「鷹緒さんは、いつからお休み?」 年末に差し掛かったある日、地下スタジオで仕事中の鷹緒に、差し入れをしに来た沙織がそう言った。 「いつからって……来年?」 「え? 今年は休みなしってこと?」 鷹緒の答えに驚いた沙織は、目を丸くして鷹緒を見つめる。 沙織に背を向けて仕事をしていた鷹緒は、その手を止めて振り返る。 「うん……いつも年末年始関係ないけど」 「そうなんだ……」 あからさまに落ち込む沙織に、鷹緒は首を傾げる。 「おまえもどうせ実家に戻るんじゃねえの?」 「どうせってなによ。いるなら一緒に年越したかったのに……」 「うーん……年越しの瞬間なら一緒にいられるけど、元旦は初日の出撮りに行かなきゃいけないし、その後は普通の撮影仕事だし……あんま構ってやれないから、実家に帰ったほうがいいと思うけど?」 鷹緒は良かれと思って言ったものの、沙織は不満げに俯く。 「私は……一言もしゃべらなくてもいいから、一緒に年を越したいな」 沙織の言葉を聞いて、鷹緒は微笑みながら頷き、照れ隠しで煙草に火を点ける。 「じゃあそうしよう。でも本当、バタバタするからな?」 「うん……」 再び背を向けてパソコンに向かう鷹緒に、沙織はソファに座ったまま、置いてあったクッションを抱きしめた。 付き合い始めて数ヶ月。付き合い始めの時よりは、明らかに不満も生まれてきている。今日も仕事中の鷹緒に差し入れの名目でやって来たし、年末年始の予定もたった今まで知らず、また自分から言うことで予定が決まることにも悲しさを感じる。 しかし、当の鷹緒は年末の忙しさに追われ、沙織に構っている暇もないようだ。いつもよりゆったりめの年末と聞いていたが、まるでいつもと変わらない忙しさがそこにある。 「……帰るね」 しばらくして、沙織はそう言いながら立ち上がった。 「そう? 気を付けてな」 振り向きもせずそう言った鷹緒に、沙織は口を曲げながら地下スタジオを出ていった。 寂しさを募らせながら歩き出すが、鷹緒が追ってくる気配はない。確かに年末の追い込みで大変そうなのはわかるが、それでも沙織は悲しかった。 その時、沙織の携帯電話が震えた。一緒に鳴った音楽から、鷹緒からのメールだということがわかる。 “今日は構ってやれなくてごめん。送ることも出来ないけど、気を付けて帰れよ。この仕事が終わったら少し落ち着きます。カウントダウンは家でしよう。食べたい物、考えておいて” 少しぶっきらぼうだが優しい文面から、鷹緒らしさが窺える。それを見るだけで、沙織の顔が綻んだ。 「忙しいくせに……なんだかんだ言って優しいなあ」
大晦日。その日も鷹緒は遅くまで仕事というので、沙織は食材を買い込んで、一足先に鷹緒の部屋を訪れた。合鍵を渡されているが、予告なしで部屋に上がったことはまだない。 誰もいないキッチンで、沙織は料理を始める。しかしそれが終わっても、鷹緒からの連絡はなかった。 「まだかな……もうすぐ十時になっちゃうよ。それ以上遅かったら……」 一緒に年を越せないのかと、最悪の事態が沙織の頭をよぎる。 しかしその時、玄関から物音がして、やがてリビングに鷹緒の顔が見えた。 「鷹緒さん!」 「おう。ただいまー」 疲れた様子の鷹緒に、沙織は責める気にもなれずに微笑む。 「おかえりなさい……疲れた?」 「超疲れた……ごめんな、遅くなって」 「ううん。何か飲む?」 「じゃあワイン。昨日、買っておいたんだけど」 鷹緒はそう言いながらソファに座って、キッチンを指差した。確かにカウンターテーブルには、開けていないワインがある。 沙織はワインとグラスを持ってテーブルに置くと、すぐにキッチンに戻っていく。鷹緒は早速ワインを開けて、二つのグラスに注いだ。その間に、沙織が料理を並べ始める。 「豪華じゃん」 「出来合いのもの並べただけだけどね……でも、少しだけ手作りだよ。おそばもあるし」 「おお、嬉しい。早速飲むか」 「お風呂もあるよ? 私はさっき入ったし」 「じゃあ先に一杯だけ」 やっと会えた二人は、グラスを鳴らす。 「乾杯」 やっと恋人らしい雰囲気に、自然と互いに笑みが零れた。 その時、鷹緒の携帯電話が鳴った。 「ハイハイ……」 罪悪感を覚えながらも、鷹緒は携帯電話に出る。電話の相手は、カメラマン弟分の俊二だ。 『遅くにすいません。明日って、自分のカメラ持って行けばいいんですよね?』 「ああ、そうだよ。俺は自分の持って行くし」 『よかった。鷹緒さんの忘れたかと思って……』 「大丈夫。じゃあ、四時に現地集合な」 『了解です。失礼しました』 鷹緒は電話を切って、目の前のオードブルに手をつける。チーズやローストビーフなど、出来合いのものだが綺麗に並べられているのが嬉しくも感じた。 「四時に現地集合? 早いね」 沙織の言葉に、鷹緒は苦笑する。 「ああ。細かい撮影場所とか、現地決めだしな。本当におまえも来る? 寒いぞ」 「行くもん。私、初日の出って見たことないんだ」 「へえ。俺は毎年恒例になってるな……事務所のサイトとかカレンダーとかに使う用に駆り出されるから」 「でも鷹緒さん、ロケって好きでしょ」 「まあな。気分転換にもなるし……じゃあ、風呂入ってきていい?」 「うん。行ってらっしゃい」 そのまま鷹緒は風呂場へと入っていく。沙織はソファに座り直して、テレビを見つめた。 しばらくして鷹緒が風呂から上がると、テレビの音だけでリビングは静かである。見ると、ソファに座りながら、沙織は眠り込んでいた。 その寝顔を見つめて、鷹緒はそっと微笑む。一年の終わりに、こうして沙織と一緒にいられることが信じられない思いもある。 「このまま二人で眠り込んだら、怒るだろうな……」 ぼそっと呟いて、鷹緒は冷蔵庫の中を覗いた。ビールに手をつけようとしたが、あまり酒を飲んだら明日起きられないと思い、キッチンに置かれていた蒲鉾をつまむ。 そして、鷹緒は沙織に近付くと、その肩をそっと叩いた。 沙織の目に鷹緒の顔が映る。 「わっ。びっくりした……」 「このまま寝顔見ててもいいけど、年越しに起こさなかった怒るだろ?」 「う、うん……」 「そばの準備してたんだ? 食べたい」 「わかった。すぐ作るね」 突然、鷹緒の顔が目に飛び込んできた驚きを落ち着かせるように、沙織はキッチンへと小走りで向かう。それがまた可愛く見えて、鷹緒は一人笑ってソファに座った。 「あ、鷹緒さん。蒲鉾つまんだでしょ?」 「バレた?」 「いいんだけどね」 沙織も笑って、そばを茹で始める。鷹緒はその姿をじっと見つめていた。 「前から思ってたけど、おまえ結構、料理出来んだな。その天ぷらも手作りだろ?」 「このくらいは出来るよ」 「十分だよ。いい奥さんになるな」 鷹緒は特に深い意味もなく言ったのだが、沙織はそう言われて嬉しさに頬を赤く染める。 「……頑張る」 そんな沙織の様子に、鷹緒も意識して苦笑した。 「……俺は料理しないし、出来ないからな?」 「わかってるし、いいもん。私が頑張るから」 そう言いながら、沙織がそばを持ってきてテーブルに置いた。 「すごいな。ちゃんとした年越しって感じ」 鷹緒の言葉に、今度は沙織が苦笑する。 「なにそれ。普通じゃない」 「普通でも、一人暮らしだとなかなかやらないぞ? それに俺、去年まではアメリカだったし」 「あ、そっか。じゃあこっちで年越しも久しぶりなんだね」 今年の春まで鷹緒が出張でニューヨークに行っていたこともすっかり忘れ、沙織は苦笑した。もうずっとそばにいてくれている感覚もあれば、ずっと忙しくて離れている感覚もある。 「……去年の今頃、今年こんなふうに年を越すなんて思ってなかったな……」 しみじみと言った鷹緒は、いろいろ考えているふうに見える。 「それは私もだよ」 隣に座る沙織がそう言ったので、鷹緒はその肩を抱き寄せて額にキスをした。 「さ、食べようか」 「うん。早く食べないと、おそばのびちゃう」 二人はそばを食べながらテレビを見つめる。そろそろ年越しのカウントダウンが始まる頃だ。 「来年の大晦日も……こうして一緒にいられるといいな」 鷹緒からの嬉しい言葉に、沙織は静かに頷く。 「絶対一緒にいよう? だから仕事入れちゃ駄目だよ」 「わかった。でも、おまえもだぞ?」 「私は大丈夫だよ」 「そうか? 普通の人が休みの時こそ忙しいのが、俺たちの商売だからな。おまえだって、明日の昼はファッションショーがあるんだろ」 「そうかもしれないけど、年越しみたいな夜中に仕事はないもん」 「じゃあ、約束な?」 長い鷹緒の小指が目の前に来て、沙織は自分の小指を絡めた。 「好き」 そう言いながら、沙織は鷹緒に抱きついてみた。その行為が恥ずかしいとも思ったが、そうせずにはいられない愛しさがあったのだ。 沙織を抱き止めながら、鷹緒はソファに身を横たえる。 「俺も」 そう鷹緒が言った瞬間、二人の耳にテレビのカウントダウンが聞こえた。 「あ、カウントダウン始まっちゃった! 7、6、5、4……」 自分の上でテレビを見つめながら、一緒にカウントダウンを始めた沙織の頬を撫でると、鷹緒はその口を塞ぐようにキスをした。 華やかなテレビ番組と対照的に、そのまま二人は静かなキスの中で新しい年を迎える。 「今年もよろしく」 やがて鷹緒が言ったので、沙織もこくんと頷く。 「こちらこそ、今年もよろしくお願いします……」 「んじゃ、そろそろ寝ようか」 「もう?」 「明日早いじゃん。俺は徹夜慣れしてるけど、おまえは明日ファッションショーだし、少し寝といたほうがいいよ」 「うん。でももうちょっと、あの……ムードが欲しいっていうか……」 赤くなりながら言う沙織に、鷹緒は苦笑する。 「悪かったな。俺はおまえがいてくれるだけで満足だから……ごめん。今年はちゃんとおまえのこともっと考えられるようにするから」 沙織は嬉しくなって、返事の代わりに鷹緒にもう一度抱きついた。 そのまま二人はその場で眠り込んでしまい、新年早々に軽く風邪を引いてしまったのは言うまでもない。しかし二人にとって、幸せで新しい幕開けの夜であった。
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