次の日の朝、司佐と昭人が食堂に入ると、コトハの姿はなかった。 「何やってんだ、あいつ……コトハは?」 司佐が近くにいたメイドにそう尋ねると、給仕用の入口から、コトハが入ってきた。 「あ。おはようございます、司佐様。昭人」 「おはよう……何してるんだ?」 「朝食を運んでおります」 コトハはそう言って、司佐の前に朝食を置く。 「そんなことは他のやつにやらせて、さっさと座れ」 「はい……でも、私は司佐様付きのメイドです。朝食だって……」 「俺は、口答えは嫌いだ。さっさと座れ」 「は、はい」 コトハは司佐の右側へ行き、昭人と対面する形で座った。 「じゃあ、いただきます」 「いただきます」 一同は、静かに朝食を食べ始めた。 しばらくして、司佐が口を開く。 「コトハ。昨日は午前授業で終わったが、今日からは午後まで授業がある。昼食は食堂で取るから、午前授業が終わったら食堂へ来い」 「はい。わかりました」 「それから……帰りは、今日から二年の昇降口で待っていなくていい。また変なやつらに捉まっても面倒だからな。校門前に、坂木改めセバスチャンが、車を停めて待っているはずだから、先に乗って待っていろ」 「わかりました」 司佐が諸注意を言って、立ち上がった。 「やっぱり、人がいる食事っていいものだな」 司佐はそう言うと、コトハと昭人とともに、学校へと向かっていった。
二年生の教室。元気のない司佐に、隣の席の昭人が首を傾げる。 「大丈夫? 司佐。気分が悪いなら、保健室でも連れて行くけど……」 「いやいい。それよりおまえ、昨日の作戦決行するべきかな? なんだか怖気づいてきたって感じなんだけど……」 一晩中考えた昭人との作戦は、最高のシチュエーションでコトハに告白することだったが、いざ今日やろうとすると、ブレーキがかかる。 珍しく弱気な司佐に、昭人は苦笑した。 「嫌ならやめてもいいんじゃないかな。昨日決めて今日告白だなんて早過ぎるよ。だいたい、あの子のこと、何一つ知らないんだし」 「そ、それもそうだな……」 「まずはお互いを知ることも大事だと思う」 説得力のある昭人の意見に同意し、司佐は本来の態度に戻った。
その日の昼食時、コトハは初めて学校の食堂へ向かった。すると、すでに来ていた司佐と昭人が、コトハに手招きする。 「こっちも今来たところだ。好きな物を取って来い」 「はい」 司佐にそう言われ、コトハは学生たちの列に並ぶ。どうやら好きな料理を取っていき、最後に金を払うらしい。 戻ってきたコトハに、司佐と昭人は驚く。 「それだけか?」 コトハの持ってきたトレイの上には、パンが一つ乗っているだけだ。 「はい」 「……腹が減ってないの?」 見かねて昭人も口を出す。 「そういうことではないですが……」 「じゃあ、どういう意味だ」 怪訝な顔で見つめる司佐に、コトハは目を泳がす。 「でもあの、私、あんまりお金を持っていなくて……」 恥ずかしそうに言ったコトハに、司佐は納得した顔をした。 「ああ、悪い。金のことなんてすっかり忘れてた……コトハ、嫌いな食べ物は?」 「ありませんけど……」 「じゃあ昭人。悪いけど、コトハの食事を適当に持ってきてやってくれ」 「わかった」 司佐の申し出に、昭人はポケットから金色に輝くカードを取り出し、立ち上がる。 「あ、昭人。大丈夫です。あなたに私なんかの昼食代を払ってもらうなんて……」 「これは山田家のカードだ」 それだけを言って、昭人は受付へ向かっていった。 「あの……すみません」 申し訳なさそうに、コトハが言う。 「いや。学校に関することは、食事でもなんでも山田家が面倒見る。おまえも入学した時、そう誓約書にサインしたろう」 「はい。でも……」 「口答えするな」 「は、はい」 そこに、昭人がトレーいっぱいの料理を運んできた。 「とりあえず、一通り持ってきたけど」 「いいんじゃない。残れば誰かにやればいい。じゃあ、いただきます」 「いただきます」 昭人と司佐が、慣れた様子で箸をつける。コトハも、それに倣って食事を始めた。 「どうだ? コトハ。食堂の食事は」 しばらくして、司佐が尋ねた。 「はい。とても美味しいです」 「そりゃあよかった。ちゃんとシェフが作ってるからな」 「そうなんですか。すごい……でも、あんまり人がいないんですね」 辺りを見回して、コトハが言う。食堂には空席も目立つ。 「こっちは高級食堂だからな。金がないやつらは、あっち側の食堂に行く。比較的リーズナブルだから、あっちのほうが人気がある」 高級なドアで仕切られたもう一つの食堂を指差し、司佐が答えた。 「そうなんですか……」 思えば、近くにいる生徒はみんな気品がある気がする。コトハは自分がここにいて良いのかを考えたが、山田家のメイドとして恥じないよう、食事も優雅に出来たらと思った。
その日の夜。結局、司佐はコトハに何を告げることも出来ず、部屋で本を読みふける。昭人が言う通り、コトハのことを知ることから始めなければと思ったが、実際のところ、コトハとは学年も違い、家でもメイドの業務が少なからずあるため、二人きりになどなれる機会がない。 「早く正式なメイドになれればいいのに……」 司佐がそう言ったのは、コトハはまだこの屋敷へ来て間もなく、屋敷内の土地勘や作法もわからないため、研修期間として、今はまだ司佐付きのメイドではなく、屋敷全体の業務を覚える期間とされているからである。
一方、図書室では、今日の業務を終えたコトハが、昭人とともに勉強していた。 昭人は片肘をついて、コトハを観察する。あの暴君とまで言われた司佐を、一瞬にして普通の少年に戻したコトハ。少なからず、昭人にも興味があった。 (背が小さいからかもしれないけど、やっぱりまだ子供だよな……何処がいいんだろう、司佐は……) 「昭人。出来ました」 心の中で独り言を呟いて観察していた昭人は、突然目の合ったコトハに驚き、座り直す。 「あ、ああ……見せて」 「……どうかしたんですか? 私の顔に、何か……」 「いや、なんでもない。うん、出来てる。そろそろ学校の勉強だけで大丈夫かもしれないな」 「本当?」 「うん。メイド業務もこれから本格化してくるだろうし、ここでの勉強は一旦止めよう。追いつかなくなってきたら、また言って」 昭人の言葉に、コトハの顔は明るく輝く。 「ありがとうございます! 昭人も、自分の勉強やここでの業務に追われているというのに……私、学校の勉強だけでやっていけるよう頑張ります」 そう言ったコトハを、昭人はまじまじと見つめた。確かにまだ子供のようなあどけなさが残るものの、健気な笑顔が好印象を与える。 「なるほどね……」 「昭人?」 「ああ、いや。なんでもない。じゃあ、部屋に戻ろう」 「はい」 二人は図書室を出て、自分の部屋へと歩き出す。 「学校はどう? いじめられてないか?」 「大丈夫です。といっても、まだあんまり友達いないけど……でも、席が近い何人かとは話をしています」 「そう。うちはあんまり外部から来ないから……ましてや良家の人間でもなくメイド。しかも山田家のね。山田家をよく思っていない人間も少なからずいるから、油断するなよ」 「わかりました」 コトハの部屋に差し掛かった時、奥の部屋から司佐が出てきた。 「司佐様。お出かけですか?」 コトハに言われ、司佐は拍子抜けした。本当は、コトハを訪ねたかったのである。 「ああ、いや……ちょっとな。おまえたちは、また勉強か。それとも業務か?」 「勉強です。昭人に、もう学校の勉強だけでついていけると言ってもらえたので、明日からはメイド業に専念出来そうです」 「そうか。優秀じゃないか」 「頑張ります」 コトハの笑顔につられるように、司佐もへらっと微笑んだ。 「あ……おまえの部屋に入ってもいいか。少し話がしたいんだ」 その時、司佐がそう言った。 「はい。どうぞ」 なんの警戒心もなく、コトハは自分の部屋のドアを開ける。 「あ、じゃあ、僕はこれで……」 気を利かせて昭人が言ったその時、司佐が昭人の腕を掴んだ。 「一緒に来い」 「え……」 「いいから来い。二人きりじゃ、何話していいのかわかんねえだろ」 必死なまでの司佐に苦笑し、昭人もコトハの部屋へと入っていった。
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