沢木が連れて行った場所は、都内の一角にある山田家の軽井沢ほどの広さがある屋敷だった。執事もいればメイドもいる。沢木は正真正銘の良家の息子らしい。そこでコトハは、沢木の両親である祖父母に紹介された。かつて正妻の子ではないコトハも、熱烈に歓迎される。 メイドが突然お嬢様に変身したように、コトハは目まぐるしく変わっていく周りについていこうと必死になったが、すぐに夏休みに入り、司佐とコトハの接点はまったくなくなってしまった。
夏休み、司佐は軽井沢の別荘に来ていた。有森兄弟や桃子も一緒に来ており、湖で遊んでいる。 そんな一同を岸辺で見ながら、司佐は寝転がった。 「お飲み物はいかがですか?」 コトハが去って、すっかり元気のない司佐に、昭人がジュースを差し出す。 「ああ、ありがとう。おまえも泳いでくれば?」 「僕はいいよ。それより、そんなに気になるなら、沢木様のところへ行って来れば? そろそろあちらも落ち着いた頃だろうし」 それを聞いて、司佐はジュースを一気に飲み干す。 「べつに……コトハのことなんて、どうでもいいし」 司佐の態度に、昭人は苦笑する。 「そうやって意地を張ってると、本当に失ってしまうよ?」 「いいって言ってるだろ」 「……本気で言ってるの?」 「ああ。コトハには俺がいなくたって、初恋の君もいれば、貴一や藤二もいる。俺がいなくたって……だいたい、なんでおまえにそんなこと言われなきゃならないんだよ」 昭人は口を結び、そして静かに息を吸った。 「困るんだ……ちゃんと司佐がコトハを掴まえておいてくれないと……」 それを聞いて、司佐は初めて昭人の気持ちを知った。 「おまえ、いつから……」 「さあ。気付いたら好きになってたよ……でも、司佐だから諦められたんだ。司佐とならって……」 人知れず辛い恋を抱いていた昭人に、司佐は俯く。 「馬鹿野郎……でも悪いけど、もう遅いんだ。俺は疲れた……」 「司佐……」 司佐は無表情のまま、湖を見つめていた。
そんな中、あっという間に夏休みが過ぎ、新学期が来た。 司佐と桃子の関係は縮まっていないが、司佐は無気力になっている。 「今日から新学期か……」 送りの車から降り、校舎を見つめて司佐が言った。 と、その時、一台の車が目の前に停まる。中から出て来たのは、コトハと龍太郎、そして龍太郎の弟の新太郎であった。 司佐は、コトハが龍太郎と一緒に登校する仲なのかと落胆したが、静かに口を開く。 「コトハ……」 一同が驚く中、コトハはお辞儀をする。 「お父様のご言いつけで、引き続きこの学校に通えることになりました。沢木琴葉です。よろしくお願いします!」 そう言うと、コトハは足早に去っていった。 さまざまな想いが巡りつつ、司佐は何も言わずに校舎へと入っていった。
「うわ。また疫病神が来た」 教室に入るなり、コトハは女生徒たちにそう言い放たれた。 途端、コトハの体が竦む。だが、そのコトハの肩を抱いたのは、龍太郎である。 「コトハはもう、良家のお嬢様だ。生き別れになった父親と再会した。もうメイドじゃない。いじめたりしたら、僕が許さない!」 龍太郎はそう言うと、コトハを守るように席へと連れてゆく。時に手を繋いだりする仕草で、二人の間には誰も入れなくなっていた。
この夏休み、コトハにはいろいろなことがあった。まず会わせられたのは、なぜか龍太郎と新太郎である。 「コトハ。彼らは、君の腹違いの兄弟だ」 驚いたのは、龍太郎たちも同じだ。 「トコが僕の本当のお姉さん? 夢みたいだ!」 手放しで喜んだのは、新太郎だけである。 コトハと龍太郎は向かい合ったまま、父親の説明を聞いていた。 「母さんとは別れても、親交は続いている。子供たちは変わらず僕の子供でもあるからね。これからも僕の子供たちとして、大事に育てていきたいんだ」 父親の説明を終え、コトハは龍太郎に連れられ、庭へと出て行った。 「ハハ……嘘みたいだな。でもこれで、お母さんがあんなに反対した訳がわかった気がするよ……きっと全部知ってたんだ」 「……私、龍ちゃんのお母さんが再婚してただなんて、全然知らなかった」 二人はベンチに座り、大きな池を見つめる。 「お父さんが死んだと聞かされたのが、僕が幼稚園の頃。トコと会った時には、もう楠の家に入っていたんだ」 「そうなんだ……」 「でも、いきなり兄妹って言われてもな……」 「うん……ごめんね」 コトハの言葉に、龍太郎がコトハを見つめる。 「なに言ってるんだよ。トコが謝る意味がわからない」 「でも、やっぱり私が生まれてきたことは、許しがたいことだったと思うから……」 「怒るよ、トコ。ショックだったけど、嬉しいのもあるんだ。これでトコと一緒にいられるしね」 「龍ちゃん……」 優しい龍太郎に、コトハも微笑んだ。
また、学校に引き続き通わせようという沢木の計らいに、コトハは戸惑い、龍太郎に相談した。 「それって、いじめじゃないか!」 コトハが今までクラスメイトにされてきたことに、龍太郎は怒りをあらわにする。 「うん……でも、私も悪かったと思うから」 「なに言ってるんだ。どうしてすぐに僕に言わなかったんだよ」 「……あの子たちの気持もわかるから」 龍太郎は溜息をつきながらも、コトハの手を取った。 「僕たち、恋人として結ばれることはなくても、今まで通り親友でいよう。僕がトコを守るから」 「龍ちゃん……」 「一緒に学校に行こう。家も近いし、一緒に通えるだろ?」 「うん」 その約束があり、二人は今日、一緒にやって来たのだった。
その日、龍太郎は片時も離れずコトハの側にいた。もちろん昼食も二人で一緒に食べる。 「トコ。はい、お水」 「ありがとう、龍ちゃん」 二人は向かい合わせで座る。 すると、司佐が桃子たちと一緒にやって来た。 コトハはきちんと話したいと思ったが、なんと声をかければいいのかわからずに俯く。 「コトハ」 だが、そんなコトハに反し、司佐のほうからコトハに声を掛けてきた。 「は、はい」 コトハは緊張して立ち上がる。こうして面と向かって話すのは、どのくらいぶりだろう。 「……新しい家では、うまくやってるのか?」 そう言った司佐も、心なしか緊張しているようにも見える。 「は、はい。お父様も……それから、お爺様やお婆様も、みなさんとても優しいです」 「そうか……よかったな。おまえももう、立派なお嬢様ってわけだ」 「いえ。そんな大それたことは……」 コトハがそう言った時、司佐が手を差し出した。 意味がわからず、コトハは顔を上げる。 「指輪を……返してくれ」 そう言った司佐に、コトハは悲しそうな顔をする。 「もう、俺とおまえに必要ないものだろ」 そう言われて、コトハは目を伏せた。 「きょ、今日は……持っていません」 コトハは深呼吸をし、そう言った。 その言葉に、司佐は背を向ける。 「じゃあ、郵送でいいから家に送っておいてくれ。もう、おまえと関わることもないだろうから」 そう言って、司佐は去っていった。 コトハは胸元で手を握る。首には宝物である母親の写真が入ったロケットペンダントとともに、それに通された司佐との婚約指輪がある。 だが、これを渡してしまえば司佐との接点がなくなってしまうため、コトハはとっさに嘘をついたのだった。 「トコ……」 事態を見守っていた龍太郎が、コトハの頬に触れる。 コトハの目からは、涙が零れ落ちていた。
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