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作品名:FLASH BACK 作者:KANASHI

第19回   16. 重き告白
 もうすぐ鷹緒がアメリカに行くという頃、社長室に入ってきた鷹緒に、僕は唖然とさせられていた。もはや頭の中は真っ白で、思考が止まってしまった、そんな感じだ。鷹緒……何言ってるんだ?
「だから恵美は、俺の子供じゃないんだ」
 鷹緒がもう一度そう言った。恵美ちゃんが生まれて何年だ……彼女はもう小学生という年なのに、こいつは今までずっと隠してきたというのか? 何でも言い合える仲だと思ってたのに……僕は生まれて初めて、こいつが信じられなくなっている。
「なんで黙ってたんだよ?」
 隣で同じ話を聞かされていた、企画部長の彰良さんがそう言った。僕たち二人は事情を知っているから、こうして同時に聞かされているんだろうけど、この社長室はこいつが言った一言で疑心暗鬼に染まっていた。
「……すみません」
 反省したように言う鷹緒に、僕は口を結んだ。
「すみませんじゃないだろ。全然……気持ちがついていかないよ。隠してたなら隠し通してくれよ。今更そんなこと言われても……」
 わかってた。豪が帰って来たから、こいつはそれを打ち明けたんだっていうこと。でも悲しいじゃないか。こいつはそんな大きな爆弾を、何年も何年も……僕らにも言えずに今日まで来たなんて、切ないしやるせないし、自分が無力だと思った。そしてなにより鷹緒に信用されてないと思うのが辛い。
「……ごめん。理恵とやり直そうって思った時から……俺は恵美の本当の父親になりたいと思った。逆に戸籍では嫌でも俺が父親になるんだし、豪がいつ帰って来るか、本当に帰ってくるかなんてわからなかったから……」
「じゃあおまえ、豪が帰って来なかったらどうするつもりだったんだ?」
 彰良さんの言葉に、鷹緒は静かに微笑む。
「俺の気持ちはいつだって揺れてて……ヒロたちにこういう無駄な気遣いとかさせたくなかったのが本音だけど……俺の気持ちとしては、恵美が認める父親になれれば、理恵が戻って来るかもしれないっていうずるい期待は、少なからずあったんだと思う」
 衝撃的な鷹緒の本音に、僕も彰良さんも息を呑む。結婚の最中も、鷹緒はいつでも淡泊に見えて、理恵ちゃんのことが本当に好きなのかなんて思ったこともあるくらいだったから……。
 言葉を失う僕たちに、鷹緒は続けて口を開く。
「でも一方で、早くから恵美に本当の父親のことを告げてたのは、将来豪が帰って来た時、恵美だけじゃなくて、俺も傷付きたくなかったからなんだと思う……」
「鷹緒……」
 思わず僕はそう呼んだ。鷹緒の目は力なく輝いている。
「こんなこと黙ってて本当にごめん。でも俺自身がこんなに揺れてて、先のことなんてどうなるかわからなかったから……周りを揺るがすことなんか言いたくなかったし、恵美がいることで唯一繋がれてた理恵との関係がさ……周りの不安定さに崩れるのが嫌だった」
 かつて鷹緒のここまでの本音を聞いたことがあっただろうか。鷹緒はいつも多くは語らないけど、あの頃そんなふうに考えていて、ちゃんと理恵ちゃんのことも好きで、僕らのことも考えていて、気持ちが揺れるまで自分を見失っていたのかと今更聞かされると、本当に切なくなった。
「じゃあ、今これを言ったのはどういうことなんだよ?」
 彰良さんは苛立った様子でそう言った。きっと彰良さんも、僕と同じように鷹緒に裏切られたという気持ちが少なからずあり、その一方で鷹緒の抱える問題にやるせなさを感じているに違いない。
「豪が帰って来たから……」
「でもあいつだぞ? またふらっとどっか行くかもしれないじゃないか」
「たぶんそれはない。まっすぐに俺のところに来たなら……」
 恋のライバルだったからだろうか。鷹緒は豪に嫌悪感を抱いていても、豪の本質的な部分をいつでもわかっている。
「じゃあ、豪と理恵ちゃんが結婚して、恵美ちゃんと三人の家族になるって? おまえは晴れてお役御免だって? それで振り回される、僕らの身にもなってくれないかな……頭がついていかないよ」
 僕も苛立ってそう言った。だって何年も騙されて、実は豪の娘でした、これからは豪と理恵ちゃんは家族になるからよろしくって……これから僕らは、理恵ちゃんや恵美ちゃんをどんな目で見たらいいのかわからない。
 そう思ったところで、僕はふと思うところがあって、鷹緒を見つめて思わず口を開いた。
「おまえ……全部、理恵ちゃんのためか?」
 なんとなく鷹緒の心理を理解している自分がいた。でも彰良さんはそれがわからないように、僕を見つめる。
「どういうことだよ?」
「だってそうでしょ……あの頃、恵美ちゃんが豪の子だって知ってたら、僕らも理恵ちゃんと付き合いづらいじゃん。浮気しただけでもバツが悪いのに、その上子供もって……理恵ちゃんはいい子だけど、それだけ聞いたら酷い人だってそりゃあ思うよ。でも今そんなこと聞いても、過去のことだって思わざるを得ないし、今更どうしようもないし、逆に理恵ちゃんはおまえへの居場所を失うことになるんだから、豪のところに行くしかないじゃん」
「考えすぎだよ」
 僕の言葉に、鷹緒が遮って言った。
「でも……僕にはそう聞こえる。ずっと言うタイミング窺ってたのかもしれないけど、豪が帰って来た今がいいチャンスだもんな」
「そんな格好のいいもんじゃないって……さっきも言った通り、恵美が世間的に俺の子なら、俺は理恵とやり直せるかもって、淡い期待抱いてたのは事実だ。今言ったのは……確かに豪が帰って来たこのタイミングを逃したら、もう言えないと思った。理恵がどうのじゃなくて、俺が楽になりたかった。ただそれだけだよ」
 そう言っても、僕は信じられなかった。信じたとしても、目の前の鷹緒はなんだか小さくなっていて、不憫に思えてならない。
「わかった……俺は恵美ちゃんの父親が誰だろうと、石川理恵という人の子として認識してるし、これからもそう接するよ。今後やりにくいから、彼女には俺らに言ったことは伝えておけよ。じゃあな」
 彰良さんはそう言って、帰り際に引き留められてそのままだった荷物を抱えて、会社を出ていった。でもその場は張りつめた空気で、僕も鷹緒も帰ろうとしない。
「……黙ってて悪かった」
 かつてこんなに弱々しい鷹緒を見たことがあっただろうか。てっきりアメリカへ行くための話だと思っていた僕は、予想外の話に思考が停止したまま、ただ意味の分からぬ腹立たしさを抱えてソファに座る。
 僕は何に対して腹立たしい思いを抱えているのかもわからなかった。でも、こいつはいろんなものを背負ってきたその上に、僕らに黙っていたという大きな罪悪感すら抱えていたのだろう。そう考えると、ひとつ荷物を下ろした鷹緒に怒るのは、なかなか酷なことかもしれない。
「もういいよ……」
 そう言いながらも頭も抱える僕の前に、鷹緒も静かに座った。顔を上げると、目の前にいる鷹緒は、僕の様子を恐々と探るようにして、言ったことを後悔しているように見える。
「ごめん……」
「謝るなって。おまえさ……信じられないよ。僕の頭がついていかない」
 言葉でもパニック状態の僕がそう言うと、鷹緒はソファの肘掛けに頬杖をついて、虚ろな目を伏せた。
「ずっと言うの躊躇ってた。誰に黙っていても、おまえだけにはって……でも恵美が生まれて、俺もおまえも同じくらい喜んで、それ見てたら言いづらくなったし、逆に血の繋がりなんて関係ないのかなって……」
「だからって……」
「わかってる。言う機会はいくらでもあったよな。離婚する時、恵美に父親が違うと告げた時、恵美が小学校に上がる時……でも俺だって怖かったんだ。恥ずかしいけど……離婚して一人になってもやって来れたのは、おまえや彰良さんや事務所のみんながいたおかげで……それまで失ったらって思うと言えなかった。同情されるのも、軽蔑されるのも嫌だった」
 僕がそんなことを思うはずがない……と思っても、なぜだかそこで口には出来なかった。
 タイミングを失った僕に、鷹緒は続けて口を開く。
「だって言えるわけないだろ。俺は世間から見たら妻を寝取られた夫で、その上子供までって……情けないこと極まりないだろ。俺だってプライドがないわけじゃないんだぞ? 結果的に言うことにはなったけど、あの頃そんな惨めな姿晒すなんて出来なかったよ」
「……そんなこと知ってたら、理恵ちゃんをうちの事務所には入れなかったよ」
 僕の言葉に、鷹緒は苦しそうに笑った。
「ヒロ……おまえだって、理恵だけが悪いと思ってないだろ?」
 宥めるようにたしなめるように、鷹緒は静かにそう言った。僕もまた考えて、静かに口を開く。
「そりゃあ夫婦にはいろいろあるだろう……でも誰が見たって、浮気した彼女のほうに非があるのは確かだろ。おまえはどうしてそんなに自分を悪く思えるんだ?」
「……確かに理恵は悪いけど、あいつを放っておいた俺が一方的に責められる立場にはないし、あいつだって十分苦しんだのわかってる。だから俺は、あいつがうちの事務所に入るって聞かされた時も反対しなかったし、あいつがうちに必要とされるくらいの人間になったなら喜ばしいことだと思った。だから……俺とあいつの個人的な理由で、そんなこと言わないでくれ」
「おまえ……もう少し我を強く持てよ」
 思わず僕はそう言った。だってあまりにもやりきれない。僕が鷹緒と同じ立場にいたら、そんなふうには絶対に思えずに、彼女を責めているだろう。
 でも鷹緒は、苦笑しながら僕を真っ直ぐに見つめた。
「俺は二番手、三番手でいいんだよ。あいつの浮気を許したわけじゃないけど、あの頃俺があいつを許したのは、たぶん俺にあいつが必要だったからで……それ以外何も考えてなかったと思う。今はお互いに吹っ切れてるし、俺はあいつが豪や他の誰とやり直そうとしても応援してやれる。勝手だとは思うけど……おまえも割り切ってくれないか」
 それを聞いて、僕は溜息をついた。
 確かに、聞かされたのは恵美ちゃんの出生に関する事実だけで、今は同じ事務所にいる理恵ちゃんを、それによってどうするとかは考えられない。なにより彼女は、もはや仕事上で大切な人である。でも鷹緒のことを考えると、ただ“ああ、そうですか”とは思えず、なんだかやるせなかった。
「そんな簡単に割り切れたら苦労はしないけどな……これから理恵ちゃんのこと、どう見たらいいんだよ」
 本音を言いながら頭を抱える僕を見て、鷹緒は苦笑しながらソファに寄りかかり、天井を見上げる。
「時間が解決するんじゃないのかな……そのうちあいつが再婚でもしたら、俺とのことなんてみんな忘れるよ」
 僕がおかしいのかもしれないけど、今までの鷹緒の言葉が、すべて理恵ちゃんを守るような言葉に聞こえて、僕はなんだか嫌悪感さえ覚えてしまった。
「おまえは? だったらおまえも次の恋愛に踏み切れよ」
「それはおまえに言われたくないなあ」
 すぐにそう切り返されて、僕は口を曲げる。
「僕はいつだって恋愛できる。おまえみたいに頑なじゃない」
「そっか。まあ……俺はもうすぐアメリカ行っちゃうしな。今こっちで恋人なんて作れないし、向こうで作ったとしても二年でお別れだろ。もともと一目惚れとかねえし……じっくり恋愛するなら、少なくとも二年後じゃねえの?」
 鷹緒はもうすぐ、三崎さんのいるニューヨークへ行ってしまう。こいつは誰も関係のないところへ行くからいいが、残される僕の立場にもなってもらいたい。
「言い逃げかよ……」
「こんな言葉で振り回して悪い。でも俺もあいつも反省してるし、おまえが責めるならそれも覚悟してる。どうしてもって言うなら解雇しても構わない。でも……出来たらあいつ共々、これからもよろしく頼むよ」
 そう言う鷹緒はずるいくらい痛々しくて、僕が女なら落ちていたかもしれない……なんて冗談が思い浮かぶほど、もうどうでもよくなっていた。
「ずるいな、おまえ……僕はそこまで思ってないし、言わないよ」
「ごめん。ありがとう」
「……今日は飲みにつきあえよ。ついでにカラオケ」
 最近の鷹緒の空き時間は、アメリカに行く準備で、いろいろ世話になっている会社に顔を出しているのはわかっているが、今日だけは許さないと思った。
 それを鷹緒も知っているように、諦めムードで立ち上がる。
「いいですよ。今日は社長に接待しましょ」
「ああ。一晩じゃ足りないくらいだよ」
 不思議だった。こいつはただの同期でも部下でもなければ、友達や親友というべきポジションであるのかも疑わしい。言うならばもっと飛び抜けた関係で……ただ今となってはなくてはならない存在で、それをそうだと面と向かって言うことは今後もないんだろうが、きっと鷹緒もそう思ってくれてるのかと思うと、なんだか恥ずかしくなった。
 そしてその時、僕は初めて鷹緒の気持ちを理解した気がした。言葉では言い表せないけれど、僕にこんな重大なことを黙っていた理由、言えなかった心情、僕が想像する通りなら、やっぱりこいつは馬鹿がつくほど不器用で、子供で、優しい一面を持っているのだと思う……いや、そう思うことにしよう。
「ヒロ。とりあえずいつもの居酒屋でいい?」
「おう。カラオケボックスの予約も入れとけよ。オールナイトで」
「ハイハイ……」
「ハイは一回」
「ハイハイハイハイ……今日は社長のために一肌脱ぎますよ」
「脱がなくていいよ。気持ち悪い……」
 この後こいつが、二年であっても離れてしまうのは内心寂しかった。でもきっと二年後に戻って来る頃には、僕もそして鷹緒も、一皮も二皮も剥けて、新しい仕事や恋に歩めたらなと、今は漠然としたことを願っている――。


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