「鷹緒さーん!」 とある撮影現場の廊下の片隅で、鷹緒は呼び止められて振り向いた。するとそこには、トップモデルの島谷綾也香(しまたにあやか)がいる。 「おう……」 「準備終わりました?」 今まで鷹緒が撮影の準備をしていたのを知っていたのか、綾也香はそう尋ねてきた。 「ああ、終わったけど」 「じゃあ、ちょっと相談いいですか。コーヒー奢りますから」 「うん……いいよ」 強引な感じはあったが、もうすぐ綾也香がWIZM企画に移籍することもあり、鷹緒は承諾してスタジオの前にある喫茶店へと向かっていく。 「で、相談って?」 前置きも求めずに、鷹緒はそう尋ねる。実際に時間もないので、綾也香は頷いた。 「私と付き合ってください」 直球の言葉だったが、鷹緒はうんざりしたように俯いて煙草に火をつける。 「またかよ……」 「今度は本気です」 真剣な顔をした綾也香に、鷹緒は顔を顰めた。 「俺はあの頃と違って忙しいの。だからおまえの浅知恵の茶番に付き合う暇もないし、おまえにそんな義理もない」 「いいんですか? あの事、言いふらしますよ?」 「……何年前の弱みだ。馬鹿馬鹿しい」 「じゃあ新情報でもいいですよ。鷹緒さん、沙織ちゃんと付き合ってるでしょ」 一瞬の間を隠すように、鷹緒は煙草の煙を吐いた。 「……デタラメ並べて楽しいか?」 「嘘でも本当でも、そんな噂流したら一発でみんな食いつきますよ。沙織ちゃん、今売出し中ですもんね。BBのユウとも噂になってた人だし、その後にカメラマンと恋愛なんて体裁悪いよなあ……世間の勝手なイメージやレッテルって辛いよ? たとえでっち上げた噂でも、十分痛手になるでしょうね」 男だったら殴っているところであると思いながら、鷹緒は煙草の火をもみ消した。 「勝手にしろよ。あいつは大事な俺の親戚だ。俺が全力で守るから」 「……つまんない。全然動じないなんて」 そう言われて、鷹緒はコーヒーに口をつける。 「そんな自分を貶めるようなこと言うなよ」 「だって、やり方わかんないんだもん」 「おまえ……まだあいつのこと好きなの?」 鷹緒の言葉に、綾也香は息を呑む。 「なんで……?」 「俺に脅しかけてまでそんなこと言うってことは、同じ事繰り返したいんだろ。進歩ねえな……」 「何年経ってると思ってるの? 私だってあれから何人もの人と付き合ってきたし、引きずってるわけないよ。ただ人気者の鷹緒さんを手に入れたいだけ」 「嘘つけ。まだわかってないのか。男には正攻法でいかないと伝わらないもんがあるんだよ。あいつ、まだ俺とおまえのこと誤解してると思うし……その上でまた俺たちが噂にでもなったら、もう本当に見向きもされなくなるぞ」 痛いくらいに鋭い鷹緒の言葉が突き刺さり、綾也香は口を結ぶ。 「じゃあ……どうすればいいの?」 「べつに普通に告ればいいんじゃない? バレンタインがいいチャンスだったのに……」 「チョコはあげたよ。一応手作りだったんだけど……すでにいろんな人からもらってたし、私もみんなと一緒にあげる形になっちゃったから、義理チョコだと思われてると思うけど……」 「ったく……そういうところ頑張らないから伝わらないんだろ」 うんざりしながら、鷹緒はコーヒーを飲み干した。 「……望みはあると思う?」 「そんなの俺が知るかよ」 「冷たい……」 「人を脅すやつよりマシだろ」 「……ごめんなさい」 鷹緒は頬杖をつくと、目の前の綾也香を見つめる。 「俺は……今でも後悔してる。おまえの誘いに乗るべきじゃなかった。どれだけあいつを傷つけたかわからない」 「鷹緒さん……」 「頼むから……もう俺にあんなこと求めるな。好きならきちんとぶつかれよ。おまえだってもう大人だろ。回りくどいやり方されたって、伝わるものも伝わらない。俺が出ていったところで、うまくいくものも拗れるだけなんだよ」 そう言い残すと、鷹緒はコーヒー代をテーブルに置いて喫茶店を後にした。
「今日は諸星さんとの撮影だから、舞い上がってるんでしょ」 麻衣子と街を歩きながら、沙織はそう言われて頬を染めた。 「そんな……もう慣れたもん。いちいち気にしてられないよ」 言いながらも、やはり鷹緒と同じ現場というのは嬉しさもあれば照れや緊張もある。それが良い意味で融合されていて、いつも感じ良く仕事が出来ている気がする。 「あ、噂をすればだ。諸星さん!」 喫茶店から出てきた鷹緒を見つけるなり、麻衣子が手を振った。鷹緒もすぐに気がついて立ち止まり、手を上げる。 「おう。おつかれ」 「休憩ですか?」 「準備終わったからな」 歩き出す鷹緒について、沙織と麻衣子も歩いていく。ふと沙織が振り向くと、喫茶店にいる綾也香の姿が見えて、鷹緒と一緒だったのだと悟った。
「具合でも悪いのか?」 撮影が終わり、駐車場へ向かう道、一緒に歩いていた鷹緒が沙織にそう尋ねた。鷹緒の後片付けを待っていたため、もはや近くにモデルたちは誰もいない。 「え?」 「いや……俺の思い過ごしならいいんだけど。なんか撮影中も、今日はあんまりノッてない感じがしたから……」 「ううん。大丈夫だよ……」 そうは言っても沙織の心は少し沈んでいた。それは鷹緒が綾也香と一緒にいたことに他ならないが、そこまで禁じるつもりもない。それでも気になっているのは、鷹緒と綾也香が過去に何かあったのだと、少しだけでも知っているからである。 鷹緒には沙織の抱えるものが何なのかわからなかったが、沙織から言わない以上は無理に聞くのもどうかと思い、車のドアを開ける。 「なんか食いに行こうか」 「うん」 車に乗り込みエンジンをかけた瞬間、鷹緒の携帯電話が鳴った。それと同時に沙織の目にも一瞬、鷹緒の持つ携帯電話の液晶画面に出た“島谷綾也香”の文字が映る。 「悪い……もしもし」 沙織に断って、鷹緒は電話に出た。 『鷹緒さん。さっきはごめんね』 綾也香の声が聞こえるが、どこか焦っているような声に聞こえる。 「ああ……どうした?」 『私、もう我慢出来ない。今から一緒に来て!』 「は……なんで俺が」 『お願い。これが最後でいいの。そばにいてほしい』 そう言われて鷹緒は目を伏せた。 「待てよ。今から行って何になる? 勢いで行動したってしょうがないだろ」 『でももう駄目なの……何もしなくてもいいから、一緒にいて!』 どんどん焦る様子の綾也香に、鷹緒は溜め息をつく。 「落ち着けって……一緒にいたら逆効果だってわからないのか?」 『それでもいい。二人きりだとまた逃げられちゃう。それにあの時の誤解が完全に解けたわけじゃないなら、一緒に弁解してほしい』 面倒な願いに、鷹緒は顔を顰める。 「ずいぶん勝手だな……ふざけるな。俺はおまえのなんだよ? そこまでしてやる義理はないって言ってるだろ。それにおまえのせいで、こっちまでゴチャゴチャするのがわからないのか? 他人の迷惑考えろよ」 強い口調の鷹緒の横で、沙織は心配そうに鷹緒を見上げた。ここまで言い合えるのは、逆に綾也香と仲が良いということを目の当たりにするようで辛い。 『意地悪……わかった。一人で行く』 「だから考え直せって。時間はいくらでもあるだろ」 『ないもん。それに私がどれだけ待ってたか、鷹緒さんだって知ってるでしょ!』 一方的に電話が切れ、鷹緒は溜め息をつきながらハンドルを握る。 「……待たせてごめんな。どこ行こうか。何食いたい?」 ふと横にいる沙織を見ると、沙織は不安げな表情を浮かべている。 「……綾也香ちゃん?」 そう聞かれて、鷹緒は静かに頷いた。 「うん。でも大した用事じゃないよ」 「でも……何かあったんじゃないの? さっきも二人して喫茶店にいたでしょう?」 「……見てたのか」 小さく息を吐いて、鷹緒は車を走らせる。沙織にはいつも嫌なところを見られるなと思いながら、先程の綾也香に言われた弱みにつけこむような言葉を思い出し、鷹緒は顔を顰めた。 「でもべつに、私はそれほど気にしてないから……」 そうは言っても、さっきから沙織の浮かない表情の原因がそれだということを悟って、鷹緒は口を曲げる。 「はあ……なんで俺がこんな目に……」 溜め息をつきながら、鷹緒は目を伏せた。他人によって脅かされる沙織との関係を案じると、途端に腹立たしくなってくる。 「鷹緒さん?」 「……ごめん。事務所寄っていい?」 「う、うん……」 急にそう言われ、また険しい表情になった鷹緒を見て、沙織は自分の一言で怒らせてしまったのだと後悔した。 「あの。本当に、なんとも思ってないから……べつに女性と二人きりで話してたからって、怒らないし……」 取り繕うように言う沙織を、信号待ちの鷹緒は横目で見つめた。 「……そんなことで我慢しなくていいよ。ただ俺も振り回される側だから、この問題は今日でケリつけたい」 「この問題?」 そうこうしているうちに車は事務所近くの駐車場に停まり、鷹緒は車を降りる。 「おまえも来る? どっかで待っててくれてもいいけど……」 「行ってもいい……?」 「うん。じゃあちょっと離れたところにいて」 そう話しながら、二人は会社へと入っていった。
WIZM企画の社内に入ると、企画部には彰良と俊二、モデル部には理恵と牧の姿がある。ほぼ重役だけの残業組である。 そんな中で、珍しく内窓のブラインドまで閉め切られた密室状態の社長室から、綾也香の怒鳴り声が漏れていた。 「遅かったか……」 鷹緒はそう呟くと、重い足取りで自分の席へ座った。だがそこにいる一同、空気が張りつめている。それは漏れ聞こえる綾也香の怒鳴り声のせいだ。 「だから! 私は社長のことが好きなんです!」 ハッキリとそんな綾也香の声が聞こえ、彰良が不機嫌そうに立ち上がった。 「彰良さん」 それを鷹緒が止める。彰良のこの後の行動が、鷹緒にはわかっているのである。そんな鷹緒に、彰良はあからさまに不機嫌な顔をして口を開いた。 「俺を止めるつもりなら、おまえが行って来い。ここをどこだと思ってる? 仮にも他社のトップモデルが、色恋沙汰で社長室に乗り込むなんて前代未聞だ。こっちの仕事にも支障が出る。俺まで残っているほど忙しいのは、おまえにもわかってるだろ」 普段は温厚な彰良だが、こういうふうに短気な部分もある。もちろん忙しい時期だからこそ苛立っている部分もあるが、残業とはいえまだ開いている事務所でここまで騒ぎ立てられれば、体裁が悪いのも事実だ。事実、まったく事情を知らない俊二は戸惑っている。 「……わかりました。俺が行きます。今日は出来ればみんなも早めに切り上げて帰ったほうがいい」 顰めながらも真剣な面持ちで鷹緒はそう言うと、社長室へと向かっていった。 「だから綾也香ちゃんの移籍、私は嫌だったんです……」 ふと牧がそう言った。ここで事情を知っているのは牧と彰良くらいで、理恵さえも少ししか知らない。 「牧ちゃん……」 「だって社長と鷹緒さんが本気で言い合ってるの見たの、あの時が初めてだったから……」 「へえ……あの二人も喧嘩するんだ」 何の事情も知らない俊二の言葉に、牧は静かに頷く。 「大丈夫かな……」 重い雰囲気の中、沙織は鷹緒に言われた通り少し離れたところにいようと、出入口の横にある待合用のソファで、そんな様子を見つめていた。
「失礼します」 ノックはするが返事を待たずに、鷹緒は社長室へと入った。 中には社長机に向かって広樹が座っており、綾也香はその前で立ったまま顔を顰めている。 閉め切られた室内のブラインドは、綾也香が乗り込んできてすぐに広樹が閉めたもので、煌々と明かりのついた室内が、ドアを開けてやっと中の様子が見えた鷹緒に眩しく映る。 「そろそろ来ると思ってたよ……」 広樹はその言葉で綾也香を冷静にならせようと諭すが、綾也香はすっかり血が上った様子で口を曲げた。 「どうして返事してくれないんですか!」 一向に興奮が収まらない綾也香の肩を、後ろから鷹緒が軽く叩く。 「少し落ち着けよ。そんなにまくし立てたら、ヒロだって何も言えないだろ」 「でも鷹緒さん……」 「それに会社でこんなことされたら迷惑。残業組もいるんだ。少しトーン抑えろ」 そんな鷹緒の言葉を素直に聞くように、綾也香は静かに頷いた。 「へえ。相変わらず、鷹緒の言うことは聞くんだね」 そう言ったヒロの言葉が引っかかって、鷹緒は溜め息をつく。 「今日の俺は仲裁役だ。おまえが返事すれば済むことだろ」 「さっきから言ってるよ。“綾也香ちゃんの気持ちは受け取れない”」 広樹の顔はいつになく険しく冷たい。 「……なんでですか?」 引き下がらない綾也香の言葉に、広樹は深い溜め息をついて立ち上がった。 「僕、馬鹿は嫌いなんですけど。さっきから言ってるよね……商品である君とは付き合えない。ましてや君は春からうちの所属になるんだよ? 社長の僕が手を出せるわけないでしょ」 本気で怒っている様子の広樹は、鷹緒にとっても久々である。しかしそんな広樹の答えをすでに鷹緒は知っており、あとは綾也香を宥めることに徹しなければいけないと思っていた。 「……じゃあやめる! 事務所なんかここじゃなくても何処でもあるし。それでも駄目ならモデルなんかやめる」 「勝手にしてください。そんな半端なモデルはうちにはいりません。それに君が仕事をやめようが、僕は君と付き合えないから。大体……なんで今更、僕? 君は鷹緒じゃなかったの?」 そこは広樹が誤解しているところであると思いながら、鷹緒も二人の間にズカズカと入っていくことなど出来ず、ソファに座ってその様子を眺めて過去を思い返す。 かつて綾也香は、このWIZM企画に所属しているモデルだった。そんな綾也香と恋に落ちたのは、広樹だった……ということになるが、その詳しい真相は当人たちしか知らない。 まだ広樹が社長になって間もない頃で、しかも当時の綾也香は未成年だったということで、当然長続きせずかなりの大問題となって、結局は綾也香の他事務所への移籍という形で落ち着いたのである。 今回、綾也香がWIZM企画に戻ってくるということは、双方の同意の上ではあるが、広樹にとってはまさか未だに綾也香が自分のことを引きずっていることなど夢にも思わず、また間に鷹緒が入っていることで解決していない部分が三人の間にあり、緊迫した空気が漂っている。 「……なんで今更こんなこと言ってると思います? 私がこの事務所にやっと戻れるからです。完全に戻った後に言ったら、契約があるからこうして断られてもモデルやめる選択肢なんてなくなるでしょう? 私は本当に、社長が望むならモデルやめます」 きっぱりと言った綾也香だが、広樹は嫌悪感を露わにして綾也香の横を通り過ぎ、鷹緒の前に座った。それを見て綾也香は鷹緒の横に座り、目の前の広樹を見つめる。 「……誤解してるなら、まずはそこから解こうか?」 何も言わない広樹にそう言ったのは、鷹緒だった。 「誤解なんてしてないよ」 「さっきの言い回しだとしてると思うけど……悪かったな。もうとっくに解けてるはずだと思ってたけど、そりゃあ引っかかる部分はあるよな」 「私、鷹緒さんと付き合ってないよ。今までも付き合ったこともない」 鷹緒に続いて綾也香が言った。広樹は頬杖をつくように頭を抱えると、重い口を開く。 「……どう言ったらいいのかな。それが誤解だろうがそうでなかろうが今更そんなこと興味ないし、綾也香ちゃんがモデル続けようとやめようと僕には関係ないわけで、もし本当にそんな不純な動機でうちに移籍されても困るから、移籍話を白紙に戻さなきゃいけなくなるかもしれないことで、僕は今頭がいっぱいなんだけど」 「でも誤解されて偏見持たれたまま接せられるなんて嫌です。私はこのWIZM企画に戻って心機一転したいし、今の事務所に不満持ってるのも嘘じゃない。無理に恋人として付き合ってとは言いません。ただ私の気持ちを社長に知ってもらいたいだけなんです!」 切実な目で訴える綾也香だが、もはや広樹はキレている状態とも言え、逆に冷静で仕事目線な社長のポジションを確立している。 「……綾也香ちゃん。僕は未熟な社長ではあるけど、少なくとも大学出たての新米社長ではないんだ。昔とは違うんだよ……周りは忘れていようと、あんなことがあって今があるんだ。どうやっても君とは付き合えないし、君がそんな気持ちなら移籍話は他に振る。君は他の事務所も喉から手が出るほど欲しがってるトップモデルだ。すぐに話がつくよ」 「……」 「君ももう大人だからわかるだろ。告白はありがとう……男としてとても嬉しいよ。言って楽になるために告白しただけなら、今日限り僕も忘れるから君も忘れてほしい……そうじゃなくて今後の進展を望むなら、君がこの業界にいる限り、僕は付き合えないし向き合うこともない。もし君が言うようにモデルをやめる気があったとしても、向き合うことは出来ても好きになれる保証はない……だからどっちか選んでくれないか。忘れて残るか、別の会社に行くか」 そう言う広樹はしっかりとした大人で、綾也香だけでなく鷹緒の心にも痛みを与えた。社長である広樹とは立場も違うが、本当は同じことを自分も沙織に言わなければならなかったのだと思うと耳が痛い。 「私は……この事務所に移籍したいです」 明るい綾也香が、今にも泣きそうになってそう答えた。 「じゃあ、このことはなかったことに出来るね? 僕のことに関してもう何も言わないね?」 追い打ちをかけるような広樹に、綾也香は俯き立ち上がる。 「……帰ります」 「待って。約束してから帰ってほしい。じゃないと契約書に書くよ」 広樹はすっかりビジネスモードで割り切っている様子で、綾也香にそう言った。 「はい……忘れるよう努力します……」 「はい。じゃあ今後こちらからもよろしくお願いします。もう帰ってください」 冷たく広樹にそう言われ、綾也香はさっきまでの威勢をどこかになくしたように、肩を落として社長室を出ていった。 「……おまえも出てってくれ」 続けて言った広樹に、鷹緒は無言のまま社長室を出ていった。
社長室を出た鷹緒の目に社内が映る。さっきと同じメンツだが、逃げるように出ていった綾也香はすでにおらず、沙織の姿も見当たらない。 「……沙織知らない?」 「綾也香ちゃんと出ていったわよ」 理恵の言葉に、鷹緒は顔を顰める。 「そう……みんなはまだ帰れない感じ?」 「まあ……ヒロが気になりもするし、先の見えない仕事だから、やれるところまでやってるって感じ」 今度は彰良がそう言ったので、鷹緒は頷きながら出入口のほうへと歩き、沙織に電話を入れた。呼び出し音が数回鳴ったところで、沙織の声が聞こえる。 『はい』 「あ、俺……おまえ今、綾也香と一緒?」 『うん。思わず追いかけちゃったんだけど……このまま二人でどっかお店入るね』 それを聞いて鷹緒は溜め息をつくと、そのまま会社を出て喫煙室へと入っていく。 「……あんまり綾也香に構わなくていいから」 『でも放っておけないよ』 「じゃあ、あんまり立ち入るなよ。前みたいに変なこと吹き込まれてほしくない。俺のことは俺から言うから。話しするなら、ただ聞いてるだけにしろよ」 鷹緒と綾也香は友達以上恋人未満の関係だった――と、以前に聞かされていたが、沙織は深いことまでは知らない。 念を押すような鷹緒に、沙織は口を曲げつつも頷いた。 『うん……』 「じゃあ俺もこっち片付けて帰るから、おまえも今日はそのまま帰ってくれ。こんなことになってごめん。明日また連絡するよ」 『わかった……じゃあまたね』 沙織との電話を切って、鷹緒は煙草を一本吸うと、社内へと戻っていった。 社内は変わらない光景で、各々仕事を続けている。鷹緒も本来なら自分の仕事に手を付けたいところだが、広樹を放っておくことも出来ず、もう一度社長室へと入っていった。
|
|