バレンタインデーの翌日。鷹緒は出勤するなり、自分の机を見て声を失った。そこには書類の束が積み上げられるように置かれている。見るとファックスで届いたものが多く、どれも企画書のようだ。 「あ、おはようございます、鷹緒さん。ごめんなさい。朝届いたものもあるんですが、昨日渡すの忘れてて……」 そう言ったのは牧である。 「ああ、わかった」 出所がはっきりして頷くと、鷹緒は企画発案者の名前を見て微笑んだ。“チョコくれるくらいなら仕事ちょうだい”と、冗談で言った、仲の良い取引先の女性陣からの嬉しい企画書ということがわかる。 「今度の企画会議は大変だな……」 そう呟いて、鷹緒は礼の電話を発案者たちに入れた。 すると途中で企画部長の彰良が出勤してきたので、電話を終えるなり鷹緒が声をかける。 「おはようございます」 「おはよう。早いな、鷹緒」 「朝一番の入稿があったんで。それより近いうち緊急企画会議、開けません?」 「いいけど、なんだよ」 「ラブレター」 企画書を広げて見せる鷹緒から、彰良はそれを覗いた。 「へえ。これまた幅広い企画案だな」 「バレンタインのチョコ代わりなんで、一気に来ちゃって」 「へえ。それは頭いいやり方かもなあ。嬉しい悲鳴ってやつ? じゃあ明日……いや、今日やっちゃおうか」 「いいんですか?」 「明日から出張のやつらいるし、今日のがいいんじゃない?」 「じゃあ企画部にメール入れておきます」 「ああ。急だし、無理して全員集めなくていいからな」 「了解。じゃあ俺、みんなに連絡入れて、今日は一日地下スタにいますんで」 「はいよ」 そんな会話があって、その日の夜は企画部の緊急会議が行われることとなった。
「ええ? 今日は私の家で鍋パーティーやるって約束したのに……」 地下スタジオで編集作業をしている鷹緒に、休憩の合間にやってきた沙織がそう言った。 「行けないわけじゃねえよ。遅くなるとは思うけど……」 「遅くなるなら鍋パーティーなんて出来ないじゃん」 「悪い。もうすぐ年度末で忙しい時期でもあるし、今後もちょっと立て込むと思う」 そう言う鷹緒は、パソコン画面から一度も目を逸らすことがない。会話はしてくれているものの、沙織は口を曲げてソファに座り、鷹緒の後姿を見つめる。 「忙しい時期なんて……ずっとそうじゃない。年末だから、正月だから、イベントあるから、年度末だからって……」 「しょうがないだろ。仕事なんだから……おまえだって同じくらい忙しいじゃん。イベントに学校に、春からテレビのレギュラーも決まったんだろ」 「準レギュラーね」 沙織の仕事は、主に雑誌やファッションショーでのモデルとしての仕事が多いが、以前からテレビコマーシャルなどに起用されていることもあり、メディアへの露出も年々多くなってきている。春からは麻衣子たちとともに、週末の情報番組で準レギュラーを務めることになっていた。 「その準レギュラーをこなすための勉強もするんだろ? 小説読んだり映画見たり……」 「だから、これから余計に会えなくなるかもしれないのに……」 その時、地下スタジオの固定電話が鳴った。ファックスを送るために鷹緒が入れたもので、ほとんどかかっては来ないが、鷹緒がここにいるとわかっている時は直通でかかってくることもある。 「はい、諸星です」 話の内容から推測すると雑誌社のようだが、沙織は溜息をついて床を見つめた。鷹緒に文句を言いたいわけでもなければ、仕事ということはわかっているのだが、自分が何に腹を立ててどうしたら鷹緒を許せるのかさえわからない。 その時、電話を終えた鷹緒がパソコンの電源を切って立ち上がった。それにつられるように、慌てて沙織も立ち上がる。 「……出かけるの?」 「ああ、ちょっと急な打ち合わせ入った。すぐ終わるとは思うけど、俺はそのまま事務所戻るよ。おまえもそろそろ仕事だろ。ここ閉めるから、もう出るぞ」 忙しない鷹緒の様子に、沙織は不満げに俯く。急な打ち合わせを入れられる時間があるならば、もっと一緒にいてくれてもいいと思うのだが、それを口には出来ない。 そんな沙織の不満に気付きながらも、待ってはくれない仕事に追われ、鷹緒はどうすることも出来ずに溜息をついた。 「ごめん……鍋パーティーはともかく、夜寄っていい?」 「……いいよ。無理しなくて」 鷹緒の言葉にも素直に喜べずに、沙織は首を振る。 「だから無理じゃないっての。とにかく夜の企画会議終わったら電話するから。おまえも仕事頑張れよ」 ろくなフォローも出来ずに去っていく鷹緒を見て、沙織もまた深い溜息をついて一人歩き始める。これから撮影があるものの、まだ入り時間まではかなり早く、どこかで時間を潰さねばならない。 この後ある撮影現場近くの喫茶店に身を寄せると、しばらくして理恵の姿が見えた。 「沙織ちゃん」 そう言われて、沙織は会釈をする。 「理恵さん……おつかれさまです」 「時間調整? 私も一緒にいいかな」 「もちろんどうぞ」 「じゃあ失礼します」 目の前に座った理恵は店員に注文をすると、持っていた資料の整理を始める。 「今日はそこのスタジオで撮影よね。今日は私が付くので、よろしくね」 「こちらこそ……でも理恵さん、副社長なのにマネージャー業まで大変ですね」 沙織の言葉に、理恵は苦笑した。 「私なんて名ばかり副社長だから……今に始まったことじゃないしね。それにうちの会社は企画部と事務がいるおかげで、そっちに任せられる仕事も多々あるから、私も事務方より実働部隊に徹せられるのよ。もともと外回りのほうが好きだしね」 そこに理恵が注文したコーヒーが運ばれてきた。理恵はそれに口をつけて、沙織を見つめる。 「なんか……浮かない顔してるね」 理恵にそう言われ、沙織は俯いた。 「そうですか? そんなことはないですけど……」 「そうだ。今度から始まるテレビの準レギュラー……バラエティとはいえ情報番組だから、事務所にいくつか見ておいて欲しいっていうDVDとか本とか届いてるの。近いうち割り振るから、一緒にやる麻衣子ちゃんや綾也香ちゃんと見てもらうことになると思うわ」 「わかりました。私もその仕事決まってから、麻衣子たちと精力的に映画とか見に行ってますし、まだまだいろんなもの見聞きしたいと思ってます」 「うん。頑張ろうね」 「はい」 いつもの明るい沙織に戻ったことで、理恵は沙織の心配の種がプライベートであることを悟りながらも、自らそれを聞く気にはなれずに静かに微笑む。 「……仕事でもプライベートでも、何か悩みがあったら言ってね。私に言えないようなことなら、他のモデル部の人間もいるし……あんまり溜め込まないで」 そう言われて、沙織もまた微笑んで頷いた。 「ありがとうございます……悩みって言うほどでもないんです。仕事も楽しくて充実してるし、仲の良い友達とも会ったりしてるし、鷹緒さんも優しいし……」 理恵の前で鷹緒の話をすることもどうかとは思ったが、理恵は沙織にとって鷹緒に対する一番の理解者でもあり、相談相手でもあり、また自慢したい気持ちがあるのも事実だ。 「そう。彼、優しいんだ?」 話を聞いている理恵は、嫉妬どころか優しい目を向けている。 「まあ……そうですね」 「でも不満があるみたいだね。まあわからなくもないけど……あんまり考え過ぎないほうがいいと思うわよ」 軽く言ってくれる理恵に心救われる感じがしながらも、沙織は真顔になって溜息をついた。 「寂しさって……どうやって埋めたらいいんですかね?」 「え?」 「鷹緒さん、優しいんです。無理してるっていうくらい……それがなんだか申し訳なかったり、でも忙しすぎると不満になったり、自分の気持ちがブレブレで……でも鷹緒さんは仕事に妥協はしないし、それなのに今日も会議終わったら会いに来てくれるって……だけど、なんだろう。きっと毎日会ってても、ずっと一緒にいても、きっと寂しい……」 話を聞きながら理恵はコーヒーを一口飲み、静かに頷く。 「それはきっと、相手が鷹緒だから寂しく思うわけではないんじゃない? 好きだから寂しいんでしょ。私もその気持ちわかるよ。今こうして沙織ちゃんや誰かと会ってても、目が回るほど仕事が忙しかったり楽しかったりしても、心だけは寂しかったりするのよね……」 理恵の言葉に、沙織は目を泳がせる。 「それって……鷹緒さんの話じゃないですよね?」 「豪のことでもないわよ? 恵美のこと」 悪戯な目にはぐらかされるようにして、沙織は俯いた。 「……無理させちゃう自分が嫌なんです。まあ無理しても、鷹緒さんはこれ以上に仕事減らすとかはしないとは思いますけど……無理じゃないとか言ってくれても、今まで仕事で寝る時間も食べる時間もなかった人が、私のために時間作るなんて無理してるに決まってるじゃないですか……でも、それなのに一方で会えないのが不満だったり……」 「沙織ちゃんも、そんな無理することないんじゃない? 私は嫌なことがあれば嫌だって言うし、そうしたら相手も妥協出来るところはしてくれて、出来ないところは話し合えばいいでしょ。でも私と沙織ちゃんじゃ全然性格違うし、そんな沙織ちゃんだから彼とうまくやっていけてるのかもしれないけど……そんなに物わかりよかったら、すぐに疲れちゃうんじゃない?」 理恵は明るくそう言った。確かに理恵と沙織は別のタイプだろうが、それでも通じる何かがある。 「な、なるほど……勉強になります」 「いやいや、私は失敗しているクチだから偉そうなことは言えないけど……まだ付き合い始めて長いわけでもなし、いろいろ言いたいこと言い合って、探りながらでも歩み寄っていったらいいんじゃないのかな……彼、優しいんでしょ。そうそう怒ったりしないんじゃない?」 「はい。そうですね……私も正直にいてほしいって人には言うくせに、自分は飲み込んじゃってたかも……」 「あ……でもよく言う“私と仕事とどっちが大事なの”的なことは、言わないほうがいいわよ」 突然の具体的な理恵の言葉に、沙織は首を傾げた。 「え?」 「鷹緒に限らず、男の人には禁句みたいだけどね……私、前に思わず彼に言ったことあるのよ。その返答がトラウマっていうかなんというか……言っちゃいけなかったなって、今でも後悔してるから」 「鷹緒さんにですか?」 「そう。だから沙織ちゃんも、そういうことは言わないほうが……」 「その返答って、なんて言われたんですか?」 当然といえば当然だが、興味津々の様子で、沙織は身を乗り出してまで理恵に尋ねた。 「あ……彼には内緒にしてね? まあ覚えてないだろうけど……」 「はい」 「私がそのセリフ言ったら、“じゃあおまえが一生俺の面倒見てくれるの?”ってね」 「え……」 「まあ、ある意味当然で正論よね。でも当時の私には衝撃的だったし、そこまで真剣な答えは望んでなかったんだけど、その後も“家のローンは? 世話になった親戚にも恩返ししたいし、おまえ長女だろ。親の老後のこととかまで考えてる? 金の心配しなくてもすむくらいおまえが稼いでくれるならいつでも仕事やめたっていいけど、出来もしないくせに無理言うな”って捲し立てられてね……私が悪かったけど、返す言葉もないわよ」 苦笑する理恵だが、二人がうまくいかなかった原因の断片が垣間見えた気がした。なにより同じセリフをいつか自分が言ってしまうことがあったとして、同じ言葉を返されたらショックで口も利けそうにない。 「なんか……言いそうだなあ。前に私も(※FLASH2で)言われました。周りに付き合ってること言えないことに不満もあったんですが、“だったら仕事やめるか? おまえが仕事やめるなら公表してもいい”って……」 「ああ……」 「鷹緒さんはいつでも、言ってること合ってるんですよね。でも言い方っていうか、時々怖い時があるから、そう前へ前へと言えなくて……」 沙織の言っていることが痛いほどわかって、理恵は苦笑した。鷹緒の新しい恋人とこうして話すことなど今まで考えてはいなかったが、その関係は嫌ではなくむしろ新鮮で、また鷹緒の言動が以前とあまり変わっていないことに、懐かしくも感じれば呆れもする。 「まあ……そういうことだから、寂しくても少しは我慢。でも我慢しすぎないように……って、難しいけど頑張って。それでも悩むようなら、私で良ければ話聞くし」 「ありがとうございます。なんだか言ってスッキリしました。周りに言うこと出来ないから、それもまたストレスで……付き合ってることを麻衣子は知ってますけど、なんかノロケに聞こえるらしくて、あんまり相談出来ないんです」 苦笑する沙織は、理恵から見ても可愛らしい。理恵は急に複雑な気持ちになったが、それを押し込めて微笑んだ。 「私が言うことじゃないけど……彼の優しさとか不器用さとか、本質的な部分はそう変わらないと思うけど、今と昔じゃ全然違う部分もあるんだろうし、沙織ちゃんは自信持って彼と向き合えば大丈夫よ」 「はい……ありがとうございます」 「うん。じゃあ元気出して、そろそろ行こうか」 「はい」 沙織は理恵に言えたことで、溜めていた部分を吐き出して楽になっている。 そのまま二人は、同じ仕事現場へと向かっていった。
それでも少し早めに現場入りしたので、沙織は一番乗りでメイクルームへと向かっていった。理恵もまた早いので、資料を見つめながらスケジュールを確認する。 「あれ? 諸星さん」 そうこうしていると、そんな声がして理恵は顔を上げた。するとそこには鷹緒がいて、スタッフたちと話している。 理恵は驚いて鷹緒に近付いた。 「……どうしたんですか?」 今日の撮影スタッフは身内ではない。他社のスタッフでも今日の撮影は気心が知れている人ばかりなので、鷹緒がいても違和感はないのだが、来るはずのない鷹緒に一番驚いているのは、同じ会社の理恵である。 「打ち合わせが早く終わったから寄っただけ。制作の西内さんに会えたら、話したいこともあったんだけど……沙織は来てる?」 最後の言葉で、鷹緒の本当の目的が沙織と悟って、理恵は苦笑した。 「あなたが公私混同する人だなんて知らなかった」 「人聞きが悪いこと言うなよ。ついでに聞いただけだろ」 そう言いながらも、鷹緒の目は沙織を探している。 「メイクルームに行ったわよ。さっきお茶して、一緒に来たの」 「そう……なんか言ってた?」 見え見えの探りがおかしくて、理恵は笑うしかない。 「ねえ。そういう態度って、私と付き合ってた時もどこかでしてくれてたことある?」 二人きりの会話になっているが、理恵の言葉に鷹緒は眉を顰める。 「はあ?」 「ないよねえ。そんな一面があるなら、もうちょっと長く続いてたかもしれないのに」 誰のせいでうまくいかなかったのだと思いながら、鷹緒は軽く頭を掻いた。 「……こういう一面を、きっと沙織は知らないんだろ。おまえとおんなじ」 「え?」 「離れてるからこそ見えるってな。じゃあ俺、時間ないからもう行くわ」 「え、沙織ちゃんは……」 「いるなら会えたらいいなと思っただけだよ」 「呼べばいいじゃない」 「そこまでの間柄じゃないだろ。世間的には」 それを聞いて、理恵は小さく息を吐く。 「……あんまり気にはしてないんだけど、言葉使いには気を付けなさいよ。彼女、まだ若いんだから」 「……やっぱりなんか言ってた?」 「べつに……直接聞いてあげたらいいんじゃない?」 今度は鷹緒が息を吐いた。 「そうだな。おまえを介すことでもねえし。じゃあ……」 その時、沙織がメイクを終えてスタジオに入ってきた。すぐに鷹緒がいるのに気付いて、沙織は駆け寄ってくる。 「鷹緒さん?!」 「ああ……」 「どうしたの?」 さっきまでもやもやしていた気持ちを忘れて、沙織はそう尋ねた。 鷹緒もまた、いざ沙織と会うとなると照れもあり、取り繕うように苦笑する。 「ちょっと近くまで来たから、打ち合わせ兼ねて……でももう行かなきゃ」 「そっか……」 「でも顔見れて良かったよ。じゃあ、こっちも終わったら連絡するから。頑張れよ」 そう言って、鷹緒は足早にその場を後にした。 「通じてるね。想い」 その時、理恵がそう言ったので、沙織は首を傾げる。 「え?」 「本当、離れてるとよく見える……二人はちゃんと想い合ってる気がするよ。だから大丈夫」 理恵の言葉に後押しされるように、沙織もまた前向きな気持ちになった。だが同時に、心の隅で同じように鷹緒と理恵を見ている自分がいた。二人は想い合っている……そう思わずにはいられない時がある。 しかしそれを抑えるように、沙織は笑った。 「はい。なんか元気出てきました。撮影頑張ります」 気持ちを切り替えるようにして、沙織はそう言った。
WIZM企画の会議室では、企画部の緊急会議が行われていた。そこには広樹も同席しており、緊急ながらも正式な会議と化している。 鷹緒は企画書のコピーを全員に回すと、口を開いた。 「緊急ですみません。これは俺がバレンタインチョコの代わりに女性陣から勝ち取った企画書で――」 そんな言葉で、一同に笑いが起こる。 「忙しい時期なので、緊急を要するものだけピックアップしました。俺が一人で出来るものは同時進行で進めますが、それはもう少しまとまったら出します。とりあえず今の時期ならではの企画が資料にある通りです。なかなか面白いので、何人か手伝ってくれれば今抱えているのも同時進行でいけると思うので、検討お願いします」 鷹緒の説明を機に会議が始まる。すでに本格的な会議のメンツということもあり、会議はかなり長引いた。
それから数時間後――やっと会議を終えて、鷹緒はノートパソコンを片手に喫煙室へと駆け込んだ。そこですかさず携帯電話に手を伸ばす。かけた先はもちろん沙織である。 『もしもし』 すぐに出てくれた沙織の声に、鷹緒は少しほっとした。 「俺……遅くなってごめん」 『ううん。終わったの?』 「うん。まだ書類作らなきゃいけないけど……寄っていい?」 『今日はもういいよ。遅いし、私も疲れてるし』 沙織が怒っている様子はないが、諦めたようにも聞こえる。しかし疲れているということを聞けば、無理に訪ねるのは酷だろう。 「……そう。ごめんな」 『いいよ。今に始まったことじゃないもん。それより、さっき撮影帰りに事務所寄ったんだよ』 「え、そうなんだ?」 『うん。会議、ヒートアップしてたの見えた。それで思ったんだけどね……私は鷹緒さんに、仕事と私どっちが大事かなんて聞かないよ。だって仕事してる鷹緒さん、カッコイイもん。それに私のこと疎かにするわけじゃなくて、こういうふうに電話もしてくれるし、そういうことちゃんとしてくれる人に対して、寂しくても寂しがってちゃ駄目だなって思ったの』 それを聞いて、鷹緒は沙織の大人の部分に救われもし、また遠くも感じた。 「沙織……?」 『しょうがないよね。仕事人間の人を好きになっちゃったんだもん。でもだから、会えた時は私のこと大事にしてほしいんだ……』 「してるよ……大事だよ。だからそんなこと言うな」 窓際の椅子に座り、鷹緒はガラス張りの窓にうなだれるように寄りかかると、ネオン輝く街を見下ろした。真面目な話は、別れ話と勘ぐって身を竦ませる。 『私、物わかり良いわけでもないし、不満もあるよ。でも今言ったこと、悪い意味に取ってほしくないんだけど……』 「うん……」 『諦めてるわけじゃないけど、私ももっと大人になるから……鷹緒さんも突き放さずに、優しくしてね』 どれだけ優しくしたら、沙織に伝わるだろう――いや、伝わっているだろうが、鷹緒は自分に出来ることを見失っていた。 「沙織……会いたい」 鷹緒が出した答えはそれだった。言葉よりも、会って抱きしめたいと思う。 「駄目か……?」 何も言わない沙織に、鷹緒は続けてそう言った。すると沙織は静かに口を開く。 「鷹緒さんの机の上に……マフラー忘れちゃったんだ。届けに来てくれる?」 沙織の言葉に、鷹緒はそっと微笑んだ。会う口実をくれた沙織に、気持ちは繋がっていると感じさせてくれる。 「速攻仕事片付けて行く。もうすでに遅いけど、待ってて」 「うん」 そう言って鷹緒は電話を切ると、大急ぎで書類を作って印刷にかけ、自分の席へと戻っていく。すると机の上には、本当に沙織のマフラーが置かれていた。そしてその下にはメッセージが添えられている。 “今夜は冷えるそうなので、マフラー置いていきます。早く終わってこれがいらないようなら、お手数ですが届けてください” まるで早く終わるなら会いに来てと言っているような沙織のメッセージに微笑むと、鷹緒は会社を飛び出していった。
なぜこんなにも、鷹緒の気持ちは沙織に向かっているのか。恋愛は面倒だと思っていた鷹緒が、走ってまで向かうその気持ちのすべてを、沙織はまだわかっていない。心を見せられたらどれだけ楽だろうと馬鹿げたことも考えながら、鷹緒は会社から一度も立ち止まることなく、沙織のマンションへと向かっていった。 「思ったより早かったね」 驚いている沙織を、鷹緒は玄関先で抱きしめた。走ったことがまた気持ちを高ぶらせているのかもしれないが、そんなことは二人にとってどうでもいい話である。 「こんなところにいたら風邪引いちゃうよ。上がって」 「うん……おじゃまします」 二人は手を繋いで部屋の中へと進む。冬の間、ラブソファは隅へと追いやられ、部屋の真ん中にはこたつがある。鷹緒はそこに入ると、沙織はお茶を入れて差し出した。 「……こっち来て」 鷹緒に言われ、沙織は鷹緒と同じ場所からこたつの中に足を入れる。だが狭いこたつに二人並んではきついので、鷹緒は沙織を抱えるようにして後ろから抱きついた。 「あったかいね……」 「ああ……」 「なんか……怒ってる?」 沙織の言葉に、鷹緒は瞬きをした。 「え?」 「だってなんか……無理して来なくていいって言ったのに」 昼間は少なからず不満もあったが、それは本音であったため、鷹緒が息を荒げて走ってまでここに来たことに、沙織は違和感を覚えている。 「……言葉を並べるより、少しでも会えてこうして抱きしめたほうが、簡単に伝えられると思ったんだよ」 そんな鷹緒に抱きしめられながら、沙織は嬉しそうに微笑んだ。 「本当だね。なんでこんなに簡単に、不安も不満も飛んでっちゃうのかな……なんか進歩ないね、私……」 振り向きながら見上げる沙織の額に、鷹緒はキスをする。 その時、鷹緒の腹が鳴った。 「悪い……そういや腹減った」 「あはは。今思い出したって感じ?」 「そういえば、昼から何も食ってない……」 「ええ? やだなあ。何か作るね」 「じゃあ鍋」 「まあ、材料はあるけど……」 「鍋パーティーするんだろ?」 「うん」 予定よりかなり時間が遅れたものの、二人は同じ鍋をつついた。 「結局、予定通りだね」 沙織の言葉に、鷹緒も微笑む。 「初志貫徹」 「なにそれ?」 「……俺は沙織を大事にしてるってこと」 「絶対嘘だ。もっと違う意味でしょ」 「ハハ。自分で調べろよ」 間にある不安はその日に解決し、二人だけの夜は今日もこうして更けてゆく――。
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