「まったく、貴一も藤二も、油断ならないな」 家に帰って読書を済ませると、司佐はぶつぶつとそう言って図書室へと訪れた。すると中には、昭人とコトハがおり、大爆笑している。 「あ、司佐様!」 たった今、大声で笑っていたコトハが、急に改まった様子でお辞儀をし、司佐を出迎える。 「ああ……何やってるんだ?」 「勉強です」 「勉強に、そんな大声で笑うことがあるのか?」 「それは、昭人が……」 「コトハ!」 突然、昭人がコトハを制止する。 それを聞いて、司佐は口を曲げた。 「なんだ、昭人。俺に隠し事するつもりか?」 突っかかってくる司佐に、昭人は真っ赤な顔をして、静かに隠していた紙を差し出す。 するとそこには、得体の知れない動物のような絵が描かれていた。 「なんだ、これ」 「ウサギだよ、ウサギ! コトハの勉強に例を挙げたくて描いてみたんだが、司佐と同様の反応をするコトハに、傷ついていたところだ」 真っ赤な顔の昭人に、司佐は少し安心したように吹き出した。 「ハハハハ。おまえの絵の下手さなんか、子供頃から知ってるよ。隠すことでもあるまいに」 「そうだけど……やっぱり傷付くなあ」 「大人になっても、絵の下手な人間は下手だろう。例に挙げるなら、もっと簡単な動物にすればいいのに」 「ウサギも簡単だと思ったんだけどな……」 「ハハ。まあそうだな」 笑い合う司佐と昭人を見て、コトハは暖かい気持ちになっていた。 「司佐。そろそろ夕食だろう。本を返しに来たなら、僕が戻しておくよ」 話題を変えて、昭人が言った。 「ああ、頼む……おまえたち、夕食は?」 「僕らはすべての仕事が終えた後に、頂くことにしているから」 勉強に勤しむ二人を見て、司佐はなんだか自分だけのけ者扱いされているように感じ、口を曲げる。 「……コトハ。おまえ、俺の専属メイドだよな?」 「はい、もちろんです」 「無事に入学したんだから、勉強もほどほどにしろ。今日は俺の夕食の給仕を勉強しろ。付いて来い」 「は、はい!」 慌てて教科書や本を閉じて、コトハは立ち上がる。 そんな様子を見て、昭人は小さく溜息をついた。 「司佐……そうやってコトハを振り回すのはやめろよ。コトハはもともと、司佐の世話に専念するつもりだった。それなのに、おまえが学校に入学させたんだ。こうして勉強することは無駄じゃないよ」 「俺に指図するのか!」 珍しく、昭人に対しても本気で怒鳴る司佐に、昭人は立ち上がってお辞儀をした。 「申し訳ございませんでした。司佐ぼっちゃま」 機械的な服従にキレそうになったが、司佐はコトハを連れて食堂へと向かっていった。
「コトハ。水をくれ」 「かしこまりました」 広い食堂に一人きり、司佐は食事をしている。それはコトハにとって見たこともないくらい豪勢な食事で、思わずよだれが出そうだった。 出入り口の側では執事の辻が立っており、部屋の中には食事の進行を見る係、皿を下げる係、飲み物のリクエストを聞く係など、数人の使用人が司佐の食事を見守っている。 「どうした、コトハ。圧倒されているという顔だな」 「いえ……」 「なんだ。何かあるなら言え」 コトハは躊躇いながらも、司佐を見つめる。 「いえ、あの……いつもお一人で食べられるんですか? こんな広いお部屋で……」 その言葉に、司佐は動きを止める。 それと同時に、その場にいた人間の空気も凍りついた。 「コトハ! こちらへ来なさい」 見かねて出てきた辻に、司佐は手を上げて制止する。 「ふ……あははは。おまえは正直者だな。俺を恐れていないようだ」 大声で笑う司佐に、コトハは申し訳なさそうにお辞儀をした。 「申し訳ありません!」 辻が出てきたことで、取り返しのつかないことを言ったのだと認識し、コトハは恐怖に身を縮める。いくら司佐が優しくとも、いつ怒らせて職を追われることになるかもしれない恐怖はいつもあった。 「辻。昭人を呼んでくれ。それから、二人分のテーブルセッティングを追加。コトハ、そこへ座れ」 「は、はい……」 コトハの前には、着々とテーブルがセッティングされる。 そこに、昭人も呼ばれてやって来た。 「あの。お呼びでしょうか……」 先ほどの気まずさもあり、昭人はよそよそしくそう尋ねる。 「おまえはそっちに座れ、昭人。食べ物は一緒じゃなくていい。でも、一緒に食べよう」 「司佐……」 昭人もここへ来て初めて、この広い食堂の席に座った。 「辻。コトハを責めないでくれな。前に昭人とここで食事をしようと言ったことがあったが、辻にこっぴどく叱られ反対された。昭人は俺の親友でり理解者であるが、使用人としての立場をわきまえなければならないと」 「はい。それは今でも思っております。そのテーブルは、由緒正しい山田家や来賓の方が座られる席です。今もそうして使用人である二人が座っているのを見ると、嘆かわしく思います」 辻が正直にそう言う。だが、司佐は微笑んだまま辻を見つめる。 「コトハの言葉で今わかった。俺はほとんどここで、ずっと一人で食事している。朝も夜も。そのせいか、料理はうまいが楽しいものではないと思っている。でも、学校で食べる食事は楽しいんだ。それはきっと、昭人がいるからだ。話し相手である父も母もいない今、それを昭人やコトハに求めるのはいけないことか? もしいけないのなら、俺が使用人の食堂で食事してもいい」 もはや反論の余地もない司佐の言葉に、辻は深々と頭を下げる。 「承知致しました。それでは昭人とコトハに限り、司佐ぼっちゃまのお食事に同席するということで、今後はそのようにセッティングさせていただきます」 その日から、昭人とコトハも、司佐の食事に同席して良いことになった。だが二人が食べるものは司佐と違う。それでも話しながら食べる食事はおいしいと、司佐は感じていた。
その夜、昭人は司佐の部屋を訪れた。 「どうした? 昭人」 司佐は相変わらず、長椅子で読書をしていた。趣味というほどではないが、将来のためにも経済学や語学の本など、読み漁るのが日課である。 「先程は申し訳ありませんでした。使用人という立場を、わきまえずにいて……」 そう言った昭人は、心からの謝罪と見える。 司佐は冷たい目で昭人を見つめ、そして溜息をついた。 「昭人。敬語禁止」 「あ……うん」 困った様子の昭人に、司佐は微笑む。 「昭人。俺はおまえがいないと、どうしていいのかわからないんだ。おまえは俺のブレーキだから、出来るだけ従うつもりではいるんだけどね。さっきは俺も悪かったよ」 「司佐……」 「しかし、今日はいい機会になった。おかげでやっとおまえと食事が出来る」 「でも……本当にいいのかな。辻さん、とても困っていた」 「大丈夫だよ。親父たちだって文句はないさ。必要とあれば俺から言う」 昭人も微笑み、頷いた。 「コトハは部屋に?」 司佐が尋ねる。 「ああ、さっき入っていった」 「そう。入学初日は無事だったみたいだな」 「うん……ねえ、司佐」 「うん?」 「司佐は……コトハのことが好きなの?」 突然の昭人の問いかけに、司佐は眉を顰め絶句した。 「は……?」 「コトハへの態度は、他の誰とも違うから」 昭人にそう言われ、司佐は立ち上がり歩きながら、説明のつけ難いコトハへの感情を考える。 そして、認識した。 「司佐……?」 昭人の目に、司佐の顔が映る。それは今まで見たこともないくらい、耳まで赤くなった司佐の姿だった。 「ば、ば、馬鹿だろ、おまえ! そんな……」 「いやでも、それだけ真っ赤だし……」 「それは、おまえが変なこと言うから……」 そう言ったところで、司佐はその場に座り込む。 「司佐!」 「はあー……昭人……うん、俺……コトハのことが好きみたいだ」 見たこともない可愛らしい司佐に、昭人は嬉しささえ覚える。 「そ、そうか」 「はあ、もうなんだよ。気付かなかったのに……」 「いや、でもいつか気付くよ」 「……なんだろうな、あいつ。不思議なやつだよな。女のくせに、ネも上げず一直線に頑張るし、俺に忠実だし。ほんと、可愛い子犬みたいなやつだよな……」 昭人は苦笑した。 「意外だな。司佐がそんな人間らしい感情持ってたなんて」 「失礼なやつだな。また怒るぞ」 「ハハハ。ごめん」 「でも、確かにそうだな……女なんて気晴らしの道具だと思ってたけど……コトハのことは、なぜだか大事にしてやりたいって思う。与えた分だけ返してくれるし。これって執着じゃなく、恋だよな……?」 「さあ……でも司佐に必要なのは、そういう人だったのかもしれないね。僕は用心棒だから、女が出来ることはしてやれないし」 司佐も笑う。 「よし。俺、コトハに告白する」 「え、本当に?」 「ああ。身分が違うからこそ燃える恋! それに結ばれても、親も反対しないと思うんだよな」 そう言った司佐に、昭人は首を傾げる。 「そうかな……」 「そうだよ。これだけ放任主義のくせに、恋愛や結婚だけ決められてたまるか。それに、俺は大事な一人息子。ちょっとダダこねただけで、デパートまるまる買ってもらった過去があるんだぞ? 女一人どうってことないって。そうと決まれば、告白大作戦考えるぞ! おまえも協力しろ」 「う、うん……」 その夜、司佐と昭人は遅くまで、コトハへの告白のシュミレーションなどを重ねていた。
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