「おまえ、ふざけるな! コトハは物じゃねえ!」 貴一の襟元を掴んで、司佐が言った。だが、貴一はいつもの司佐のように、余裕の表情で笑う。 「わかってるよ、そんなこと。僕だってコトハちゃんの意思は尊重するし。でもさ、部員でありコトハちゃんの主人である司佐が、コトハちゃん賭けて負けることなんかなくない?」 「……挑発してるつもりか?」 「まあまあ、これは遊びじゃん。たとえおまえが負けても、一日だけで構わないよ」 「おまえの一日は危険過ぎる! どんだけ遊んでんだよっ」 「そんなの司佐に言われたくないんだけど……で、肝心の賞品ちゃんはどうよ? コトハちゃん」 突然、貴一に振られ、コトハはきょとんとする。 「あの、私は……」 「ああ、ごめんね、突然。部活に不真面目な司佐が真剣になれる賞品なら、なんでも良かったんだけどさ。たまたまコトハちゃんが傍にいたから言っちゃった。でも、司佐が負けるわけないし。いいよね?」 「……司佐様がいいなら……」 コトハの言葉に、司佐は口を尖らせる。 「いいわけないだろ。そんな条件、一日だって駄目だ」 「融通が利かないなあ。じゃあ、コトハちゃんのキスを賭けてってのはどう?」 「もっと悪いわ!」 「ああ、もう。面倒臭いなあ。とにかく僕は、おまえと真剣試合がしたいだけなんだよ」 そう言って、貴一は軽く的を狙う。一本の矢は、見事ど真ん中に突き刺さっていた。 「さあて、どうする? 司佐」 貴一の不敵な笑みが、司佐の闘争心をかき立てる。
「司佐様と貴一さんが、女生徒を賭けて真剣試合だってよ!」 そんな噂は、すぐに隣の柔道場へと届いた。 試合中の昭人は、それを放り出して、柔道場を出て行った。
弓道場では、二者一歩も譲らず、真剣試合が行われていた。すでに見学者で溢れ返っている。 「すごいな。二人とも、連続ど真ん中……これが公式試合だったら、すごい記録だ」 感心している見学者を押し退けて、昭人は中へと入る。 「退いてくれ」 「昭人……」 中へ入ると、コトハが昭人に駆け寄った。 「コトハ。何があったんだ?」 眉をしかめて、昭人が尋ねる。 「貴一さんが、真剣試合を申し込んだんです。貴一さんが勝ったら、私を一日連れて行くって……どうしよう。きちんと断らなかった私のせいです」 「いや……貴一さんも強引な性格だからな。あの司佐を乗せるくらい……」 試合を見守ることしか出来ず、二人は結果を待った。 一時間も接戦が続き、見学者すら帰る者も現れたその時、貴一が的の端に矢を当てた。 「クソッ。滑った」 互いの汗で床が滑り、貴一は悔しそうに声を上げる。 先程と同じプレーが出来れば、司佐の勝ちである。 「大声出すな。結果が決まる」 司佐は不敵な笑みでそう言うと、位置に着くために歩き出す。 そして弓を引こうとした瞬間、床に落ちた汗にバランスを崩し、司佐は派手に転んでしまった。 「うわっ!」 一瞬、空気が止まる。そして司佐は、さあっと血の気が引くのを感じた。 持っていた矢は、転倒の拍子で外に落ちている。 「これは……れ、零点!」 しいんと静まり返った中で、貴一がコトハの手を取り、その手にキスをした。 「貴一さん……!」 止めに入ろうとする昭人に、貴一が手を出して制する。 「これは司佐との勝負だ。賞品はコトハちゃん。それは司佐も了承してるし、みんなも聞いていた。なあ? 部長」 貴一は、遠くから見ていた双子の弟・藤二に言った。藤二は弓道部の部長だったのである。 「あ、ああ……」 「そうだ……確かに真剣勝負だな。だが、貴一! コトハを連れて行っていいとは言ってない。それだけは断る!」 「は? 今、真剣勝負だって自分が言ったんだろ」 「他のことならなんでも呑むから、コトハだけは勘弁してくれ!」 そう言った司佐に、貴一は首を傾げる。 「なんで? なんでそんなにムキになるの? 今まで自分の彼女と言ってた人だって、簡単に差し出してたくせに……たかがメイドだろ?」 司佐はゴクリと息を呑むと、コトハを抱きしめた。 「コトハは俺の恋人だ! だから渡せない!」 そんな突然の恋人宣言は、その場にいた全員にどよめきを与えた。 「じょ、冗談だろ? この子、メイドなんだろ?」 「だからなんだ。俺の彼女を渡せない。筋が通ってるだろ」 「いや、通ってない。おまえの相手がメイドだなんて、どこの親が許すんだよ」 「そりゃあ、親父たちにはまだ言ってないけど……」 言い合いを続けている二人の間で、コトハは司佐を見つめた。 「つ、司佐様……私は大丈夫です。真剣勝負なのに後から無効にしたら、司佐様のお立場が悪くなります。私、貴一さんのところに行きます」 コトハはそう言って、貴一の元へ向かい、お辞儀をした。 「一日だけですが、よろしくお願いします」 そんなコトハに、司佐は拳を握る。 「……コトハ」 そう言った司佐に涙目になりながら、コトハはぶんぶんと首を振る。ツインテールの癖毛が、横にいた貴一の頬を叩いた。 「いいんです、司佐様……たった一日の我慢です」 自分の髪が当たっている貴一に目もくれず、コトハはそう言って司佐の手を取る。 「すまない、コトハ……格好悪い負け方をした」 「いいえ。司佐様は格好良かったです。私のために一時間以上も戦ってくださったなんて、それだけで幸せです」 「コトハ……」 ラブシーンを続けている司佐とコトハの間に入り、貴一はコトハの肩を抱いた。 「んじゃ、まあ、とりあえず預かるわ。じゃあねー。あ、皆さんお騒がせしてすみません。ではでは」 「貴一! コトハに手出すなよ」 「それはどうかな。明日までは、僕のものだからねー」 不安げな司佐を尻目に、貴一はコトハを連れて去っていった。 「司佐……」 昭人が司佐に駆け寄ると、司佐は悔しそうに笑う。 「ハハ……情けねえな、俺」 「司佐……」 そこに、部長の藤二がやって来る。 「悪かったな、貴一が……」 「そうだ、藤二。おまえが止めてくれれば……」 「僕が頼んだんだ」 「え?」 藤二の言葉に、司佐と昭人は顔を見合わせる。 「だって司佐、全然部活に来ないから。貴一は昔から僕と一緒に弓道もやってたし、スポーツは何やってもうまいだろ。たまには司佐にハッパかけてくれっていったら、あの調子だ。コトハちゃんを賞品にしたのは悪いと思うけど、悪いようにはしないと思うから安心して」 「出来るか。あいつはタラシなんだぞ!」 司佐の言葉に、藤二は苦笑する。 「しないよ。司佐の恋人なら尚更。僕たち従兄弟だけど、司佐の怖さは知ってるよ」 「……ハッパかけるんなら、直接言ってくれればいいんだ。真面目に部活に参加してないのは悪く思ってるけど、ギリギリ許される範囲は来てるだろ」 「あのねえ。大会前だけ来られても困るんだ。部員の士気だって下がるだろ。だって練習してない司佐が、一番うまくてエースなんだから。やってられないよ」 部長としての責任を果たそうとしている藤二に、司佐は頷いた。 「確かにな。じゃあ今後は改めるから、これからは直接言ってくれ。灸を据えるといっても、これじゃああんまりだ」 「わかった。僕も悪かったよ」 司佐と藤二は和解し、その場で部活は終了となった。
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