沙織はその日、麻衣子と一緒に映画を見に行っていた。近々、二人を含めたモデルたちで、週末の情報バラエティ番組に準レギュラーで出演することが決まっているため、最近よく映画や本を読むようにしている。 その日も撮影終わりに、二人は映画を見ていた。 「三月なのに、まだまだ寒いね」 商業施設の中を歩きながら麻衣子が言ったので、沙織も頷く。 「本当。どっか入ろうよ」 「じゃあ小物見たい」 「私も」 同じ年で気の合う二人は、商業施設内のインテリアショップへと足を運んだ。広い店内は落ち着く場所で、沙織は一人でもよく来る行きつけの店である。 「わあ。このカップ、カッコイイ!」 コーヒーカップを手に取って沙織が言った。鷹緒に似合うと思ったが、すべてに関して鷹緒につながってしまう思考回路に気付いて、沙織は一人で笑う。 「なに笑ってんの? でも本当だ、カッコイイ……けど、沙織だったらこっちの可愛い系選ぶと思った」 そう言ったところで、麻衣子もまた鷹緒のことを思い出した。 「ああ……愛しの彼にね」 「ち、違うよ。単純にカッコイイって思っただけじゃん」 「ふうん? わっかりやすい」 「もう、からかっちゃって……」 「そういえば、もうすぐユウさんの誕生日だよね?」 突然の麻衣子の言葉に、沙織はハッとした。忘れていたこともあるが、ユウの名前を聞くのは久しぶりだったからである。 「うん……」 「あ、ごめん。まだ禁句だった?」 「そんなことないけど……」 気を遣う麻衣子だが、あからさまに落ち込む沙織を見て苦笑する。 「ごめんってば……でもほら、去年のこの時期も一緒に買い物行って、ユウさんの誕生日に何あげるかって散々悩んでたの思い出しちゃって……もう関係ないもんね。ごめんごめん」 「関係なくないよ……友達だもん。プレゼントあげたほうがいいかな」 沙織の言葉に、麻衣子もまた思い悩む。 「うーん。余計なことしないほうがいいんじゃない? だいたい会う機会ないじゃん」 「そういうものかなあ。麻衣子だったらあげない?」 「機会があるならあげるかもしれないけど、今の関係の度合いによるかな。仲が良いなら送ってでもあげると思うし」 「今の関係か……微妙だな」 そう言いながら、沙織は棚にディスプレイされた小物を取って見ていく。 「連絡取ってないの?」 「ううん。たまにメールが来るくらい。コンサート情報とかも知らせてくれるし」 「へえ」 「なんか……去年と今年じゃ全然違うなあ」 「まあ、去年までは諸星さんもアメリカ行ってていなかったしね。そういえば、諸星さんも帰ってきて一年くらい経つよね?」 「そっか。確かユウの誕生日イベント兼ねたBBコンサートの時だから、本当にちょうど一年だ……」 「元彼のことより、今はそっちのほう考えたほうがいいんじゃない?」 麻衣子の言葉の意味がわからずに、沙織は首を傾げる。 「そっちのほうって?」 「帰国から一年記念ってやつ? 彼女としてお祝いしておいたほうがいいんじゃないの?」 「そんなの喜ぶかなあ」 「喜ぶ喜ばないの話じゃなくて、やることが大事なんだって」 そんな麻衣子に促され、沙織は鷹緒へのプレゼントを選び始めた。
その夜。沙織は鷹緒とともに事務所近くのレストランにいた。最近の鷹緒はまた忙しい時期らしく、なかなか部屋で会う時間すらない。 「あのね……」 食事中、会話の途切れた合間に、沙織が口を開いた。 「うん?」 「あの……もうすぐユウの誕生日なんだけど、なにかしたほうがいいかな?」 そんな言葉に、鷹緒は小さく眉を顰めた。 「なんでそんなこと、俺に聞くの?」 「だって……業界じゃ先輩だから……」 「べつにあげたきゃあげればいいし、嫌ならやめればいいんじゃない?」 「そういうもの? だってそれでまた元カノからプレゼントもらってどうのとかって、週刊誌とかに書かれちゃったりしたら……」 「じゃあやめろ」 突き放した言い方の鷹緒に、沙織は頬を膨らませる。 「もうちょっと言い方とかあるじゃん……」 「おまえの話は打算が見え見え。損得で誕生日祝うわけじゃねえだろ。ましてや社交辞令でプレゼント渡す間柄でもないだろうに、おまえも大人なんだから、少しは自分で考えろ。それとも俺にやきもちでも妬いてほしいだけで言ってんのか?」 何も言い返せない沙織は、口を結んで俯いた。今まで美味しく食べていた料理が一瞬にしてまずくなる。 「……ひどいよ。久々の楽しい食事だっていうのに……」 やっとそう言った沙織だが、鷹緒はもう何も言わない。言い合いの喧嘩にすらならない状況で、沙織は惨めになった。 一方の鷹緒は、沙織の話は聞いているものの、鷹緒にとって大きな問題ではまったくないため、話を聞きながら半分は仕事のことを考えていた。沙織が落ち込んでいることもわかってはいるのだが、それこそ小さな問題を抱えていると思う沙織に、それ以上の言葉をかけるつもりもない。 「沙織。悪いけど……俺、今そんなこと考えてる暇ない」 フォローのつもりだったが、そう言い放った瞬間に携帯電話が震え、鷹緒は席を立った。ついでに喫煙室へ入っていくのが見えて、沙織は不意に溜まった涙を拭い溜息をつく。 沙織の中でも大した話ではない。軽い相談のつもりだった。イエスかノーか軽く言ってもらえればよかっただけで、そうでなければいつものようにからかったり拗ねたり、冗談交じりで笑い飛ばしてくれればいいだけだったのだが、今の鷹緒は恋人モードではないことはわかっている。それがわかってしまう自分もまた惨めに思えた。 「もう……帰ろうかな……」 黙って帰ったら、鷹緒はどんな顔をするだろう――そう考えたところで、また自分の打算的な考えに嫌気が差す。 そこに鷹緒が戻ってきた。 「待たせて悪い……」 目の前に座る鷹緒を見つめて、沙織は首を振る。 「ううん……」 「……さっきは言い過ぎたよ。でも沙織がしたいようにすればいいと思う」 鷹緒も悪いと思っているのか、バツが悪そうにそう言った。 「うん……ユウとはもう、友達だしね」 静かに言った沙織に、鷹緒は軽く溜息をつきながら、目の前の食事に手をつける。 「俺は……おまえが思ってるより嫉妬深いし、女々しいし、ずる賢い計算もするよ? BBとは仕事関係でも切れないし、俺もおまえの元彼がどうのとか忘れてること多いけど……そんな意味深に語られたら、おまえは忘れてないんだと思ってムッとするし……ああもう、だから嫌なんだよ。こんなこと言うのが……忘れて」 恥ずかしさを隠すように料理にがっつく鷹緒を見て、沙織は少し放心状態でその姿を見つめていた。厳しい態度も強い言葉も、みんな鷹緒の嫉妬なのだろうか。そんな鷹緒に、沙織はなんだか嬉しさを感じて微笑む。 「なに笑ってんだよ」 そんな沙織に強気な態度で言う鷹緒だが、顔はほんのり赤くなっており、可愛らしい部分が伝わる。 「ううん。なんでもない」 すっかり機嫌が良くなった沙織は、鷹緒の食事をずっと見続ける。鷹緒もまた苦笑して、二人は食事を続けていた。
それから数日後。結局、沙織はユウへの誕生日プレゼントを買わなかった。それは会って渡せる機会もなかったからである。しかしきちんとメールでそれを祝い、ユウからもお礼のメールが届いたことで、沙織の心は明るくなった。別れても大事な人には変わりないのだ。 そんな沙織のもとに、鷹緒から電話が入る。 『悪いんだけど、手空いてたらメシと煙草買って来てくれない? 地下スタジオにいるから』 またも忙しい時期に入っているという鷹緒は、今日も忙しそうだ。 疲れ切った鷹緒の声を聞いて、沙織は言われるまま食料と煙草を調達し、急いで地下スタジオへと向かっていった。仕事中に来いと鷹緒から言うことには、余程のことだと思ったのである。 真っ暗なスタジオ内も、いつもの如く鷹緒のアトリエスペースだけは明かりが灯っている。 「ああ、悪い」 鷹緒は数日の間でやつれるように顔色が悪い。本当に追い込み時期なのだとわかるが、沙織は途端に心配になった。 「大丈夫……?」 「大丈夫じゃない。ごはんちょうだい」 いつから食べていないのかわからないが、いつも限界までやる鷹緒が弱気な態度ということが、逆に少しは大丈夫だということも今の沙織にはわかる。 「どうぞ。あと煙草ね」 「ありがとう。助かるよ」 「もう。いつから食べてないの?」 「朝かな……今日は格別忙しくて……」 「心配だなあ」 「大丈夫。女神が来てくれたから」 食事をしていつもの調子に戻ったように、鷹緒は不敵な笑みを零す。沙織も赤くなりながらも微笑んだ。 「まだ時間かかるよね。先に渡してもいいかな」 そう言って、沙織は紙袋を差し出した。 「何?」 「帰国から一年記念!」 嬉しそうな沙織につられて、鷹緒も微笑む。 「ああ……もうそんな時期だっけ」 「そうだよ。BBのコンサート中じゃない」 「そっか。ユウのバースデイ記念も兼ねてのツアーだったっけ」 紙袋の中には箱があり、それを開けると大きめのマグカップが入っていた。洒落た陶器のカップである。 「渋めで飽きない感じでしょ。カッコイイと思って一目惚れしちゃった」 「ああ……ありがとう」 そうは言うものの、鷹緒は少し困ったように見えるので、沙織は不安げにその顔を見つめた。 「気に入らなかった……?」 「いや、そういうわけじゃないよ」 「でも嫌そう……」 「いや……俺、あんまり食器買わないから。増えていくの嫌なんだよ。だからどれを捨てようかなって」 鷹緒の考え方に、沙織は俯く。悲しいわけではないが、余計なプレゼントだったと思うと後悔も出てくる。 「あ……じゃあ、誰かにあげるからいいよ」 「嫌だよ。俺がもらったもんだもん」 なんだか言葉についていけず、可愛く聞こえる鷹緒の言葉に沙織は笑った。 「鷹緒さんってば、難しいなあ。もらったもんだもんって……可愛い」 「可愛いってなんだよ。一端の男に向かって……」 「だって可愛いんだもん。そうだ、私の家に持って帰るよ。それで家で使う鷹緒さん専用カップにするの」 「まあ……おまえが良ければ」 「全然いいよ。ああ、だったらお揃いにすればよかった。色違いがあったんだ」 嬉しそうに話す沙織を見て、鷹緒はその頭を撫でる。 「じゃあ、その色違いは俺が買ってやるよ」 「……鷹緒さんの帰国から一年おめでとう記念なのに?」 「おまえと再会して一年記念ってことで」 そう言った鷹緒に、沙織は大きく頷いた。 「うん!」 こうして二人の思い出の品がまた、増えていくことだろう――。
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