「なんだよ。出てってくれって言っただろ? ちょっと一人になりたいんだけど……」 広樹はさっきと同じくソファに座ったまま、苛立った様子で顔を背ける。 しかし鷹緒はそれに従わず、同じく広樹の前に座った。 「おまえは偉いよ」 そう言った鷹緒に、広樹は目線を上げる。 「は?」 「ちゃんとあいつを振ってやって……これで馬鹿なあいつでもわかったろう」 「……あれは本気なの?」 疑問の念を浮かべてそう言うので、鷹緒は苦笑して広樹を見つめた。 「あれでいて一途だよな」 「でも……なんで今更?」 「言ってた通りじゃない? 移籍するこの時期しか、あいつには自由がなかったんだろ」 「まだ……信じられないよ」 そう言う広樹の顔が赤くなるのが一瞬見えたが、広樹は膝の上で頭を抱える。 「……おまえ、まだあいつのこと好きなの?」 昼間、綾也香にした同じ質問を、鷹緒は広樹にぶつけた。それを聞いた広樹は、顔を上げて眉を顰めている。 「だから……なんで今更? どうあったって……付き合えるわけないじゃん」 「それは社長としての立場だからだろ。おまえ、前に俺に言ったじゃん。沙織のこと……スキャンダルはまずいけど、お互い好き合ってるのにどうしてそれを殺さなきゃいけないんだって……あの時のセリフ、そっくりそのままおまえにお返しするよ」 まるで宣戦布告のような鷹緒の口調に、広樹も嫌悪感を露わにして口を曲げた。 「僕とおまえの問題はまったく違う。僕は同じ過ちを繰り返すつもりなんてないよ」 「やっぱりおまえも、気持ちは変わってないんだな?」 まるで綾也香のことが好きだというように聞こえて、鷹緒は静かに微笑んで言った。それを聞いて、広樹は深い溜め息をつく。 「あんな悲惨な別れ方したの知ってるおまえが、そんなこと言うのかよ……無理。僕はそんなに一途じゃないし、誰と付き合ったとしても、綾也香ちゃんだけは絶対にないよ。だからこんな話は無意味。おまえが出ていかないなら、僕が帰るよ」 「じゃあなんでそんな不機嫌なの?」 「くだらないことで乗り込まれた僕の気持ちがわからない? 社員にも面目丸潰れ。それより、おまえはなんのためにここにいるんだよ。まさか説得するわけじゃないんだろ。言いたいことがあるなら、聞くから言えよ」 いつになく不機嫌さを丸出しにして言う広樹に、鷹緒は苦笑する。 「お互いにそんなに引きずってるなら、綾也香をうちに入れないほうがいい。あいつがうちに戻りたいっていうのは、仕事面だけじゃなく、おまえとのことで前に進みたいからというのもあるんだろう。あんな別れ方して、引きずってるのはおまえと同じ。でも、あいつは変わらず馬鹿だからな……今日みたいに突っ走ることしか出来ないんだよ。今はもう事務所というしがらみもないんだしな」 「そんなこと、おまえに言われる筋合いないんだけど……まあそうだよね。でも僕は本当に無理。綾也香ちゃんと付き合うなんて」 「うん。それならそれでいいんじゃないの。あいつだっておまえにあそこまでハッキリ言われて、少しはわかっただろうし。これでこっちの問題も解決出来ればいいんだけどな……」 「こっちの問題?」 鷹緒の言葉が引っかかったように、広樹は顔を上げて鷹緒を見つめた。 「俺は人間出来てないからな。おまえが心配なだけでこんなこと言ってるわけじゃない。あいつは突っ走ると周りが見えないタイプだから……巻き込まれる俺が迷惑してるだけなんだよ。沙織に余計なこと吹き込まれないか、こうしてる今も心配だし」 「それはおまえの素行の悪さが原因だろ」 「アホか。綾也香に対しては、俺はいつでも被害者だ」 「さっきから誤解だなんだと言ってるけどさ……僕はこの目で見てるんだからね? おまえと綾也香ちゃんがキスしてるの……」 またも張りつめた空気が社長室に漂う。 しかし次の瞬間、鷹緒が笑った。 「ハハハ。おまえ、やっぱり引きずってんじゃん」 鷹緒が笑ったことで、広樹はむきになるように口を尖らせ、顔を少し赤らめた。 「気にはなってるけど引きずってはないって……」 「まあ昔のこととはいえ、あれに関しては弁解の余地はないけどね……フリとはいえ俺も馬鹿だったと思うよ。ごめん」 「フリ? あれが?」 「あれは事故だよ」 二人は同時に息を吐く。 「べつに……恋愛は自由だし、みんなフリーだったんだし。あの時もおまえはちゃんと説明してくれて、僕も納得した……はずだった。今も頭では理解してるし、責めてるわけでも怒ってるわけでもないんだ。だから誤解もしてないから気にしないでいいよ」 「ったく……やっぱりもう一度付き合っちゃえよ」 「それでチャラになるわけじゃないだろ。僕はさ……うちの子たちはみんな大事にしたいんだ。恋愛なんかで潰したくない」 「ああ……本当に偉いよ。だからおまえは社長なんだ」 「うーん。ああもう、ムシャクシャするなあ。今日はカラオケ付き合えよ」 切り替えるように言った広樹を見て、もう大丈夫だと鷹緒は頷く。 「べつにいいけど……みんな残業みたいだから、きっと誰も来ねえよ?」 「いいよ。おまえだけで……それだけ多く歌えるじゃん」 「それが一番辛いっての」 それ以上語らずともわかり合えたように、二人は静かに微笑んだ。
一方、沙織は綾也香とともに個室となる居酒屋にいた。綾也香は年上だが、まるで年下のように泣きじゃくっている。 まったくと言っていいほど事情を知らない沙織は、どうしていいかわからずにただ宥めるしかない。 「綾也香ちゃん、元気出して……ヒロさんは社長さんだもん。すぐに応えてくれるはずないと思うし……もうすぐ移籍するんだし、これからたくさんチャンスあるよ」 「ありがとう、沙織……でも無理だよ。また一人で突っ走って馬鹿なことしちゃった。私のこと商品だって思ってるのに、告白なんて……ああ、なんで鷹緒さんの言うこと聞かなかったんだろう。せっかく移籍出来るのに、本当に嫌われちゃったかもしれない」 「……私、綾也香ちゃんは鷹緒さんのことが好きなんだって思ってた……」 思わず沙織がそう言った。以前から綾也香は鷹緒のことが好きだと公言していたはずなのだが、今の綾也香は広樹への失恋のために泣いており、沙織の頭はこんがらがっている。 そんな沙織に、綾也香は口を開いた。 「ごめんね。実は私、ずっと社長のことが好きで……鷹緒さんのことはカモフラージュっていうか、みんなに便乗しているところもあって……」 「……どういうこと?」 「うん……みんなと同じように鷹緒さんのことが好きって言ってたら、本当に好きになって他のこと忘れられるかもなんて思ってたけど、私って馬鹿だから全然外へ目も向けられなくてさ……それに公言してたら社長の耳に入って、やきもち妬いてくれるかなとか、焦って私のこと意識して見てくれるかも、なんて……鷹緒さんに言わせれば馬鹿みたいな浅知恵かもしれないけど、私はそんな作戦しか思いつかないほど本当に切羽詰まってたんだよ」 やきもちを妬いてほしいという気持ちは沙織にもわかったが、目先の疑問がどうしても気になる。前に綾也香から、鷹緒と昔付き合っていたということを聞かされていたことだ。鷹緒は友達以上恋人未満という曖昧なことを言っていたが、腑に落ちない部分は大きい。 「じゃあ前に言ってた、鷹緒さんと付き合ってたっていうのは?」 「ああ……ごめんね。それは嘘なの。沙織のこと、ちょっとからかったっていうか、見栄張ったっていうか」 「それじゃあ、何もないの……?」 自分が安心したいこともあり、傷心の綾也香にも沙織はそう投げかける。その顔は必死のようだ。 「うーん……付き合ってはないけど、キスはしたかな」 綾也香の言葉に、沙織は目を泳がせた。何もないはずはないと思っていたが、聞きたいという気持ちと聞かなければよかったという気持ちが交差する。 「そ、そうなんだ……」 「でもあれはお互いに意味なんかなくて……私もヤケになってただけ。鷹緒さんは私の中では憧れで、ずるいけど社長に近づくために必要な人。鷹緒さんもそれがわかってて協力してくれたりしたんだけど……作戦は失敗したし、今は沙織が大事みたいだから全然乗ってくれなかったよ」 「え……?」 突然自分の話になり、沙織は目を見開いた。そんな沙織に、綾也香は泣いて真っ赤になった目を細めて笑う。 「沙織、鷹緒さんのこと好きでしょ? 二人の関係がどうかなんて聞かないけどさ、今回は私が沙織のことで脅したもんだから、鷹緒さんも相当怒ってると思う。だからさっきも事務所に来てくれたんだと思うし……」 「脅したって……」 「私も本気じゃなかったけど、鷹緒さんってば沙織のこと全力で守るって……」 それを聞いて沙織は頬を染めたが、綾也香はそんな沙織の顔は見ずに俯く。 「反省してる。もう鷹緒さんに迷惑かけないよ。約束するから、安心して」 そう言う綾也香はいつになく落ち込んだ様子で、いつもの強引さや元気さがまったくない。 結局、沙織は綾也香を慰めることもままならず、二人で軽く食事をして別れた。
店を出て一人になった沙織は、まだそこが会社近くだったため、鷹緒が借りている駐車場を覗いてみた。すると鷹緒の車がまだある。 未だに揉めているのかと躊躇したが、出来ることなら今日中にもう一度会いたいという気になり、電話ではなくメールを入れてみた。 すると、すぐにメールではなく電話が折り返しかかってきた。 『おう。今どこ?』 そんな鷹緒の声が聞こえるが、会社ではないようで、BGMがうるさいほどに聞こえる。 「鷹緒さんの駐車場の近く……鷹緒さんは?」 『俺はカラオケボックス』 「カラオケ?」 沙織は拍子抜けした。さっきまで緊迫した雰囲気だったはずだが、まるで違う場所に戸惑いを覚える。 『ヒロ慰めるじゃないけどさ……』 「あ……じゃあ今日は遅くなるよね」 『うーん。いつもはオールナイトとか言うけど、幸いなことに明日あいつ朝から会議があるらしくてさ、二、三時間で帰れると思うよ。すでに遅いけど、それからで良ければ会うか?』 「いいの?」 『会いたいんだろ。いいよ』 「うん……じゃあ帰って待ってるね」 そう言って沙織は電話を切った。鷹緒は会いたくないのかと後ろ向きなことも考えてみたが、それでも会えるのは嬉しいし、もやもやした気持ちを抱えているため出来れば今日中に会いたいと思う。 沙織はそのまま自分のマンションへと帰っていった。
それから数時間後。真夜中になろうかという時刻に、沙織の部屋へ鷹緒がやってきた。 「おつかれさま」 「うん。疲れた……」 鷹緒はぐったりとしながら部屋に入り、こたつが仕舞われて復活したラブソファへと座り込む。沙織は水を差し出して、鷹緒の隣に座った。 「ヒロさん、大丈夫そう?」 「ああ。カラオケ付き合ったし、あいつも少しは発散出来ただろう」 「いいなあ。こんな時だけど、私も行きたかったな。二人の歌聞きたかった」 「まあ今度な……今日は本当、気が立ってたから面倒くさかったと思うよ」 苦笑する鷹緒に、沙織もまた静かに笑って頷く。 「うん。今度、普通の時にね」 「……綾也香は大丈夫そう?」 「すごく落ち込んでたよ。でも私は事情知らないし、あんまり慰められなかった……」 「そう。まあ大丈夫だろう。俺やおまえが気を揉んだところで、ヒロはあいつを受け入れられないだろうし……」 それを聞いて、沙織は横目で鷹緒を見上げた。鷹緒は虚ろな表情をしており、何を考えているのかわからない。 「綾也香ちゃん言ってたよ。もう鷹緒さんに迷惑かけないって」 「ハハ……それはどうだろう。あいつは人を巻き込むのうまいからな。まあ、今日は俺も追い込んだ部分あるから面倒見たけど……おまえも気をつけろよ」 「う、うん……でも綾也香ちゃん、ヒロさんのことが好きだったんだね……もしかして、鷹緒さんと三角関係だったの?」 その言葉に、鷹緒は沙織を見つめた。過去を洗いざらいしゃべる気にはなれないが、このことに関しては以前も問題になっているため、言わないわけにもいかないだろう。 「いや……何度も言うように、俺は綾也香と付き合ってもいないし、好きでもなかったよ」 「でも、友達以上恋人未満の関係だったんでしょ?」 いつか言った自分の言葉に後悔し、鷹緒は軽く溜め息をついた。 「面倒くせえから言いたくないんだけど……駄目?」 「……駄目」 見上げる沙織はなんとも真剣で、まるで逃げ場がない。 鷹緒は苦笑しながら目を伏せると、静かに頷いた。 「俺のことだけじゃないから、誰にも言うなよ?」 「うん……」 「綾也香が付き合ってたのはヒロだよ。実際にどこまでの仲だったのかは知らないけど……お互いに本気だったと思うし、当時から社長と所属モデルの関係だったけど、綾也香も元からあんな感じの明るい性格だし、そんなに隠れて付き合うって感じでもなかったんだ」 初めて聞く話に、沙織は聞き入るようにして鷹緒を見つめる。 「へえ……」 「それである日、綾也香のお母さんに交際がばれたんだ。まずいことに綾也香は当時まだ未成年だったから、結構な大問題に発展した。もともと綾也香がモデルやるのも反対の人だったみたいだし、当然ながら事務所やめなきゃならないって話になってね……」 「……うん」 「でもヒロは、別れる代わりに綾也香のモデル存続だけは押し通した。あいつはわかってたんだよ。綾也香の居場所がモデルやることなんだって。綾也香自身もそこまで望んでなかったけど、今ではあいつもトップモデルだし、ヒロが出した答えを必死に飲み込もうとしてたんだと思う」 それを聞いて、沙織は心配そうな顔を見せた。 「じゃあ……今度うちの事務所に戻ってくるのは大丈夫なの? 綾也香ちゃんのお母さんとか」 「綾也香も大人だし、母親が止めたところでそんな権限もうないだろ。ヒロも本来なら移籍の話を断るところだけど、ビジネス優先の頭になってたんだろうな」 「どういうこと?」 「過去のことを気にはしていても、商品としての綾也香が欲しかったってことだよ」 「そんな言い方ひどいよ……」 「ヒロは経営者だからな。それに、気にしてないって意地になってるところもあるんじゃないの? もう周りもほとぼり冷めてるだろうし」 そう言いながら鷹緒は水に口をつける。沙織が聞きたいことは、ここからが本題なのだろう。 「……別れてからの二人は、極力会わないようにしてた。でも綾也香は茜と仲が良かったから……別事務所に移籍後も、完全に断ち切れたわけじゃなかったんだよな」 「茜さんと?」 久しぶりに聞いた名前に、沙織は目を丸くする。確かに茜と綾也香という顔触れならば、似たように大らかな性格で気が合いそうだ。 「うん。俺も撮影とかでは会ってたしな。それで……綾也香に言われたんだ。付き合うフリをしてくれって」 「……それで、したの?」 「うん、まあ……」 バツが悪そうに俯く鷹緒を見つめながら、沙織は口を曲げる。 「信じられない。鷹緒さん、そんなことに付き合うとは思えないのに……」 そう言われて鷹緒は顔を顰めた。こんな話をしているのが馬鹿らしく感じられ、逃げ出したいとも思う。 「俺だってそんなことしたくなかったよ。ヒロにやきもち妬かせるだけの浅知恵だからな。でもちょっと……弱み握られてたから」 「え?」 「茜が口を滑らせたのか知らないけど、俺が結婚してたこと言いふらすって言われて……本来ならそんなの構うことはなかったけど、俺も離婚後でムシャクシャしてたのもあったし、実際にこっちも微妙な時期で理恵に迷惑かけるわけにもいかなかったし、いつになくウジウジしてるヒロ見るのも腹立たしかったし、仕事もそれほど大変な時期じゃなかったしで、まあ一日だけのフリならいいかというノリで……」 「ふうん……」 脅されていたなら仕方がないとは思ったが、やはり面白くない話である。沙織は口を尖らせながらも、話の続きに聞き入った。 「でも未だに後悔してるよ。今でもヒロを傷付けてるだろうから」 「そりゃあそうだよ。二人のこと信じてたはずだもん。それに……したんでしょ? キス……」 それを聞いて、鷹緒は一瞬押し黙った。 「……聞いたんだ?」 「うん……」 凍りつきそうな重い雰囲気に息を吐いて、鷹緒はソファの肘掛けに頬杖をつく。 「……付き合うことになったってヒロの前で言っても、当然ながらヒロは信じてなかったから」 「え、どうして?」 「そりゃあそうだろ。俺にはくっつき回ってた茜もいたんだぞ? そんな茜もしおらしいし、あまりに唐突な話だったからな。俺も協力するフリはしても完全に乗れてるわけじゃなかったし……」 「それで、信じ込ませるためにキス?」 「綾也香がこれで最後だって言うから……それに俺、今でもあんまりキスに対して重要性持ってないし」 「ええ?」 「いや、べつに恋人がいたら他ではしねえよ? でも当時はフリーだったわけだし、まあ……しろと言われればしてもよかったのが本音だけど、さすがにヒロの元カノだから寸止めしようと思ったら、あいつからも近付いてくるから、まあそんな感じに……」 「納得出来ないんですけど……」 過去に嫉妬する沙織の頭を撫で、鷹緒は苦笑する。 「茜も入れて四人で飲みに行ったんだ。ヒロが会計して、茜はトイレで、俺は先に外に出て、ヒロに相手にされないって泣きじゃくる綾也香を宥めてた。そこにヒロが店から出てくるのが見えて……あいつの目の前でキスした。それからあいつは綾也香のことに関して頑なで、たぶん俺のことも許してないと思う……」 俯く鷹緒の横で、沙織は目を見開いた。 「ヒロさんの前で……?」 「うん……」 「ひどいよ! なんでそんなひどいこと……」 「その前にすでに十分してるだろ。綾也香の誘いに乗るなら、一番効果的な方法を選んだだけだよ。まあ……未だに後悔はしてるけど」 「そんな鷹緒さん、嫌いだよ」 顔を背ける沙織に、鷹緒は溜め息をつく。 「……だから嫌だって言ったんだ。嫌われるほど最低な俺の過去なんて、穿ればいくらでも出てくるよ。でもおまえが傷ついてでも話したほうがいいって言うから、こっちは嫌われるの覚悟で言ってるんだからな? 少しは許してくれよ……」 「そうかもしれないけど……」 ここで怒ってしまって今後口をつぐんでしまうのは嫌だと思い、沙織は顔を上げて鷹緒を見つめた。 「……ヒロさんには弁明したの?」 「したよ……あれは脅されて付き合うフリをしてましたってな。でもあいつは聞く耳持ってなかったし、頑固だからな……別れた彼女のことだからどうでもいいって言い放ったまま今日まできてる」 「じゃあ、綾也香ちゃんとはその後は?」 「うーん。何度か飲みに行った程度かな。その後もいろいろ浅知恵の提案はあったけど、それ以降は乗ってないよ。お互いに忙しくなってきてたし……」 正直に答える鷹緒を、沙織が切実な目で見つめる。 「キ、キスだけ?」 「え?」 真っ赤な顔をしてそう聞く沙織に、鷹緒は首を傾げた。 「だって……綾也香ちゃんとは、友達以上恋人未満なんでしょ?」 それを聞いて、鷹緒は苦笑する。 「ああ……そういうこと? ヤッてねえよ……さすがにそこまで見境なくねえし」 沙織の頬に触れながら鷹緒は笑った。そんな鷹緒の顔を見て、沙織はやっと安堵の表情を見せる。 「そうなんだ……もっと深い関係かと思った」 「まあ守秘義務じゃないけど……遊びでもあいつの考えに乗ったわけだから、何もしてないと全否定は出来ないし。あいつもそのことは忘れたいって言うから、一応お互いになかったことにはしてるんだけど……おまえにも曖昧な言い方して悪かったよ。でも真相はそんな感じ」 言いながら、鷹緒は不安げに沙織の横顔を見つめた。ここまで洗いざらい話すことはヒロにもしておらず、過去の行動は沙織に嫌われても仕方がないと思うものの、この先どう言い訳やらフォローしようかと考える。 すると鷹緒の腕に、沙織がすり寄ってきた。 「……話してくれてありがとう」 予想外の言葉を聞いて、鷹緒は沙織の顔を覗き込んだ。 「……うん」 「嫌なことなのに正直に話してくれて嬉しいよ。過去のことでもショックはあるけど、もやもやが晴れてよかった。ありがとう」 不満をあらわにしつつもそう言った広い心の沙織に救われ、鷹緒は沙織を抱き寄せる。 「よかった……すっげー不安だった」 「それでも、ちゃんと話してくれたことのほうが嬉しいよ。でも……ヒロさんと綾也香ちゃんのことは心配だな。ヒロさんが誤解してるなら尚更……もっとちゃんと話したほうがいいよ」 「そうは思うけど、他人がいくら言っても素直に聞けない時ってあるじゃん? それにあいつは誤解っていうより、ただ受け入れられないだけなんだよ、きっと……付き合うフリだとしても、あいつは自分の目でキスしてるの見てるわけだから、許せない部分もあるんだろ」 真剣な面持ちの鷹緒を見上げ、沙織は首を傾げる。 「ヒロさんって、そんな感じの人なんだ?」 「あいつはこうと決めたら曲げないよ。あいつにとっては俺と綾也香の真相が何かなんて、本当は問題じゃないと思う。ただ人を疑ってる自分が受け入れられないとか……まあ、俺と綾也香はケチがついたのと同じことなんだろ」 「よくわかってるね。ヒロさんのこと」 「俺も似たようなもの持ってるからな……」 そう呟いたところで、これ以上は沙織に突っ込まれないように、鷹緒はもう一度水を飲んで体勢を変える。 「それより、今日はここに泊まってもいい?」 突然の鷹緒の言葉に、沙織は嬉しそうに頷いた。 「うん。もちろん!」 深刻な話を終え、鷹緒は少しほっとした顔を見せて沙織を抱きしめる。 「疲れた……」 「ごめんね。いろいろ聞いちゃって……」 「本当だよ。これでドン引きされて嫌われたら立ち直れないんだからな」 「あはは。ドン引きはしても嫌いにはならないと思うけど……ありがとう、鷹緒さん。ちゃんと話してくれて……大好きだよ」 その温もりが一番の癒やしとなって、トゲの刺さった鷹緒の心をも癒やしていくようだった。
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