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作品名:FLASH BACK 作者:KANASHI

第17回   14. 彼女の特権
 ある日の夜。鷹緒は早めに仕事を切り上げて、自宅で商売道具であるカメラの手入れをしていた。沙織にも連絡を入れたが、今日はモデル仲間と食事に行く約束をしていたらしいので、会えないらしい。
 このところ時間が合えば会っていた日々が続いていたので、沙織の顔を見ない日が久しぶりで少し寂しい気もしたが、長年の一人暮らしに慣れているため、快適な一人での時間の過ごし方が身についている。
 先日開けたワインを片手に、テレビをつけながらソファの定位置に座ると、鷹緒はいくつかのカメラレンズの手入れを始め、目の前に置いたノートパソコンで同時進行に仕事を始める。もう外には出ない戦闘態勢でもある。
 そんな時、部屋のチャイムが鳴った。こんな時間にオートロックのマンション玄関を越えて訪ねて来るのは数えるほどしかいないため、鷹緒はインターフォンの受話器すら上げずに、ドアを開けた。
「はい」
 目の前には沙織がいる。案の定というべき顔だが、沙織が連絡なしでこうして訪ねて来るのは初めてだ。
「来ちゃった……」
「どうぞ」
 何も聞かずに、鷹緒は沙織を部屋に上げた。沙織はいつもより明るくふるまっており、かすかに酒の匂いもする。
「急に来たのに、怒らないの?」
「なんで? 部屋の鍵まで渡してるのに」
「……抜き打ちの意味がない」
 そんな沙織に、鷹緒は苦笑した。
「これ、抜き打ちチェックなんだ? じゃあどうぞご自由に探ってください」
 おどけた様子で言いながら、鷹緒はどんどん部屋の奥へと入っていくので、沙織もそれに続く。
「あ、やっぱり仕事してた」
 テーブルの惨状を見て、沙織が苦笑する。そんな沙織を尻目に、鷹緒はソファに落ち着いた。
「仕事ってほどじゃないよ。それよりおまえ、酒飲んでるだろ? 弱いくせに……水でも飲んだら?」
「うん。でもほんのちょっとだけだよ」
「なに? 酒でも引っかけないと、ここに来られないわけ?」
 早速キッチンで水を飲む沙織に、鷹緒は悪戯な目でそう言った。
 沙織はそれを聞いて目を逸らしながらも、約束なしでここに来て、こうして話せることが嬉しくて興奮すら覚えている。
 コップの水を一気に飲み干すと、沙織は鷹緒に駆け寄り抱きついた。酔うほどに飲んでいないが、ほんの少しでも酒の力を借りている部分もある。
 鷹緒も沙織を受け止めると、そのままソファに寝そべった。
「なんかそそのかされて来たんだろ?」
 そう言った鷹緒に、沙織は目を丸くする。
「え?」
「おまえがアポなしで来るなんて初めてじゃん。酒の力まで借りちゃって」
「そそのかされたわけじゃないよ。でも麻衣子が、たまにはアポなしで行っちゃえとか言うから……」
「それがそそのかされたことにならないの? おまえの意志じゃないじゃん」
「そうだけど……」
「でも俺はやましいことしてないし? こうして会えたんだから、麻衣子に感謝しないとな」
 素直な鷹緒に、沙織は嬉しさを感じながら抱きついた。
「鷹緒さんじゃないみたい」
「なんでだよ。俺は素直に喜んでるぞ?」
「うん」
「でも、食事に行ったにしては早かったな」
 話題を変えた鷹緒に、沙織は鷹緒の横に転がって頷く。
「明日は麻衣子、仕事がすごい早いんだって」
「ふうん」
「あ、そうだ。この間ケース買ってくれたからカメラ持ち歩いてるんだけど、あのカメラあんまり写り良くないよ?」
「嘘? 撮り方がうまくないだけじゃねえの?」
「失礼だなあ」
 そう言うと、沙織は起き上がって自分のバッグを探り、ジュエリーのついたカメラケースを取り出して、鷹緒に渡した。
 鷹緒もまた起き上がると、ケースからコンパクトデジタルカメラを取り出して再生する。
「ほら、たとえばこれ。さっき飲み屋で撮ったんだけど……」
 沙織が差す写真は、数人のモデルたちが大騒ぎしている様子だが、ブレている上に赤目になっている。
「おまえ……カメラの性能以前に、飲み屋でフラッシュ焚くなよ……」
「しょうがないじゃん。勝手についちゃうんだから。それにどこで撮ってもブレブレなの」
 すると突然、鷹緒がカメラを構えて、沙織を撮った。
「もう。いきなり撮らないでよ……」
「べつにブレてないじゃん」
 たった今撮った写真を見せて言う鷹緒に、沙織は驚いて鷹緒を見つめる。
「あれ? 本当だ……って、鷹緒さんはきっとプロだからだよ」
「あのな、今のデジカメなんて、放っておいても綺麗に撮れるようになってんの。構えてみろよ」
 鷹緒に渡され、沙織はカメラを構える。
「写真嫌いなのに撮らせてくれるの?」
「べつに俺じゃなくて、部屋でも撮ればいいだろ」
 そうこう言っているうちに、鷹緒はカメラを構えた沙織の手を掴んだ。
「やっぱり鷹緒さんのこと、撮らせてくれないんだ」
「そうじゃなくて……そんなもん、ブレんの当たり前だろ」
 眉をしかめながら、鷹緒は沙織の構え方を正す。沙織は片手の親指と人差し指だけで構えているだけだ。
「え、これじゃあ駄目なの?」
「アホか。脇締めろ。ちゃんと掴め。なんなら両手で構えろ」
 すっかりスパルタ化した鷹緒に、沙織は焦りながら構えを直した。
「だって……軽くて小いから適当に持ってもいいものだと……」
「片手で持つのはいいけど、ド素人なんだから邪道な構え方すんなよ……おまえにはまだ早かったかな」
 誕生日プレゼントであげたものだが、機械音痴の沙織にしては性能が良すぎるものを選んでしまったのかと、鷹緒は少し後悔した。もっとも沙織がここまで機械に疎いとは、鷹緒自身も知らなかったことだ。
 だがそれを悟ってか、沙織は口を曲げる。
「早くないもん。私だって写真が趣味とか言えるような人になりたいし」
「べつに俺は趣味じゃねえけど……」
「鷹緒さんのことじゃなくて、モデル仲間も写真が趣味な人結構いるし……きっと私、被写体に恵まれてないんだよ。彼氏は撮らせてくれないし」
 大っぴらに文句を言う沙織に、鷹緒もまた口を曲げると、立ち上がった。
 それが沙織には怒っているように見えて、焦って立ち上がる。
「ごめんなさい。本気で言ったわけじゃないし……」
 そんな言葉を背中で受けて、鷹緒は隣の部屋に繋がるドアの鍵を開けて振り向いた。
「本気じゃねえの? いいよ。撮りたきゃ撮っても」
「え?」
 そう言う鷹緒は、隣のWIZM企画所有の部屋に入ると、電気を点けてリビングの天井にかけられた背景スクリーンを下ろす。それだけで、そこは一気に写真スタジオと化していた。
 淡々と撮影準備を始める鷹緒を前に、沙織は自らのカメラを持ったまま、もじもじしながら部屋と部屋の間に立ち止まっている。
「こっち来て」
 促されるままに、沙織は鷹緒の前に立った。
「立ったままでいい?」
「う、うん……」
 お互いに気恥ずかしさもあったが、沙織はそれに嬉しさも交じっていた。そのシチュエーションに思わず顔が綻んでしまい、目の前の鷹緒を直視出来ない。
「じゃあ、どうぞ」
 そう言う鷹緒だが、沙織は緊張と恥ずかしさで撮影を始める気にはならなかった。
「どうぞって……威圧感ハンパないんですけど」
「そう? じゃあその気にさせてよ」
「え? うーん……いいよ、いいよ。カッコイイよ」
「どこのエロカメラマンだ」
 苦笑する鷹緒を見て、沙織はシャッターを切り始める。
「鷹緒さんかな?」
「俺はそんなこと言いません」
「あはは。そうだね。じゃあ、ちょっと笑って?」
 素直に歯を見せる鷹緒だが、笑っていることにはならない。
「もう。真面目にやってよ」
「やってるけど……どうせおまえ、そんな撮り方じゃまたブレてるだろ」
「うん……よくわかるね」
「やっぱいいカメラすぎたかな……つい俺も使えるの選んじゃったけど、もう少し初心者向けにすればよかった」
 そう言いながら、鷹緒は椅子に座ってポーズを変える。
「そんなこと言わないで。ちゃんと使いこなすもん」
「じゃあもっとちゃんと構えて。箸より重い物持ったことないのか? シャッター切る時にブレてんだよ。動くな」
「結構難しいね……」
「まあ、手ブレさえ直せばどうにかなるだろ。最悪、三脚使うとか机に置くとか、少し工夫すればいいことだし。それより、撮影はもういいの?」
 手を止めている沙織に、鷹緒が尋ねた。
「だっていいのが撮れない……私、写真の才能ないんだなあ」
「じゃあ撮られるほうってことでいいんじゃない? 見せて」
 手を差し出す鷹緒に、沙織はカメラを渡した。その場で二人は撮ったばかりの写真を確認する。
「あれ、結構うまく撮れてる! やっぱり被写体がいいと違うんだなあ。鷹緒さん、何しててもカッコよく写りそう」
 思いのほか綺麗に撮れていたので、沙織ははしゃぐようにそう言った。
「ちょっと設定いじったからなだけだと思うけど。でも手ブレはなくなったじゃん。あとは構図を直したいけど……それはまた今度な」
「うん! なんか嬉しい。諸星鷹緒直伝のレッスンなんて、そうそうないよね。彼女の特権みたい」
「当たり前だろ。タダでこんなこと、おまえ以外に誰がやるか。自分が被写体になってまで……こんなこと誰にも言うなよ。その写真も絶対誰にも見せるな」
 鷹緒は軽く片付けて、自分の部屋に続くドアを開けた。きつい言葉ながらも、鷹緒の顔は照れているように見えて、沙織は嬉しさを噛みしめてついていく。
「ありがとう、鷹緒さん」
 そんな言葉を受けて軽く微笑みながら、鷹緒はスタジオの電気を消すと、沙織とともに自分の部屋へと戻って鍵を閉めた。
「そこ……いつの間に鍵つけたんだね?」
 突然、沙織がそう言った。スタジオに続くドアは、以前は鍵などついていなかったはずである。
「ああ、結構前だよ。アメリカ行く前じゃなかったかな……さすがに俺がいない時に、誰かが入るかもしれないのは嫌だったから。どうせ事務所に家の鍵は預けてあるから、いざとなったら入れるし」
「そうだったんだ? じゃあ鷹緒さんの部屋の鍵持ってるの、私だけじゃないんだね……」
 少し残念そうな沙織を尻目に、鷹緒はリビングのソファへと座る。
「しょうがないだろ。でもプライベートで持ってるのはおまえだけだし、それで許して」
「うん……」
 その時、鷹緒は立ったままの沙織を見て笑った。
「おまえ、相当眠いんだろ?」
 沙織は何度も目をこすり、先程から時折あくびを見せている。
「そ、そんなことないよ」
「無理すんなよ。恵美が寝る前とそっくり」
「え? 恵美ちゃんと?」
「今日の撮影、早かったんだろ。ベッド使っていいよ」
 そう言った鷹緒に、沙織は寂しそうに俯いた。
「鷹緒さんは……?」
「俺はもうちょっと起きてるよ。まだやることあるし」
 スリープ画面になったパソコンを起こして、鷹緒はカメラの手入れの続きを始めている。沙織はその場に立ったまま、鷹緒を見つめた。そんな沙織の視線に気付き、鷹緒は首を傾げる。
「なに? お姫様だっこで寝室まで連れて行ってほしい?」
「ち、違うよ! そんなんじゃないけど……ただちょっと、まだ寂しいっていうか……」
「でも眠いんだろ?」
「そうだけど……」
 仕事の邪魔はしたくないと思っても、鷹緒の家に来ているというのに一人で寝るのは、なんだか寂しいものがある。
 それを察して、鷹緒は立ち上がった。
「おまえな。勝手に来たんだから、俺の仕事の邪魔するなよ」
 そんな鷹緒の言葉に、沙織は俯く。
「わかってるよ。もう帰るもん」
 沙織がそう言ったので、鷹緒は苦笑する。
「嘘。言ってみただけだよ」
 鷹緒は沙織の手を掴むと、そのまま寝室へと向かい、強引にベッドに押し倒した。
「悪いけど、今日はこれで勘弁して」
 言いながら、鷹緒は沙織に長くて熱いキスをする。
 沙織にとっては“勘弁して”という言葉が引っかかりもしたが、自分が勝手に来たことを差し引いても、そのキスだけで満足だ。
「おやすみ」
 続けて言った鷹緒に、沙織はそっと頷いた。
「おやすみなさい……」
「ちゃんとあったかくして寝ろよ」
「うん……鷹緒さん、あとでここに来る?」
「まあ……おまえが嫌じゃなければ」
「嫌じゃないよ。起こしていいから、絶対来てね」
 放っておいたら朝まで仕事をしているか、そのままソファで寝てしまうのではないかと勘ぐって、沙織はそう言った。
 鷹緒は沙織の髪を撫でると、ベッドから起き上がる。
「じゃあ布団あっためといて。おやすみ」
 寝室から出ていった鷹緒を見送って、沙織は布団にくるまった。鷹緒の匂いに包まれているようで、そのまま沙織は安心して目を閉じる。
 突然来たのに嫌な顔もせずに受け入れてくれたこと、写真嫌いな鷹緒が被写体になってくれたこと、すべてが彼女の特権と思えて、沙織の顔が綻ぶ。
「好き……」
 嬉しさの中で、沙織は眠りについた。


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