗も分かるよね。千秋の勝ち。この島はめでたく半
分立ち入り禁止の基地の島になってしまった」
そしてお互いに口を利くこともなく、私は一人、取り残される。
「そんな折に私が出て行って、で、父が入隊したわけね」
 父にどれほどの思いがあったのかわからない。この島に積極的に基地を誘致
したことに対して思うところがあったのかもしれない。どこかの基地から出撃
し、行方不明。父らしい幕の切れ方だ。
 言葉が出なかった。父と母のたどり着いた先。この、北の果ての島で。樹一
本生えない自然の中で。母はとても表情が豊かな人だと思っていた。でも。ほ
んとうは。あの笑い顔の下に辛い思いを抱えて、ただ娘に笑いかけるために笑
ってくれていた。
「梗ちゃん、そんな昔話だけれど、小桜さんも千秋も梗ちゃんの」
「知ってる。だってそれ、母と父の口癖でしたから」


 ほら、私たちってこの島のお花畑みたいですね。千島小桜に千島桔梗。ほん
と、子供がいてよかったです。

 なんだそれ。俺がいないだろそれだったら。

 いえ、千秋さんは苗字で入っていますから、二人分です。


 何度も繰り返された両親のその会話を幸せだと思った遠い日。その記憶がほ
んとうに正しいと感じた今日という日。
 少し拗ねた父を優しく包む母が一番きれいで。幸せそうな父がうらやましく
て。
 私も。そうやって愛すことのできる人がほしい。


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